まだ神様が眠っているあいだに
【まだ神様が眠っているあいだに】
~ Silent Carrier ~
[Riddle = iscreamman 相互リンク]
春先の夜更けは暖房を切ってしまえば室内でも凍えるくらい空気が冷たい。
けれど真冬ほど乾燥してはおらず、汗ばんだ身体で吐き出す息も白くなるようなことはない。
自分の下で息を乱したままぼんやりと視線をさまよわせるイルカの髪を撫で、カカシはサイドチェストに置いた時計をちらりと確認する。
日付が変わってから1時間と少し過ぎたところだった。
「ねえ、イルカ」
我ながら、彼に向ける声は甘いと感じる。
「何を企んでんの?」
そして、楽しそうだ。
事実、楽しい。
彼と知り合ったのは2年前。
カカシが研修医をしていた病院に、悪戯盛りの児童を庇って大怪我をした教育実習生だったイルカが運ばれて来たのが出会い。
たまたまイルカに庇われた児童というのがカカシの恩師の1人息子だったのも、彼と親しくなる一因であった。
イルカが通院を必要としないまで回復してからも、きっかけとなった子供をダシに恩師家族を交えて食事をしたりテーマパークへ出掛けたりしながら、電話もメールもカカシにしてはマメにしていた。
その間に性別を無視した想いを互いに募らせて知人から友人、そして恋人へと関係が変化したのは割りと早い時期だったと思う。
「……企むって、なに、を?」
眠たげな声で返しながら、イルカの手は自分の腹から動かない。
引き締まった下腹を庇っているような仕草が、女が孕んだ子を愛おしんでいる様と重なる。
それに最近のイルカはカカシを受け入れる時に妙なことを強請るのだ。
「腹に掛けてって、なんで? ゴムしてるのにさー」
わざわざ達する寸前で抜くのは辛いが、互いの手でという行為も、鞣したばかりの革のように張りのある浅黒い肌に白濁を散らすのも偶にならいいだろう。
だがやはりカカシとしてはイルカの中で果てたい。
たとえラテックス1枚の隔たりがあるとしても、繋がったまま同時に達する喜びは格別なのだ。
「……なんで、って……言われて、も……」
夜目にも分かるくらい頬を朱に染めたイルカは顔を背け、決まり悪げに唇を尖らせて口篭る。
本当に困ると態度が幼くなるのは惚れた欲目には可愛過ぎる癖だ。
「ま、どうせまた、可愛いこと考えたんデショ?」
腹の上に撒き散らした2人の欲望の残滓を手慰みに擦り付けているイルカに自分の手を重ね、頬や額に軽く口付けながらカカシはご機嫌な口調で問い質す。
「か、可愛いって、オレに言うことじゃないっ!」
噛み付く勢いで反論してくる唇を逆に奪い、深く舌を絡め合わせた。
自分の下でもがく身体の反応を思う様楽しみ、抵抗が無くなってから解放する。
「さ、話してよ。イルカ先生?」
情事の最中に使うと嫌がる呼称で、言わなければこのまま続けると言外に脅迫した。
どう転んでも、やめるつもりはないが。
「……馬鹿な、話……なんで……笑って、いいですよ……」
気恥ずかしいからか、それとも疲れて眠いのか、観念したイルカはそれでもぽつぽつと語り出す。
「……同僚との雑談で、ネット記事かなんかで、ヘソにいる雑菌が遠隔地同士でも同じ遺伝子を持ってるとか、話題に、なって……」
その記事や元になった研究論文はカカシも目にした記憶がある。
ただイルカはその内容について話したい訳ではない様子で、今は先を促す。
「うん。それで?」
「それで……その……オレ、達の……も、取り込んで……貰えない、かな……と……」
羞恥に頬を朱に染めて、落ち着きなく視線をあちこちにさまよわせ、だんだんと小さくなるイルカの声。
思っていた以上に執着心の強い言葉に、もう目を逸らせないよう、一言も聞き逃さないよう、イルカと額を合わせたカカシはにまりと笑う。
「ま、そんなことだろうと思ったケドね……」
なんて可愛いことを言うのか、この男は。
いや、イルカ以外の人間に言われたら気持ちが悪いし、罵倒さえしただろう。
「ね、イルカ。それって、今更だぁよ?」
「……へ?」
「それにね、体表の常在菌にオレらの細胞食わせたくらいじゃ遺伝子は取り込まれないのヨ」
そんな事で人間の遺伝子が取り込まれるとしたら、とっくに2人の遺伝子は互いに取り込まれている。
男同士だが、身体の関係があるのだから。
「オレたちだってさ、食べた物から栄養素の摂取はしてるケド、遺伝子情報は1つも反映されないデショ? たとえ生魚や生野菜を食べてもネ。それはオレらの体表や消化器官の常在菌たちだって一緒ヨ?」
