Metamorphosis Game

【NOBODY `TIL YOU[2]】


 舞台を終えた黒金は休む間もなく、主催者と共に土地の有力者───つまりこの公演のスポンサーへ挨拶に出向く。

 形ばかりの酒宴へ顔を出して礼を述べればもう用はなく、時間も押していることもあってさっさと次の公演へ発ちたいのが本音だ。

 しかし、やはり至芸を披露する舞姫黒金との酒宴となれば、処の顔役と言ってもただの男。
 金だけでなく、スケベ根性やら色々と出してくる。

 そんな下心やらなにやら見え見えの男たちを軽やかにあしらう黒金の様子をうかがいつつ、こととなればいつでも飛び出してくつもりでカカシは廊下に控えていた。

 アスマは先程捕らえたくのいちたちを後発でやってきた尋問部へ引き渡している最中。
 
 公演を終えた黒金がいまだに留まっているのは、そのせいもある。

 他里の忍に狙われている舞姫1人を守るだけなら、カカシ1人でも充分過ぎる。

 けれど、そんなに単純な任務ではなくなっている。
 くのいちたちの狙いは黒金ではなく、カカシだったのだ。

「ったく、オレがあーゆーの好みだとでもおもったのかねー」

「日頃の行いってヤツだろーよ」

 カカシの独り言に、ようやく戻ったアスマがツッコミをいれる。

「引渡し終わった?」

「おう」

 アスマは特に気配を消してはいない。
 それを察知して、直に黒金もこの宴席を引き上げてくるだろう。

「……にしても、よ。どうなんだ?」

「なに?」

「オメーの好みってヤツ」

 別段興味もなさそうに、アスマは問う。
 それは、この任務に出る前に話そうとしたことだ。

 ああ、とカカシはどこか淋しそうに苦笑して、遠くを見上げる。

「どっちかってーと、泥臭い、健康的な人がいいんだよね」

 手の届かない、憧れを語るように。

「良く笑って、笑顔があったかいのがサイコー」

「んな人間と、オメーみてえな忍が、やってけるもんか」

「うん。オレもそー思ってた」

 眩しそうに目を細め、カカシは微笑む。

「でもさ、そんな人が忍やってたのよ」

 今度は幸せそうに。

「運命、感じちゃうでしょーよ」

 そんなカカシの表情にしばし言葉を失ったアスマは、ようやく自分を立て直して言うべき台詞を吐き出した。

「言ってやがれ」



   ★ ☆ ★ ☆ ★



 捕らえたくのいちたちからきっちりと情報も取れたようで、それから数日は特に目立った襲撃もなく過ぎた。
 ただ休みなく、移動と公演中の護衛を繰り返しただけなので、無事にというには随分疲労が激しい。

 特に、移動中ずっと黒金を抱えたり、背負ったりしていたカカシは疲れきっていた。

「と、とーうちゃーっく……」

 今夜もバテバテで目的地に到着したと同時にへたり込むカカシへ向けるアスマの視線は、冷たい。
 まあそれは、途中で交替しようとしたアスマへ頑なに黒金の運び役を譲らなかったのだから、自業自得としか言いようがないのだが。

 カカシの背から軽やかに降り立った黒金は、へばって荒い息をつくカカシの傍らに膝をつく。

「大丈夫、ですか?」
 
 労わるように差し伸べられた手を制し、カカシは1人で立ち上がった。

「ヘーキです。すいませんね、なっさけないトコさらしちゃって」

「いえ……」

 他人が黒金に触れることは嫌がるくせに、自身も彼女を運ぶ以外の接触を避けるカカシ。
 その不可解、というか奇妙な行動を目の当たりにしたアスマは、ただ深く紫煙を吐き出すしかない。

 黒金とカカシの間に何かあることは、素人目にも明白な状態に気付きもせず、カカシは無理やり呼吸を整えて歩き出す。

「じゃ、行きましょか」

 カカシを先頭に黒金を挟んで最後尾をアスマが守る形で、3人は進む。

 山間とは言え街道沿いの開けた温泉地であるこの町は、宵闇にますます活気付いてきているかのようだ。
 客引きの絶えない通りと源泉の湧く広場を抜け、奥まった一角に建つ古風な宿に入る。

