カカイル[短編]
【なよたけ】
~ MOON CHILD ~
───あきた、
なよたけのかくやひめとつけつ───
[竹取物語(作者未詳・9世紀末~10世紀初)]
カカシは夢を見ていた。
夢だと判るのは、目の前にある光景が子供の頃から繰り返し繰り返し何度となく見てきたものだから。
静かな月夜、竹林に1人。
目の前には、すくすくと伸びる1本の若竹。
まだ弱竹 と言える細さであるのに、見る間に中天へかかる満月にまで届くほどに伸びていく。
その不思議な若竹を、何を考えてか夢の中のカカシは徐に登り出す。
最初は、単なる好奇心だと思っていた。
ただの夢でしかないのだとしても、もしかしたら月まで登って行けそうだからという。
次に、逃げなのではないかと考えた。
現実で辛い事が続いていたから、ここではないどこか自分の知らない場所へ行きたいのでは、と。
今は、不安と恐怖を覚える。
目覚めている時はできることならこの先には進みたくないと思っているのに、夢では躊躇なく登り続ける。
これは逃れられない悪夢なのではないのか、と。
実際に地表から月までどれほどの距離があるのかは知らないけれど、瞬く間に細くしなやかな若竹を足場にカカシは月へと迫る。
なぜか若竹は月の表面にぽっかりと空いた暗く深い穴の中へと伸びていた。
カカシも若竹を辿って月に空いた穴の奥へと進んで行く。
月の穴の中は暗い。
それなのに、内部の様子がカカシには分かった。
真円に削られた岩肌は滑らかで、水が穿つように自然に出来たかにも人の手で丁寧に掘られたようにも思える。
奥へ、奥へとゆっくり下っていくにつれ、行く手に密やかな人の気配が感じられる。
何かに引き摺られる衣擦れの音。
ゆったりと素足で歩き回る人の足音。
そんな音が、何者かの息遣いが、していた。
穴の底には、誰かがいる。
何者がそこにいるのか、何度も夢を見ているカカシは知っていた。
しかし、夢の中のカカシは興味にかられて足を早める。
いや、何も知らない子供の頃なら、その人に会いたくて堪らなかったのだ。
───やあ
若竹に沿って登り、駆け降りた穴の底で、朗らかな声がカカシを迎える。
闇と同化しそうなくらい伸びて足元に這う長く長い黒髪の間から、親しげに伸ばされる腕は男の物。
着古されてボロボロの着物から踏み出される素足も。
いつも、その人を見上げてカカシは自分が子供に戻っている事に気づく。
きっと、初めてこの夢を見た頃の姿だ。
そのせいで、もしかしたらと考えてしまう。
この夢は、本当にあった過去の記憶なのでは、と。
だって、小さなカカシを撫でる手の感触が懐かしい。
昔は、夢の中でしか知らなかった。
けれど今は、実際に知ってしまった。
───迎えに来てくれたのか?
その声も。
見上げた、柔らかな笑顔も。
* * * * *
「……夢、か……」
昔から繰り返し見続けている夢から覚めたカカシは薄暗い自室の寝台の上で見開いていた目を再び閉じ、長く深く息を吐き出して呼吸を整える。
これは、夢。
ただの夢。
見る間に月まで届くほど伸びる竹だとか、その竹を登って月まで歩いて行くだとかあり得る筈がない。
ましてや月にたどり着いた途端、自分は子供に戻っていて、そこに居た何者かを迎えに行っているなんて馬鹿げてる。
なにより。
「……あの人が、あんな場所に居た筈がない……」
そう言い聞かせてみるけれど、焦燥感は増すばかり。
再度深呼吸をし、月明かりの差し込む窓から顔を背けるように寝返り、布団へと潜り込んだ。
とても眠れそうになどないが、月を見ないよう目を閉じる。
明日は寝不足を覚悟しなければならないが、また同じ夢を見るよりずっとマシだと考えた。
ずっと眠らずには居られないから一時凌ぎでしかないと解っていても、今は目を逸らして月から逃れたい。
それにきっと、明日もあの人とは顔を合わせる筈だ。
「……なんで、あの人が……」
出会ったこともない時分から見ていた夢に出てくるのか。
それも、大分実体とは違うが大人の───多分、今頃の年齢くらいだろう───姿で。
最初は、他人の空似かと考えた。
偶々、長年見続けた夢に登場する人物と似ている人なのだろう、と。
しかし、ただの偶然というには余りにも同じと感じる所が多過ぎた。
例えば、穏やかな声が。
例えば、温かな手が。
例えば、朗らかな笑顔が。
そして、鼻筋を跨ぐ傷痕が。
「……イルカ先生……な、ワケ……ないのに、ねぇ……」
忍として───同じ部隊に配属された上官と部下として、初めて彼───うみのイルカと出会ったのは、ずいぶん前になる。
夢の中で会う人物と余りにも似ていたからカカシも酷く動揺した。
流石に周囲から悟られぬよう咄嗟に押し隠し、任務前の確認だったり休息時の雑談に紛れて彼の生い立ちを聞き出した事は覚えている。
うみのイルカは両親とも忍で、九尾事件で1度に家族を亡くしたのだという。
孤児となってからは3代目火影に目をかけて貰ったらしい。
向上心はあるようだが然程優秀ではないと自覚していて、それでも里の役に立ちたい気持ちからいずれは忍者を育成するアカデミー教師になりたいと考えているようだ。
