カカイル[短編]

【Love & Peace】
   ~ nartic boy 20,000hits ~



 特定の誰かが自分の全てになる。

 そんなことは恋愛小説の中でしかないと思っていた。

 憧れは、ある。

 それほどに想い合える相手との出会いに。

 だが、実際にそんなことになったらと考えるだけで恐ろしかった。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 この気持ちに気付いた瞬間は、忘れられない。

 飲んでいて───確かナルトの『おいろけの術』での悪戯からの流れかなんかで、好みの女やこれまでにつきあった人の話になった。

「ははは。まあ、自分にないものを求めてたのかもしれないです」

 猪口を呷る仕草で決まり悪い顔を隠しながら、ぽつりぽつりと話していた。

「でも結局、長続きしなくって」
 
 1人と付き合う期間が短く、切れてもすぐ次とくっつくオレの女性遍歴は派手な方らしい。
 そういったことには潔癖そうなイルカ先生に話すのは、少しだけためらわれた。

 こんな稼業だ。

 想いを通じ合わせた相手と、次の瞬間には死に別れるかもしれない。

 誰にだって、その可能性はある。
 だけれども、自分たちには普通に生きてる奴らに比べて、より近しいものだ。
 常に頭に置いていなければならず、隣り合わせと言ってもいい。

 そのせいか、昔からオレの周囲に居る奴らは大抵、刹那的だった。
 ガキの時分に見たのはそれだけの、その場だけの関係ばかり。
 ただ、逆に1人に決めると互いの絆は酷く強いように感じた。

 だからいつかは、自分もそんな相手を見つけられたらいい。
 そんなことを、なんの思い入れもない関係に耽りながら、ぼんやりと願ってきた。

 いつしか手にするようになった成年指定の恋愛小説に理想を夢見ながら結局、現実の刹那的でふしだらな生活に落ち着いていたけれど。

「近頃はすっかりご無沙汰デス」

 冗談めかして苦く笑うしかない。

「そうですか。オレも、似たようなもんです」
 
 黙ってオレのくだらない話を聞いていた人も、ぽつんと言った。

「だんだん、麻痺してくるんですよね……色んなことに」

「へえ」

 同意されても、意外な気がした。

「もうすっかり1人に慣れて、そっちのほうが楽かな、なぁんて思ったりもしますよ」

 イルカ先生はオレたちと違ってもっと人間らしく生きていると思っていた。
 些細なことに泣いたり笑ったりしながら、淡い気持ちを大事に育てていく。
 純真で誠実な、小説の主人公のように。

 でもよく考えてみれば、階級や戦歴以外は違いもない。
 同じ忍びで、同世代の男同士。
 多かれ少なかれ、子供の頃から多くのものを失い続けてきた。
 似たような経験をして、同じような考えを持っていたとしても不思議はない。

 なのに、頭の隅か身体の奥で、何かがざわりと蠢いた。

 イルカ先生が抱く女を想像した瞬間に。

 けれどその時は、それがなんなのか分からないまま、気にもとめずにいた。

 上忍師として初めて部下であり教え子である下忍を預かったばかりの頃だ。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 それからも何度か酒の席で、それ以上に日常の端々でイルカ先生と顔を合わせた。

 なんでもない風を装いながら全身でイルカ先生の動き、言葉、息遣いまでを感じ取ろうと、そして決してこの気持ちを気取られてはいけないと気を張り詰めて。

 あれ以来、オレはおかしい。

 あの人に触れる女の姿を想像して、言い知れぬ焦燥に襲われる。
 そして、同時に湧き上がる欲求に戸惑った。

 イルカ先生の元へ嬉しそうに駆けていく部下の後姿が妬ましく思えるようになった。
 いとおしげに教え子の頭を撫でる手や笑顔が、自分へも向けられないだろうかと考えた。

 あの男の隣りに居るべきは自分だと良い。
 あの手に触れて、触れられるのは、自分1人ならいい。

 そこまでになってようやく気付く。
 自分の思いの行方に。

 オレは、イルカ先生という人が好きになっていた。

 人間として、友人として、そして恋愛と欲望の対象として。

 途端に後悔した。

 気付かなければ良かった。
 好きだと彼に告げることはできない。
 そう思い込んで。

 だが決意とは裏腹に、彼との友人としての付き合いは続いている。
 どうしても、イルカ先生の隣りを手放す気にはなれなかった。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 うみのイルカという男は、変わっているように見えて、その実、普通の男だった。
 いや、忍びとしての感覚と、普通の人間としての常識をどちらも普通に持っているところが、変わっているのかもしれない。