 宿を取るにはやや遅い時刻ではあったけれどすぐに高齢の大女将が顔を見せ、馴染み客である黒金を丁寧に出迎えた。

「ようこそいらせられませ、黒金様。お待ち申し上げておりました」

「今年もお世話になります」
 
 にこり、と黒金が心からの笑みを見せるのを横目に盗み見ながら、カカシは心の内でため息をつく。

 過密な黒金のスケジュールを上忍の足でこなしている理由の一つが、こうして温泉地で休養するためだ。
 湯治好きな割りに滅多に里の外へ出る機会のないイルカと、イルカに甘い3代目火影が築いた『黒金運用システム』だけあって、無駄な遊び心も満載というところか。

───ま、イルカ先生と温泉ってのはオイシイんだけーどね

 そう浮かれた一瞬後には、去年までこの任務に別の者がついていたことに気付いて、カカシは1人で大恐慌に陥った。

 四半分を覆われた表情は忙しく変わる。
 不機嫌そうに眉を顰めたかと思えば、急にだらしなくにやけたり。

 そんなカカシへの不気味さを押し隠し、仲居は笑顔でカカシとアスマをそれぞれの部屋へ通す。
 2人の部屋の奥、半離れのような一角が黒金が毎年滞在している部屋だった。
 本陣と称される、大名などが共連れで宿泊するための宿のように作られているらしい。

 里を出てから初めての宿泊となるが、泊まりが予定されている宿は皆、このようなところばかりだ。

 格式はいうに及ばず、とにかく警護のしやすい設備の宿が黒金の定宿となっている。

 だいたいの部屋のつくりを確認し、なるほどねとカカシは感心する。
 そうやって時間を潰していると、数人の仲居の気配がした。

「お客様、お夕食をお座敷へご用意いたしますので、どうぞ」

「そ、ありがと」

───飯、ねえ

 のんきに食ってる場合かな、と思いはするが、一応、促されるまま奥の座敷へとカカシも向かう。
 仲居の全員が刺客だったりしたら、黒金───イルカ1人では対処しきれまいと思って。

 しかし、カカシが座敷へ入ると、上座で女将と談笑する黒金の側にはきっちりとアスマがついていた。
 黒金は埃に汚れた旅装束を着替え、縞の単衣を着て丹前まで羽織っている。

 カカシが来たのを察した女将はすぐに話を切り上げた。

「お揃いのようですね。一度外させていただきます」

 そう挨拶を残し、給仕の仲居も残さずに引き上げていく。

「カカシさん、お座りになりませんか」

 黒金に促され、ぼうっと女将らを見送っていたカカシは慌てて空いている席へつく。

 庭を背にして座るアスマと向かい合う位置に。
 
 3人の前に並べられた膳には、春の山里で採れる旬の物が細かな仕事をされて並んでいた。

 目に鮮やかな木の芽、菜の花、山菜、塩焼きの川魚はウグイだろう。
 桜の花の塩漬けを浮かべた杯からは、極上の酒香が漂っている。

「じゃ、お2人とも召し上がってください」

「おう」

「え?」

 黒金の言葉に、行儀良く両手を合わせるアスマを見て、カカシは首を傾げた。

「イル」

「私は」

 訊ねようとしたカカシの呼びかけを制し、黒金は続ける。

「お2人が召し上がった後、確認をしてから頂きます」

 つまり、カカシとアスマは毒見役というワケだ。

 まあ、3人ともちょっとやそっとの毒でどうこうなる程、ヤワに出来てはいない。
 だが、今ここにいるのは2人の忍に護衛された舞姫。
 忍と一緒に毒の入っているかもしれない物を口にするワケにはいかない。

