カカイル[短編]

【ホーム・スイート・ホーム】
   ~ Home Sweet Home ~



「イルカ先生~っ! 飯食わせてくれってばよーっ!!」

 休日の昼下がり、アカデミー時代の恩師であるうみのイルカ宅へ突撃したうずまきナルトを出迎えたのは、かなり真剣な表情で口元に右手の人差し指を立てたもう1人の恩師───はたけカカシであった。

「……なあ、カカシ先生。それってば、新しい印かなんかか?」

「……静かにしなってジェスチャーでしょうが、どう見ても。イルカ先生がお昼寝してんの」

「ふーん。じゃ、おっ邪魔しまーすっ」

「あ、コラッ。……はぁ、仕方ない……」

 遠慮なく上がり込むナルトを台所の一隅に据えられた2人掛けの食卓に座らせ、カカシは水を張った小鍋を火にかけると冷蔵庫から食材を見繕い、軽快に野菜を刻み始める。
 
「せんせー。オレってばー、野菜嫌いなんだけどー」

 などという子供じみた訴えは無視して、逆に問い返す。

「お前こそ、どーした?」

 以前こそ月に一度はイルカにラーメンを奢って貰っていたナルトだが、先日晴れて日向ヒナタと所帯を持ったばかりだ。

 木ノ葉隠れの里で随一の名家とされる日向家のお嬢様ながら、アカデミーの頃から一途にナルトを想ってきたヒナタは日々の家事も楽しそうに取り仕切っている。
 なので休日の昼時に愛する旦那様に食事も用意せずにいるとは思えない。

「ヒナタは日向家の集まりで朝から実家ー」

「で?」

「たまにはイルカ先生と飯食おうと思ってー」

 なるほど、朝早くからの招集に一応気を使ったナルトはラーメン屋にでも行くからと用意をさせずに奥さんを実家へ送り出したらしい。

「……そこでイルカ先生にたかりに来るのがお前らしいね……」

「そっかぁ? でさー、カカシ先生? イルカ先生、昼寝って?」

「お疲れなのよ。……半分は、お前のせい、とも言えるがな……」
 
 第4次忍界大戦で活躍したナルトらをアカデミー時代に担当したイルカは教え子達が英雄として語られるにつれ、各隠れ里の育成に関わる者達の間で知名度と評価が飛躍的に上がっている。
 最近では通常のアカデミー業務の合間に他の里の教育関係者と意見交換をしたり、長期休暇には請われて他の里へ視察に出向いたりしていた。

 そういう意味で、イルカが忙しいのはナルトの影響だとカカシは告げる。
 だが、元教え子が言及したのはそれではない。

「もう半分って?」

「ま、オレのせーだぁねーぇ」

 少しも悪びれず愉快そうに笑うカカシへ、ナルトは無言のまま蔑みの目を向ける。
 何があってお疲れなのか、分かってしまう年齢となった事が恨めしい。

 そんな会話の間もカカシの手は動きを止めず、小鍋に沸いた湯に千切りした数種の野菜をどっさりと投入し、冷凍保存してあった餃子と中華スープの素を入れて煮立たせた。
 並行して大きめのフライパンでみじん切りにした野菜とベーコンを炒め出す。

「おー。カカシ先生、料理できたんか」

「当たり前デショ」

 言葉通り、手慣れた様子でフライパンに溶き玉子を流し入れ、すかさずご飯も追加すると軽やかにフライパンを振って煽り炒めにする。
 ものの数分でナルトの前に大皿に山盛りのチャーハンと具沢山なスープが並んだ。

「いっただっきまーっ!」

「ハーイ、召し上がれー」

 見る間にチャーハンを消費していくナルトの食べっぷりにややげんなりとしながら、カカシは冷蔵庫で冷やしていた麦茶を2杯注いで食卓に置く。

「なあ、ナルト」

「んー? うんはっへはよ?」

「食いながらでいい、聞け。これはかつての上忍師でも火影としてでもなく、1人の男としての助言だ」

「……はに?……」

 厳しい任務の最中ですら滅多に聞けない、真摯な声音でカカシはナルトに告げる。

「家事は分担しろよ」

「……は?」

「最初から全部やれとは言わない。まずは手伝いからでいいから、あらかた出来るようになっておけ」

「えっとー、カカシ先生?……」

「ちなみにオレは、久々に里外の任務からお疲れで戻ったイルカ先生におかえりなさいより先に風呂から濡れたまま顔出して着替えどこか聞くついでに夕飯リクエストしたらパンイチで放り出されました」
 
 小雪のチラつく寒い冬の夜でした、と遠い目で語るカカシにナルトはかける言葉がない。
 だって自業自得だと思うけれど、自分だってやり兼ねない気がするのだ。

 流石にあのヒナタがイルカのように怒りに任せて家から叩き出すなんて事はしないだろう。
 むしろ内に溜め込んで自分が悪いのではと影で泣くかもしれない。
 そんな姿は見たくないし、させるつもりで結婚したわけでないのに。