教師をしているイルカは小学生レベルなら全教科を教えられるけれど、専門は社会科の日本史だった気がする。
最先端の遺伝子工学に関しては門外漢も同然だろう。
一方カカシは臨床の外科医で、遺伝子や感染についても嗜みとして最低限の知識はある。
細胞が本来持つ物とは別種の遺伝子を取り込む方法は2通りしかない。
1つは繁殖、もう1つはウイルス感染。
それ以外の方法では、臓器や骨髄液を移植したとしても、遺伝子に変容は起こらない。
つまりイルカが考えた方法では、カカシとイルカの遺伝子が1つの細胞に取り込まれる可能性はないだろう。
「……そ、うです、ね……」
冷静に考えてちょっと調べれば分かる事を指摘されて恥ずかしく、細やかな希望を砕かれて落ち込んだイルカはきつく目を閉じて口を引き結ぶ。
気持ちを落ち着け、悲しみに耐えるように。
「でもね、イルカ」
カカシは笑みを絶やさない。
馬鹿な事に縋ってこっそり企むイルカの気持ちが嬉しい。
それにこれからの提案を言い訳に彼との生活がより刺激的になる確信を抱いてしまう。
「オレたちの遺伝子はとっくに入り混じってるハズだよ」
「……え?」
驚いて瞠目するイルカの目元に唇を押し当て、すっかり乾いた2人の欲望に塗れた指をぼんやりしている口元に押し付ける。
「前にさ、イルカが学校で感染されてきたインフルエンザ、オレも貰っちゃったじゃない? それってイルカの細胞で増殖したイルカの遺伝子持ったウイルスがオレに入ってきたってことなの。分かる?」
ウイルスは未だに生物なのか物質なのか判別されていない不思議な存在だ。
だが、カカシはずっと昔に読んだ論文が1番真実に近いと思っている。
ウイルスは生物が他者の遺伝子を取り込む為の細胞小器官で機能的構造単位───オルガネラ、つまりはミトコンドリアやゴルジ体の1種だと。
「その逆にオレが病院で他のウイルス貰って来てイルカに感染しちゃった事もあるはずだし」
随分、突飛な発想だからか、聞かされたイルカは呆然としたまま。
それでもその口を指2本で割り開いて上顎を撫でてやれば、いつものように舌が絡んでくる。
「この1年は毎日一緒にいてしょっちゅうイチャイチャしてたからオレたちの常在菌はもう殆ど同じ遺伝子を持ってるだろうし、キスだってフェラだって何度もしてるからウイルスだってきっと何度となくオレたちの間を行き来してる」
それが無害なものでも、無発症なままでも、たとえ致死性が高い物があったとしても。
イルカからカカシへ、カカシからイルカへ、幾つものウイルスを介して受け渡された遺伝子がきっと存在するはずだ。
その事に喜びを覚えるオレも、安堵した笑みを浮かべたイルカも、おかしいのかもしれない。
「だから、ね、イルカ」
指をイルカに咥えさせたまま、少し身体をずらして彼のヘソに顔を寄せた。
2人の欲望をぶっかけあった窪みは辛うじてまだ濡れている。
躊躇なく、かつて彼が母親と繋がっていた痕へ舌を這わせれば、息を詰めたイルカの腰が誘うように揺れた。
考えてみれば、ヘソは唯一の体内へ通じていた痕跡。
口も排泄器官も呼吸器官や消化器官ですらただ体内を通過する体表でしかなく、彼の中ではない。
そう思えば、互いの精液をヘソに注ぎ込むのも一興か。
でも、今はそれより直接交わり合いたい。
「ナマでシてイイ?」
互いのリスクは承知している。
幾つもの病名が過ぎる脳裏に目を瞑り、了承するようなとろりとした笑みを浮かべたイルカの口から指を抜き、カカシは早急に身を重ねた。
【了】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2014/10/07
UP DATE:2014/10/11(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
〔Silent Carrier〕無発症病原体保有者
【参考文献】
『人のへその生物多様性、熱帯雨林のよう』(NATIONAL GEOGRAPHIC)
『ヒトゲノムのすべて─遺伝子と生命の謎を解く』中原英臣:著(PHP研究所)
『ウイルス進化論─ダーウィン進化論を超えて』中原英臣・佐川峻:著(早川書房)
『パンダの親指─進化論再考〔上・下〕』スティーヴン・ジェイ・グールド:著 櫻町翆軒:訳(早川書房)
~ Silent Carrier ~
