ある夏の夜に

【ある夏の夜に〜習作】



 夏も盛りを過ぎて木ノ葉隠れの里も忍者アカデミーは長期夏季休講の半ば、校舎には子供たちの影もなく静まり返っている。
 けれど教師には常と変わらず授業以外の仕事があり、更に普段は疎かになりがちな鍛錬を積んだり実戦の勘を取り戻すべく任務にでたりと忙しい。
 それでも合間を見つけてそれぞれ休暇も取るので、教員室に詰める人数は少ない。

 うみのイルカも鍛錬を兼ねた数日の里外任務から昨日戻ったばかりだ。
 不在の間に滞った書類は今日一日では捌き切れず、ようやく締切間近な物にだけ目処がついたところで凝り固まった肩を解す為に伸びをする。
 いつの間にか窓の外は濃い夕闇が広がっていて、不可思議な色合いを見せる黄昏時の空は夏も終わりのせいか見る間に暗さを増していく。
 
「……もう、こんな時間か……」

 少し早めに上がるつもりでいたのにと独り言ち、手早く書類と筆記具を片付ける。
 短期とは言え任務で不在にしていた自宅には備蓄食料しかないのだが、うっかり米を切らしていた。
 今夜は何か買い込んで帰らねば、明日の朝食は任務で残った非常食い扶持である。

 まだ手付かずの書類に急ぎの物が紛れていないかだけを確認し、鞄を肩に席を立とうとしたイルカへタイミング良く見回りから戻った同僚が声をかけてきた。

「あら、イルカ先生。お帰りですか?」

「ええ、商店が店じまいする前にと思いまして。それじゃ、お先に失礼します」

「ふふ、お互い独り身では大変ですものね。お疲れ様」

 居残って仕事をする同僚より先に帰宅する申し訳なさから逃げ出すように足早に、けれど忍らしく足音を潜めて教員室を後にする。
 職員用玄関を出ると遠く山の端だけがわずかに赤が残り、空はすっかり暗くなっていた。
 アカデミーの玄関から正門まで灯りはなく、木ノ葉隠れの里と呼ばれるに相応しく多くの樹木が生い茂るせいでより闇が深い気がする。
 だが門の外に続く繁華街の賑わいは明るく、夜目も利くイルカが歩くのに不自由はない。

 馴染みの商店街へと足を向けながら、イルカは空っぽの冷蔵庫と食料棚を思い返す。
 肉や魚や葉物野菜といった生鮮食品は元より、日持ちする根菜や粉物まで底をついていたはずだ。
 すでに軒をたたんだ商店もあるだろうから考えついた全ては揃わないにしても、せめて最低限の買い物は済ませたい。

「とりあえず、米は絶対だ。でも重いから最後に買うとして……あとは適当に見繕うとしても……」

 さて、どこの商店ならまだ開いているか。
 心中で呟きながら、背後から足早に歩いて来る親子連れに道を譲る。
 軽く会釈をしつつもお互いの姿を確認してしまうのは忍としての習い性だ。

 急いでいるし身に付けた装備を見れば任務なのだろうが、こんな時間からしかも親子連れとは珍しい。
 父親らしき忍の後を必死に追い掛ける子供はようやくアカデミーに通い出すくらいの年頃で、教員生活も長くなったイルカには見覚えがある。
 なのに名前が出てこないばかりか、その子供が額当てまで締めているから驚いた。

 穏やかそうな横顔や白銀の長髪なんて目立つ特徴のある父親も、誰だったか思い出せずに首を捻る。

「ありがとう、イルカくん」

 すれ違い様に落ち着いた声で礼を言われ、不意に思い至る。
 子供の方は恥ずかしがり屋なのか、なんだかやたら深々とお辞儀をして足早に追い越していく。

「ああ、サクモさんとカカシくんか……」

 思い出した途端、何故忘れていたのかと恥ずかしさと申し訳なさで赤面したイルカは咄嗟に俯いた。

 はたけサクモと言えば『木ノ葉の白い牙』と謳われた里の英雄だ。
 彼の息子のカカシはわずか五才でアカデミーを卒業し、その翌年には中忍に昇格した英才ではないか。

 忘れるなんてどうかしている。

 そう考えたところで視線を遠ざかるはたけ親子へ戻したのだが、先の道に人影はない。

「……あ、れ? 今、誰か……いた、ような……」

 慌てて商店街へと向かおうとして、今度は道を横切って駆けていく子供とぶつかりそうになって立ち止まった。
 自分と同じように髪を結い上げたあの顔はどこかで見た気がする。

