寒い朝

【寒い朝】
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~ Side By Kakashi ~



 気がつくと、もう夕飯時というには随分と遅い時間。

 いかがわしい愛読書を閉じると、寝そべっていたカカシは立ち上がり、風呂場へ向かった。

 狭いユニットバスには半ばまで少し熱めの湯が張ってある。
 そこへ、ちょうど良い温度の湯を張っていく。

 どほどほと湯の落ちる音が轟く中、換気扇を伝って聞こえる外の気配に耳を澄ます。

 隣家の物音や、路地を歩いていく人の足音や話し声ばかりで、待ち望む音はまだない。

 時折吹く風はあまり強くはなさそうだが、こんな季節のこんな時間だ。
 身を切るほど冷たいに決まっている。

───やっぱり、待ってれば良かったなー

 この寒空を1人帰る人の姿は、想像するだけで恐ろしい。

 夕方、受付所で一緒に帰ろうとごねた。

 残業で遅くなるから、何時に帰れるか分からない。
 そう告げて1人で帰そうとしたイルカに、人前でみっともなく縋った。

 我ながら情けない姿、だとは思う。

 それに、いくらお許しを貰ったとしても、いつもの場所でイルカが仕事を終えるのを待つのもつらいだろう。
 いくら鍛えていて、任務なら雪山で一晩過ごすこともあるとはいっても、寒いものは寒いのだし。

 けれど、どんなに寒くても暑くても、あの場所へイルカが駆けてくる時の、そして共にここへ戻ってくる間の、名状し難いあの気持ちには替えられない。

 一歩里を出れば、嫌でも暑さ寒さにさらされながら人を騙し、命を奪う。
 そして時に、自らの命すらも失いかねない。
 だからせめて、里にいる間だけは───あの人の側にいられる時間は、気持ちを偽らずにただの人としていたかった。

 そんなことばかりを考えてしまうからだろう。
 帰り際、アスマに言われた。

『あんまりアイツを困らせてやるなよ』

 見目に似合わず聡いあの男らしい、的確な言葉だと思う。

───オレじゃあ、イルカ先生が困るのはしかたないよねー

 自分たちは、甘やかな恋人同士には程遠い。
 
 時にしつこく追いすがれば、人前だろうが2人きりだろうが、遠慮も容赦も手加減すらなくイルカは手を上げる。

 今や、中忍にぶっとばされる上忍の姿は、木ノ葉隠れの里の名物だ。

───でーもね~、アスマ

 いくらイルカに邪険にされようが、影で誰かに忠犬だの駄犬だの言われようが、カカシには構うことではない。

 ただ一つ、自分自身の気持ちがあるだけだ。

───あの人が1人きりでいるなんて、オレが堪んないんだーよ……

 自分の淋しそうな微笑を鏡の中に見つけたカカシは湯を止め、風呂の蓋を閉めて部屋へ戻る。
 テレビを点けて音量を上げ、ストーブも点火して急いで部屋を飛び出していった。

