ひとり

【ひとり [1]】
~ イル誕 2006 ~



───簡単な任務というものはない。

 下忍時代から散々聞かされてきた言葉を、イルカはしみじみと噛み締める。

 いや、元々この任務は決して楽なものではない。
 それを覚悟していたはずがこの有様かと自嘲した瞬間に、思い出したのだ。

 中忍だけの4人部隊だが、それぞれの戦歴はさほど芳しいものではない。
 中には昇格後に怪我で療養を余儀なくされ、これが実質的な初任務という者さえいる。

 隊長を務めるイルカですら、戦地より里での教師生活のほうが長くなっていた。

 任務にしても、中忍のみでこなすレベルではない。
 けれど、それが里の意思ならば遂行しなければならなかった。

「全員、動けるな?」

 背後に集結した部下たちを見渡し、確認する。
 イルカを含め、無傷なものは1人としていない。

 滅多に人の立ち入らないだろう深い森の中だ。
 傷口から滲む血の匂いが敵を引き寄せ、枝に残る忍び独特の歩幅の足跡が追跡を容易にしているのだろう。

 追っ手には上忍レベルの者がいる。振り切ることは難しい。
 部隊が生還する道は、ただ一つ。

 相手を殲滅すること。

「生きて、全員、里へ帰るぞ」

 それがこの任務の目的だった。

 厳しい状況を生き抜くことで得られる経験、そして実績。
 それらをもって長く里にあった者や経験の少ない者の実力の底上げ。

 だが、それも与えられた任務をこなし、無事に帰還してのことだ。
 死んでしまっては元も子もない。

 この部隊でこなせるギリギリの任務だと知っていた。
 そこから全員を生きて里へ連れ帰るのだとも。

 だから、自分が何かを間違っていたかを悔やむのは里へ戻ってからでいい。

 里を出るときにした覚悟と、交わした約束をもう一度心の奥で繰り返し、イルカは告げた。

「合図をしたら、里へ向かって走れ」

 敵はもうそこまで迫っている。
 数は、およそこちらの倍。
 個々の戦力も上回っているだろう。

 どう考えても、厳しいことだけしか確かではない。

「走れっ」
 
 その声に、部下たちは一斉に里へ駆け出した。

 木ノ葉の忍びだということがバレている以上、下手な小細工をする必要も余裕もない。

 追っ手もこちらが動き出したことを知り、追跡の速度を上げている。じきに、頭上を駆け抜けていくだろう。

 一つ、二つと先行する影が頭上をよぎるがイルカは動かず、息を殺した。

 部下を囮に使う手は、イルカの本意ではない。
 けれど、任務遂行にもっとも確実な方法はこれしかなかった。

 逃げ出した部下が先行隊に見つけられたのだろう。
 合図があがった。

 更に脚を早め、本隊とおぼしき一団が駆け抜けようとした瞬間を狙い、静かに高めたチャクラを解き放つ。

《木ノ葉手裏剣の術》

 周囲に降り積もった無数の木ノ葉が手裏剣のように敵へ襲い掛かった。

 これは疑似木遁のような術で、威力はないが森の中での目くらましや足止めには有効だった。
 忍具も消費しない、使い勝手のいい術でもある。

 致命傷にはならないまでも、倍近い追っ手全員に手傷を負わせることはできた。

「くそっ! 待ち伏せがいるぞっ!」

「慌てるな、敵は1人だっ」

 そして、先行部隊が見つけた部下たちよりイルカ1人へ注意が向く。

「木ノ葉の中忍が1人で何をするつもりだ」

 イルカ1人を取り囲み、勝ち誇ったようににじりよる忍びの数は7人。

 思惑通りだ。

「こうするつもりさ」

 クナイを構えた手の隙間から落とした閃光玉が弾けた。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 木ノ葉崩しで多くの忍びそして3代目火影を失ってからも、木ノ葉隠れの里は対外的には変わらずにあった。