それと、鼻筋を跨ぐ傷はいつ、どんな状況で付いた物か覚えていないということも知れた。
任務を終えて里に戻ってからも行き会えば挨拶を交わす程度の交友を持ち続けたのは、興味本位だったと否めない。
子供の頃は月に居る人の夢を楽しみにしていた記憶があって、その人に似ていたからというのは最初だけ。
月に居る人は子供だったカカシからすれば寂しげな雰囲気の落ち着きある大人だったけれど、成長したカカシが出会った生身のイルカはまだ少年期の甘さから抜け切れていない若造で余裕の無さすらも好ましく思える青年だった。
そんな2人の違いが面白く、全くの別人としてカカシの中での認識が落ち着いた頃、関係が変わる事となる。
教師となったイルカの教え子をカカシが引継ぎ、今までより言葉を交わす機会が増えたのだ。
年齢差や階級差を気にせず酒食を共にする事もあったし、互いの見解の相違に場所も立場も弁えず口論となった事さえある。
それでいて必要以上に馴れ馴れしい付き合いにはならず、任務の都合で会合の頻度が減っても不思議と疎遠になることもなかった。
ただ、里と2人の教え子たちを取り巻く情勢は加速度的にきな臭くなっていった時期でもあり、イルカと出会ってからいつしか忘れていた夢をカカシは思い出し始める。
時々、年齢に見合わぬ老成した物言いをするイルカが本当は月の人なのでないのかと、不安が募るのだ。
今更かもしれないが、彼との交友を控えるべきかとカカシは考える。
なのに、イルカと会えない日々が長引くと、忘れていた夢は先に進むのだ。
思い出したくない、思い出してはいけない場面に向かって。
今夜はとうとう、カカシは月の人の手をひいて歩き出そうとした。
その先は、まだ思い出してはいない。
それでも、忘れていたままの方が良いのだとわかる。
どうすればいいのか判然とせぬまま、カカシは1人、眠れぬ夜を明かす。
* * * * *
すっかり寝不足のまま任務につくのが習慣となってしまったカカシは極力当たり障りなくイルカを避けていたつもりだった。
けれど木ノ葉隠れは忍の里。
これまで交遊のあった2人が疎遠になり始めたと気づき、様々な詮索をする者は多い。
その誤解をなんとかしたくて話しかけなければと思うのだが自分から避けていた手前、なかなか声がかけづらく何も言えないまま噂はエスカレートする。
自業自得の本末転倒を日々繰り返す。
イルカもイルカで、アカデミー教師と受付を兼務して多くの人と接しているせいか忍のくせに喜怒哀楽が明確で、同僚などから苛立ちや不機嫌を指摘されて慌てて取り繕うものの鬱積を溜め込むという悪循環を繰り返していた。
どうにかしたい気持ちが募るほど、カカシは追い込まれていく。
なにしろイルカと話さなくなってから、夢はますます決定的な場面へ進むのだ。
月への道筋で子供に戻ったカカシが月で出逢った人と2人で若竹を伝って行くと、今度は成長していくカカシとは逆にあの人が若返って行く。
長く引きずっていた黒髪は短く軽く、骨ばった手指は柔らかく丸みを帯びて。
やがて歩く事も出来ない幼児となった月の人を現在の姿まで成長したカカシが抱きかかえて若竹の根本に辿り着くまで、多分もう幾夜もない。
2人が大地に降り立った時、果たして何が起きたのか。
それが、分からない。
まだ思い出していないのか、それとも知らないのかすら。
「……どーにか、しなきゃーねえ……」
上忍専用にあてがわれた待機室の片隅で空を見上げるカカシは真昼の白い月を眺め、深い溜息を吐き出す。
あの夢を止めるか終わらせるには、イルカに会うしかない。
漠然とだが、そう確信している。
ただ、もう数歩で若竹の根本へ降り立てる所まで進んでしまった今では、なにもかも手遅れなのではと弱気にもなる。
こんな状態で彼と会話などしたら、何か突拍子もないことを口走りそうで恐ろしい。
しかし、このままイルカを避け続ける事も難しかった。
上忍師として指導する部下を持たずに状況次第で様々な任務をこなすカカシと、アカデミーに加えて任務の割り振りや報告書の受理なども行うイルカとの接点は存外多い。
しかもイルカは3代目火影から様々な雑用を言いつかっていたせいか、もしくは5代目火影のお気に入りであるナルトの保護者とでも思われているのか、綱手からも何かと目をかけられている。
つまり、カカシとイルカが火影の執務室で鉢合わせる機会も少なくはない。
今日も火影直々に賜った任務の報告に訪れた執務室で顔を合せ、ぎこちなく会釈する2人を火影がニヤニヤと眺めてくる。
綱手の付き人であるシズネ、それと弟子となったサクラも気まずそうにしているから、確実に里に流布する噂を知っているのだろう。
そんな執務室の空気に堪え兼ねたか、彼も気まずいのか、既に用事を終えたらしいイルカが書類を手にそそくさと退出しようとする。
しかし、5代目火影は彼を押しとどめた。
「まあ、待て。お前たちに知らせておきたいことがあってな」
何度も説明するのは面倒だ、という思惑も透けて見えたが、どうやらそれだけではないらしい。
