うみの鮮魚店繁盛記

【目からウロコの 落ちるよう】
[リクイラお礼リクエスト]
   ~ うみの鮮魚店繁盛期 ~


 破目を外して騒ぎすぎた店を半ば追い出されるように出たのは、中途半端な時間だった。

 多分、3時半を過ぎて4時になるかという頃。

 タクシーは殆ど帰ってしまい、始発まではまだ時間がありすぎる。

 次の店にいくには、酒が入り過ぎだ。

 コンビニかファミレスで時間を潰すにも、周囲にそういった店が見当たらない。

 たっぷりとアルコール漬けにされた身体が、道端に放り出される。

 自分で立っていられない程飲んだのは、初めてかもしれない。

 なんてことをぼんやり思いながら見上げた悪友はまったく気にもせず、タバコと携帯電話を取り出していた。

「お前、どーするよ?」

 問うでもない声に答える義理はないと無視を決め込む。

 カチンと無骨なライターが鳴り、嗅ぎ慣れた香りが漂った。

 携帯電話のボタンを押す電子音の後、少しの沈黙が眠気を誘う。

「おう、悪ぃな。今か? ああ。新大橋通りを2本入ったトコにいる。ああ。悪ぃ、往きに拾って働かせてくれや」

 そんな会話と、少し離れた大通りを走る車の音をおぼろげに聞いた。

 覚えているのはそこまで。
 それを最後にカカシの意識はゆっくりと沈んでいった。



   * * * * *



 寝覚めは最悪だった。

 夕べの酒が残っていることもだが、寝かされていた場所が。

 目の前にあるのは白くて丸いものが張り付いた板。

 乾いた魚の鱗だ。

 どうりで魚臭いわけ、と呟いて身を起こす。

 体中が痛いのは、なんのせいだか。

 寝かされていたのはワンボックスのカーゴスペースだった。

 後部座席を取り払って、床にベニヤを並べてある。

 車はガレージというか、トタン張りの駐車場に止められているから、高く昇った日も眩しくはない。

 酷く喉が渇いていて、声を出そうにも口の中が気持ち悪くて口をあけるのも嫌な感じだ。

 ばりばりとかいた頭から、ほろほろと乾いた鱗が落ちてくるのも気に入らない。

「……どこよ、ここ」

 昨日、最後まで一緒に飲んでいた男を思い出し、携帯電話を取り出すとメールが入っていた。
 相手は今、電話をしようと思った男。

 メールには現状が簡潔に説明されていた。
 今朝早く、仕事中の知人の──今まで寝かされていたこの──車に便乗させてもらって帰ってきたらしい。

「えーっと、隣りがアスマんちなのね」

《起きたら飯食いに来い》

 メールはそう締め括られていた。

「この扱いで出てくる飯の程度ってのが気になるけど……」

 せめて水くらい、でるデショ。

 そう一人ごちてカカシは後部ドアから下りていく。

 最悪の寝覚めの八つ当たりに、思い切り良く閉めたドアには『うみの鮮魚店』とあった。

「なぁに? やっぱり魚屋さんなのー。勘弁してよ。あーもー、ジャケットのクリーニング代、出させてやるっ」

 店舗裏の細い路地にまで響く表通りの喧騒にもいらつきながら、猿飛の表札目掛けて声を張り上げる。

「ごめんくださーい。アスマー、いるー?」

「なんじゃ?」

 待つこともなく、煙管を咥えた老人が顔を出した。

「えっとー、アスマの同窓生なんですけど……います?」

「今下りてくるじゃろ」

 ぶっきらぼうに言い捨てて、老人は奥へ引っ込んでしまう。

「へ? え? ちょっとっ!」

「おう。起きたか」

 まだ酒が抜けきってはいないようだが、ややすっきりとした顔のアスマが狭い階段を塞ぐように下りてくる。
 すでにシャワーも浴びて、布団で横にもなったのだろう。

「じゃ、親父、飯食ってくらあ」

 アスマには低い鴨居ののれんをまくり、声を掛けるとタバコ屋の店先でさっきの老人がおう、とだけ答える。
 行くか、とカカシを玄関の外へ追い出し、アスマは下駄を突っかけた。

 その行動に馴染みの食堂にでも連れて行かれるのかと、カカシはうんざりした声を出す。

「なに? 奢ってくれんの?」

 嫌そうなのに厚かましいその言葉を責めるでもなく、アスマはにやりとした。

「イルカがな」

「イルカ? イルカってあの、海のイルカ?」

 不思議そうに聞き返すのがよっぽどおかしいのか、腹のあたりを押さえながらアスマが答える。

「ああ。今朝、俺らをここまで送ってきてくれた、うみのイルカだ」

「うみのって……。あー、うみの鮮魚店。で、名前がイルカ? うわっ、その名前マジ? 信じらんない。この苗字でその名前、普通つけないデショ。普通。何考えてんの、親……」