 依頼には応え、充分な実力をもった忍びを配し、里が顕在であることを知らしめるために。

 だが、その為に内部は大きく変わらざるを得なくなっていた。

 子供たちにとっては忍者アカデミーが休講となり、親や先生たちがこれまで以上に任務で里をあけるようになった。

 忍びにとっては、適していると判断されれば階級に関係なく、高ランクの任務が与えられる。

 これまで里内で教育や事務に携わっていた者までが任務に借り出されていた。
 
 その影響で簡単な決済や書類がどんどん滞り、新たに5代目火影に就任した綱手の尽力にも関わらず、里内の機能はゆっくりと確実に麻痺しつつある。

「はーぁ~」

 里長、火影の執務室に足を踏み入れた者は、誰もがため息をもらす。
 それは感嘆であり、感服であろう。

 充分な広さを持つはずの部屋が堆く積まれた書類に埋め尽くされているのだから。

「いや、お見事です。綱手さま」

「それは嫌味かい? カカシ?」

「いえいえ、とんでもない」

 本当に感心してるんですよ。

「よくこれだけ書類積み上げたなあって」

「それを嫌味っていうんだよっ、クソガキッ」

 忌々しげに判を叩きつけ、僅かな決済済みの山へ書類を放る。

「……しかしまあ」

 悪態をつきながらも休むことなく書類に目を通してゆく綱手の手際に感心しながらも、カカシの口は辛辣だった。

「そろそろ任務に出てる忍びを一度整理したほうがよくないですか? このままじゃ、里が未決済の書類で埋まっちまいますよ」

「そのつもりなんだが、まだ誰がどこの担当かイマイチ把握してなくてな。かと言って、また適当に事務につけたりしたらこれ以上混乱しかねないし」
 
 こうなったのは、適当に任務に借り出してたからだったのかと、里が誇る上忍が一抹の不安を抱いたことも知らず、5代目は続ける。

「お前、誰か知らないか? 3代目の元で事務関係の補佐してた奴。うちのシズネみたいにさ」

 綱手が処理していく書類の合間に任務報告書を差し挟み、カカシは迷うこともなくある人物の名をあげた。

「それだったら、イルカ先生を推しますよ、オレは」

「イルカねえ」

「ええ。3代目にも可愛がられてましたし。アカデミーの教師だけでなく受付もやってました」

 綱手が顔をあげると、何故かカカシが柔らかく笑っていた。

 その理由が思い当たらずに首を傾げかけたものの、すぐに綱手は火影としての職務に戻る。

「うん、考えておこう。それでだな……」

「オレには任務って訳ですか……」

 差し出された任務依頼書に目を通し、カカシはため息をこぼす。

「もう少しうまく使ってくださいよ。こんな酷使されたら、オレなんかすーぐヘタばっちゃいますよ」

「ちゃーんと約束した日には帰れるようなのだろ」

「……上手くいったら、デショ?」

 情けない声をだし、恨みがましく綱手を見下ろしながらも、既にカカシの頭ではこの任務へのシュミレーションが始まっていた。

 無論、綱手はそのことを承知している。

「それさえ終わればちゃんと休みをやるよ、1日オマケしてな。里としてもお前に倒れられたら困るのは事実だ」

「そりゃ、ドーモ」

 しっかりと目を通した依頼書を返し、辞そうとしたカカシをふいに綱手が呼び止める。

「なあ、カカシ。なんでその日なんだ? 特になにかあったとも思えないが……」

 殆ど書類で隠れてしまった壁の暦に目をやりながら、綱手は過去を振り返っていた。

 彼女の知る限り、カカシがこの日に任務をしたくないか、里にいたくなるような出来事は起っていない。

 この忙しい時期にわざわざ休みを取りたい理由があるのかという野次馬根性も確かにある。

 けれどそれ以上に、存外ナイーブなカカシにまた、自分が里を空けている間に何かあったのかと案じているのだ。

「……そんなんじゃありませんよ」

 だが、綱手の心配は杞憂だと言わんばかりに、またカカシは穏やかに微笑んでいる。

「大事な日、なんですよ。オレにとってね」
 
 大切な日だと言い切る表情が心底幸せそうだった。

 今まで見たこともないカカシの顔つきに一瞬あっけに取られたものの、綱手は満足そうに頷く。

「……そうか」

「では、行って参ります。戻ったら、約束通りにお休みいただきますからね」

 言うだけ言って、カカシは姿を消した。

 瞬身の術を使ったはずだが、執務室中に山と積まれた書類はひらりともしない。
 あまりに見事に術の冴えに感心しながらも、綱手はどこかくすぐったそうに微笑む。

「あの小僧にも、そんな人がねえ……」

 アタシも歳取るハズだわ。

 そう一人ごちた途端、執務室の外から緊急を告げるシズネの声が響いた。



 【続く】
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡
WRITE:2006/05/11
UP DATE:2006/05/26(PC)
   2009/11/15(mobile)
RE UP DATE:2024/08/13
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