カカイル[短編]

【LDK】
   ~ Love Dxxx Kitchen ~



「……ソラニン、か」

 単身者用の狭い台所でとろとろと煮え立つ鍋を見ながら、借りた本のページを繰って物騒な言葉を呟いたイルカは思考を巡らせる。

───あの人に効く毒が、あるだろうか

 殺したい訳ではない。
 ただ純粋な知的好奇心と野次馬根性混じりの興味が止められなかった。

 読んでいるのは知人に薦められて───というか、半ば押し付けられるように借りた恋愛小説。
 登場するのは1組の夫婦と、それぞれの浮気相手。
 甘く気恥ずかしい恋愛描写は殆どなく、夫婦が浮気相手越しにお互いに向ける感情───それは愛情より執着と呼ぶべき物であるように読み取れる───を淡々と描いていて、薦めてくれた人の言葉通り「サスペンススリラーかサイコホラー」という分類でもいいくらい、生々しく読後感がよろしくない。

 なにしろ妻は夫に宣言している。
 浮気をしたなら、あなたを殺してわたしも死ぬわ、と。
 それ程までの情熱を抱いていながら、彼女自身はなんの罪悪感もなく別の男と寝ている。

───女性は怖い、な

 とりあえず、男の身ではとてもこの話をラブストーリーとは受け取れない。
 言われた通り、怪奇小説かなんかだと思わなければ読み進むのも戸惑ってしまう。

 だって、この物語の妻が台所で料理をしながら思うのは、毒のことだ。
 愛する夫と心中する為に。

 ジャガイモの芽に含まれるソラニン。
 そんな身近で手に入る植物毒を、美味しくいっぱい食べさせるレシピを考えている。
 ジャガイモは茹でたり焼いたり揚げたり色々な料理で使う。
 皮だって、揚げ焼きや炒め煮にして食べられる。
 毒性の強い芽だけを集めて、甘辛い佃煮にだって。

 美味しいかもしれない、と思ってしまい、痛感する。

「本当に、怖いよなぁ」

 信頼してる人間の作る料理に、愛情と殺意。
 どちらが隠し味なのか。
 愛しているから、殺してしまいたい。
 そんな気持ちが、分からなくもない。

「……なんて」

 なんという、自分勝手な愛情か。
 それほど執着するなら、もっと2人で楽しく生きることを考えればいいのに。
 そう思うけれど、ダメだ。

 なにより彼らは独りで過ごすことを楽しみとしている。
 そんな2人が夫婦としてやっていこうと思っても、無理だろう。
 どちらかが折れ、相手に沿わなければどこまで行っても交わることがない。
 まるで平行線のような。

「平行線、か……」

 似ているけれど、重なる所のない相手。
 その姿が思い浮かんで、口の中が苦くなる。

「……分かってるさ。そんなこと」

 栞も挟まず閉じた本を食卓に伏せて立ち上がったイルカはコンロの火を消し、流しに置いた笊へ煮えた鍋の中身を開けた。
 ほろほろと煮崩れる寸前まで茹で上がった賽の目切りのジャガイモとニンジンの中から殻付きの玉子を菜箸とお玉で鍋に戻し、流水に浸してあら熱を取っていく。
 ある程度冷えた玉子を水の中でかち合わせて殻全体に細かいヒビを入ると、殻はつるりと剥けた。
 ボウルに茹でたジャガイモとニンジンを移して塩胡椒を振り、塩揉みしておいた玉ねぎとキュウリのスライスと8つに割ったゆで卵、水切りしたヨーグルトを加えて混ぜ合わせる。

 夕食はこのポテトサラダにナスの味噌汁を温め、先日貰ったサンマの干物を焼けばいい。
 ナスやキュウリの残りは浅漬けにしてあるし、飯もそろそろ炊き上がる。
 晩酌用に買い溜めしたビールも程よく冷えているはずだ。

 洗い物を終えて手を拭き、食卓に戻ったイルカは伏せていた本の続きに目を落とす。

 物語は差したる起伏もこれという波乱もなく日常のまま、けれどどこか不安定に揺れながら終盤に差し掛かっていた。
 妻は若い恋人を捨て、夫は秘密を持ち続けることを選ぶ。
 お互い、これからも夫婦としてやっていく為に。
 そこへ投げ込まれるのは、ソラニンより強い毒性を持つ毒草のトリカブト。

 山菜として食べられるモミジガサや、観賞用に親しまれるニリンソウと間違う事故も多いけれど、生薬としても利用されている植物だ。
 どれくらいなら薬効があり、死に至るのか、アカデミーで教鞭を取るイルカには知識がある。

 だから、知っている。
 毒と薬は同じものだ、と。
 体質にもよるけれど、無害な物もしくは良い作用を持つ物、人にとって欠かせない物。
 そのどれもが、ある一定の量を越えた時は毒となる。
 不足すれば命に関わる水や塩、酸素だって、過剰に摂取すれば害になるのだ。

 だから、きっと、と考えてしまう。
 あの男と自分を死にたらしめる毒が存在すると。
 それを手にしたら。

「……なんて」

「どーかしましたー?」

 不意にかかる声に驚くこともなくイルカは顔を上げ、しかし思いの外近く───背後にその人の存在を感じて息を呑んだ。
 ここまで近付かれても、気づけなかったことに、舌打ちしたくなる。
 いや、互いの実力差を鑑みれば、仕方ないけれど、でも。