 アスマの顔とさっきまで寝かされていたワンボックスを見比べて、うみのイルカを連呼するカカシ。
 確かに珍しい名前。
 だが、ガキのように揶揄する悪友の脳天をアスマは容赦せず叩く。

「……ってー。なにすんのよ」

「人の事言えるかよ。はたけカカシがっ」

「うっ」

 自分でも気にしてるコトを言われ、流石にカカシも黙る。

「イルカの前で、同じコト言いやがったら2度とノートのコピーはさせんからな」

「……りょーかい」

 アスマからただ名前を揶揄しただけではない不機嫌さを感じた。

「なんかワケあり?」

「そう思っとけ」

 素っ気無く言い放ち、アスマは身体を横にして器用に狭いガレージを抜けていく。
 あわてて後を追うカカシは、この建物の1階が殆どガレージになっていることに気付いた。
 車の屋根ぎりぎりに狭く急な階段が張り出している。

 表は丸々店舗なのだろう。
 多分、造りは隣りも似たり寄ったりのはずだ。
 酔っ払って寝込んだ人間を抱えては、アスマ1人でもつっかえるぐらいに狭いあの階段はとても上れない。

 それに仕事のついでに運んでくれたのだから、遊んでいたカカシは魚臭い車に放置されとも文句を言えた義理じゃない。

「イルカって、どんな人?」

「あ? いいヤツだぜ。つか、お人好し過ぎって気もするがな」

「ふぅん」

 突き当たりの戸を遠慮なく引き開け、アスマは声を掛ける。

「イルカ、目ぇ覚めたぜ」

 ガレージの暗さから、世界が開けたような明るさに、カカシは一瞬目を細めた。

「おはようございます、アスマさん」

 そして、輝くような笑顔に一度細めた目を見張る。

 長い黒髪を1つに結い、セリ札付きの帽子を逆に被る、絵に描いたような好青年だった。

 昭和の魚屋然としたゴム長にエプロン姿の彼がうみのイルカに間違いないだろう。

「今、支度します。おかず、何がいいですか?」

 業務用冷蔵庫からトロ箱を引っ張り出そうとするイルカを、アスマは留めた。

「あぁ、勝手にやるから気にすんな。いつも通りでいい」

「そうですか。あの、カカシさんは何か好きなものとかありますか?」

 アスマの背越しに問われ、とっさにカカシは口走った。

「……イルカ、くださいっ」

 自分でも、何を、と思うようなことを。

「……イクラ、ですか? すみません、時期外れなんでウチ置いてないんです」

 そう、イルカが切り返してくれて、正直助かった。

「あー、ですよねー」

 あはは、と笑ってごまかすが、アスマの目がひどく冷たい。

「適当に、頼まぁ」

 おら、行くぜ。

 惚けたままのカカシを促し、アスマは2階へ上がる。

「適当に座っとけ」

 言われるがまま、ちゃぶ台の前に座ったカカシは落ち着きなく周囲を見渡す。

 畳敷きの1間に僅かな家具があるだけの部屋。
 階段脇の小さな台所にアスマが立ち、味噌汁が入っているだろう小鍋を火にかけていた。

 表に面した大きな窓の下半分は看板に塞がれていて、妙な薄暗さが時間感覚を狂わせる。
 時計を探してさまよわせた目が、タンスの上に並べられた写真と位牌に止まった。

 魚屋らしき店舗前に家族3人が笑顔で揃った写真。
 小柄な子供と、父親の顔にさっき出会った青年の面影があった。

「おら、ちゃぶ台拭いとけ」

 容赦なく投げつけられる濡れ布巾を辛うじて受け止め、カカシは問う。

「アスマー、これ」

「あ? あぁ、イルカの親父さんとお袋さん」

 カカシの視線をたどったアスマの答えに先ほどの会話が蘇る。

───何考えてんの、親

───イルカの前で、同じコト言いやがったら2度とノートのコピーはさせん

「そーゆーことね」

「そーいうこった」

 しんみりちゃぶ台を拭いていると、いい匂いが漂ってくる。

 アスマが飯と味噌汁をつけ、冷蔵庫から漬け物を出した所で、下から声が掛かる。

「アスマさーん、魚焼けましたよーっ」

「カカシ、とってきてくれや」

「うん」

 狭い階段の下では、盆に焼き魚を乗せてイルカが待っていた。

「お待たせしました」

「いーえ」

 盆に乗せられたアジの一夜干しと、鮭の切り身から香ばしい匂いが漂っている。

「すみませんね、たいしたものなくって」

「いえ、お気遣いなくっ。オレの方こそ、ご厄介になっちゃって」

 そこまで言って、カカシは気づく。

 今朝、記憶を失う寸前にアスマが電話口でしていた会話を。

───往きに拾って働かせてくれや

 どうやらアスマはこれまでも帰りの足がなくなるまで飲んだくれた後、彼に迎えを頼んできたようだ。

 一応、荷運びなどの労働で還元はしているようだが、朝食付きではきっと割に合わない。

 厄介のかけ通しなままのカカシよりはましだろうが。

「あのっ」

 何か、彼に礼をしなければと思い至った所で、声がかかる。

 表からイルカを、2階からカカシを。

「はーい。カカシさん、ごゆっくり」

 半ば盆を押し付けて、イルカは店へ出ていく。

 取り残されたカカシは店から響くイルカの声を聞きながら、狭い階段を上った。

「遅ぇ」

「ごめんーネ」

 アスマはさっさと自分の皿を取り、食事を始める。
 ちゃぶ台には炊きたての飯に豆腐とワカメの味噌汁、キュウリとナスの糠漬けと松前漬けが並び、刻みネギと大根おろしがタッパーに用意されていた。
 それと、カカシが運んできたアジの開きと鮭の切り身。
 朝から豪勢だ。

「海苔は後ろの茶箪笥に入ってっからよ」

 勝手知ったるアスマは大根おろしを盛り、醤油を垂らした焼き魚で飯をかき込んでいる。

「あ~。飯の前に水貰うわ」

「コップ、流しの上に伏せてあるやつ使え」

 狭い台所の窓辺にはガラス器が伏せられていたが、コップではなく有名洋菓子店のプリンのカップだ。
 その1つを手に、浄水器なんかついていないカランを回す。
 相当、喉が乾いていたらしく久々に水道水をがぶ飲みしてカカシはちゃぶ台に戻った。