「……なんで、名前が出てこねえんだ?……」
 
 忍であり教師であり任務受付まで兼務する職業柄、人の顔と名前を記憶するのは割と得意だったイルカは額を押さえて上向いた。
 まだ二十代半ばなのだし、年齢からくる衰えではないはずだが。

「道の真ん中で、何をしておる? イルカよ」

「えっ? ……あっ、ああ、三代目!」

 アカデミーから幾らも離れていない道の真ん中で教師が頭を抱えていれば、誰だって気になる。
 それが里の住民を家族と称する三代目火影で、しかも普段から目を掛けているイルカだったら放ってはおかないだろう。

「どうした? こんなところで……」

「……ええっと、あの……なんでもありません……」

 教え子の名前をド忘れしました、とも言えないイルカは口ごもる。
 歯切れの悪い言葉から何を察したのか三代目は、まだ暑いからのうとだけ返す。

「無理はするでない。何事を身体が資本じゃ」

「……はい」

 言われて思い出すのは中忍心得。
 天は知力、地は体力、双方が揃って忍たりえる。
 などとしかめつらしくナルトたちに解説したけれど、あの心得を初めて目にした時からイルカには別の真意が隠されている気がするのだ。
 
 体力や技術だけでなく、知識や経験だけでもなく、人としての心が備わっていなければ忍はただの兵器でしかない。
 むしろ兵器である事を望まれる霧隠れのような里や組織もあるのだ。

 だが誰よりも人間味に溢れ故に非情な決断も迫られる火影だからこそ、まず人であれと説いているのではとイルカは思う。

「三代目も」

 どうか、お元気で。
 とは何故か言えず、ただ深く一礼して踵を返す。
 イルカの立ち去った道に三代目火影の姿はない。

 それからはただひたすら足を動かし、商店街の手前で正面から歩いて来る親子連れについ足を止める。
 両親の間で両手を繋いださっきの子供はやはり、よく知った顔だった。

「よお、元気そうじゃないか」

「本当に。すっかり大きくなって」

 気さくに声を掛けてくる父親も、嬉しげに目を細める母親も、あの頃とちっとも変わらない。

「はは、お二人ともお変わりなく」

 お世辞でなく心からそう言えば、当たり前だと笑いが返る。
 記憶にあるままの両親に手を引かれているのは、ようやくアカデミーに通い出したくらいの年頃で、人懐こい顔をしている割りに利かなそうな表情を見せる子供。
 思い出せば、随分やんちゃないたずら小僧だった。

「なあ、父ちゃん、母ちゃん! 早く帰ろうよー」

「ああ。じゃあな」

「ええ。またね」

 見送った三人の背中はすぐに宵闇に溶けて見えなくなる。
 それでも名残惜しく見つめていると、横から耳慣れた子供の声がした。

「あー! イルカ先生だってばよーっ」

「よう、ナルト。どうした?」

「オレってば~、任務終わったから~、一楽のラーメン食いに行くんだってばよ~」

 不気味な笑いを含んだ声音で強請るように擦り寄ってくるナルトの意図は隠す気がないのか見え見えである。

「……奢らんぞ」

「えーっ! なんでーっ?」

「オレだって一楽のラーメンは食いたいんだが、任務明けでな。今日は買い物して帰んねえと、明日の朝飯がねえんだよ」

「ちぇー。ま、しょーがねえかー。オレだっていつまでもイルカ先生に奢って貰うばっかりのガキじゃあいらんねえもんなー。うしっ、ならいいか。んじゃ、先生。またな!」

「おう。お疲れさん」

 騒がしい教え子を見送り、イルカも足を早めて商店街へと向かう。

 目に付くまま足早に店を回れば野菜と魚は揃ったが肉は一足遅く、惣菜も買えなかった。
 残るは米、と再び足を進めようとしたところで張りのある大音声に呼び止められる。

「おう、イルカではないかっ。ちょうど良い! お主、ナルトを見なかったか?」

「ナルトでしたら、さっき一楽へ行くと……」

 何か用なのかと訝しげに答えれば、やっぱりあそこかー、と気が抜けたように項垂れた大丈夫。
 ナルトが師事し、エロ仙人と慕う自来也は『木ノ葉の三忍』と呼ばれる偉大な忍であり、はたけカカシの愛読書である成年指定な小説の作者だ。