「自来也から知らせが来た。直にナルトを連れて里に戻る、とな」
「「「ナルトがっ!?」」」
純粋に驚きの声をあげたサクラと喜色を滲ませたイルカ、そして再会を喜ぶ気持ちとあの少年の帰還が更なる過酷な戦いの幕開けとなる事に複雑な思いを乗せたカカシの声が重なった。
「ああ、それであいつが戻り次第、カカシにはサクラとナルトを加えたスリーマンセルで任務についてもらうことになる」
何しろ里は人手不足だからな、と自らの机に積上った書類を横目に綱手はため息を吐く。
「まあ、その前に互いの成長を見極める為に演習もせにゃならんし、その準備期間も必要だろうと思ってな。今日からナルトが帰るまでお前たち2人は里で待機だ」
「……はあ」
「よっしゃー! 師匠に扱かれて扱かれて扱かれて扱かれて扱かれて扱かれて扱かれまくった私の成長、ナルトに見せつけてやるわよーっ!」
覇気のないカカシの返事を、気合いのこもったサクラの雄叫びがかき消してしまう。
けれどそれはいつものことなので誰も気にする事なく、綱手はイルカを手招いた。
「それから、イルカ。お前、あいつの自宅の鍵とか預かってたりするのか?」
「え? ああ、はい。あいつの部屋でしたら、いつ帰って来てもいいように木ノ葉丸と私で掃除していますから大丈夫ですよ」
「そうか。まあ、あいつが戻ってしばらくは色々と面倒をかけるかもしれんが、よろしく頼む」
綱手の告げた「色々」に含まれた事柄を察して苦い気持ちも覚えたけれど、やはりあの子の帰還が嬉しいイルカは全てを飲み込んで素直に承諾する。
「はい。それは覚悟の上です」
「うむ。それじゃあ、引き止めて済まなかった。仕事に戻ってくれ」
「はい。それでは御前、失礼を。カカシさんも……。サクラも、またな」
型通りの挨拶で綱手に辞去を告げたイルカはカカシに軽い会釈だけして、サクラを励ますように軽く肩を叩いて火影の執務室を出ていった。
残されたカカシは、シズネやサクラからの物言いた気な視線と、2人の関係を勘ぐっているとしか思えない笑顔を浮かべた綱手に囲まれ、居心地が悪い。
「……あー、綱手様。オレもこれで……」
呼び出された理由がナルトの帰還とそれに伴う待機措置を伝えるだけならば、もう用は済んだとばかりにカカシは踵を返しかけた。
「まあ、待てカカシ。いいかげん、言っておかなきゃならんと思っていた頃合いだ」
そう言ってカカシを引き止めた綱手は、サクラに労いの言葉をかけてシズネと共に退出させる。
これから、火影として言いにくい、もしくは余人に聞かせたくない話があるのだろう、とカカシも気を引き締めた。
けれど、綱手が切り出したのは想定外ではあったけれど、予想はしていた内容である。
「カカシ。お前、イルカと何かあったのか?」
「……いえ、なにも……」
ただこれまであった交友を一方的に何も告げずに遮断してしまったから、このような状況になっているのだ、とも言えずにカカシは気まず気に視線を彷徨わせた。
「なんにせよ、ナルトが里に戻る前にこの雰囲気をなんとかしてくれ。意外と聡いあいつの事だ。お前たちがそんなんだと、気にして首を突っ込んでくるぞ」
「……分かってますよ、言われなくても……」
我ながら、不貞腐れた子供のような返答だなと思うが、カカシにはそう答えるしかできない。
どうすればいいかは分かっていても、いざとなるとそれができない自分に、途方にくれているのだ。
「ならいいがな……。まあ、お前の事だ。いざとなれば、どうにかするだろう。それにイルカも、子供の扱いには慣れているようだからな」
そんなカカシの内面も察しているのか、呆れ混じりのため息を吐きつつも容認するような事を綱手は言う。
ただ彼女が言う、イルカが扱いに慣れた子供という言葉に、含みを感じてしまうのも仕方がない。
「さて、と。アタシは今日中に目を通しておかねばならん書類があるのでな。例の報告は、手短にしてくれよ、カカシ」
「はっ」
けれど、詮索する前に執務室を訪れた本来の目的を振られ、結局この話しはここまでとなったのだった。
* * * * *
5代目に言われた通り簡潔に任務の報告を終え、カカシは帰宅すべく表通りへと向かう。
見上げた夜空には数日で満ちる月が煌々と輝いていた。
しかし真直ぐ帰宅するには早い時間にも思えたし、何より夕食をどうしようか、と考えを巡らせていると背後から耳慣れた声が掛かる。
「カカシさん?」
「……こんばんは、イルカ先生……」
今お帰りですか、と問いながら視線で互いの格好を確認してしまうのは、彼と度々夕食を共にするようになってついた癖だった。
通勤に使っている鞄を肩から掛けていれば帰宅中で、手に分厚い書類袋がないので持ち帰りの仕事などもないのだろう。
こういう時ならば、夕食に誘っても断られる確率が低いと経験上分かっている。
イルカの方もカカシの纏う空気から任務があるのか、それとも帰宅するところなのかを絶妙に察してくれていた。
「「どうです、これから夕食でも」」
だから、こんな風に誘いの言葉が重なる事もしばしばで。