「いらっしゃい、カカシさん」

「ただいま、イルカ先生」

 振り返って出迎えるイルカの手元を覗き込んで、カカシはまるで家人のように言う。
 ここはイルカが借りている単身者用の集合住宅で、カカシの自宅は別にあるのに。

「珍しいですね。先生が小説なんて」

 イルカが読むのは殆どが教育関係の実用書か学術書で、小説の類いは殆ど読んでこなかった。
 元々は落ちこぼれとされる子供であったから、大人になるにつれて必要な知識を獲るのに必死だったから読書を余暇の楽しみにできなかったのだろう。
 
 一方でカカシは成年指定の通俗小説を愛読書としているけれど、普通の娯楽作品も実用書や学術書も手広く読んでいる。
 しかもその内容も殆ど覚えているのか、彼の知識の豊富さは折々の会話の端々でうかがえた。

「しかも、恋愛小説?」

「知人に薦められて。たまには、いいかなと」

 最後の数ページを残して本を閉じ、イルカは立ち上がろうとした。
 けれど、カカシが背後から覆い被さっているので、椅子を引くこともできない。

「カカシさん、夕食」

「ね、イルカ先生」

 イルカの言葉を遮って殆ど体格も変わらない身を抱き込み、カカシは歌うように囁いた。

「オレの食事にどんな毒を入れたの?」

「さあ」

 空惚けて笑うイルカの頬を撫でる手には、いつの間にか手甲はない。
 素手で触れられる事にも慣れた。
 目を閉じて、受け入れる。

「効けば、分かるんじゃないですか?」

「そーですね」

 ふ、と笑みとも溜め息とも取れる息を吐き出す。
 その瞬間、唇が触れ合った。
 目を開ければ、鼻先が触れ合う距離でカカシが笑っている。

「じゃ、一緒に食べましょーか」

「用意しますから、手を洗ってきてください」

「はーい」

 離れていったカカシに続いて立ち上がり、手にしていた本を閉じて食卓の脇に寄せ、冷蔵庫を開けた。
 貰い物のサンマを取り出し、火を付けたグリルに並べて焼く。
 味噌汁を温め始めたところで、仕掛けておいた炊飯器が炊き上がりを告げた。

「カカシさん、ビール飲みますか?」

「飲みますよー」

 洗面所から出てきたカカシは普段隠している素顔を晒し、嬉しそうに答える。
 自分で食器棚からグラスを出しているから冷蔵庫から冷えたビールと浅漬けを出し、ボウルから小鉢にポテトサラダを取り分けて食卓へ運ぶ。

「魚焼けるまで、摘んでてください」

 カカシ用の箸を出して最初の1杯だけは注いでやり、イルカはコンロの火加減を調整し、炊き上がった飯を切り混ぜた。
 カカシも遠慮せず、注がれたビールを一息に干して浅漬けを摘んでいる。
 ナスばかり減っているのは、好物から食べる癖がついているせいだと知り合ったばかりの頃に聞いた。
 いつ、食事が取れるか分からない生活が長かったから、と笑って。

「お。このポテトサラダ、マヨネーズじゃないんですね?」

「その本を勧めてくれた人に教わって、ヨーグルトで合えたんです」
 
「へえ。油のしつこさはないのにコクはあるし、酸味もまろやかで美味しいですよ」

「それはなにより」

 味噌汁をお椀によそい、飯を茶碗につけている間に魚の焼ける香ばしい匂いも漂ってくる。
 時間が経てば生臭さに変わるけれど、やはり脂の乗った魚は旨いものだ。
 グリルの火を消し、サンマを皿に盛って運べば、独り用の食卓が2人分の食事で溢れそうになる。
 どうにか工夫して独りの居場所に2人でいる象徴のようで、余計にこの光景が好ましいとイルカは思った。

「さ、食べましょうか」

「お先にいただいてますが、ね。ま、おひとつー」

 グラスにビールを注がれ、1口湿らすだけで箸を取る。
 最初に手をつけたのは、ポテトサラダ。
 味見は、そう言えばしてしなかった。

「あ、思ってたより合いますね」

「え? イルカ先生、味見してないの?」

「……忘れたんです」

 味噌汁をすすって、サンマに箸をつける。
 熱いうちに背と腹を押し挟んで骨と身を剥がし、一気に解体するのがイルカが両親から教わった食べ方だ。
 いつの間にかカカシも真似をするようになり、2人の皿には綺麗に身と骨に分かれたサンマがいる。
 
 不意におかしくなり、イルカはくつりと笑った。

「やーらしいなぁ。思い出し笑いなんかしちゃってー」

「違いますよ。カカシさんが魚の食べ方、いつの間にかオレを真似してるから」

 カカシの揶揄に照れることなく、イルカは悪ぶった言い方で言葉を続けた。

「なんだか、あなたを侵蝕した気になって」

「ま、事実そーでしょ?」

 サンマを解しつつ、カカシも口端を吊り上げて悪辣な表情をしてみせる。

「手料理は愛の毒、ですからね」

 愛情も与え過ぎれば毒となるということか。
 カカシが鋭敏な感覚で嗅ぎ分けて避けることはできないし、どんな耐性を持っていても効くだろう。
 日々の何気ない食事や行為、会話にだって含まれているのだ。
 トリカブトをおひたしや天ぷらや炊き込みご飯に工夫するより、ずっと手軽。
 なのに、もっと質が悪い。

 イルカは泡の消えたビールを安堵感と一緒に飲み干した。



 【了】
‡蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2014/04/12
UP DATE:2014/04/12(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
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