「まったく、アヤツはよぉ、ラーメンしか食っとらんのじゃねえか?」

「は、はは……」

 まるで自分の食生活を窘められた気がして、イルカは決まり悪気に苦笑すしかできない。
 だが、自来也は急にがらりと真摯な声音で染み染みと呟いた。

「……お主には、世話を掛けるのう」

「……いえ……オレは、ただ……」

 お互い何を、誰をとは言わずとも通じる。

 しかし、イルカが謙遜の言葉を紡ぐより先に、自来也はふらふらと傍らの路地を横切った美女に釣られて行ってしまう。
 放置された事にしばし呆然と立ち尽くし、なんとも言えない笑いがこみ上げる。
 
「まあ、あれでこそ自来也様って感じだしなあ……」

 そう考えれば腹も立たない。

 買い物を再開すべく、また商店街を歩く。
 時々、額から流れる汗を拭って視線を向けた酒屋の店頭が目についた。
 この暑さなら冷えたビールはさぞかし美味いだろう、と思う。
 だが、と逡巡はしたが結局、葛藤は無駄だった。

「……さすがに、米までは持てねえな……」

 肩から鞄を下げて両腕に買い物袋を持って見て、更に米を持つのは難しいかと考える。

 けれど今夜の出来事を肴に一人晩酌するのも味な物だろう、と気分は上向いていた。
 これで米も買って帰り、誰かとこの不思議な夜を分かち合えたら尚良い。

「……まあ、帰っても……一人、だしな……」

 米は諦め、明日の朝は侘しく糧食か、と笑おうとした。
 道の先に佇む人に気付き、声を掛ける。

「あれ? カカシさん?」

 夜目で遠目だがあの逆立った髪と、猫背気味の痩躯ははたけカカシに間違いない。
 この蒸し暑い中でも全身を覆い隠す忍装束で、任務帰りなのか擦り切れた背嚢まで背負っている。

 ただ、暗がりだし右目くらいしか露出していない上に俯いていたから見間違いかもしれないが、泣き笑いのような表情をしていたのが気掛かりだ。
 本当は放っておいて欲しいのだろうが、なんとなく一人にさせておけない気持ちになったイルカは努めて普段通りの声で問いかける。

「今、お帰りですか」

 一見して怪我のない事に安堵し、並び立てばやはり置いてけぼりの子供みたいな心細さを無理矢理飲み込んだ笑顔が返った。
 その儚気なカカシの微笑はイルカの胸に痛みを覚えさせるから好きではないのに。

「……はい。イルカ先生も?」

「お帰りなさい。よくぞ、ごぶじで」

 受付に座れば帰還した全ての者に向ける言葉だが、今は本心から彼一人にそう告る。

 そのまま互いに誘いも誘われもしないまま、商店街を二人で並んで歩き出す。

「イルカ先生。あと、買う物は?」

「米を買いたいんですが……」

 カカシは何やらおかしそうにイルカが両手に下げた荷物を見やるから、わざと困った風に言葉を切った。

 彼に荷物持ちをさせるつもりはないが、からかう気なら別だ。
 なんでこんな駆け引きじみた態度をカカシへ仕掛けてしまうのか、今は目を瞑る。
 
「オレ、運びますよ。その代わり、飯食わせてー」

「いいですけど……有り合わせなんで、ろくなもんできませんよ?」

 思い掛けない申し出だが、渡りに船とはこの事だ。
 牽制のような言葉まで口にするのは、我ながらあざといとイルカは思う。

「イルカ先生と一緒なら、なんでもご馳走ですヨ」

「……ま、また、そんなこと言って! タタラシかアンタっ」

 なのにそんな喜ばせるような言葉が返り赤面したのが自分でも分かって、逃げるように米屋の暖簾を潜った。

 けれど、ゆったりとついて来るカカシとこれから自宅まで並んで帰らなければいけない。
 それから、夕食も。

 一時凌ぎだと分かっている。
 店主に計量を頼んで会計を済ますまでのわずかな時間で、逸る心を落ち着けなければ。

 そうしたら、二人で晩酌しながら今夜の話もできるだろう。

「……馬鹿な話だって、笑ってくれればいいんだがな」



 【了】
‡蛙女屋蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2014/09/23
UP DATE:2014/11/01(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
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