ミイラ取り

【ミイラ取り 1】
[天手古舞 2nd Anniversary]



「アナタがイルカ先生ですか」

 問いかけや確認ではなく、確信と何故か呆れているような色を含んだ声が、忍者アカデミーを出て自宅へ歩き出そうとしていたイルカの前に立ちふさがった。

 世にも稀な白銀の髪が重力を無視して逆立った男は、木ノ葉の額当てを斜めに締めて左眼を、そして口布で顔の下半分を隠している。
 両の手を腰のポケットに突っ込み、やや猫背ぎみの立ち姿は一見して隙だらけのようで、全く油断がない。

 声から察するに歳はイルカと同じくらいのようだが、キャリアも階級も高位の者だ。
 つまり、歴戦の上忍。

「あなたは?」

 だが、問い返すイルカの声には、同じ里の忍びだからと安心しきっている様子も、明らかな上位の者に対する畏怖や緊張といった感情もない。

 直立不動になることもなく、ただ軽く会釈だけをして書類袋を持った手でカバンの肩紐を直すような仕草さえしてみせる。
 
「はたけカカシです……って言えば、分かりますかねえ」

 どこか申し訳無さそうに左手で後頭部を押さえながら名乗る男の名と姿には、覚えがある。

 イルカは先程から少しの表情も声音も変えず、通常、上官に対するように答えた。

「はい。確かに自分がうみのイルカです」

 そして、他の者から見れば余計な一言を付け加える。

「確か、昨日の下忍引渡しに遅刻された方ですね」

「はははっ。言うねえ、アナタ」

 はたけカカシの弓なりになった右目は笑っているように見えるが、言葉だけのことだ。

 けれど、どこか本心から楽しんでいるようにも見えた。

 もしかしたら、自分に怯みもせず嫌味まで言ってくるような中忍が珍しいのかもしれない。

 そんな観察をしながらも、なんの感慨もみせずにイルカは少しだけ姿勢を正す。

「私のことはご存知のようですが、一応、名乗っておきますよ」

 うみのイルカです。

「あなたが担当することになった下忍たちをアカデミーで指導していました」

「そーうらしいですね」

 ふう、とワザとらしく大きく息を吐き、カカシは大げさに肩をすくめてみせる。
 
「あのナルトが相当、懐いてるみたいなんで、どんな人なのか気になりまして」

 いやもう、あいつに自己紹介させたら、ラーメンとイルカ先生と火影になるって話だけでねえ。

 ほとほと困り果てた風を装ったカカシが語る教え子の様子に、それまで無機的だったイルカの声が変わった。

「そうですか」

 あいつらしいな、と小声で呟いた顔が、ふわりと柔らかさを帯びる。

 そのイルカの顔に、カカシは不覚ながら見とれた。

 ナルトを下忍に認めた騒動で負った傷で、包帯に覆われた硬質な男の顔だというのに。

「それで、私に何か御用ですか?」

 そう、問い掛けたイルカはもう元の顔に戻っている。

 それを惜しく、そして不思議に思いながらカカシは本来の目的へ立ち戻った。

「ああ、そうでした。アナタに聞いておきたいことがあったんですよ」

「なんでしょう?」

「イルカ先生、アナタ……」

 ナルトにラーメンばっか食べさせてたデショ?

 真剣に問われる予想外の質問に、耐え切れずにイルカは吹き出してしまった。

「ぶっ……。はははっ、はははははっ!」

「ちょっと、イルカ先生、アナタ、笑い事じゃありませんよっ」

 ちゃんと聞いてくださいと言われたところで、笑いが収まるはずもない。
 けれど腹を抱えて屈みこむと背中が痛むのか中途半端な姿勢で、ちょっと待てというように片手の平を見せた。