 それに任務中は同じ鍋からの食事だとしても、隊員が時間をずらして食事をとるのは常識だ。

「ここは馴染みですし、昔から火の国の有力者が定宿としてきたところですから、返って失礼かと思うんですけど……」

 黒金の言い訳を、アスマが引き継ぐ。
 
「今回はオメエっていうオマケつきだからよ、念を入れさせてもらったワケだ」

「分かってるよ」

 そう言ってカカシも両手を合わせ、膳の物を口に運ぶ。
 ひょいひょいと全く味わっていないようで、嗅覚、味覚、視覚をフルに使って毒物に気を配りながら。

 すばやく全てを半分づつ平らげたところで、カカシは自身の膳には何も細工はされていないと判断した。
 アスマの方も異常はなさそうだ。

「どうします?」

「カカシさん、席替わっていただけますか?」

「はーい、喜んで~」

 2人は席を入れ替わり、黒金はカカシの残した物を口にし、カカシは黒金の膳を半分ほど平らげる。
 心配は杞憂に終わったようで、どの膳にも不審な物はみつからずに食事は終わった。

 食後に今後の日程について黒金は1つ提案をする───振りで2人の上忍に指示を出す。

「明日の夕方、神社で奉納舞を披露したら、もう1泊して明後日の早朝にここを発ちましょう」

「間に合うのか?」

 アスマの問いに、黒金は微笑で答える。

「カカシさんの消耗を考えれば、無理をして明日の公演後に出発するのも、もう1晩身体を休めるのも変わらないように思います」

 その分、明後日の移動が大変でしょうけど。

 的確な判断に、アスマは日程変更の元凶である同僚をみやった。

「だとよ。どーする、カカシ?」

「仰せのとーりに」

 自身のスタミナ不足を分かりすぎるくらいに分かっているだけに、カカシにとってこの提案はありがたかった。

 いや、カカシの体力や持久力は充分に標準以上あるのだ。
 あるのだけれど、彼自身の他の能力値や上忍の中ではやや見劣りする。

 それにチャクラ量が人並み以上だとしても、元々はなかった写輪眼という燃費の悪いオプションがついているのでは仕方がない。

「では、明日からまた、よろしくお願いします。今夜はゆっくり休んでくださいね」

 にっこりと微笑んで、黒金は護衛のはずの忍2人をそれぞれの部屋へ戻した。



   ★ ☆ ★ ☆ ★



 翌々日の早朝、宿だけでなく町中の人々に見送られ、黒金は護衛の忍と共に再び旅立った。

 これも昨夜の公演が大好評だったからだろう。
 多くの者が舞姫の出立を悲しみ、また来年も立ち寄ってくれるようにと繰り返す。
 
 全ての人に涼やかな笑顔で礼を述べ、黒金は次の公演地へと急いだ。
 街道では歩き、道を外れるときは忍の背に負われて。

 国境に繋がる深い森を抜けている最中、2度目の襲撃があった。

 襲撃者の数は9。
 半数は上忍クラス。
 そして、彼らの目的は黒金らしい。

 アスマは隊長らしき忍にすでに向かっている。

「ここに、居てっ」

 呼び出した忍犬を護衛に、巨木の虚へ黒金を押し込めて、カカシも敵を迎え撃つ。
 クナイで2、3の敵を屠ったところで、3人が分断されたことに気付いた。

「カカシっ!」

「っ!……」

 叫び声を上げる間もなく、意識を奪われた黒金が攫われていく。

「待てっ!」

 目の前にいた敵の肩口へクナイを突き刺し様、後を追おうとしたカカシの肩をアスマが掴んで阻止した。

「オメエは先に行け」

「なに、言ってんの? オレにあの人見捨てさせる気?」

 振り払おうとしたアスマの手は、カカシを向かおうとしたのとは逆へ押し出す。

「血迷うなよ、オレたちゃ任務中だぜ? 写輪眼のカカシ、よお」

 アスマの言う『オレたち』がカカシとアスマの2人だけでないのは、分かっている。
 
