カカイル[短編]

【最後の砦】
   ~ nartic boy 2nd Anniversary ~



 最後の砦。
 そう、呼ばれる男がいる。

 始まりは、昔から伝統のように行なわれていた、くのいちのお遊び。

 里に常駐する若い中忍たちを片っ端から獲って食い、その数を競うというものだ。

 くだらないとして加わらない者も多かったが、やはり殆どのくのいちがこれを経験する。

 理由は意地や興味、色々だ。

 容色も手管も術のうちとされるくのいち。
 また色香に迷ってはならぬのが忍び。

 そんな考えから、里の上層部にも黙認されてきていた。

 結果として、忍の数が増えることは里にとって悪いことではない。
 くのいちたちの矜持から生まれた優秀な者同士の子なら、なお。

 ただ近頃、このお遊びが変わり始めてきている。

 誰にも、絶対になびかない者がいるせいで。

 既に参加者の殆どが玉砕した中忍の名は、うみのイルカ。
 
 純情なふりをして近付けば気付かぬ素振りでかわし、あからさまに迫れば真面目にお断りをしてくれる。

 ただの朴念仁。
 多くはそう思い込んだ。

 けれど彼はアカデミー教師と任務受付を兼任し、3代目火影からの信頼も篤い優秀な男と言われている。

 それに、くのいちたちのお遊びは中忍たちにも知られているのだ。

 決して落ちないこの男が全てを分かって交わしているのだとしたら、相当な切れ者かもしれない。

 そんな誰も落とせなかった彼を手に入れれば箔がつくだろう。

 いまや極上のくのいちたちの標的はうみのイルカ1人に絞られている。

 だがやがて、上忍たちの間に1つの噂が流れだした。

 色々と変容してあちこちで似た話が聞かれはする。
 けれど突き詰めてみれば全て、うみのイルカは普通の女に興味がないというもの。

 あまりに多くのくのいちたちに迫られたせいで、女性不審なのだとか。
 幼い頃に親を亡くしたせいで、極度のマザコンなのだとか。
 アカデミー教師で子供たちに人気の彼は、実は幼女趣味なのだとか。
 他に少年趣味だとか、男じゃないとダメなのだとか、果ては3代目のお稚児だなんてものまである。
 
 そのどれもが的外れな憶測でしかなかった。

 だが、信じる者や妙な期待を抱く者は少なくない。

 ついには、お遊びの参加者はくのいちだけではなくなっていた。

 けれどイルカは、男女を問わず魅了する美貌の持ち主ではない。

 凛々しい顔立ちは表情豊かで、鼻筋を渡る傷も逆に愛嬌を加えているように見える。
 はっきりと男でしかない体格は、及第点を多少上回る程度だろう。

 振る舞いは親父臭いとアカデミーで受け持つ子供たちにからかわれもするが、受付で笑顔を振り撒く彼は人気があった。

 東奔西走するくのいちたちの影で、密かに彼への想いや欲情を募らせる男たちもいたわけである。

 だから噂に便乗し、こっそりとお遊びに参戦する者は多かった。

 けれど未だに、難攻不落の彼を攻略できた者はいない。

 故に、彼はいつしか『最後の砦』と呼ばれるようになったのだ。



   * * * * *



「……って、ワケだ」

 長い経緯をはしょりもせず、律儀に語り終えたアスマはため息と紫煙を一緒に深く深く吐き出した。

 こういう面倒くさいことはご免被りたい身上なのである。

 だが、里の常識を弁えてくれない同僚はきちんと諭してやるべきだとも思っていた。

 なにしろ相手は写輪眼のカカシ。

 彼の恥は上忍全体───いや、木ノ葉隠れの里の恥。

「お前は目立つからな。自重しやがれ」

 根元まで吸いきってしまったタバコを備え付け灰皿の縁へ押し付け、格子の隙間へ落とし込む。
 じゅ、と一瞬だけ水が蒸発する音が響き、上忍控室にニコチンが溶ける匂いが広がった。