イルカはきょとんと瞬きを、カカシははっと瞠目し、次の瞬間には噴き出していた。
久し振りで、ちょっと言葉にしにくい距離感が出来始めていたところだったのに、お互いが同じ言葉を同じタイミングで発したことに驚き、気恥ずかしくも嬉しさを感じて。
「ははは、喜んで」
「いえいえ、こちらこそ」
では、今夜はどこで。
嬉しい事があったので飲みたい気分なんですが。
オレもなんです。
だったら、あの店はどうでしょうか。
そんな会話をしながら連れ立って歩き出せば、のんびりと歩くカカシの歩調と、せかせかと歩を進めるイルカの歩幅は自然と釣り合っていく。
互いに気遣い合っているけれど、それが不思議と苦にならない。
妙に馬が合うというのはこういう事なのか、と度々カカシが感じていると彼は知っているだろうか。
商店の並ぶ通りの人混みですれ違う人々や、訪れた店の客たちのうち彼らを知る者が呆気にとられ、狐に摘まれたような顔で眺められても気にすることなく、カカシとイルカはここしばらくの断交など素知らぬ顔でその晩の酒食を楽しんだ。
* * * * *
流石に酩酊状態とまではいかないものの、気持ちよく酒に酔って腹も満たして店を出るまで、カカシはこれまでの不義理の理由を口にできなかった。
何しろ周囲には耳をそばだてた忍だらけなのだから、人目のある中で滅多な事は言えない。
けれどイルカも問いただすことはせず、ただいつものようにその日にあった喜ばしい出来事を分かち合うに止めた。
きっと彼もそういう気分だったのだろう、とありがたく思ったものの、夜が更けて人通りの絶えた通りをそれぞれの宿舎へ向けて歩き出した時、さすがにこれではいけないと思い始めた。
なにしろ近々最も気掛かりな教え子が里へ帰還する。
あの子供に、こんな気持ちのまま向き合っていたらきっと2人の間の蟠りを悟られてしまうだろう。
しかし、なんと言ったらいいのか、まだカカシにはイルカへ言うべき言葉が考えついていない。
「カカシさん」
隣をゆったりと歩いていたイルカが、ふいに月を見上げてそう呼びかけた。
まるで、月へ向かってそう呼ばわったように。
「なんだか最近、何かに悩まれているように思えたんですが」
それが気のせいではないと今夜で確信を得たらしく、イルカは告げる。
「アナタの悩みが俺なんかに解決できるとは思えません。だけど、他人に話すと気が楽になったり、視点が変わって解決策が見つかったりするでしょう?」
だから、話してみませんか、と。
その言葉に縋ってみてもいいか、とカカシは出来るだけ当たり障り無く、ここ最近の悩み事を話しだす。
「……夢をね、見るんですよ……」
昔の、懐かしい、不思議な、夢を。
「……別に辛い出来事でも、悲しかった想い出でもないんですけどねえ。……妙に、気になるっていうか、気にかかることがありまして……」
そのせいで、寝不足気味といいますか。
と、言い訳がましく笑うカカシへ、茶化すでも呆れるでもなく、イルカは静かに問う。
「夢、ですか……」
「……ええ……」
繁華街を抜けて住宅街へと抜ける小道の傍らには鬱蒼と茂る竹林があったことに、今更ながらカカシは気付く。
こんな月夜に、竹林だなんて、とため息を吐きかけた。
「そう言えば、よくとーちゃ……父が、話してくれた夢の話しを、最近になって思い出したんです」
竹林の一角にぽかりと開けた空間に月の光が楚々と射し込み、1本ひょろりと伸びた若竹を照らしていた。
その光景をぼんやりと見つめながら、イルカは話しだす。
「両親は子供を望んでいたんですが中々できなくて、年齢的に諦めかけた頃に母が月夜の竹林で月光みたいな色の髪をした男から、赤ん坊を預かる夢を見たって……」
それからしばらくして、オレが生まれたらしいんですけど。
「夢の中の赤ん坊とあんまり似ているものだから、ひどく驚いたとの同時に、きっとこの子は授かり物だから大事にしようって、2人で話したって……」
両親の話に出て来る、赤ん坊を託してくれた男の人が。
「……何故か、カカシさんに似ている気がして」
その言葉を最後までカカシは聞けなかった。
彼がどんな表情をしているのか、見られなかった。
全てを拒絶するように耳を塞ぎ、目を閉じて身を丸める。
罵られ、足蹴にされた方がよほど気が楽だ。
なのに彼は、泣き出した子供を宥めるように、そっとカカシを抱きしめるとリズム良く背中を叩くだけで何も言わない。
言ってくれない。
しばらくそうしているうちに激情が去り、虚脱したように顔を上げたカカシへ望月間近の月を背景に、彼は懐かしい笑顔で手を差し伸べてくる。
「さあ、帰りましょう」
縋るように彼の手を取ってしまったのはその手の温もりを知っているからか、それともずっと取り合ってきたなのかは分からない。
【了】
‡蛙女屋蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2014/07/17~2016/12/29
UP DATE:2016/12/30(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