 そして何故、写輪眼を持つ自分がこの任務に就かされたのかも。

 カカシはちゃんと理解してる。
 けれど。

「オレもアイツも、そんでオメエも、テメエの仕事をしようぜ」

 そう言って敵を追うアスマの背を、カカシは睨む。
 だがすぐに、まだ呼び出したままの忍犬へ指示をだした。

「アスマの追跡、手伝ってやって……」

 酷く、憔悴した声で。

 そうして、攫われた黒金───イルカの追跡をアスマと忍犬に任せたものの、次の目的地へ森を駆けるカカシの足は鈍かった。

 彼らを、信頼していないワケではない。
 2人とも上位の実力を持ち、経験も豊富だ。

 めったなことでは、任務を放棄せざるをえない状況になることはないだろう。
 だがそれでも、不安だった。

 忍には常につきまとう、任務と仲間の生命を秤にかけた選択。

 それが重く圧し掛かるのは、カカシ自身の過去───トラウマかもしれない。

 仲間の命を守るために任務を放棄した父と、そんな父を責めた里や仲間たち。

 任務の完遂に固執するあまり仲間を見捨てた自分と、そんな自分を庇って死んだ仲間。

 同じ苦悩を、悲しみを繰り返さないために、カカシは全力で任務をこなしてきた。

 けれど任務と掟にのみ徹しようとも、仲間を優先しようとも、結局残ったのは後悔ばかり。
 こうして迷っている間に取り返しのつかないことになったら───そんな恐ろしい考えから抜け出せず、とうとうカカシの足は止まってしまう。

 今は任務中で、一刻も早く目的地へたどり着き、カカシが黒金に成りすまさねばならない。

 万が一イルカの変化が解けても───最悪、死ぬようなことになっても、黒金の正体だけは誤魔化せる。
 攫わせたのは囮だった、と。
 だからカカシはこの任務に選ばれたのだ。

 写輪眼で、黒金の舞を真似ることができる、唯一の人間として。

 そんなことは、百も承知だ。

 しかしカカシは踵を返し、向かうべき方向とは逆へ飛ぶ。
 そのまま、別れた場所から所々に残る小競り合いの後を辿って、仲間たちを追った。

 敵は2人で黒金も抱えているし、アスマと彼につけた忍犬の方が早い。
 すぐに追いつくだろうし、思い悩んだ分のロスを考えれば、既に決着はついているかもしれない。

 それでも、カカシは足を早めた。
 
 戦えるのはアスマ1人。
 もしもあちらに伏兵があれば、手に負えなくなるだろう。

 そんな考えの通り、複数の忍が争う気配を感じる。

───ヤバッ! 増えてるじゃないの

 瞬時にクナイを両手に構え、カカシは数人に囲まれた同僚の背後へ飛び込んでいった。
 通りすがりに2人を倒した気配に、新手と勘違いしたのだろうアスマが咄嗟に足を出してくる。
 だが、その瞬間には正面の敵を屠って囲みを抜けていた。

「……カカシかよっ!?」

「バウッ」

 アスマの声を背に、忍犬を振り切って今しも黒金を連れ去ろうとしている敵の足へ手裏剣を投げる。
 同時に、足へチャクラを集めてダッシュをかけた。

 意識のない黒金を背負ったままでは、手裏剣は避けられてもカカシ自身の突撃をかわすのは容易ではない。

 案の定、カカシに気をとられた敵は手裏剣を避けきれず、バランスを崩す。
 容赦なく腹へクナイを打ち込んで、近くの枝を足場にカカシはその背から落ちる黒金へ腕を伸ばした。

 無数の手裏剣とクナイが黒金の背後からカカシへ襲い掛かる。
 
 咄嗟に黒金を庇おうとはした、けれど。

「イルカ先生ーっ!!」

 叫ぶカカシの腕に、無数の刃が刺さった黒金が力なく落ちてきた。

 じわりじわりと血の滲む温い身体を抱きしめそうになって───違和感に手を離す。
 衣につつまれた身体が下草の上へ落ちて、露わになった。
 女衣装に包まれた敵の無残な姿に、カカシは我に返る。