「ねーえアスマー」

 視線も顔もあさっての方を向いたまま、カカシはぼつりと問いただす。

「それってさー、本気でアタックした奴とかって、いたの?」

「勿論、いたでしょうね」

 傍らから割って入った声に、アスマとカカシは視線だけを向ける。

「紅」

「イルカちゃんならお遊び抜きでお相手願いたい子、結構多いわ」

 自分の隣りに座ってしなやかに足を組み、余計な一言を付け加える紅にアスマは嫌そうな目を向ける。

 この美貌の上忍くのいちは、カカシをいぢめることを至福としているやっかいな女だ。

「そーゆー紅は? どーなの?」

「手強くてねえ」
 
 真偽はともかく、玉砕したと白状すればカカシは勝手に暴走気味の妄想を逞しくしてくれる。
 1人想像の世界に身悶えるカカシの姿は、紅以外にとっては不気味この上ない。

「そういうあんたはどうなのよ。告白、したの?」

「……できてたらこんな悩んでないデショ」

「あら意外。見てるだけでいいってタイプだった?」

「そんなワケないデショ。オレだってもっとイルカ先生といちゃいちゃしたいのよっ」

 カカシが具体的な『イチャイチャ』について語りだす。

 こうなるとアスマは自分自身と、公共施設である上忍控え室利用者のために2人を御さねばならなかった。

「紅。もう、やめてやれ」

「これからが面白いのに」

 残念そうに微笑むが、遊び過ぎれば危険だと弁えている彼女はあっさりと引き下がる。

「そうそう。今日の受付、イルカちゃんだったわよ」

 そればかりか、目の前の不気味な妄想男を写輪眼のカカシへ立ち戻らせる言葉まで加えてくれた。

「わざわざ寄ったのか? 休養日だってのにご苦労だな」

 今日は3班とも、任務も鍛錬もない休養日。
 
 彼らが教導を任されている下忍たちとの任務がなければ、基本的に上忍師は受付に用はない。

 もしや、イルカに会えず悶々とするカカシをからかうネタでも仕入れに行ったかとアスマは思ったのだ。

「まさか。でも、いつもと受付近くの雰囲気が違うもの」

「確かに」

「やっぱ、イルカ先生の笑顔に迎えられると任務の疲れも吹き飛ぶよね~」

 カカシの言葉に頷きながら、紅とアスマは下忍との任務でどう疲れるんだと密かにつっこむ。
 いや、元気なだけの子供相手では気苦労は耐えないが、それは任務疲れとは別だ。

