君に焦がれた僕が轟かす音は君に聴こえているか?

【君に焦がれた僕が轟かす音は君に聴こえているか?】



 ご機嫌なリフを口ずさみながら馴染みの扉を開けた途端に、外の喧騒をかき消す大音量が溢れ出す。

 けれどカカシの耳に届いているのは、プレイヤーから流れる夕べ録ったばかりの自分のギターの音だけ。

 寄りかかるように外界とこことを隔てる重い扉を閉めて、狭い廊下に並べられた幾つかのテーブルと椅子を避けながら奥へ向かう。
 3、4人も座ればきゅうきゅうのカウンターに相棒を立てかけ、チェーンがじゃらりと下がった腰をスツールに引っ掛ける。

「コーヒーちょーだい」

 カウンターの内側にいる誰かへ告げ、携帯電話を取り出す。

 メモリから打ちかけのリリックを拾い、今耳に入ってくる音に乗せてみる。
 だがどうもしっくりこない。
 このメロディで伝えたい言葉は、こんなものではない、気がする。

「あー、ダメ。これじゃなーいっ」

 プレイヤーを止めてイヤホンを外すと、ばたりとカウンターへつっぷした。

 この1曲のために、もう何日も寝不足が続いている。

 目の下にはステージメイクと変わらない、どぎついシャドウがナチュラルに浮いていた。
 サングラスは、しばらく外せそうにない。

 もういっそのこと、このままここで寝てしまおうか。
 うっかりそんな考えと、眠気に身をまかせてしまいたくなる。

 そこへ、芳しい香りと共に、耳障りのいい声がおちてきた。

「どうぞ」

 手元へ静かに置かれたカップを舐めて上げた視線は、予想外の人物を捉えた。

 てっきりライブハウス兼録音スタジオ、リーフの店主で往年のロック・プロフェッサー──通称、3代目──だと思っていたのに。

 まったくの別人だ。

 藍地にロゴの入ったメタルプレートが目印のここのエプロンをし、今時珍しい──というか、どこで買ったんだと問いただしたくなるビン底眼鏡。
 細身でいい具合にダメージの入ったジーンズの腰には3重に巻かれた皮ベルト。
 黒いTシャツはモトリーのレプリカ。
 手入れの悪い長めの黒髪をうなじのあたりでひっつめた、背の高い、若い男だ。

「……あれ? 3代目は?」

 暖かいコーヒーを一口すすって小首をかしげ、死んだ?なんてことを言えば、慌てた声が返ってくる。

「なっ……なんてことを言うんですかっ! 3代目は町内会の集まりですっ」

「……町内か、い……」

 あまりにもロックとかけ離れた言葉に、カカシは額を押さえた。

 そりゃあ、どんなロックスターやメタルゴッドにだって、ご近所付き合いはあるのだろう。
 ゴミ出しのマナーとか、カラス対策とか、商店街の活性化、住宅街の騒音問題、などなど。

 それは分かっている。しかし改めて認識してしまうと──情けないとまではいかないが、泣きたくなるのは何故だろうか。

「アンタ、新しいバイトくん?」

「いいえ。もう3年くらいになりますかねえ」

 まあ、学校行きながら他にもバイトかけもってんで、不定期に、ですけど。

 眼鏡の下辺りを掻きながら呟く男に、ふうんと気の無い相槌を打ちながら、気になっていたことを聞いてみる。

「ねえ、あんた、アノ人知ってる?」

 指し示したのは、このカウンターの反対側───ドアを開けると隠れてしまう位置に飾られたライブの写真。

 A4程に引き伸ばされ、黒いアルミフレームに収められたその一枚こそ、カカシが今最も気にかけている曲の根源だった。

 先日、たまたま見かけた、たった1枚の写真から得たイメージ。

 真っ暗なステージに1人、ピンスポットを浴びて立つ、黒づくめの男。

 背景と同じ色なのでどれほどの長さがあるのかも分からないが、乱れた黒髪が殆どの表情を隠してしまっている。
 けれど、マイクに近づけた口元だけはかろうじて見えている。