「替わり、身…?」

 気付いた時には、無数の暗器を投げつけてきた敵が3人、落ちていく。

「なんつー手際の良さだよ……」

 呆れたようにアスマがぼやき、カカシの傍らに立つ。
 もちろん、彼も先程の敵を息も乱さずに一掃していた。

「こちらは片付いたようですね」

 姿を現したのは、額当ても忍服も標準装備で髪を一つに結い上げ、鼻筋をまたぐ一文字の傷。

 うみのイルカがそこにいた。

「イルカ先生~っ!」

 まるで、自分の部下のように、カカシがその腰に飛びつく。

「良かった~。無事だったんですね~っ」

 相当驚いたのか、ちょっぴり涙声で無事を喜ぶカカシにイルカの冷たい声が落ちてきた。

「カカシさん……オレが忍者だってこと、忘れてませんか?」

 ああ、それとも。

「中忍なんてアナタにとっちゃ一般人と大差ないですかねえ」

「いえっ、そそそんなことはっ……」

 カカシは慌てて否定しようとするが、そこで言葉に詰まっては言い訳できない。

 ただ、イルカの腰に縋って「ゴメンナサイ」を繰り返すだけだった。

 アスマとカカシの忍犬はやや離れた枝から、2人に温い視線を送る。

「……なことしてる場合か?」

「バウ」

 妙に気のあっている上忍と忍犬のツッコミに、イルカとカカシも周囲の気配を探る。

 10人前後の忍に囲まれているようだった。

「新手?」

 腰に抱きついたまま、表情を引き締めるカカシを引き剥がし、イルカは訂正する。

「別口ですよ」

「そういうこった」

 アスマも分かっていた口ぶりで、告げる。

「へ?」

「アナタ狙いの方って意味です」

 頭がついていかないカカシへ簡潔に説明してやりながら、イルカは印を組みだす。

「黒金を狙ってた奴らと共闘か、利用しあったかは知りませんが」

「なる程」

 イルカの傍らでお坐りしたまま、カカシはさも合点がいったとばかりにぽんっと両手を打ち合わせる。
 
 2つの勢力が別々に、黒金とカカシを狙っていたのだ。
 最初は互いを護衛と誤解して、手をこまねいていたらしい。

 だが最終的な狙いはどちらもカカシ。
 結局は互いの目的を察して手を組んだか利用しあったか、とにかく一方が黒金を攫い、その間隙にもう一方がカカシを襲う腹だったようだ。

 それを逆手に取っての各個撃破。

 黒金を攫わせて一方を潰し、更に一人になったカカシを囮りにもう一方をおびき出す。

 つまり、踊らされたワケだ。
 敵と、カカシは。

「そ~れじゃ、ご期待にお応えしなきゃ悪いよーねぇ」

 1人で目的地へ向かわせても、散々悩んだあげくに敵を引き連れてカカシが戻ってくる、とイルカには見抜かれていたのだ。

「ワザワザ、こーんな所までおびき出されてくれちゃったことだし?」

 にこやかにそう言い、額当てを上げるカカシの目は笑っていなかった。



   ★ ☆ ★ ☆ ★



「……イルカせいせ~い、ヒドイですー」

 ぐすりと鼻をすすり上げるカカシを振り返りもせず、イルカは枝から枝へ渡っていく。

 その背に、カカシを背負って。
 
「イルカせんせー、なんでオレに何にも言ってくんなかったんですかー」

「黙ってないと舌噛みますよ」

 そう警告し、イルカは大きく高さの違う枝へ飛び移った。
 着地の瞬間、カカシはがくりと首が揺れることを覚悟したが、思った程の衝撃はない。

「……イルカせんせえ」

 チャクラ切れで動けない自分に気を使ってくれたらしいイルカに、カカシは思わず嬉しくなる。

「ほら、黙ってっ」

 しかし、イルカの態度は変わらない。
 カカシを背負っているというのに、中忍とは思えぬ脚力で森を駆け抜けていく。

「日暮れ前に着かなきゃならないんですから……今日の言い訳は、向こうに着いてから、させてください」

「はぁい」

 いい子のお返事をするカカシだったが、ついさっき3個小隊を1人で壊滅させていた。
 写輪眼と幾つもの高度な術を駆使し、殆ど一瞬で十数人を戦闘不能にする様は、まさに雷神のごとし。