 明け透けな感情を見せるかと思えば、嫌に冷徹な顔もみせる。
 忍者アカデミーの教師が天職のように子供たちに好かれているくせに、受付所での書類処理の手際のよさは評判がいい。
 任務に出た先での的確な判断力と度胸の良さから、仲間たちと依頼人の信頼が厚いと聞いた。

 職場での対応は丁寧だが、プライベートでは存外に口が悪い。
 上役には可愛がっている人も多いけれど、決して権力に媚びたりしないから同僚や部下から妬まれることもない。
 しっかりしてるようで、とんでもないドジを踏んだりもする。
 意外性ナンバーワンのドタバタ忍者が最も慕う人は、教え子以上の意外性の持ち主だと知った。

 そんなふうに彼を知れば知るほど、不思議な男だと思う。
 そして混乱する。
 
 この気持ちを告げれば、確実に拒絶される気がする。
 同時に、受け入れてもらえるんじゃないだろうかという期待も抱いた。

 だって、いつしか、オレはイルカ先生の家に上がりこむような仲になっている。

「カカシさん、ビールでいいですか?」

「はい。嬉しいデス」

 仕事の帰りに偶然を装って声をかけ、夕食を共に取った帰り道。
 こうしてイルカ先生の部屋へ上がりこむのは何度目だろう。

 この部屋は物が少ないわりに乱雑で、奇妙に居心地が良かった。

 冷えたビンとグラスを2つ手に戻ったイルカ先生が正面に座る。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 特に気負うこともなく互いのグラスを満たしあって、自分のグラスを掲げあう。

「乾杯」

「お疲れ様でしたー」

 言葉どおりに杯を干して、それからは手酌で注ぎ足す手を、何とはなしに見てしまう。

 男の手だ。
 骨ばって傷だらけ。
 なのに右手の中指にはくっきりとペンだこなんてできている。
 そして、優しく子供たちを撫でる暖かな手だ。

「何見てんです?」

「や、手酌じゃ申し訳ないかな~って」

 何度も繰り返した言葉だ。

 オレがイルカ先生の手をよく見つめていることなど、とっくにばれていた。
 そこに含まれた気持ちや欲求までは、どうだろうか。

「なに言ってんです」

 鼻で笑うような声だった。

「アンタ、いつまで人をもの欲しそうに見てるつもりですか」

 呆れた風に言い捨てて、手にしていたグラスの中身を一息に飲み干す。
 また手酌で満たした白い泡に視線を落とし、呟いた。

「いつか、なくなるまでですか」

 言われて、なるほどなと思う。

 この気持ちが無くなるまでか、どちらかが亡くなるまで黙っていれば、この関係は続くかもしれない。

「50年先どころか、お互い明日も知れない身、ですしねえ」

 なげやりな言い方は、絶対わざとだ。

 怒ってるんだろう。
 それから、本当に困っているみたいだ。

「それで? オレは、どうしたらいいんです?」

「イルカ、先生……」

 どうしたらいいかなんて、オレが聞きたい。

 怒られてる生徒みたいに姿勢を正して、両手を正座した膝の上で握りしめていた。
 
「オレはアンタの気持ちなんか無視して、いつかかわいい嫁さんでも貰えばいいんですか? それとも、アンタがいなくなるまでこのままで、いつかやっと開放されたって思えばいいのか……」