「お互い好きあって家族になったんだからさ、家事も分け合いなさいってこと。分かった?」

「お、おう」

 話している間に山盛りだったチャーハンも苦手な野菜のスープもすっかり胃に収め、スプーンを置いたナルトは勢い良く両手を合わせる。

「ごちそーさん! あんがとな、カカシ先生」

「お粗末様でしたー。……お?」

「ん? ……あ、」

 カカシの目線が自分の背後に向いたのを追って振り向いたナルトは、硝子戸を引き開けて姿を表したイルカに気づく。
 勝手に上がり込んでいるのはいつものことだが、挨拶はしなければ相変わらず威力十分なゲンコツが落とされるので咄嗟に口を開く。
 けれど、見慣れない姿にあんぐりと口を開けたままになる。
 
「……イルカ、先生?……」

「……ん? ああ、来てたのか、ナルト……」

 普段はきっちりと結い上げていた髪を下ろしているイルカなど10年を越える付き合いの中で初めて目にした。

 服装はベストや額当てをしていないだけでいつもと変わらないのに、髪を下ろして気怠い空気をまとったイルカは何故か目のやり場に困る。
 落ち着きなく視線を彷徨わせるうち、思考は散漫になっていく。
 そういやカカシ先生の素顔もまだ見たことないってばよ、でもお茶は飲んでたよな、あれってばどうやって。

 そんな事を無意識に呟いている間に、席を立ったカカシはイルカに寄り添っている。

「おはよ、イルカ。もうお八つ時だよ、なんか食べる?」

「……いえ。顔、洗ってきます……」

 労わるように肩に触れて見たことない程柔らかく微笑んだカカシと、その手に安堵の笑みを返すイルカ。

 たったそれだけの触れ合いでしかないのに、間近で見せつけられたナルトは辟易とした。
 イルカがふらりと洗面所へ消えてもなお、まるで我愛羅の術を砂糖で食らったと言うか、身体中に細かい粒子が纏わり付いているようなべたべたした甘さとざりざりとした感覚が残る。

 ただ、どういう訳だか切なく、同時に胸の辺りが暖かくなった気もした。

「……なあ、カカシ先生……」

「なあに?」

「……とーちゃんとかーちゃんもさ、先生たちみたくイチャイチャしてたか?……」

 ナルトは両親の顔も名前も知らないまま育った。
 数年前に終結した戦争の際に運良く遺された両親の想いに触れ、2人の馴れ初めや自分の生まれた日の出来事をようやく知る機会を得られたのは僥倖だろう。
 それまでのナルトは恩師のイルカや仲間のサスケに家族の繋がりを重ねているだけだった。

 そしてカカシはナルトの父親とは師弟関係にあり、当時あの夫婦と一番間近で接していた1人である。

「……うん。ま、もっとおおっぴらだった、かな……」

 返す言葉に苦笑が混じるのは仕方がない。

 カカシはあの先生ほど邪気なくスマートに振る舞えないし、彼女より甘え下手なイルカが人前でどうこうなんてあり得ない話だ。
 人目のない自宅で気を抜いた───今のように寝起きだとかかなり深酒した時くらいしか、教え子たちにさえ2人のそんな姿は見せていない。
 
 それでも垣間見た姿が思い出と重なるなら、多少は見せつけるのも構わないとカカシは思っている。
 後で我に返ったイルカの羞恥と自己嫌悪混じりの恨み言だって受け止めてやれば、逆に甘やかす理由にもなるだろうし。

「……そっか」

 なにより、懐かしそうに笑うナルトの男っぽく成長した顔が見られたのだから。

「おい、ナルト。お前、晩飯食ってくのか?」

 洗面所から聞こえていた水音がやんでしばらく、顔を出したのは先程までの空気を払拭し、髪も結い上げたいつもと変わりないイルカだった。
 そのうえ、開口一番、飯の話。

「イルカ先生。オレ、今、昼飯食ったとこだってばよー」

「こんな時間にウチに飯食いに来たって事はヒナタいねえんだろ?」

 だからどうするか聞いてんだ、と続けながらイルカはカカシの使っていたグラスに麦茶を注ぎ足して一気に飲み干す。

 ナルトの前に出されたままの食器から状況を把握したのだろうが、忍者としての推量というより母親っぽく感じる。
 何を言うでもなく、自然な流れで空いた食器を流しに運んで洗い物を始めるせいだろうか。

「あー、夕方にヒナタ迎えに行くけど?」
 
「今夜は鍋すっから、ヒナタ迎えに行ったらまた戻ってこい」

 水の国から魚が届いたんだ、と笑って冷蔵庫の隣に積まれたトロ箱を指す。
 送り主は先日視察に来ていた霧隠れのアカデミー教師一同で、中身は腹の膨れた大きな真鱈が2尾。
 グロテスクな見た目としょっぱい気持ちになる名前はともかく、今の時期なら脂も乗って腹子も白子も楽しめるだろう。

「マジ? あ、締めは絶対ラーメンな!」

「……お前ねえ……」

 お呼ばれなのに図々しくも締めのリクエストをして来る部下に、カカシは溜め息を吐くだけだ。
 授業と無関係な所では教え子に甘いイルカなら当然、その要求に応えてしまうのが分かっている。

 それでも、家族を知らないまま育ったナルトが今や家庭を持つまでになって、ただの師弟でしかない自分たちと家族のように過ごす時を楽しんでいるなら、それでいい。

 そう考える自分も、彼に負けず劣らず、この手のかかった教え子には甘いなと自嘲して。



 【了】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2014/12/18
UP DATE:2014/12/20(mobile)RE UP DATE:2024/07/28
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