 道の遠くを、待ち望んだ人が帰ってくるのが分かる。
 薄暗い街灯の下を歩くイルカの姿を見ていられず、一瞬で目の前に現れる。

「イルカ先生、遅くまでお疲れ様ー。あんまり遅いんで迎えにきちゃった」

 できるだけおどけてえへへと笑い、イルカを抱きこむ。
 案の定、その身体は冷え切っていた。

「おかえりなさいイルカ先生。寒かったデショ」

 髪の毛、すんごい冷たい。

 そう言いながらも、頬を摺り寄せる。

 温かな自身には痛いほどだったけれど、何故だかほっとした。

「出迎えてくれて、ありがとうございます」

 でも急ぎ足でしたから、そんなに寒く感じませんでしたよ。

 イルカは微笑んで、そっとカカシの胸を押し、身体を離そうとする。

「さ、帰りましょう。カカシさん」

 そう言って腕を取って歩き出す肩に並び、抱きこんだ。
 嘘つきな冷たいイルカに、少しでも暖かくなって欲しくて。

 それは、真実そう思っている。
 けれど、それだけじゃない。

 1人待つ間に夕食を用意したり、風呂を沸かしたり、出迎えておどけたことを言うのも、わざとイルカに叱られるような些細な非常識を繰り返すのも、全部が自己満足。

 こんな自分でも、誰かを暖めてあげられると思いたいだけ。
 本当はカカシこそが、温もりを求めているのだ。

 けれど、部屋に帰りついた途端、イルカはいつもの調子でカカシを叱る。

「もう、電灯もテレビも点けっ放しじゃないですかっ! もったいない。ああっ、ストーブまで、しかも全開じゃないですかっ! 火事にでもなったらどうすんですっ」
 
 まくし立てながらテレビの音量を絞り、必要の無い電灯を消し、ストーブの火力を落としていく。

「それから……」

 イルカは一度、言葉を切った。

「……あんまりオレを甘やかさないでください」

 背を向けて、ぼつりとそう言ったイルカを背後から、そっとカカシは抱きしめる。

「んー。オレに甘やかされるの、ヤですか?」

 そりゃあ嫌だろうな、とカカシも思う。

 優しい振りをして、自己満足に浸る男なんてのは。

「オレね、イルカ先生がいなきゃ、もうダメなんです。任務出てても、里にいても、アナタのコトばっかり考えちゃって……」

 縋るように、抱きしめる腕に力を込めて、だからねと続ける。

「だからね、イルカ先生も、オレがいなきゃ淋しくって眠れないようになってよ」

「……そんなこと言われても困るんです……」

「うん。イルカせんせーが、そーゆーの困るのは分かってるよ」

 分かっているのだ。
 この人の人生にとって、自分という存在が何ももたらすことはないと。

「ごめーんね。でもこれは、オレのわがままだからさー」

 腕を緩め、額をイルカの肩に押し付けて顔を隠す。
 きっと、酷くなさけない顔を。
 
「カカシさん」

 呼ばれても、顔を上げられずに、ふざけた返事しかできない。

「なーにーぃ?」

「……夜、だけでいいんですか? オレにとっての、アンタの存在価値って?」

 淋しくって眠れないように、なんて。

「それでいいのなら、会うのは夜だけにしましょうか?」

「や、それはっ……カンベンしてくださいっ! それこそ、オレ、本当にダメんなっちゃいますっ! てゆーか、イルカ先生って、そーゆー割り切った関係OKなのっ?」

「場合によりけりですがね……でも、」

 慌てて抱きしめていた腕を緩め、イルカの顔を見た。
 悪戯小僧みたいな表情で自分を見つめ返している。

「アナタとは嫌ですねえ。夜だけなんてコトになったら、昼間外に出られないようなコト、されそうじゃないですか?」

「……うっ……我ながら、やりかねませんねー」

「でしょう? それに……オレだって、そんなのは嫌です」

「……イルカ先生?」

「オレだって、カカシさんがいないと、ダメです。だから、できるだけ、生きてください」

 それだけでいいです。

「いいですか、カカシさん」

「はい」

 生徒のように答え、カカシはにっこりと満足げに笑う。

「じゃ、メシにしましょう。オレ腹ペコです」

「はーい。すぐ準備しますねー。イルカ先生はベスト脱いで、手洗いうがいしてくださいよー」

 いそいそとカカシは台所へ向かった。



   * * * * *



 まだ暗い時間にカカシは目を覚ました。

 こんなことは珍しい。

 侵入者だとか招集とか、眠っていられないような状況となれば別だが、普段は──よっぽど体が休息を求めているのか、朝まで目覚めることはなかった。

 カーテンの引かれていない窓から空を見れば、5時を過ぎた頃だろう。
 月も星もなく、白く寒々しい薄青い色の空だ。

 身じろぎすると、暖かい布団へ冷たい空気が滑り込んでくる。

「……サム」

 そう呟いて、傍らに眠る人を強く抱きしめた。
 そして、思う。

 こんな寒い朝も、この人が居れば悪いものじゃない、と。



 【了】
‡蛙女屋蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2005/01/11
UP DATE:2005/06/08(PC)
   2009/11/10(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28



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