「それは……」

 嫌だと言いたい。
 どっちもだ。

 けれど、それ以外のことが考えつかない。

「オレは、どっちも嫌です」

 はっきりとした声がなんの迷いも無く告げる。

 好きだなと思った。
 静かで力強くて、行き先をはっきりと見据えたようなイルカ先生の声。

「……オレは……」

 勢いが欲しくて、グラスの中身を呷る。

「イルカ先生が好きデスよ」

 抱きたいって思ってます。
 とは流石に言えない。

「でも……」

 伝わってしまった気がした。
 誤魔化しだと分かっていて、質問で返す。

「イルカ先生は、どうなの?」

「好きですよ。カカシさんのことは」

 でなきゃこうして家に上げて、ビールまで出したりしません。

 なんでもない友達としての付き合いのように言う。

「こういう事は、理屈じゃないって分かってるつもり、だったんだけどなあ……」

 言いながら、自分のグラスに残ったビールを注いで、また一息に飲み干す。
 
 そんなに強くないくせに、殆ど1人で1瓶空けちゃったんだ。
 それから、小さく、なんでだろうなあと諦め混じりの吐息が聞こえた。

「アナタがオレの手ばかりを見るのに気付いて、すごく嫌な気持ちになったんです」

「でしょうね」

「オレはあんたの目の前にいるのに、なんで見てるだけなんだろうって」

「え?」

「だって本当に、明日の朝にはアナタはいなくなるかもしれない。なのに、そんな気持ちだけ残されたら、オレはどうしたらいいんですか? それに、逆だって、ないわけじゃない……」

 オレはもう、後悔したくないんです。

「アンタだって、遺される気持ちの重さは知ってんでしょうっ」

「うん」

「こんな気持ちを、アンタを、遺して逝くのは嫌です」

 まるで叫ぶような言葉なのに、ぽつんと呟くイルカ先生の声は得だ。
 一言一言が、胸に落ちてくる。
 返すオレの声がやけに軽いのはなんでだろう。

「オレもだよ」

 だから、言わなくちゃいけない。
 せっかく、こうしてお膳立てをしてくれたのだから。

「アナタが好きです」

 これは、言わなくてもいいのかもしれないけれど。

「いちゃいちゃしたいと思ってマス」

「今言うかっ」

「だって」

 今言わずにいたら、もう2度と言えないかもしれない。
 それをさっき口にしたのは、イルカ先生だ。

「したいんだもん」

「……だから、あんな眼でオレを見てたのかよ……」

 顔をそむけて空のグラスを玩ぶのは、飲み足りないからなんだろうな。

「オレ、そんなにもの欲しそうにしてました?」

「ええ。もうバレバレでしたよっ! アンタのせいで、オレは散々からかわれたんですよ。アスマさんや、紅さんに! 3代目にまで、ワシの話を断るからあんなのにつきまとわれるんじゃ、って」

 拗ねているみたいな顔でこれまでの恥ずかしかったことを訴えてくるイルカ先生は、申し訳ないけれどカワイイと思う。

 だが、余計なことを吹き込んでくれた同僚にはしっかりお礼をしておかねばならないだろう。
 3代目には、オレとこの人がうまくいくことだけが意趣返しだ。

「ナルトは全然ですがっ、サクラには確実に悟られて、ますよ」

 それは、色々とマズイ気がする。
 さすが、女は侮れない。
 第一、サクラにバレてるなら、もうくのいち連中にはモロバレだろうし、妙な尾ひれをつけて言いふらされている可能性だってある。
 
 どうりで最近、声掛けてくるメンツが変わったのか。
 頭を抱えてうずくまるオレに、イルカ先生は平然と言ってくる。

「で? これから、どうするんです?」

「……どうするって言われましても……」

「アンタのことだから、色々後ろ向きに考えてるんだろうってことは分かりますよ。でもね、まずはアンタの気持ちっていうか、覚悟1つです」

 きっぱりと返事をせまる人に、オレは卑怯にもつき返してしまった。

「イルカ先生こそ」

 さっきからオレのことを責めるくせに、ちっとも自分の気持ちは言ってくれない。

「……オレは……好きだって、言ったじゃないですか……」

「うん。だから?」

 相変わらずのいい姿勢のまま、小首を傾げて迫った。

「……嫌じゃないから、困ってんです……」

「オレもです」

 顔をそむけたイルカ先生の首筋まで赤いのに、期待と気持ちが煽られていく。

 同じ男の身体なのに、ちょっとした仕草に惹かれたり、煽られたりするからね。

 ふとした瞬間に指でも触れようものなら、もっとと願う自分がいるからね。

「イルカ先生。好きデス。オレと、おつき合いしようよ」

「はい」
 
 大好きな迷いの無い声に嬉しくなって飛びついていた。

 好きな人を抱きしめて、抱きしめ返された途端、涙が出る。

「オレはずっと、あなたを好きだったんだ」

 手に入れたものは、決してオレの人生には訪れないと思っていたのに。

 今、しっかりと腕の中にあるじゃないか。



 【了】
‡蛙女屋蛙姑。@ iscreamman‡
WRITE:2005/10/27
UP DATE:2005/10/28(PC)
   2009/09/08(mobile)
RE UP DATE:2024/08/17
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