イルカ外伝

【思春期狂想曲〜漆】
   ~ Adolescence Rhapsody ~
[nartic boy』7,610hits]



 上忍待機所に、簀巻きにされたカカシが1本、転がされている。

 3代目との激闘は夜明け前に決着し、その結果がこれだった。

 首には3代目の手による札が掛かっており、墨痕鮮やかに『里の恥』としたためられている。

 顔には落書きと化粧。

 こちらは女性陣によるものらしく、内容に全く容赦がない。
 ド派手なグリッター系のメイクの上から、マジックで猥雑な言葉が書かれていた。

 しかもホワイトボード用マーカーで。

 普通、油性のほうが消えにくいと思われがちだが、人間の皮膚は勝手が違う。

 皮膚表面の皮膜や油分で、油性マジックのインクは放っておいても落ちてしまうのだ。

 これが水性だと皮膚の油分と混ざり合って落ちにくくなる。
 だが、インクが乾ききる前に落としてしまえば問題は無い。

 しかし、ホワイトボード用マーカーは速乾性。
 書いた端から、肌の油分と混ざりながら乾いてゆく。
 乾いたら最後、強力なクレンジング剤を使わねば、3日は消えない。

 それを分かっていて、顔への落書きにチョイスする女性陣の怒りは、察するに余りある。

 正式な処分が決まるまで、この待機所での晒し者となっているカカシ。

 その見張りに1人残されたアスマはやってらんねえとばかりに胸ポケットからタバコを取り出した。

 ちなみに、彼はまだ未成年である。
 だが、今ここに咎める者がいないので、遠慮なく紫煙を吐き出している。

「どうでぇ」

「んーーー? 最悪?」

 吹き付けられた煙に、キレイに整えられた眉をしかめてカカシが答える。

 主語の無い会話だが、2人の間には通じるものがあるらしく、淀みがない。

「で?」

「イルカちゃんって何者?」

「ただの下忍」

「とは思えない」

 アスマの答えに、不満そうに頬を膨らませるカカシ。

「なんたってー、オレの殺気にちっとも動じないんだもん」

「オメエ程度じゃな」

「ちょっとそれどーゆー意味っ」
 
 冗談と分かっていて憤るカカシに、アスマは話してやった。

 2年前の、全てが封印された夜の話を。

「あの夜……何人もの上忍や中忍が足すくんで動けなくなる中、アカデミー生が前線まで出てったって話は、聞いたことあるか?」

「ま、聞いたことはー……って、マサカ?」

「大人どもがびびっちまってたのによぉ。イルカだけが、アレに立ち向かってった」

 アイツだって怖かったんだろうけど、それでも守りたかったモノがあったんだろうよ。

「保護した上忍は、まだ、とーちゃんとかーちゃんが戦ってんだーって泣き叫んで暴れるのを、抱えて連れ帰ったそーだ」

「……じゃ、両親とも?」

「ああ」

 他には、と口に上らせる前に、アスマが首を横に振った。

 他に家族はない、と。

 イルカも、あの夜に何もかも失ったのだと、カカシは初めて知った。

「まあ、元々、アイツは人気モンだったしよぉ」

「そーだろーねえ」

 周囲の人々が何故イルカを構いたがるのか、カカシにも分かったような気がした。

 ちっとも忍者という生業の後ろ暗さをまとっていない。

 それでいて、一番大事な何かを分かっているような気がする。

 だからこそ、あの子が何かを変える。

 そのきっかけになってくれる。

 そんな期待をしているのだ。

「ああ、ウルセーのが来やがった……」

 近付く気配を察し、名残惜しそうにタバコをもみ消したアスマは立ち上がる。

 カカシも入口の真正面を避けるように転がってゆく。

「やれやれ、アイツも無駄に早寝早起きだーねえ……」

 すっぱーっんと、待機所のドアが音高く開くと同時に、濃く熱い青春の挨拶がほとばしった。

「おはやうございまっす☆ 諸先輩方ーっ!」



   * * * * *



「……ん、んーーっ」

 丸まった布団の中から、細い手足がにょっきりと伸びる。
 しばらくして力を抜くと、その手足の持ち主がごそごそと顔を出した。

 見慣れない、けれど見知った部屋と天井。

 障子越しに部屋に溢れる、明るくて暖かい朝の光。
 新しい畳と清潔なシーツ、それと防虫剤のにおい。

「……ここ、火影様のおうちだ……」

 あれ、と首を傾げる。

「……なんで、ここにいんだっけ?」

 夕べは火影様の執務室を出た後、演習場まで走っていった。
 
 そこでミズキに声をかけられ、ついでにバカに絡まれた。

 それから、と思考を振り返ったところで、イルカは固まる。

 叫びかけて、咄嗟に自分の口を押さえていた。

 しかし、心の中は絶叫中。
 そして大パニックを起こしていた。

 見る間に顔が赤くなり、煙まで噴出しそうになっている。

 無理も無い。
 色恋沙汰に関しては、全く免疫がないどころか無菌室育ちなのだ。

 しばらく赤い顔のまま布団の上でじたばたしていたイルカ。
 しかし、だんだんとゆるやかになり、そしてぱたりと動きがやむ。

「……ヤられた……」

 むっかりとつぶやくのと同時に、3代目が部屋へ顔を出した。

「目が覚めたようじゃな、イルカよ」

「……3代目ぇ……」

 情けない声で見上げてくるイルカへ、3代目は静かに言ってやる。

「アレがことは忘れろ」

「でも……」

 布団の上に膝を正したものの、まだ真っ赤な顔でうなだれたまま、イルカは答えられずにいる。

「早々、忘れられるようなものではなかろう。じゃがな、いつまでもあんなモノにかかずらってもおれまい?」

「……はい」
 
 不承不承、納得できぬままに返事をしたものの、まだ顔があげられない。

 あんな風に絡まれ、まともにやりあうことなく負けたのは初めてだ。

 手も足も出ない。

 戦いたいワケではないけれど、強ければ無駄に戦わずに済む。

 だから、強くなりたい。

 そんな思いが、膝の上に置いた手を強く握りしめさせる。

「イルカよ。ワシが下で、鍛えなおさぬか?」

 心を見透かしているかのような3代目の言葉に、考えるまもなくうなずきそうになった。

 一度、上げた顔をまた俯かせて口ごもる。

「でも……」

 イルカには1つ、気がかりがあった。

 任務として世話をしている、あの子供。

「……あの子のことは心配要らぬ。ようやく、親代わりも見つかった。数日中には、出てゆけるだろうよ」

 3代目は、イルカの思いをちゃんと分かっていてくれたのだ。

 鼻をすすり上げ、滲みそうになる涙を堪えながらイルカは頭を下げる。

「よ、よろしくお願いしますっ!」

「うむ。弛まず励めよ」

「はいっ」



   * * * * *



 こうして、3代目火影は自身最後の弟子となる者を得た。

 やがて時が過ぎ、その者の存在は忍の世界が変革するきっかけとなるのだが、それはまた別の物語である。



 【了】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2005/08/03
UP DATE:2005/08/08(PC)
   2009/01/03(mobile)
RE UP DATE:2024/07/29
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