 まあ、チャクラ切れを起こし、今はイルカに背負われているのだけれど。

「……なんだかなぁ」

 2人の後ろをアスマがついてきている。
 面倒なカカシのお守はイルカに任せっきりで。
 


   ★ ☆ ★ ☆ ★



 その夕刻、桜が盛りの山端の村へ舞姫黒金が到着した。
 道中で賊に襲われて気を失ったまま、警護の忍に背負われて。

 舞姫を招いた村の長は、これで奉納舞をできるのかと気を揉んだ。
 しかし、彼女を背負った黒髪の忍は穏やかに微笑んでみせる。

「こちらの事情で、ちょっとお休み頂いているだけです。すぐにお目覚めになりますから、ご心配なさらずに」

 忍らしくない、人好きのする笑顔に見惚れたか虚を疲れたかした隙に、彼らは黒金を用意された控えの間へ運び去った。
 けれど控えの間で戸を立てきると、彼は背負っていた舞姫を荷物のように放り出す。

「いったーい。ヒドイですー」

 そして、ぐすりとわざとらしく鼻をすすりあげてみせる舞姫に向けて印を組むや一言。

《解》

 同時に、黒髪もたおやかな舞姫黒金の姿は白銀の髪の忍───カカシへ戻る。

「イルカ先生のいけずー」

「文句があるのでしたら、ご自分で移動してくださいね」

 感情のこもらない声と完璧な笑顔でイルカは言い、再び印を組んだ。

 まずは影分身。
 次に一方が、変化。
 
 イルカと舞台衣装の黒金は連れ立ち、控えの間を出ていきかけて振り返る。

「「それじゃあ、アスマさん。後、よろしくお願いしますね」」

「おう」

 アスマは足元に転がる同僚を軽く踏み転がしながら、軽く手を上げて2人を見送った。

 チャクラ切れで身動きのとれないカカシと任務を続ける以上、誰かが欠けた分と増えた仕事をしなければならない。

 欠けたのは戦力としてのカカシ、増えたのは足手まといのカカシだ。

 イルカは警護される黒金と警護するイルカの2役をこなし、アスマはカカシのお守りを受け持っている。
 今、写輪眼狙いの連中に襲われてはひとたまりもないだろうから。

 一応、カカシも移動中の黒金役をしている。
 ただイルカに背負われているだけで、変化も幻術もイルカ任せだった。

「で、オマエは何してくれてんのよー。アースーマ~」

 わめく程度には回復しているカカシが、足蹴にしてくるアスマへ食って掛かる。
 だがアスマは悪ぃとも言わず、カカシを見下ろすだけだ。

 しばし、にらみ合う沈黙が続く。

 遠くから響く楽の音は黒金の舞の伴奏だろうか。
 その調子が変わったタイミングで、アスマは突然カカシに問うた。

「オメエ、どう思う?」

「どうって?」

「イルカだよ」

「大好きに決まってんじゃン」

「そうじゃねえ」

 自分の言葉の足りなさと、相手の察しの悪さに苛つきながら、アスマは続ける。

「アイツが何で、オメエみてえな足手まとい連れてまで、この任務続けてるかってこった」

 常ならば、足手まといだからといって、仲間を見捨てることはしたいものではない。
 けれど、今回は特殊な任務で、戦闘になる可能性は低い。
 いや、足手まといのカカシを連れていることで、殆どない確率を大幅に引き上げているようなものだ。

 第一、この任務でのカカシの役割は、万が一の場合の代役だ。
 変化どころか普通に歩くこともままならない今のカカシに、その役割は担えない。
 里へ連絡し、カカシを送り返すことが得策だと、アスマもカカシも考えている。