~ MOON CHILD ~
───あきた、
なよたけのかくやひめとつけつ───
[竹取物語(作者未詳・9世紀末~10世紀初)]
カカシは夢を見ていた。
夢だと判るのは、目の前にある光景が子供の頃から繰り返し繰り返し何度となく見てきたものだから。
静かな月夜、竹林に1人。
目の前には、すくすくと伸びる1本の若竹。
まだ
その不思議な若竹を、何を考えてか夢の中のカカシは徐に登り出す。
最初は、単なる好奇心だと思っていた。
ただの夢でしかないのだとしても、もしかしたら月まで登って行けそうだからという。
次に、逃げなのではないかと考えた。
現実で辛い事が続いていたから、ここではないどこか自分の知らない場所へ行きたいのでは、と。
今は、不安と恐怖を覚える。
目覚めている時はできることならこの先には進みたくないと思っているのに、夢では躊躇なく登り続ける。
これは逃れられない悪夢なのではないのか、と。
実際に地表から月までどれほどの距離があるのかは知らないけれど、瞬く間に細くしなやかな若竹を足場にカカシは月へと迫る。
なぜか若竹は月の表面にぽっかりと空いた暗く深い穴の中へと伸びていた。
カカシも若竹を辿って月に空いた穴の奥へと進んで行く。
月の穴の中は暗い。
それなのに、内部の様子がカカシには分かった。
真円に削られた岩肌は滑らかで、水が穿つように自然に出来たかにも人の手で丁寧に掘られたようにも思える。
奥へ、奥へとゆっくり下っていくにつれ、行く手に密やかな人の気配が感じられる。
何かに引き摺られる衣擦れの音。
ゆったりと素足で歩き回る人の足音。
そんな音が、何者かの息遣いが、していた。
穴の底には、誰かがいる。
何者がそこにいるのか、何度も夢を見ているカカシは知っていた。
しかし、夢の中のカカシは興味にかられて足を早める。
いや、何も知らない子供の頃なら、その人に会いたくて堪らなかったのだ。
───やあ
若竹に沿って登り、駆け降りた穴の底で、朗らかな声がカカシを迎える。
闇と同化しそうなくらい伸びて足元に這う長く長い黒髪の間から、親しげに伸ばされる腕は男の物。
着古されてボロボロの着物から踏み出される素足も。
いつも、その人を見上げてカカシは自分が子供に戻っている事に気づく。
きっと、初めてこの夢を見た頃の姿だ。
そのせいで、もしかしたらと考えてしまう。
この夢は、本当にあった過去の記憶なのでは、と。
だって、小さなカカシを撫でる手の感触が懐かしい。
昔は、夢の中でしか知らなかった。
けれど今は、実際に知ってしまった。
───迎えに来てくれたのか?
その声も。
見上げた、柔らかな笑顔も。
* * * * *
「……夢、か……」
昔から繰り返し見続けている夢から覚めたカカシは薄暗い自室の寝台の上で見開いていた目を再び閉じ、長く深く息を吐き出して呼吸を整える。
これは、夢。
ただの夢。
見る間に月まで届くほど伸びる竹だとか、その竹を登って月まで歩いて行くだとかあり得る筈がない。
ましてや月にたどり着いた途端、自分は子供に戻っていて、そこに居た何者かを迎えに行っているなんて馬鹿げてる。
なにより。
「……あの人が、あんな場所に居た筈がない……」
そう言い聞かせてみるけれど、焦燥感は増すばかり。
再度深呼吸をし、月明かりの差し込む窓から顔を背けるように寝返り、布団へと潜り込んだ。
とても眠れそうになどないが、月を見ないよう目を閉じる。
明日は寝不足を覚悟しなければならないが、また同じ夢を見るよりずっとマシだと考えた。
ずっと眠らずには居られないから一時凌ぎでしかないと解っていても、今は目を逸らして月から逃れたい。
それにきっと、明日もあの人とは顔を合わせる筈だ。
「……なんで、あの人が……」
出会ったこともない時分から見ていた夢に出てくるのか。
それも、大分実体とは違うが大人の───多分、今頃の年齢くらいだろう───姿で。
最初は、他人の空似かと考えた。
偶々、長年見続けた夢に登場する人物と似ている人なのだろう、と。
しかし、ただの偶然というには余りにも同じと感じる所が多過ぎた。
例えば、穏やかな声が。
例えば、温かな手が。
例えば、朗らかな笑顔が。
そして、鼻筋を跨ぐ傷痕が。
「……イルカ先生……な、ワケ……ないのに、ねぇ……」
忍として───同じ部隊に配属された上官と部下として、初めて彼───うみのイルカと出会ったのは、ずいぶん前になる。
夢の中で会う人物と余りにも似ていたからカカシも酷く動揺した。
流石に周囲から悟られぬよう咄嗟に押し隠し、任務前の確認だったり休息時の雑談に紛れて彼の生い立ちを聞き出した事は覚えている。
うみのイルカは両親とも忍で、九尾事件で1度に家族を亡くしたのだという。
孤児となってからは3代目火影に目をかけて貰ったらしい。
向上心はあるようだが然程優秀ではないと自覚していて、それでも里の役に立ちたい気持ちからいずれは忍者を育成するアカデミー教師になりたいと考えているようだ。