「で? 今日はどうするの?」

「あー。こないだオレ1人だったし、できたら」

「じゃ、今夜は私が声かけるから、アンタたちは途中で合流なさい」

「うん。頼むね」

「オレもかよ」

「当然でしょう。あくまでも、上忍師が元担任に子供たちの様子を聞こうってことにしてるんだから」

 たまにはアスマも顔だしなさい。

「ったく、めんどくせえ」

 そうは言っても、アスマがこないということはないだろう。

 彼なりに、イルカのことは気に入っているのだ。

 もちろん、カカシとは全然違う意味で、だが。

 そしてそれは紅も同様。

 実はアスマと紅の2人は、イルカに関わろうとする者たちを牽制してきたのだ。

 ただ、カカシだけは何故か───下手な牽制が通じる相手ではないからかもしれないが、からかいながらも関わりを認めている。

 もしかしたら、単にたかっていただけかもしれないけれど……。



   * * * * *



 その晩も紅の誘いをイルカは快く受け、2人は日暮れの頃にまだ人もまばらな酒場へと繰り出した。

 すぐに偶然を装ってカカシとアスマも合流し、4人の陣取る卓は瞬く間に空となった徳利が転がる。

 やがてすっかり日も落ちて酒場も混みだしてくると切り上げ時だ。

「そろそろ河岸を変えますか」

 カカシがそう切り出し、それぞれが財布に手を伸ばすのはいつものこと。

 ただ今日に限って代金を卓に置いて店を出た途端、アスマが空を見上げて呟いた。

「イルカ。悪いがオレたちはここまでだ」

「これからって時に無粋よねえ」

 頭上には上忍たちに召集を告げる忍鳥が旋回をしている。

「じゃあね、イルカ先生。今夜も楽しかったわ」

「こちらこそ」
 
 しかしそんな緊張感を微塵も滲ませずに紅は優雅に微笑み、アスマは新たなタバコに火をつけようとしている。

 そして、相当な量を飲んでいたはずの2人は酔った素振りもなく、駆け去ってしまった。

 同じように、周囲の店からも次々に上忍たちが飛び出している。

 控え室や火影の執務室のある里の中枢ではなく、大門へ向かっているのをみると、随分な非常事態かもしれない。

 当然、カカシも呼ばれているのだろうが、中々イルカのそばを離れずにいた。

 しばらく困った風にぼうっと立ち尽くすカカシを眺めた後、イルカはいつもの受付での表情を見せた。

「カカシさんも、お気をつけて」

「行って来ます」

 その言葉を待っていたのだろう。
 にこりと右目をたわめてカカシも応える。

 離れ際、2人は親しげに何事かささやき合い、カカシは瞬身で姿を消した。

 繁華街は先程までの賑わいから急に静まり返っている。
 ネオンの眩しさが淋しく感じる通りを1人、イルカは帰途についた。

 けれど灯りの途切れた路地でふいに足を止め、ぐるりと周囲を見渡しながら呟く。

「……そろそろ、オレも行かないとな」
 
 召集されてはいない中忍のイルカもまた、暗闇に溶けるようにその場を後にした。



   * * * * *



 この夜の襲撃者は異様だった。

 数、陣容、時間。
 どれをとっても、記録にもセオリーにもない。

 故に、狙いも把握できず、木ノ葉隠れの里では後手後手の対応になってしまう。

 こういった時、最も頼りになるのは前線に立つ、経験豊富な忍だ。

 カカシはまだ若いが、中忍になってから既に20年以上。
 それも、3代目や4代目、伝説の三忍や自身の父といった才長けた忍のそばで積んだものだ。

 元々の素質や努力に加え、そういった経験によって養われた彼の能力は人々から天才と呼ばれてしまう程にずば抜けている。

 そしてカカシは他人から見える自分自身をも良く分かっていた。

 カカシの姿を見れば味方は奮起し、敵は浮き足立つか狙ってくる。
 そこを後詰の隊が突くのは容易だった。

 救応の隊として最も押されている部隊へ駆けつけ、敵戦力を半減させると適確な助言を残して転戦することを繰り返した。

「随分と張り切ってやがるなあ」

「というより、アレは八つ当たりね」

 後詰として彼とともに移動と戦闘を繰り返すアスマと紅は、鬼神の如きカカシの奮闘振りをそう評した。

 この非常時に随分と余裕の会話だが多分、間違いではないだろう。

 しかし、いくら彼らでも里を取り囲んだ敵を一隊で応対できるわけではない。

 徐々にだが、綻びは確実に出始めていた。

「西南の部隊が押し切られてるってよっ」

 次々に入る戦況をその場で見極め、カカシは即座に駆けつける。

 けれど、現在地からでは遠すぎる上に、途中でも数度の戦闘を経なければならない。

「……間に、合わなかった、か……」

 ようやくたどり着いた彼らの眼前には、累々と横たわる人の姿が幾つもあった。

 一瞬、仲間たちかと思ったが、そうではない。

 見慣れぬ装備の、敵忍だった。
 里の者の姿は、見当たらない。

「どうなってやがんだ、一体……」

 不思議そうに周囲を探るアスマや紅はカカシの様子が常と違うことに気付く。

 きょろきょろと辺りを見回す姿は探索をしているというより、挙動不審。

 なにやらブツブツと呟いている言葉に耳を澄ませば、どうしよう、怒られる。
 
「どうした、カカシ」

「や。なんでも。や、アスマ。ヤバイかもよ……」

「何か、知ってるの?」

「知ってるっていうか……」

 ここでカカシは意外な言葉を口にした。

「あんたら、《最後の砦》って知ってる?」

「イルカのことなら、オレが話してやっただろ」

「そうじゃなくって、もっと昔っから里ってゆーか、前線の忍に伝わる話なんだけどね」

「いや、聞いたことはねえな」

「私もよ」

「……オレも、ガキの頃に聞いたんだけどね」

 それは、木ノ葉隠れの里を守る者の名だという。

 いざという時、最後まで里を守る。

 多くの者は彼の役目を軽んじる。
 後方待機なんて気楽なものだと。

 けれど、彼の後ろにはもう、守られる者しかいない。

 彼が倒されれば、全てが終わる。
最後の砦に退路はなく、負けることも死ぬことも許されない。

 そんな状況で戦い抜ける能力と強靭さを持つ者。

「それが、《最後の砦》、ねえ……」

 アスマと紅も言われてみれば子供の頃に聞き覚えがあるような気はした。

 正確なことを思い出せないのは、おとぎ話のようなものだと思っていたせいかもしれない。
 
「で? その《最後の砦》様の仕業だ、ってアンタは言いたいの?」

「そ。じゃ、そろそろ次、行きましょーか」

 また先越されたら、今度こそ何言われるか分からないし。

 口布の中で呟きながら、カカシは2人を置き去りにする。

「おい。こら。待ちやがれっ」

 慌てて後を追いながら、アスマが説教じみたことを言う。

「お前1人でなんとかしようなんって思い上がるんじゃねえぞ」

「張り切りすぎてチャクラ切れ起こしたって、知らないわよー」

 紅の心配ではなく、ちゃかしでしかない言葉はカカシに届いていなかった。



   * * * * *



 まだ中忍になりたての頃に、カカシは彼に出会った。

 たいした任務ではなかったが、今よりずっと厳しい大戦中の事。
 中忍とはいえ、まだアカデミーに通うような子供だったことも災いした。

 怪我をして部隊から逸れ、1人里へ向かうカカシに敵の斥候が襲い掛かってきた。

 相手は3人。
 応戦はしたが、体格も経験も違いすぎた。

 その時カカシを救ったのは、自分よりも幼い子供だった。
 
 それからもカカシはその子供に何度か窮地を救われ、いつしか好意さえ抱くようになっていったのである。

 自分の気持ちに気付いてからはわざと彼に救われるようなマネをした。

 これがバレて呆れられたりもしたが、幸せなことにいつしか互いの思いは通じるようになっていった。

 その子供こそ正真正銘、木ノ葉の里の《最後の砦》。

 けれど、その正体を知る者は少ない。



 【了】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2006/10/13
UP DATE:2007/02/13(PC)
   2009/11/12(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
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