寒い朝

【寒い朝】
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~ Side By Iruka ~



 歳の瀬も押し迫り、その日の仕事を終えたイルカがアカデミーを出たのは、随分遅い時間だった。

 白い息を吐いて、空を見上げると雲の無い夜空が広がっている。

 風は殆ど無く、満月間近の月と星の明かりは冴え冴えとして、空気の冷たさが目に痛い。

───明日の朝は、寒くなるな……

 これまでの経験と知識から、明日の天候が分かる。

 こんな風に晴れた翌朝は放射冷却現象が起こり、ひどく冷え込むのだ。

 首元に巻いたマフラーを口元まで引き上げて、また息を吐いて歩き出す。

 寒さに竦む背を正し、大股でざくざくと。

 けれど帰る足が早くなるのは、なにも寒さだけのせいではない。

 今日は、自宅でカカシが待っているはずだ。
 夕方に受付所で一緒に帰ろうとごねた男が。

 残業で遅くなるから、何時に帰れるか分からない。
 そう告げて1人で帰そうとしたイルカに、人前でみっともなく縋ってきた男が。

 何とかなだめすかし、自分の部屋で待っているよう言い聞かせ、帰して良かった。

 カカシはどんなに寒くても、暑くても、いつも同じ場所でじっとイルカを待っている。
 主人の帰りを待つ、忠犬のように。

 こんな日に何時間も待たせたら、きっと凍えてしまっただろう。

 任務に出てしまえば、嫌でも暑さ寒さに、そして生死の危険にさらされる。
 だからせめて、里に───自分の側にいる時だけでも、凍えないでいてほしい。

 そんなことばかりを考えてしまうからだろう。
 カカシを帰した後、アスマに言われた。

『あんまりアイツを甘やかしてやんなよ』

 聡い彼らしくない、的外れな言葉だと思う。

───オレが、カカシさんを甘やかしてるって……

 傍から見ればそう見えるのだろうかと、自分たちの行動を思い返してもみる。

 けれど、それはあまやかな恋人同士には程遠い。

 特に人前では、しつこく追いすがってくるカカシを、遠慮も容赦も素気も無くあしらうばかりだ。

 イルカも性格上は滅多にないが、たまに人に手を上げるときには決して手加減をしない。
 相手がナルトだろうが、カカシだろうが。
 常に本気で。

 今や中忍にぶっとばされる上忍の姿は木ノ葉の里の名物だ。

───……アスマさん、一体何を見てたんだろうな……

 イルカには、人前でカカシを甘やかした覚えはない。

 2人きりのときは、どうだったか分からないが、それをアスマが覗いていたとは思えないし。

───どっちかってぇと、オレが甘やかされてるんだし……

 そう、イルカは思う。

 仕事帰りに一緒に帰ろうと誘ってくるのはカカシ。
 待っているのも、迎えにくるのもカカシ。

 その他諸々、生活の中で気配り心配りを見せるのはカカシのほうだ。

 第一、いくら本気で、とは言っても、イルカは中忍。
 里で最強とまで言われるカカシをイルカがぶっとばせるのは、手加減されているからだ。

 完全に甘やかされている。

 カカシに。

───……甘え過ぎだろう、オレも……

 自宅が見えて、足運びが緩んだ。

 部屋に明かりが点いている。
 カカシが待っているのだと思うと、たまらない気持ちになっていく。

 そんな、心に隙間の生まれた瞬間だった。

 目の前にカカシが現れる。

「イルカ先生、遅くまでお疲れ様ー。あんまり遅いんで迎えにきちゃった」

 えへへ、とだらしない笑いと白い息を漏らし、カカシはイルカを抱きこんだ。

 さっきまで部屋にいたカカシの温かさに包まれて、イルカは自身が冷え切っていることを知る。

「おかえりなさいイルカ先生。寒かったデショ」

 髪の毛、すんごい冷たい。
 そう言いながらも、頬を摺り寄せてくる。

「出迎えてくれて、ありがとうございます」

 でも急ぎ足でしたから、そんなに寒く感じませんでしたよ。

 イルカは微笑んで、そっとカカシの胸を押し、身体を離した。
 たいした厚着もしていないカカシをあまり外気にさらしていたくなかったし、抱き込まれた自身の冷たさで彼を凍えさせたくもない。