それと、鼻筋を跨ぐ傷はいつ、どんな状況で付いた物か覚えていないということも知れた。
任務を終えて里に戻ってからも行き会えば挨拶を交わす程度の交友を持ち続けたのは、興味本位だったと否めない。
子供の頃は月に居る人の夢を楽しみにしていた記憶があって、その人に似ていたからというのは最初だけ。
月に居る人は子供だったカカシからすれば寂しげな雰囲気の落ち着きある大人だったけれど、成長したカカシが出会った生身のイルカはまだ少年期の甘さから抜け切れていない若造で余裕の無さすらも好ましく思える青年だった。
そんな2人の違いが面白く、全くの別人としてカカシの中での認識が落ち着いた頃、関係が変わる事となる。
教師となったイルカの教え子をカカシが引継ぎ、今までより言葉を交わす機会が増えたのだ。
年齢差や階級差を気にせず酒食を共にする事もあったし、互いの見解の相違に場所も立場も弁えず口論となった事さえある。
それでいて必要以上に馴れ馴れしい付き合いにはならず、任務の都合で会合の頻度が減っても不思議と疎遠になることもなかった。
ただ、里と2人の教え子たちを取り巻く情勢は加速度的にきな臭くなっていった時期でもあり、イルカと出会ってからいつしか忘れていた夢をカカシは思い出し始める。
時々、年齢に見合わぬ老成した物言いをするイルカが本当は月の人なのでないのかと、不安が募るのだ。
今更かもしれないが、彼との交友を控えるべきかとカカシは考える。
なのに、イルカと会えない日々が長引くと、忘れていた夢は先に進むのだ。
思い出したくない、思い出してはいけない場面に向かって。
今夜はとうとう、カカシは月の人の手をひいて歩き出そうとした。
その先は、まだ思い出してはいない。
それでも、忘れていたままの方が良いのだとわかる。
どうすればいいのか判然とせぬまま、カカシは1人、眠れぬ夜を明かす。
* * * * *
すっかり寝不足のまま任務につくのが習慣となってしまったカカシは極力当たり障りなくイルカを避けていたつもりだった。
けれど木ノ葉隠れは忍の里。
これまで交遊のあった2人が疎遠になり始めたと気づき、様々な詮索をする者は多い。
その誤解をなんとかしたくて話しかけなければと思うのだが自分から避けていた手前、なかなか声がかけづらく何も言えないまま噂はエスカレートする。
自業自得の本末転倒を日々繰り返す。
イルカもイルカで、アカデミー教師と受付を兼務して多くの人と接しているせいか忍のくせに喜怒哀楽が明確で、同僚などから苛立ちや不機嫌を指摘されて慌てて取り繕うものの鬱積を溜め込むという悪循環を繰り返していた。
どうにかしたい気持ちが募るほど、カカシは追い込まれていく。
なにしろイルカと話さなくなってから、夢はますます決定的な場面へ進むのだ。
月への道筋で子供に戻ったカカシが月で出逢った人と2人で若竹を伝って行くと、今度は成長していくカカシとは逆にあの人が若返って行く。
長く引きずっていた黒髪は短く軽く、骨ばった手指は柔らかく丸みを帯びて。
やがて歩く事も出来ない幼児となった月の人を現在の姿まで成長したカカシが抱きかかえて若竹の根本に辿り着くまで、多分もう幾夜もない。
2人が大地に降り立った時、果たして何が起きたのか。
それが、分からない。
まだ思い出していないのか、それとも知らないのかすら。
「……どーにか、しなきゃーねえ……」
上忍専用にあてがわれた待機室の片隅で空を見上げるカカシは真昼の白い月を眺め、深い溜息を吐き出す。
あの夢を止めるか終わらせるには、イルカに会うしかない。
漠然とだが、そう確信している。
ただ、もう数歩で若竹の根本へ降り立てる所まで進んでしまった今では、なにもかも手遅れなのではと弱気にもなる。
こんな状態で彼と会話などしたら、何か突拍子もないことを口走りそうで恐ろしい。
しかし、このままイルカを避け続ける事も難しかった。
上忍師として指導する部下を持たずに状況次第で様々な任務をこなすカカシと、アカデミーに加えて任務の割り振りや報告書の受理なども行うイルカとの接点は存外多い。
しかもイルカは3代目火影から様々な雑用を言いつかっていたせいか、もしくは5代目火影のお気に入りであるナルトの保護者とでも思われているのか、綱手からも何かと目をかけられている。
つまり、カカシとイルカが火影の執務室で鉢合わせる機会も少なくはない。
今日も火影直々に賜った任務の報告に訪れた執務室で顔を合せ、ぎこちなく会釈する2人を火影がニヤニヤと眺めてくる。
綱手の付き人であるシズネ、それと弟子となったサクラも気まずそうにしているから、確実に里に流布する噂を知っているのだろう。
そんな執務室の空気に堪え兼ねたか、彼も気まずいのか、既に用事を終えたらしいイルカが書類を手にそそくさと退出しようとする。
しかし、5代目火影は彼を押しとどめた。
「まあ、待て。お前たちに知らせておきたいことがあってな」
何度も説明するのは面倒だ、という思惑も透けて見えたが、どうやらそれだけではないらしい。