 既にアスマの皿は殆ど空いている。
 カカシも箸を取って食事を始めた。

「……味わって食え」

 そうアスマが呟く前にカカシはご馳走様と箸を置く。
 ちゃぶ台に置かれていた皿はキレイに空いていた。

「……ほらよ」

 カカシの早食いに呆れながらアスマは食後に茶を入れてやる。
 しばらく、お互い無言で熱い茶をすすっていたが、ふいにアスマが口を開く。

「カカシ、さっきのありゃ何なんだ?」

「さっきの?」

「イルカください」

「ぶふっ」

 初めてイルカと交わしたカカシの言葉を繰り返してやれば、予想通り茶を吹いた。
 噎せるカカシに布巾を投げてやり、アスマはタバコに火をつける。

「……どういう意味だ」

「どーゆー意味かって聞かれても、オレにもさっぱりだーよ」

 布巾と湯呑みを置き、カカシはあの瞬間を思い返す。

 彼がうみのイルカだと悟った瞬間、笑顔にやられた。
 輝くような眩しさは、陽の光だけに感じたのではなかった。

「あれ?」

「あ?」

 首を傾げ、カカシは呟く。

「一目惚れ?」

 その一言に、アスマは深いため息を白煙とともに吐き出した。

「オメエがか?」

「うん。そーみたい」

「イルカに」

「うん」

「冗談キツいぜ」

「いや、マジみたい」

 淡々と言葉を交わすうち、カカシは自分の感情をはっきりと自覚していく。

 うみのイルカ。
 彼を知りたい。
 もっと。
 親しくしたい。

「ま、お友達から? とりあえず、今日のお礼に食事でもお誘いしよっかなぁ~っと」

「……そっか」

 カカシの言葉に、アスマはタバコを灰皿に押し付け、告げる。

「お兄ちゃんは、許しません」

「へ?」

「イルカにはな、そのうち気立てのいい嫁さん紹介してやって、沢山の家族に囲まれながら、末長く魚屋やってて貰いてぇってのが、我が木ノ葉商店街の総意だ」

「……マジですか?」

「大真面目だ」

 ぐっ、とアスマが拳を握りしめるのを横目にして、カカシは腰を浮かせた。

 嫌な予感がする。

「よって、悪い虫はオレがとっちめる」

「っ暴力反対っ!」

 大振りだが鋭いアスマの右フックを、紙一重で避けながらカカシは両手を上げて叫ぶ。

 お互い本気でやりあえば、無事で済まないのが分かっている。

「こーんなとこで殴り合ったら、この部屋めちゃくちゃヨ」

 いいの。

「あー。そりゃ、マズいな」

 立ち上がったまま、2人は視線をタンスの上に向けた。

 幸せそうな家族写真に気まずくなる。

「あー、ひとまず話し合いでー」

「その余地はねぇ」

 平和的解決法を提案するカカシに、アスマは携帯電話を向けた。

「ほい、チーズっと」

 その声とともにフラッシュとシャッター音がカカシに降りかかる。

「へ?」

「お前の顔は商店街に通知しておく」

 言いながらさっさとカカシの画像を添付したであろうメールを送信してしまう。

「これで、お前は商店街出入り禁止な」

「はぃ?」

「じゃ、近くの駅まで送ってやろう」

 イルカに挨拶がてら誘いをかける隙は与えるつもりはないとばかりに、アスマはカカシの襟首を掴む。

「えっ?」

 そのまま背負い上げるように引きずって、狭い階段を降りていく。

 当然ながら、カカシに配慮などしないから足や頭を打ちつけまくった。
 1階へ降りた頃にはすっかり目を回している。

 おとなしくなったカカシを背に、アスマは表へ声をかけた。

「イルカ、ごっさん」