「さ、帰りましょう。カカシさん」

 腕を取って歩き出せばカカシも素直に並び、イルカの肩を抱きこむ。
 こんな風に甘えたふりをして、カカシはイルカを甘やかす。

「あー、イルカせんせぇ」

「なんです?」

「お腹すいたデショ? ご飯できてますよー」

「あ、そりゃ、すみませんねえ」

「でも、先にお風呂入っちゃいますか? 沸いてますよー」

「いいですねー」
 
 イルカは全く興味もありがたみも感じていないような声で返した。

 それと分かって、カカシもひどくベタな言葉を続けようとする。

「それとも、オレとイ……」

「遠慮しときます」

 最後まで、言わせなかったけれど。
 自室へ帰り着いたら、玄関先でカカシを締め出そうと試みたりもしたけれど。

 本当はイルカだって、それを望んでいるのだ。

 だって、こんな寒い夜に1人はつらい。

「イルカせんせぇ、ヒドーイ」

 しくんと鼻をすすり上げるカカシを無視し、イルカはマフラーを外しながら自室を見渡す。

 台所からは食欲を刺激するいい匂いがし、風呂場からも温かな蒸気が漏れてきている。

 けれど、部屋中の電灯が点灯し、テレビも近隣から苦情がきそうな音量。
 足元のストーブは赤々と燃え盛っている。

 ちょっと人を迎えに出る、その状況ではありえない。

「もう、電灯もテレビも点けっ放しじゃないですかっ! もったいない。ああっ、ストーブまで、しかも全開じゃないですかっ! 火事にでもなったらどうすんですっ」

 まくし立てながらテレビの音量を絞り、必要の無い電灯を消し、ストーブの火力を落としていく。
 
「それから……」

 イルカは一度、言葉を切った。

「……あんまりオレを甘やかさないでください」

 背を向けて、ぼつりとそう言ったイルカを背後から、そっとカカシは抱きしめる。

 かける言葉も、声音も優しい。

「んー。オレに甘やかされるの、ヤですか?」

 嫌ではないから、いつか困るのだろうとイルカは思う。

 そんなイルカの真意をカカシは知ってか、それとも分かっていないのか。

「オレね、イルカ先生がいなきゃ、もうダメなんです。任務出てても、里にいても、アナタのコトばっかり考えちゃって……」

 カカシはイルカを抱きしめる腕に力を込めて、だからねと続ける。

「だからね、イルカ先生も、オレがいなきゃ淋しくって眠れないようになってよ」

「……そんなこと言われても困るんです……」

「うん」

 イルカせんせーが、そーゆーの困るのは分かってるよ。

「ごめーんね。でもこれは、オレのわがままだからさー」

 腕を緩め、額を肩に押し付けてくる。

 カカシはいつも甘えたふりで、イルカを甘やかす。
 こんな風にカカシが望んだり願ったりした形で、イルカの望みや願いを現実にする。

 もうとっくに、イルカこそ、カカシがいなければダメになっているのに。

「カカシさん」

「なーにーぃ?」

「……夜、だけでいいんですか? オレにとっての、アンタの存在価値って?」

 淋しくって眠れないように、なんて。

 こうやってカカシの言葉を揶揄し、優しくないことを言うのもカカシへの甘えだ。

 けれどカカシだけにさらせる、自分の顔でもある。
 他の誰にも見せない、本当の気持ちのかけらだ。

「それでいいのなら、会うのは夜だけにしましょうか?」

「や、それはっ……カンベンしてくださいっ! それこそ、オレ、本当にダメんなっちゃいますっ! てゆーか、イルカ先生って、そーゆー割り切った関係OKなのっ?」

「場合によりけりですがね……でも、」

 慌てて抱きしめていた腕を放すカカシに、向き直る。

「アナタとは嫌ですねえ。夜だけなんてコトになったら、昼間外に出られないようなコト、されそうじゃないですか?」

「……うっ……我ながら、やりかねませんねー」

「でしょう? それに……」

 強がって微笑みながら、そっと服の裾を縋るように握る。

「オレだって、そんなのは嫌です」
 
「……イルカ先生?」

「オレだって、カカシさんがいないと、ダメです。だから、できるだけ、生きてください」

 それだけでいいです。

「いいですか、カカシさん」

「はい」

 生徒のように答え、カカシはにっこりと満足げに笑う。

「じゃ、メシにしましょう。オレ腹ペコです」

「はーい。すぐ準備しますねー。イルカ先生はベスト脱いで、手洗いうがいしてくださいよー」

 いそいそとカカシは台所へ向かう。

 その背を見送って、イルカは窓の外へ視線を移した。

 冷たく冴えきった月は中天を過ぎたところに昇っている。

 きっと明日は、ひどく冷え込むだろう。

 けれど、どんなに寒い朝も、カカシと通じ合う気持ちがある限りは、温かくいられそうだ。



 【了】
‡蛙女屋蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2004/12/26
UP DATE:2004/12/26(PC)
   2009/11/10(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
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