「自来也から知らせが来た。直にナルトを連れて里に戻る、とな」
「「「ナルトがっ!?」」」
純粋に驚きの声をあげたサクラと喜色を滲ませたイルカ、そして再会を喜ぶ気持ちとあの少年の帰還が更なる過酷な戦いの幕開けとなる事に複雑な思いを乗せたカカシの声が重なった。
「ああ、それであいつが戻り次第、カカシにはサクラとナルトを加えたスリーマンセルで任務についてもらうことになる」
何しろ里は人手不足だからな、と自らの机に積上った書類を横目に綱手はため息を吐く。
「まあ、その前に互いの成長を見極める為に演習もせにゃならんし、その準備期間も必要だろうと思ってな。今日からナルトが帰るまでお前たち2人は里で待機だ」
「……はあ」
「よっしゃー! 師匠に扱かれて扱かれて扱かれて扱かれて扱かれて扱かれて扱かれまくった私の成長、ナルトに見せつけてやるわよーっ!」
覇気のないカカシの返事を、気合いのこもったサクラの雄叫びがかき消してしまう。
けれどそれはいつものことなので誰も気にする事なく、綱手はイルカを手招いた。
「それから、イルカ。お前、あいつの自宅の鍵とか預かってたりするのか?」
「え? ああ、はい。あいつの部屋でしたら、いつ帰って来てもいいように木ノ葉丸と私で掃除していますから大丈夫ですよ」
「そうか。まあ、あいつが戻ってしばらくは色々と面倒をかけるかもしれんが、よろしく頼む」
綱手の告げた「色々」に含まれた事柄を察して苦い気持ちも覚えたけれど、やはりあの子の帰還が嬉しいイルカは全てを飲み込んで素直に承諾する。
「はい。それは覚悟の上です」
「うむ。それじゃあ、引き止めて済まなかった。仕事に戻ってくれ」
「はい。それでは御前、失礼を。カカシさんも……。サクラも、またな」
型通りの挨拶で綱手に辞去を告げたイルカはカカシに軽い会釈だけして、サクラを励ますように軽く肩を叩いて火影の執務室を出ていった。
残されたカカシは、シズネやサクラからの物言いた気な視線と、2人の関係を勘ぐっているとしか思えない笑顔を浮かべた綱手に囲まれ、居心地が悪い。
「……あー、綱手様。オレもこれで……」
呼び出された理由がナルトの帰還とそれに伴う待機措置を伝えるだけならば、もう用は済んだとばかりにカカシは踵を返しかけた。
「まあ、待てカカシ。いいかげん、言っておかなきゃならんと思っていた頃合いだ」
そう言ってカカシを引き止めた綱手は、サクラに労いの言葉をかけてシズネと共に退出させる。
これから、火影として言いにくい、もしくは余人に聞かせたくない話があるのだろう、とカカシも気を引き締めた。
けれど、綱手が切り出したのは想定外ではあったけれど、予想はしていた内容である。
「カカシ。お前、イルカと何かあったのか?」
「……いえ、なにも……」
ただこれまであった交友を一方的に何も告げずに遮断してしまったから、このような状況になっているのだ、とも言えずにカカシは気まず気に視線を彷徨わせた。
「なんにせよ、ナルトが里に戻る前にこの雰囲気をなんとかしてくれ。意外と聡いあいつの事だ。お前たちがそんなんだと、気にして首を突っ込んでくるぞ」
「……分かってますよ、言われなくても……」
我ながら、不貞腐れた子供のような返答だなと思うが、カカシにはそう答えるしかできない。
どうすればいいかは分かっていても、いざとなるとそれができない自分に、途方にくれているのだ。
「ならいいがな……。まあ、お前の事だ。いざとなれば、どうにかするだろう。それにイルカも、子供の扱いには慣れているようだからな」
そんなカカシの内面も察しているのか、呆れ混じりのため息を吐きつつも容認するような事を綱手は言う。
ただ彼女が言う、イルカが扱いに慣れた子供という言葉に、含みを感じてしまうのも仕方がない。
「さて、と。アタシは今日中に目を通しておかねばならん書類があるのでな。例の報告は、手短にしてくれよ、カカシ」
「はっ」
けれど、詮索する前に執務室を訪れた本来の目的を振られ、結局この話しはここまでとなったのだった。
* * * * *
5代目に言われた通り簡潔に任務の報告を終え、カカシは帰宅すべく表通りへと向かう。
見上げた夜空には数日で満ちる月が煌々と輝いていた。
しかし真直ぐ帰宅するには早い時間にも思えたし、何より夕食をどうしようか、と考えを巡らせていると背後から耳慣れた声が掛かる。
「カカシさん?」
「……こんばんは、イルカ先生……」
今お帰りですか、と問いながら視線で互いの格好を確認してしまうのは、彼と度々夕食を共にするようになってついた癖だった。
通勤に使っている鞄を肩から掛けていれば帰宅中で、手に分厚い書類袋がないので持ち帰りの仕事などもないのだろう。
こういう時ならば、夕食に誘っても断られる確率が低いと経験上分かっている。
イルカの方もカカシの纏う空気から任務があるのか、それとも帰宅するところなのかを絶妙に察してくれていた。
「「どうです、これから夕食でも」」
だから、こんな風に誘いの言葉が重なる事もしばしばで。
イルカはきょとんと瞬きを、カカシははっと瞠目し、次の瞬間には噴き出していた。
