ある夏の夜に

【ある夏の夜に】
   ~ In One summer night ~
[猫だるま = iscreamman 相互記念]



 まだ残照の残る宵の空を見上げれば、星は秋の配置に近付いている。
 暑さの盛りは過ぎたハズだが陽が沈んだばかりでは気温も湿度も下がる気配もなく、全身を隙なく覆い隠した忍装束をまとうカカシは蒸し暑さに辟易とため息を吐いた。
 それでも唯一晒された右目辺りに汗を滲ませることも無く、歩を進めていく。

 単独の任務で十日程カカシは里を離れていた。
 取り立てて変わった様子のない事に安堵する。
 まずは報告書を提出しなければならないが、気掛かりなのは今夜の受付に彼がいるかどうかだ。
 もし居るのなら彼に報告書を渡して労いの言葉を聞きたいし、退勤時間ならば食事に誘えるかもしれない。
 
 そんな事を考えながらカカシが大門へと足早に向かっていると、向かいから親子連れと思しき二人組が歩いて来ているのに気付いた。
 夜目にも遠目にも目立つ、長く伸ばした白銀の髪をなびかせた痩身の男の後を、同じ髪色ながら伸び放題に逆立てて前髪だけ額当てで目にかからないようにした子供が追い掛けていく。
 二人共に足運びは静かで、相当な手練れと感じた。

 それ程の者ならカカシが知らないハズもないのだが、どういうワケだかぼんやりと見覚えがあるという記憶だけで名前が出てこない。

 困惑したまますれ違う手前で軽く会釈をすれば、同じく会釈と穏やかな微笑みで礼を返された。
 子供の方はぶっきら棒に視線を逸らしただけで、父親であろう忍を追い掛ける。

 その姿がまるで幼い頃の自分と重なり、怒りよりも懐かしさと決まり悪さが勝った。
 あの子供は馬鹿にされたと思うだろうが、口元に浮かぶ笑いは抑えようもない。

 そこで不意に思い出して、足が止まった。

 あの人は、はたけサクモじゃないか。
 木ノ葉の白い牙と謳われる優れた忍で、幼い頃から憧れ目標としていた人だった。
 何故忘れていたのかと考えるより先に、慌てて振り返って気付く。

「……そんなこと……ある、ハズが、ない……」

 はたけサクモはもう20年以上前に亡くなった、カカシの父親だ。
 それに彼の後を追い掛けていた子供は、間違いなくかつてのカカシ自身。

 振り返っても、二人の姿はどこにもない。
 普段と代わり映えしない、里へと続く道があるだけ。

「……なんで……」

 こんな事があるのだろうか。
 もう存在しない人やかつての自分とすれ違うなんて。

 首を傾げて訝しみつつ、またカカシは里へと歩き出す。
 ゆっくり、一歩を踏みしめて。
 すれ違い様に耳が拾った懐かしい父の声を反芻しながら。

───カカシ、ゆっくりでいい

 その所為だろうか、とても心が、足取りが、軽い。
 そして誰か───いや、イルカに会いたいと思う。
 歩みはゆったりと、だが抑え難い急く気持ちを抱えたカカシは大門を通り、里へと戻った。
 まっすぐ任務受付へ向かうカカシの横を、ざんばらな黒髪を高く結い上げた男の子が駆け抜けて行く。

「お帰り!」

 子供が飛びついたのは同じように髪を結った壮年の忍で、彼の傍らには同じ年頃のくのいちが彼らを微笑ましく見ていた。
 子供を真ん中に並んで歩き出す三人は、仲の良い親子だと誰もが思うだろう。
 髪型をお揃いにして口髭を蓄えた父親と、まだ幼い癖に鼻筋を跨ぐ傷がある子供は良く似ている。
 それに屈託なく笑う子供の笑顔と、慈しみ深い母親の微笑みも。

 和やかな一家の姿に胸が暖かくなり、ますます人恋しさが募った。
 こういう時にこそ、あの人に会いたい。

 カカシは足を早め、最短距離で受付へ向かった。
 しかし、飛び込むように入った受付所に、彼の姿はない。
 意気消沈してがっくりと落ちたカカシの肩を、誰かが軽く叩いた。

「よう。戻ったか」

 古馴染みの中では最も面倒目の良い割に、めんどくせぇが口癖の同僚。
 覚えのある煙草の匂いが不思議と懐かしい。

「あー。うん」

「そっか」

 特に言葉を交わさなくても分かり合える、長く苦楽を共にした戦友であり悪友と言える間柄だ。
 踏み込まれたくない部分も察して避けてくれ、笑い話に出来る物はネタにしやがるのは良さと悪さが半々だが。
 それでこそ、彼と自分なのだろう。
 
「じゃあな、カカシ」

「うん、またね。アスマ」

 どうやら報告を終えて帰る所だったらしい。
 この後はどこか馴染みの店で一杯やっていくのだろう。
 もしかしたら、紅と待ち合わせでもしているかもしれない。

 そんな野次馬考えに口許を歪めたまま報告書の記入欄を埋め、空いた受付に提出すれば速やかに受理される。
 これで任務は完了。
 もうここに用はなく、立ち去ろうとしたカカシは入り口で見慣れた顔と鉢合わせた。

「おっと。……やぁ」

「どーも。カカシ先生も報告っすか」

 ちょっとくたびれた様子のシカマルの背後から少し髪型が乱れているいのが手を振り、砂塗れのチョウジは未開封のスナック菓子を手に会釈。
 ナルトともアカデミー時代から親交があった彼らは親世代からの良いトリオで、何事にも物怖じしないしそれぞれ稀有な才能もあるのにやる気だけが残念だった三人組だ。