「さぁてねぇ……。あの人の考えてることは、オレもさっぱりだしーぃ」

 何しろ、意外性ナンバー1の先生だからねーと、おどけた声でカカシは言う。
 だが、表情は真剣だった。

「なんでかなんって、直接イルカ先生に聞かなきゃ、分っかんないよ」



   ★ ☆ ★ ☆ ★



 その夜、黒金一行は村はずれの湯治宿に泊まることとなった。

 疲れの出た黒金が休んでいる───かのようにカカシが臥せった部屋の前では、イルカが人々へ断りを入れている声が中々絶えない。

 公演の成功に気を良くした村長の招きや、村人からの酒などの差し入れや着物などの贈り物。
 宿の豪勢なもてなしなどを丁寧に、誠意を込めて断っているらしい。

「あーゆーのは、イルカが適任だな」

 アスマの感心した声に、布団の中からカカシが面白くなさそうに返した。

「んー? でーもさ、あーしてるうちにイルカ先生と話すのが目的になるやつとかも、でちゃうんだーよねー」

 確かに、誠実に対応するイルカとの会話は面白いし、声もいい。
 特に用事はなくとも、話をしているうちに惹かれていく者もいるのだ。

 里でも、たまにそういう光景をアスマは目撃している。
 その後の、カカシのみっともない嫉妬も……。

 やれやれと煙を吐き出したアスマは、襖を隔ててイルカの背後に立った。
 
 瞬間、ぴたりと外の会話がやむ。

「どうされました?」

「姫さんがお呼びだ。替わるぜ」

「はい」

 イルカが襖を開けると、ふさぐように立つアスマの姿。
 一瞬、驚きひるんだような人々の気配に、内心で苦笑しながら2人は場所を入れ替わった。

「じゃ、よろしくお願いしますね」

「そっちもな」

「はい」

 にっこりと微笑んだイルカが、無常に襖を閉める。
 途端に、そそくさと立ち去っていく人々の気配を感じたのだろう。

「流石、アスマさん。オレだと、あんな風にさっさと帰ってもらえないんですよねぇ」

 下手をすれば、馬鹿にしていると取られかねない感心の仕方をしつつ、イルカはカカシの元へ近付いてきた。

 カカシはひょこりと布団から顔を出し、含みのある笑みを見せる。
 その顔から、イルカもカカシの言わんとすることを読み取ったが、それはスルーしてカカシ自身へ矛先を向けた。

「ああ、もう動けるようになったんですね」

「はいお陰様でー」

 笑顔の嫌味を、カカシも笑顔で受け返す。

「でもま、まーだ足手まといにゃ違いないんですけどねー」
 
 時々、自虐的でさえあるけれど、きちんと自身を顧みられるのは、やはりカカシの長所かもしれない。

 ただ殊勝な様子のカカシにさえ、穏やかな微笑みで釘を刺してしまうのは、きっとイルカの短所だ。

「そう思うのでしたら、大人しくしていてください」

「はぁい」

 いい返事を返すカカシの傍らに座り、額に触れてイルカは体調を確認してくる。
 そんな彼の手の心地よさに目を細めながら、カカシはずっと抱えていた疑問を口にした。

「あの、イルカ先生」

「なんですか?」

「どーして、オレを里に送り返さないんです?」

 随分とストレートな聞き方に面食らったのか、少しの沈黙の後、イルカは質問で返す。

「帰りたいですか?」

「いえ。でも、こんなんじゃ……」

 情けなさそうに両手を掲げてみせるが、その動きは緩慢でわずかなものだった。
 いや、普通ならばまだ身動きも取れない状態で、こうしていられるカカシはやはり肉体的にも優れているのだろう。