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春先の夜更けは暖房を切ってしまえば室内でも凍えるくらい空気が冷たい。
けれど真冬ほど乾燥してはおらず、汗ばんだ身体で吐き出す息も白くなるようなことはない。
自分の下で息を乱したままぼんやりと視線をさまよわせるイルカの髪を撫で、カカシはサイドチェストに置いた時計をちらりと確認する。
日付が変わってから1時間と少し過ぎたところだった。
「ねえ、イルカ」
我ながら、彼に向ける声は甘いと感じる。
「何を企んでんの?」
そして、楽しそうだ。
事実、楽しい。
彼と知り合ったのは2年前。
カカシが研修医をしていた病院に、悪戯盛りの児童を庇って大怪我をした教育実習生だったイルカが運ばれて来たのが出会い。
たまたまイルカに庇われた児童というのがカカシの恩師の1人息子だったのも、彼と親しくなる一因であった。
イルカが通院を必要としないまで回復してからも、きっかけとなった子供をダシに恩師家族を交えて食事をしたりテーマパークへ出掛けたりしながら、電話もメールもカカシにしてはマメにしていた。
その間に性別を無視した想いを互いに募らせて知人から友人、そして恋人へと関係が変化したのは割りと早い時期だったと思う。
「……企むって、なに、を?」
眠たげな声で返しながら、イルカの手は自分の腹から動かない。
引き締まった下腹を庇っているような仕草が、女が孕んだ子を愛おしんでいる様と重なる。
それに最近のイルカはカカシを受け入れる時に妙なことを強請るのだ。
「腹に掛けてって、なんで? ゴムしてるのにさー」
わざわざ達する寸前で抜くのは辛いが、互いの手でという行為も、鞣したばかりの革のように張りのある浅黒い肌に白濁を散らすのも偶にならいいだろう。
だがやはりカカシとしてはイルカの中で果てたい。
たとえラテックス1枚の隔たりがあるとしても、繋がったまま同時に達する喜びは格別なのだ。
「……なんで、って……言われて、も……」
夜目にも分かるくらい頬を朱に染めたイルカは顔を背け、決まり悪げに唇を尖らせて口篭る。
本当に困ると態度が幼くなるのは惚れた欲目には可愛過ぎる癖だ。
「ま、どうせまた、可愛いこと考えたんデショ?」
腹の上に撒き散らした2人の欲望の残滓を手慰みに擦り付けているイルカに自分の手を重ね、頬や額に軽く口付けながらカカシはご機嫌な口調で問い質す。
「か、可愛いって、オレに言うことじゃないっ!」
噛み付く勢いで反論してくる唇を逆に奪い、深く舌を絡め合わせた。
自分の下でもがく身体の反応を思う様楽しみ、抵抗が無くなってから解放する。
「さ、話してよ。イルカ先生?」
情事の最中に使うと嫌がる呼称で、言わなければこのまま続けると言外に脅迫した。
どう転んでも、やめるつもりはないが。
「……馬鹿な、話……なんで……笑って、いいですよ……」
気恥ずかしいからか、それとも疲れて眠いのか、観念したイルカはそれでもぽつぽつと語り出す。
「……同僚との雑談で、ネット記事かなんかで、ヘソにいる雑菌が遠隔地同士でも同じ遺伝子を持ってるとか、話題に、なって……」
その記事や元になった研究論文はカカシも目にした記憶がある。
ただイルカはその内容について話したい訳ではない様子で、今は先を促す。
「うん。それで?」
「それで……その……オレ、達の……も、取り込んで……貰えない、かな……と……」
羞恥に頬を朱に染めて、落ち着きなく視線をあちこちにさまよわせ、だんだんと小さくなるイルカの声。
思っていた以上に執着心の強い言葉に、もう目を逸らせないよう、一言も聞き逃さないよう、イルカと額を合わせたカカシはにまりと笑う。
「ま、そんなことだろうと思ったケドね……」
なんて可愛いことを言うのか、この男は。
いや、イルカ以外の人間に言われたら気持ちが悪いし、罵倒さえしただろう。
「ね、イルカ。それって、今更だぁよ?」
「……へ?」
「それにね、体表の常在菌にオレらの細胞食わせたくらいじゃ遺伝子は取り込まれないのヨ」
そんな事で人間の遺伝子が取り込まれるとしたら、とっくに2人の遺伝子は互いに取り込まれている。
男同士だが、身体の関係があるのだから。
「オレたちだってさ、食べた物から栄養素の摂取はしてるケド、遺伝子情報は1つも反映されないデショ? たとえ生魚や生野菜を食べてもネ。それはオレらの体表や消化器官の常在菌たちだって一緒ヨ?」