「うん。君らも?」

「はい。めんどくせぇですけど、そうも言ってられませんからね」

 彼らも成長し、前向きな姿勢を見せるようになった。
 サスケの里抜けでの騒動や、暁との対峙。
 それから。

「あれ、イルカ先生いないじゃない。残念だったわね、チョウジ」
 
「今日こそって思ったんだけどなあ。だいたい、ナルトばっかりズルいよね」

 騒がしい二人の会話に会いたさが募るばかりの人の名を聞き咎め、視線を向けると察しのいいシカマルが苦笑混じりに説明しだす。

「チョウジの奴、ナルトばっかりイルカ先生にラーメン奢って貰うのは狡いとか言い出して、最近たかりだしたんすよ」

 めんどくせぇ、と引き継いだ口癖を挟んだシカマルは食い意地の張った幼馴染みを宥めにかかる。

「ガキの頃のナルトと張り合ってんじゃねえよ、チョウジ。オレたちゃもう中忍なの。むしろ世話んなった先生に奢る気概見せろや」

「分かってるって。でもさー」

「いつまでもグダグダ言ってっと、任務後の焼肉も食えなくなんだろーが」

「それは困るよねっ」

 さすがお互いを分かっているだけはある。
 今度は急かすチョウジをのらりくらりとかわし、シカマルは報告の用紙を取りに向かう。

「んじゃ、カカシ先生。お疲れっした」

「ん、またね」

 小気味良くやり取りしながら報告書の記入を始める三人組を残し、カカシは受付を後にした。

 どこかで夕食を調達して自宅に戻ろう、とまだ明るい商店街へ足を向ける。
 途中、もしかしてと考えて一楽を覗いたけれど、期待した人の姿はなかった。
 落胆し、別の店へ向かおうとするカカシの正面から、素っ頓狂な声がかかる。

「あれぇ、カカシくんだってばねっ!」

「……あー、ども。こんばんは……」

「久しぶりね! 噂は聞いてるわー。元気そうだってばねえ。あー、もうすっかり立派になっちゃってー」

 真っ赤な長い髪を揺らし、小さな赤ん坊を抱いた女性がにこやかに、だが無遠慮に距離を詰めてくる。
 あまりの勢いに一歩退いたカカシだが、かしましくまくし立てる女性に抱かれているのに安心しきった様子で寝息を立てる赤ん坊に目を細めた。
 その視線に気付いた女性は我が子を抱きなおし、ふくふくとやわらかい寝顔を愛おしげに見せてくれる。

「ふふっ。さっきまで起きてたんだけどねえ」

「クシナー、次は……。ん、カカシは今帰りかい?」

 重いであろう大きな米袋を抱えて醤油や味醂の一升瓶を下げた生活感溢れる恩師の姿。
 片方しか晒していない右目を気持ち逸らし、カカシは挨拶した。

「……先生、こんばんは……」
 
「ん、任務お疲れ様」

 子供の頃から変わらない仕草で、もう背を越した自分の頭を撫でる恩師の手の温もりにうっかり涙が出そうになる。
 目の前に醤油や味醂の瓶が迫っているから、笑いも堪えなければならないのが辛い。

「ミナトー、次で最後! お魚屋さん寄るよー」

「分かったよ、クシナ。じゃあね、カカシ」

 我が子を抱いた恋女房を追い掛け、すっかり尻に敷かれた恩師が去って行く。
 彼らの後ろ姿に込み上げてきた感慨のまま、カカシは呼ぶ。

「……先生……」

「あれ? カカシさん?」

 背後からかかった声は、里に戻ってからずっと会いたかった人の物だ。

「今、お帰りでしたか」

 隣に並び立つその姿はいつもアカデミーへ通う為の鞄を肩掛けに、両手には買い込んだ食料品や多分冷えたビールを下げていて、普段と変わらない。
 けれど気を付けて様子をうかがえば、手の甲に以前はなかった傷を見つけた。
 アカデミーは夏期休暇中だから、カカシが里を離れている間に彼も任務に出たのだろう。

「ええ。イルカ先生も」

「お帰りなさい。よくぞ、ご無事で」

 誘いも誘われもしないまま、カカシとイルカは並んで歩き出す。
 
「イルカ先生。あと、買う物はー?」

「米を、買いたいんですが……」

 両手に下げた荷物を見やり、それでも諦めがつかない様子のイルカ。
 カカシの脳裏にはいつか見た恩師の所帯染みた姿が浮かんでいたが、気にすることなく強請る。

「オレ運びますから、飯食わせてくれません?」

「それは構いませんが……あり合わせなんで、ろくなもん出せませんよ?」

 ちらりと覗いた買い物袋の中身なら、カカシの好物が一つは並ぶはずだ。
 そうでなくとも、彼との夕餉なら楽しい。

「イルカ先生と一緒なら、なんでもご馳走ですヨ」

「ま、また、そんなこと言って!」

 からかった訳ではないのに、照れて赤くなった顔でイルカは慌しく米屋の暖簾をくぐってしまう。
 ゆったりと彼を追い掛けるカカシは彼の家まで重い米袋を担いで歩く自分を想像し、なんとも言えない気持ちになった。
 笑いたいような、泣きたいような、情けなくも懐かしく暖かく、愛おしい。

「……だって、ねえ……」

 蒸し暑い夏の夜だ。
 好き好んで任務後の疲れた身体で重い米袋を抱えて歩き、汗だくになりたい馬鹿ではない。
 イルカに労られ、冷えたビールと心尽くしの夕餉を共にできるなら、別というだけで。

「……今夜はどうしても、あなたと会いたかったんだ……」



 【了】
‡蛙女屋蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2014/10/08
UP DATE:2014/10/11(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
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