久し振りで、ちょっと言葉にしにくい距離感が出来始めていたところだったのに、お互いが同じ言葉を同じタイミングで発したことに驚き、気恥ずかしくも嬉しさを感じて。
「ははは、喜んで」
「いえいえ、こちらこそ」
では、今夜はどこで。
嬉しい事があったので飲みたい気分なんですが。
オレもなんです。
だったら、あの店はどうでしょうか。
そんな会話をしながら連れ立って歩き出せば、のんびりと歩くカカシの歩調と、せかせかと歩を進めるイルカの歩幅は自然と釣り合っていく。
互いに気遣い合っているけれど、それが不思議と苦にならない。
妙に馬が合うというのはこういう事なのか、と度々カカシが感じていると彼は知っているだろうか。
商店の並ぶ通りの人混みですれ違う人々や、訪れた店の客たちのうち彼らを知る者が呆気にとられ、狐に摘まれたような顔で眺められても気にすることなく、カカシとイルカはここしばらくの断交など素知らぬ顔でその晩の酒食を楽しんだ。
* * * * *
流石に酩酊状態とまではいかないものの、気持ちよく酒に酔って腹も満たして店を出るまで、カカシはこれまでの不義理の理由を口にできなかった。
何しろ周囲には耳をそばだてた忍だらけなのだから、人目のある中で滅多な事は言えない。
けれどイルカも問いただすことはせず、ただいつものようにその日にあった喜ばしい出来事を分かち合うに止めた。
きっと彼もそういう気分だったのだろう、とありがたく思ったものの、夜が更けて人通りの絶えた通りをそれぞれの宿舎へ向けて歩き出した時、さすがにこれではいけないと思い始めた。
なにしろ近々最も気掛かりな教え子が里へ帰還する。
あの子供に、こんな気持ちのまま向き合っていたらきっと2人の間の蟠りを悟られてしまうだろう。
しかし、なんと言ったらいいのか、まだカカシにはイルカへ言うべき言葉が考えついていない。
「カカシさん」
隣をゆったりと歩いていたイルカが、ふいに月を見上げてそう呼びかけた。
まるで、月へ向かってそう呼ばわったように。
「なんだか最近、何かに悩まれているように思えたんですが」
それが気のせいではないと今夜で確信を得たらしく、イルカは告げる。
「アナタの悩みが俺なんかに解決できるとは思えません。だけど、他人に話すと気が楽になったり、視点が変わって解決策が見つかったりするでしょう?」
だから、話してみませんか、と。
その言葉に縋ってみてもいいか、とカカシは出来るだけ当たり障り無く、ここ最近の悩み事を話しだす。
「……夢をね、見るんですよ……」
昔の、懐かしい、不思議な、夢を。
「……別に辛い出来事でも、悲しかった想い出でもないんですけどねえ。……妙に、気になるっていうか、気にかかることがありまして……」
そのせいで、寝不足気味といいますか。
と、言い訳がましく笑うカカシへ、茶化すでも呆れるでもなく、イルカは静かに問う。
「夢、ですか……」
「……ええ……」
繁華街を抜けて住宅街へと抜ける小道の傍らには鬱蒼と茂る竹林があったことに、今更ながらカカシは気付く。
こんな月夜に、竹林だなんて、とため息を吐きかけた。
「そう言えば、よくとーちゃ……父が、話してくれた夢の話しを、最近になって思い出したんです」
竹林の一角にぽかりと開けた空間に月の光が楚々と射し込み、1本ひょろりと伸びた若竹を照らしていた。
その光景をぼんやりと見つめながら、イルカは話しだす。
「両親は子供を望んでいたんですが中々できなくて、年齢的に諦めかけた頃に母が月夜の竹林で月光みたいな色の髪をした男から、赤ん坊を預かる夢を見たって……」
それからしばらくして、オレが生まれたらしいんですけど。
「夢の中の赤ん坊とあんまり似ているものだから、ひどく驚いたとの同時に、きっとこの子は授かり物だから大事にしようって、2人で話したって……」
両親の話に出て来る、赤ん坊を託してくれた男の人が。
「……何故か、カカシさんに似ている気がして」
その言葉を最後までカカシは聞けなかった。
彼がどんな表情をしているのか、見られなかった。
全てを拒絶するように耳を塞ぎ、目を閉じて身を丸める。
罵られ、足蹴にされた方がよほど気が楽だ。
なのに彼は、泣き出した子供を宥めるように、そっとカカシを抱きしめるとリズム良く背中を叩くだけで何も言わない。
言ってくれない。
しばらくそうしているうちに激情が去り、虚脱したように顔を上げたカカシへ望月間近の月を背景に、彼は懐かしい笑顔で手を差し伸べてくる。
「さあ、帰りましょう」
縋るように彼の手を取ってしまったのはその手の温もりを知っているからか、それともずっと取り合ってきたなのかは分からない。
【了】
‡蛙女屋蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2014/07/17~2016/12/29
UP DATE:2016/12/30(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28