きみのとなり

【きみのとなり[3]】
   〜 カカ誕 2006 〜



 カカシは足を止めた。

 見渡せば、懐かしい里の風景に自分はいる。
 過ぎ去った時代、思い出の景色だ。

 かつては幾度となく戻れたら、やり直せたらと願ったこともある。

 だが、ここにカカシの居場所はない。
 望む世界でもない。

 先を歩いていた背中が振り返って、心配げに自分をみている。

「どうかした?」

 その姿と言葉に、涙が───たくさんの感情が溢れそうになる。

「先生」

 自分で声が泣きそうなのが分かった。

 情けないとか、忍びのくせにという自分の声が頭の片隅で叫んでいるのも。

「オレ」

 それでも、感情が抑えきれない。
 ほとばしるように、言葉が溢れた。

「帰りたいですっ!」

 こんな繁華街の真ん中で、大人が涙声で言うようなセリフではない。

 堪えきれず俯いたカカシの耳に、周囲のざわめきが突き刺さる。

「大丈夫」
 
 優しい誰かが手に触れて、そう言った。
 きつく握り締めたカカシの右手を、小さく暖かい手がそっと包み込む。
 薄く開けた眼が、見上げてくる真っ直ぐな黒い瞳とぶつかった。

 根拠のない、子供の慰め。

 分かっていても、幼いイルカの言葉はカカシにとって何よりも心強かった。

「大丈夫だよ」

 膝をつき、腰を落として同じ目線になると子供の小ささをはっきりと感じる。

 まだ忍者でもない、本当にただの子供でしかない。

 だが今、カカシの頼どころは幼少のイルカだけだった。

 帰りたいのは、自分の居場所は、彼の元だ。

「……せんせいっ」

 堪えきれず、叫んで腕を伸ばす。
 しっかりと抱き込んだ手ごたえはひどく、儚かった。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「……先生っ!」

「はい?」

 不思議そうな声と、ぱかりと見開いた目が映す光景をカカシは咄嗟に理解できない。

 日暮れた里の繁華街にいたはずだ。
 なのに、夕景の中、里近くの丘に寝転んでいる自分。

「……あれ?」

 少年時代の自分のように覗き込んできているのは、イルカだった。
 
 すっかり大人に成長した、よく見知った姿の彼に安堵する。

「あなたがこんなところで寝入ってるなんて珍しいですね」

「いえ……」

 夢、だったのかな。

 そう呟く声に、どうかしたんですか、と声が掛かる。

「いえ……」

 自身でもよく分からない状況に、ただそう答えるしかない。

 起き上がり、立てた膝の上。
 あの瞬間に握り締めた手は、何を示しているのだろう。

 ただの夢だったという安堵か、それとも悔しさか。

 自分の考えに沈み込むカカシの手を、そっと暖かい手が包み込む。

「大丈夫ですよ」

「……え?」

「あなたが何を悩んでいるのか、見当もつかないので、ただの慰めでしかないですが……」

 それでも、とイルカはあの頃と変わらぬ真っ直ぐな黒い瞳を向ける。

「それでもきっと、あなたは自分でそれを解決できてしまうはずです」

「……そうでしょうか」

 隣りに座り、自分の手を握ったままの人からカカシは視線をそらした。
 とんだ買い被りに居たたまれなくなる。

「オレには、手にあまることばかりです」

「人は、自分で解決できるから、悩むんです。そうでなければ人のせいにしたり、嘆いたり、無視したりするのが精一杯じゃないですか?」

 ああ、自分を信じて立ち向かうってのもありますね。
 そう言って誰かを思い出したのか、くすりとイルカが笑う。

「自分にはどうしようもないことのように見えても、それは物の見方や立場の問題でしかないってオレは思ってます」

 重ねた手に力をこめ、イルカは微笑む。

「諦めなければ、答えは見つかるって」

「さすが、イルカ先生」

 からかうように言ったはずの言葉が涙声に聞こえたが、もうカカシは構わなかった。

「……ほんと、敵いませんよ」

 今だけは、この感情に正直にいたい。

「惚れ直しちゃった」

「何言ってるんですか、今更」

 照れることもなく笑って受け入れてくれたイルカが、カカシの手を握ったまま立ち上がる。

「さ、帰りましょう。もう日が暮れます」

「はい」

 手を繋いだまま立ち上がって歩き出す。

「でも、本当になにやってたんですか? あんなところで」

「イルカ先生、待ってました」
 
 多分、嘘ではない。
 カカシはきっとイルカに会う為に、あの場所に居たのだ。

 懐かしい、失われた時間に。

「冗談言わないでくださいよ」

 夕日せいでなく、すぐ横にあるイルカの頬が赤い。

「ほんとですよ」

「はいはい」

 2人並んで歩く道は、何度も行き来した道だ。
 楽しい時もあったし、苦しい時もあった。
 仲間たちにかこまれながら、孤独と無力感に打ちひしがれながら。
 これまでに数え切れぬ程辿り、これから幾度も歩く里へ続く道。

 見渡す風景はどこか懐かしくて、新鮮に映る。

「イルカ先生」

 そして、彼いる場所へ帰るための道だ。

「ただいま」

 いつも任務から帰る度に交わしてきた言葉。

「お帰りなさい、カカシさん」

 これから何度でも口にするだろう。

 握り返す手の暖かさと強さがある限り。



 【了】
‡蛙女屋蛙姑。@ iscreamman‡
WRITE:2006/09/15
UP DATE:2006/09/18(PC)
   2009/09/05(mobile)
RE UP DATE:2024/08/13
3/4ページ
スキ