 その、口元と衣装の胸元の肌の色だけが浮き出すような、1枚。

 それを曲に、そして詩にしようとしてもう何日経っただろうか。
 曲はなんとかまとまりつつある。
 だが歌詞が今ひとつ、乗らない。

「3代目に聞ーても教えてくんないのよねー」

 ぶすったれ、唇を突き出してみせるカカシヘ、男はそりゃあそうでしょうと事も無げに返す。

「そりゃあそうでしょう。よく、この写真の人と連絡取れないかって聞かれるんですけど……」

 そう言って指し示すのは、カウンターの横に掲げられた大きなポスター。

「でも、本人の意向があるから、ここじゃあ教えてませんからねえ」

 悪戯っぽく微笑むので、カカシは黙るしかない。

 ちょっと茶目っ気をだし、LIVE前に撮った写真をパソコンで処理して出力センターで1枚だけ作ったポスター。
 被写体は当然、作ったのもカカシ自身だ。

 それを面白がってここに張り出してくれたのは、3代目。
 何枚となく貼られた写真の1枚として。

 ただやはりサイズがサイズだったし、何よりモデルが人目を引いた。

 髪は染めたのでもなくプラチナブロンドで、カラーコンタクトも使っていないのに真紅の瞳。
 そして整った顔立ちには傷と、どこか人を食ったようなおどけた微笑。

 スタジオに来たバンド小僧どもの写メによって、この画像は瞬く間に巷へ流出した。

 そして次々とやってくる問い合わせ。

 単純にファンになったので活動を知りたいとか、モデルに使いたいとかやってみないかというなら分かる。

 ただ、音楽をやっていると分かれば、音を聞きもしないでメジャーデビューが持ちかけられる。
 あげく、売れたければどうこうという話になって、ついにキレた。

 これを張り出された3日目には、カカシはこの悪戯を悔やみ、3代目に泣きついた。もう、剥がしてくれと。

 しかし、3代目は取り合わず、いい薬じゃろうと鼻で笑ってくれやがったのだ。

 そして未だに、この1枚はこのスタジオにでんと鎮座増しましておられる。

「……あー、そうね……」

 嫌なことを色々と思い出し、カカシは不機嫌な顔で冷めかけたコーヒーをすすった。

「たださ、気になっちゃってねー」

 それでも諦め切れずに、ぼやく。

「もうあの写真が頭から離れなくって、あの人をイメージしてたら曲が溢れてきちゃってさー」

 聴いてみる?とプレイヤーを差し出す。

 何故かは分からない。
 けれどなんとなく、この男にこのメロディを聞かせたくなった。

 多分、さっき、頬を掻いた時に。
 そこに薄っすらと浮かんだ、鼻筋を跨ぐ真っ直ぐな傷を──あの写真の男にもある傷を、見た時に。

「いいんですか?」

「詩がまだうまく乗らなくって、どれもこれも中途半端なんだけど……」

 手渡したプレイヤーを手にイヤホンを耳にセットし、プレイボタンを押す。

 その僅かな動作に、酷く緊張していた。

 軽くリズムをとるように、時に指板を押さえるように動く指先。リフを口ずさむ口。

 そういった物に、見惚れていると、ぽつりと声があった。

「なんか、オレには……」

───シアワセノ メロディヲ キミニ キカセテアゲタイ

「……そんな風に、聴こえます」

 そのワンフレーズを歌った声に、心が震えた。

 手を伸ばして分厚いレンズの眼鏡をずらすと、意志の強そうな真っ黒な瞳が睨んでいた。

「ちょっ、と、やめてくださいっ!」

 慌てるでもなく、ただ不快そうに眼鏡をなおそうとする仕草に構わず、カカシは彼の腕を掴んでいた。

「アナタ、名前は?」

 やっと見つけた。
 そう感じたから、この手はもう放せない。



 【了】
‡蛙娘。蛙女屋@iscreamman‡
</font></div>
WRITE:2005/09/10
UP DATE:2005/09/15(PC)
   2009/11/16(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
1/2ページ
スキ