 両手を動かしたことで捲れあがった布団を直してやりながら、イルカはまた聞いてきた。

「綱手様がオレたちを送り出す時に仰ったこと、覚えてますか?」

 問われて、カカシは無駄に優秀な記憶力からその時の会話をくみ上げる。


───道中で関わってきそうな連中もやっかいでねえ

───アンタたちがつく時点で余計なちょっかいも加わるだろうが……

───何も起こらない可能性もあるんだ

───ちょっとやっかいな条件付の休暇だと思って楽しみな


 その時にカカシも感じたことを、イルカも口にした。

「オレたちは木ノ葉隠れを狙う害虫をおびき寄せる撒き餌でしょうね。まあ、巻き込まれたアスマさんには申し訳ないですが……」

 期せずしてアナタは、格好の標的となってしまったことですし。

「できる限り寄せ集めたておいたほうがいい……と、思いませんか?」

 イルカは笑顔で言うが、最初の襲撃から2つの勢力を各個撃破するまでカカシに黙っていたのは、こういう事態になるように画策してのことではないのかと、思う。

 笑顔で告げてくるというあたり、多分そうなのだろう。
 ただ本当にだとしてもちょっとアレなので、カカシも言及は避けた。

「最初に情報は取れてましたし、道中は暗部も待機してくれていますからね。向こうには写輪眼を求めるリスクってものを多少なりとも感じてもらわないと」
 
 それに、とイルカは言葉尻を濁し、言いよどむ。

「今、アナタ1人を里に送り返したら、それこそ帰った時にナニされるか分かったものじゃない、気がしたので……」

 苦笑され、確かにとカカシは思う。

 イルカが関わった時の自分の判断力には自制が効かない。
 ろくでもないことばかりしでかしているという自覚がある。

 現に、自身を案じてくれるイルカに対して、これだ。

「さ、もう寝てください。明日も早いですよ」

「え~っ、もうちょっとイチャイ……」

「眠れないのでしたら、術でもかけますか?」

 にこやかに訊ねるイルカの右手が強く握られるのを見て、カカシは大人しく布団を被る。

 だいたい上忍のカカシには誘眠の術も薬も効きにくい。
 イルカのとれる有効な手段は、物理的に意識を失わせることだ。

 殴って昏倒させるか、締めて落とすか、脊椎を麻痺させて仮死状態にするか……。
 ただでさえ消耗しているのに、強制的な休息は肉体的にも精神的にもキツイ。

 それでも再びちらりと顔の半分を見せると、カカシはイルカへ微笑んで目を閉じた。

「お休みなさい、イルカ先生」

「おやすみなさい、カカシさん」
 
 イルカも笑顔で答えるが、既にカカシは寝息を立てている。

 寝つきがいいのか、相当ムリをしていたのか、両方なのか。
 イルカが髪を梳きあげてやっても、身じろぎ1つしない。

「本当に、アナタって人は……」

 ため息を零すようにぽつりと呟くイルカの表情は、暗かった。

 イルカもカカシのことは嫌いではない。 だから、それだけでは受け入れてやれない。

「……まるで、子供じゃないか……」

 カカシがイルカへ向ける愛情は、よく言えば純粋で一途。
 逆に、幼稚とも。

 教師根性の染み付いたイルカにとって、嫌ではないけれど、恋愛にはなりえない感情だ。

「……アンタ、オレをなんだと、思ってんですか……」

 そう吐き出す間に身を沈め、カカシの額に軽く唇で触れる。
 イルカにだって、普段見せないだけで、気持ちはあるのだと告げるように。

 身を起こし、カカシから視線を外したところで、アスマが戻ってきた。
 いかにも、臥せった舞姫に遠慮して外で一服してきたといった風情だが、襖を閉めた手で新しいタバコに火をつける。

「妹を嫁にやるってなぁ、こんな心境なんかなぁ……」

 最初の煙を吐き出しながらのしみじみとしたアスマの言葉。
 それが終わらぬうちに、イルカが小声で吠えた。

「誰が妹ですかっ」

 声を潜めた2人の会話に、寝ているはずのカカシの目が、だらしなくヤニ下がっていた。



 NOBODY `TIL YOU[3]→
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