教師をしているイルカは小学生レベルなら全教科を教えられるけれど、専門は社会科の日本史だった気がする。
最先端の遺伝子工学に関しては門外漢も同然だろう。
一方カカシは臨床の外科医で、遺伝子や感染についても嗜みとして最低限の知識はある。
細胞が本来持つ物とは別種の遺伝子を取り込む方法は2通りしかない。
1つは繁殖、もう1つはウイルス感染。
それ以外の方法では、臓器や骨髄液を移植したとしても、遺伝子に変容は起こらない。
つまりイルカが考えた方法では、カカシとイルカの遺伝子が1つの細胞に取り込まれる可能性はないだろう。
「……そ、うです、ね……」
冷静に考えてちょっと調べれば分かる事を指摘されて恥ずかしく、細やかな希望を砕かれて落ち込んだイルカはきつく目を閉じて口を引き結ぶ。
気持ちを落ち着け、悲しみに耐えるように。
「でもね、イルカ」
カカシは笑みを絶やさない。
馬鹿な事に縋ってこっそり企むイルカの気持ちが嬉しい。
それにこれからの提案を言い訳に彼との生活がより刺激的になる確信を抱いてしまう。
「オレたちの遺伝子はとっくに入り混じってるハズだよ」
「……え?」
驚いて瞠目するイルカの目元に唇を押し当て、すっかり乾いた2人の欲望に塗れた指をぼんやりしている口元に押し付ける。
「前にさ、イルカが学校で感染されてきたインフルエンザ、オレも貰っちゃったじゃない? それってイルカの細胞で増殖したイルカの遺伝子持ったウイルスがオレに入ってきたってことなの。分かる?」
ウイルスは未だに生物なのか物質なのか判別されていない不思議な存在だ。
だが、カカシはずっと昔に読んだ論文が1番真実に近いと思っている。
ウイルスは生物が他者の遺伝子を取り込む為の細胞小器官で機能的構造単位───オルガネラ、つまりはミトコンドリアやゴルジ体の1種だと。
「その逆にオレが病院で他のウイルス貰って来てイルカに感染しちゃった事もあるはずだし」
随分、突飛な発想だからか、聞かされたイルカは呆然としたまま。
それでもその口を指2本で割り開いて上顎を撫でてやれば、いつものように舌が絡んでくる。
「この1年は毎日一緒にいてしょっちゅうイチャイチャしてたからオレたちの常在菌はもう殆ど同じ遺伝子を持ってるだろうし、キスだってフェラだって何度もしてるからウイルスだってきっと何度となくオレたちの間を行き来してる」
それが無害なものでも、無発症なままでも、たとえ致死性が高い物があったとしても。
イルカからカカシへ、カカシからイルカへ、幾つものウイルスを介して受け渡された遺伝子がきっと存在するはずだ。
その事に喜びを覚えるオレも、安堵した笑みを浮かべたイルカも、おかしいのかもしれない。
「だから、ね、イルカ」
指をイルカに咥えさせたまま、少し身体をずらして彼のヘソに顔を寄せた。
2人の欲望をぶっかけあった窪みは辛うじてまだ濡れている。
躊躇なく、かつて彼が母親と繋がっていた痕へ舌を這わせれば、息を詰めたイルカの腰が誘うように揺れた。
考えてみれば、ヘソは唯一の体内へ通じていた痕跡。
口も排泄器官も呼吸器官や消化器官ですらただ体内を通過する体表でしかなく、彼の中ではない。
そう思えば、互いの精液をヘソに注ぎ込むのも一興か。
でも、今はそれより直接交わり合いたい。
「ナマでシてイイ?」
互いのリスクは承知している。
幾つもの病名が過ぎる脳裏に目を瞑り、了承するようなとろりとした笑みを浮かべたイルカの口から指を抜き、カカシは早急に身を重ねた。
【了】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2014/10/07
UP DATE:2014/10/11(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
〔Silent Carrier〕無発症病原体保有者
【参考文献】
『人のへその生物多様性、熱帯雨林のよう』(NATIONAL GEOGRAPHIC)
『ヒトゲノムのすべて─遺伝子と生命の謎を解く』中原英臣:著(PHP研究所)
『ウイルス進化論─ダーウィン進化論を超えて』中原英臣・佐川峻:著(早川書房)
『パンダの親指─進化論再考〔上・下〕』スティーヴン・ジェイ・グールド:著 櫻町翆軒:訳(早川書房)
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