 顔を出そうとするイルカを押しとどめる言葉を朦朧と聞く。

「カカシ送ってくっから車貸してくれや」

 これもよくあることなのか、アスマはイルカからキーを受け取ると、カカシを再びワンボックスの荷台に放り込む。

 待つこともなく、車は発進した。

 かなり乱暴に。

 よって、シートベルトどころかシートすらない荷台に転がされたカカシはカーブの度に体中を打ちつけ、やがて意識を失った。



   * * * * *



「はれ?」

 次に気づいたのは大学の最寄り駅……近くの公園のベンチだった。

 いくら見渡しても、アスマはいない。

 遠巻きに子供を連れた若い母親たちがうろんげな視線をカカシに向けている。

「……あー」

 しばし状況が掴めないままぼうっとしてしまったが、カカシは思い切って立ち上がった。

 駅へ向かいながら、携帯を取り出す。

「……アスマのヤロー」

 目覚めた時の体の痛みの謎は解けた。

 そして、ちゃんとイルカに紹介してくれなかったワケも。

「なにが、お兄ちゃんは許しません、だ」

 義理堅いアスマは路上で酔いつぶれたカカシを置き去りにはできなかったのだろう。

 だが、イルカに関してはこれっぽっちもカカシを信用しなかった。
 極力、会わせようとしなかったのだから。

 魚を取りに行かせたのは失策か、それぐらいでは何もできないと踏んでか。

「……でも、甘いよ。アスマ」

 カカシは携帯電話を取り出し、脳裏に残っている番号を打ち込む。

 ほんの一瞬、起き抜けに見た車体に書かれた『うみの鮮魚店』という店名と10ケタの数字。

「このオレの記憶力、忘れて貰っちゃあね♪」

 通話ボタンを押し、2回の呼び出し音で答えがあった。

『まいどー、うみの鮮魚店でーす』

「……アスマ?」

『よぉ、カカシ。忘れモンかぁ?』

 と、聞き返すアスマの声は笑いを含んでいた。

「……イルカさんは?」

『飯&昼寝休憩』

 タイミングの悪さに茫然とするカカシに、追い討ちのようなアスマの言葉が降りかかる。

「イルカにゃ伝えとくからよ。カカシから礼の電話があったってな」

 そのまま、じゃあなと切られてはもう言い返すことはできない。

 謀られたのだ。

 アスマに。

 いくら人づてになったとしても1度、礼の電話を入れた後では同じ用件ではかけ直しにくい。

 考えてみれば、アスマの携帯電話番号は知っていても、自宅の住所は知らない。
 つまり、その隣にあるうみの鮮魚店の場所が分からない。

 しかもアスマはカカシの顔を商店街に通知し、出入り禁止と言った。
 電話番号や店名から住所を特定したとしても、おいそれと近づけない気がする。

「……はあっ」

 番号を登録し、携帯はポケットにしまう。

「なぁんで、こんなややこしいことになっちゃってんだろーね」

 不確かな想いは酷く困難な未来を予感させた。

 なのに、その先に見える輝くような笑顔を思えば歩いて行ける。



 【続く?】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡

WRITE:2005/09/01
UP DATE:2005/09/02(PC)
   2008/12/20(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
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