「ひてて、き、傷開きます、勘弁してください」

 目に涙まで浮かべるほど笑っている相手に何を言っても無駄だと思ったのか、カカシは数歩下がって笑いが収まるのを待つ。

「はははっ。何を言い出すかと思ったら。一体、なんなんです?」

 ひとしきり笑い、まだ息を乱しながらもイルカが問い直してくる頃には、カカシも冷静さを取り戻していた。

「ま、オレが言いたいのはデスね。アナタがナルトの食生活に与えていた影響についてなんですよ」

 どうやらアナタの他に面倒を見てやるような大人はいなかったようですからねえ。

「それで、アナタがナルトとラーメン食いに行く頻度は?」

「月に1度、あるかないかでしょうか」

「そうですか」

 ところで───。

「食事は忍びの基本ってご存知ですよね?」

 仮にもアカデミー教師という立場なんだし。

「特にアイツなんかまだ子供で、これから体が大きくなる大事な時期ってこともわかってますよね?」
 
「ええ、勿論」

「だったら、アレはないでしょ! アレはっ」

 びしりと人の鼻先を指し示し、とくとくと語り始めるカカシ曰く。

 3代目火影に案内されたナルトの部屋でみた冷蔵庫の中身は殆ど空っぽだったとか。
 食料と言えるようなものは、箱いっぱいに買溜めされたカップラーメンだけであったとか。
 朝食のパンと牛乳がテーブルに出しっぱなしだったとか。
 あまつさえ、その牛乳は消費期限がずいぶんと過ぎていたとか。

「もしかして、アレは、そのまんま、アナタの食生活なんでしょーかっ?」

「いや、流石に賞味期限が相当過ぎた牛乳なんてものは……」

 困った時のクセなのか、イルカが頬を走る傷を掻きだした。

 どうやらナルトほどではないものの、大差のない食生活を送っているらしい。

「相当って……。まさか、ちょっと過ぎたくらいのは?」

「飲みますよ」

 だって、賞味期限はおいしく感じる期限であって、食すに適さない期限ではないですよね。

「牛乳は生鮮食品で、表示されているのは消費期限ですよ」

 ついでに、未開封の状態で、ですからね。

「分かってますよ。でも、勿体無いじゃないですか」
 
「………」

 まだ食べられるモノを勿体無いと感じる気持ちはカカシにだって分かる。

 だが今、問題にしている事とは論点が違うのではないだろうか。

 消費期限は突然知らされるものではなく最初から表示されている。
 それを目安に飲みきるようにするものではないのか。

 第一、ナルトもイルカも、カカシのように突然呼び出されて、任務で何日も戻ってこれないなんてことはまだないのだし。

「……このイルカ先生にして、あのナルトありってことね……」

 しばし耐えるように拳を握り締めて俯いて顔を上げると、真っ直ぐにイルカを見据えて告げる。

「何事も、根本から正さないと意味がありません」

「はい?」

「ナルトのためにも、オレはアナタの食習慣から改善しますよっ」

「ええっ!? い、いきなり何言ってんですかっ? ちょっと、カカシさん?」

 何故かカカシには、このダメっ子父子───基、師弟を自分がなんとかしてやらなければ、という老婆心が芽生えていた。

「イルカ先生のお宅はこちらですかー」

「そうですけどっ。でも、困ります。ってゆーか、なんで、いきなりそんな話になってるんですかっ」

 強引な上忍に腕を掴まれ、イルカは自宅へと連行されていく。

「ん?」

 すぐ目の前の角を曲がればもうそこというところで、2人の足が止まった。

 正確には、カカシが止まったことで引きづられていたイルカもそれ以上進まなくなっただけだが。
 きっとイルカ1人でもここで立ち止まっただろう。

 2人は角の向こうに何者かが潜んでいる気配を感じていたのだから。

「どーういうことでしょうね……」

 眠たげな目を細め、カカシは角の向こうとイルカとを交互にみやる。

 イルカが待ち伏せに気づいたことも意外だったが、それ以上にこの男へ殺気を向ける存在が里にいることが信じられなかった。

 それもこんな忍と一般人の入り混じった住宅地で殺気を含んだ気配も隠し切れないような輩が。

 どうしたものかと、考えを巡らせている中、先に動いたのはイルカだった。

「離してください」

 言った時には、どうやったものか、もうカカシの手から逃れている。

 何事かと見返すと、見たこともない穏やかな顔つきで遠い闇を見ていた。

「カカシさんは帰られたほうがよろしいですよ」
 
 手にしていた書類袋を肩にかけたカバンに押し込みながら告げた声は、先程までと質が違っていた。



 【続く】
‡蛙女屋蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2006/05/26
UP DATE:2006/06/08(PC)
   2009/11/11(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
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