天使のような悪魔

【1:召喚OTL(乙)】
   ~ Devel like Angel ~
[天使のような悪魔]



 ドアを開けると同時に、カカシはばたりと倒れこんだ。

 まさしく、OTLという形に。

 履き古した靴の並んだ狭い三和土(たたき)に膝をつき、ろくに掃除もしていない床に顔ごと上半身を伏せている。

 使い込まれたザックを背負ったままの背は震え、涙は分厚いレンズの眼鏡を伝ってとめどなく溢れるにまかせていた。

「……ぐずっ、ひ、酷っいよなぇ……あ、あんなこと、言わなくたって……」

 鼻を啜り、よれよれのネルシャツの袖を噛み締めながら、誰もいない暗い部屋に喘ぐような泣き声が漏れる。

「あ、あっちから、ずっ、付き合って、くれって、ひっ、言ってきた、くせにっ」

 抱え込んだビニールコーティングされた紙袋へ訴えるように、嘆きは続く。

「なにがっ、つまんない男だよっ、どうせ、オレの顔と眼鏡だけしか、見てなかった、くせに」

 お前らみたいなミーハー、こっちからお断りだ。

 そんな風な言葉を口の中で吐き捨て、器用に両足を擦り合わせて靴を脱ぎ落とした。

「ちくしょうっ、ちくしょうっ、あの女どもっ」

 紙袋は抱えたまま、片手と両足を使って部屋の奥へと這っていく。

 時々、涙に濡れてズレ落ちる眼鏡を押し上げながら。

「なんで、オレが、お前らの言いなりになんなきゃいけないんだよっ」

 たどり着いた机の前で手を伸ばし、電源をいれた。

 いくつもの起動音が響き、電源光が瞬く。

 カカシには、どこかで今日受けた仕打ちを書き込んでやろうという気持ちがあった。

 叩かれるかもしれないが、話を聞いて慰めてくれる人もいる可能性だってある。

 あの女どものメアドとシャメを性質の悪い出会い系サイトに貼り付けてしまおう。

 そんな考えさえ抱いていた。

 良くも悪くも、彼が素直に自分を主張できるのはパソコン越しでしかない。

 やがて、17インチの液晶モニターにいつもの画面が立ち上がる。

 鼻を鳴らしながら、メールのアイコンをクリックした。

 63件のうち、59件はスパム。そのままゴミ箱行きだ。

 残りの3件は購読してるメルマガとリマインダ。
 無邪気に『デート♡』と題されたそれは当然、削除。

 最後の1件は、最近メル友になった男から。
 よく、不思議なサイトを見つけてはそのURLだけを送ってくる。

 何度か気持ちの悪い思いもしたが、そのコトを返信すれば2度と嫌う系統は紹介してこないことが気に入っていた。

 今夜は、どこか様子が違う。

「……深夜0時ちょうどにアクセスしろ? 珍しいな、メッセージつきなんて」

 さっきまで高揚していた気持ちも泣いていた身体も落ち着きを取り戻し、男の視線は画面の隅で動くアナログ表示の時計をかすめる。

 11時59分。

 考える間もなく、手首がマウスを───カーソルをURLに合わせ、クリックしていた。

「……なんだ、コレ……」

 表示された画面は、不気味な漆黒。

 一瞬、角のある獣の頭骨が見えた気がした。

 だが、それよりも中央に現れた一文に、釘付けとなる。

「あなたの、悩み、晴らしますぅ?……」

 文の真下には、悩みの内容を書けと言わんばかりの白いテキストフォームがぱくりと口を開けている。

 さらにその下には、送信ボタンまであった。

「……なんなんだよ、コレ……」

 しばし、じっと眺めていたが、ふと先程までの憤りが蘇ったのか、一気に悩みを打ち上げていた。

『女なんか、嫌いだ』

 そう、呟き、震える指先がマウスをクリックする。

「へえ。じゃあ、どうしましょうか?」

 突然の他人の声に、振り返る。

「こんばんは。悪魔です」

 そういって爽やかに笑う、黒服の男が立っていた。

「普通、男性のとこにはサキュバスが来るんですけどね。あなたは女性が苦手だってことで、特別にオレが派遣されました」

 まるで執事かホスト。

 黒いスーツにダークカラーのシャツ。

 ボタンやカフスは黒いが、赤く煌く石が1つ1つに使われている。
 まさか本物のルビーではないだろう。

 華やかに結ばれたネクタイも黒で、手袋も黒。
 長めの黒髪はうなじのあたりで黒いリボンがまとめている。

 だが、なにより男を特徴付けているのは、鼻筋を渡る一文字の傷痕。
 なにか鋭利なもので迷いなく引かれた一筋は、精悍な男の表情によく似合っていた。

 ぼうっと見惚れたように彼に魅入ってしまっていたが、カカシはあることに気付く。

「あんた、悪魔って、言った?」

「はい。悪魔ですよ、カカシさん」

 さらりととんでもないコトを肯定されて、頭を抱えた。
 これぞまさしくOTL状態、などと考えてしまう。

 けれど、そんな場合ではない。

「あんた、なんでオレの名前知ってんの? それに、どうやって入ってきた?」

「呼ばれましたので。オレたちは呼ばれれば、何処にでも行けますし、何でも分かるんですよ」

「そんな都合のいい話があってたまるかっ」

「そう言われましても、そうなっているんですから」

 暖簾に腕押し。
 糠に釘。

 そんなことわざが思い浮かぶ会話に、カカシは脱力感を覚えずにいられない。
 この分では、何を言っても悪魔だからとかわされるだろう。

「まあ、そんなに悩まれることはありませんよ。オレはあなたに、あなたの悩みを解消する為に呼ばれたんですから。事が終われば、帰ります」

 穏やかに説明してくれる涼やかで耳障りのいい声。
 なのに、どこか子供を宥めすかしている風に聞こえる。

 じとりと睨み、カカシは僻みっぽい声を出した。

「……オレは、あんたなんか呼んでない」

「いいえ。呼ばれましたよ。女が嫌いだって」

 書き込みしましたよね、と小首を傾げてモニターを指し示されれば、何も言えなくなる。
 確かにカカシは、あの得体のしれない画面に悩みを書き込んで送信した。

「だからって、なんで、よりにもよって悪魔なんか……」

 こんどこそカカシはがくりと膝をつき、文字通りOTLな状態に陥った。

 視界の端に、悪魔が黒服のように片膝をつくのが見えたが無視を決め込み、顔を反らす。

「とにかく、オレはあなたの悩みを解消するためにきたんですから、そんなに嫌わないでください」

 けれど、囁く声と優しく頬を撫でる手が心地よく、ついそちらを見てしまった。

 すごく近くに悪魔だという男の顔がある。
 いや、更に近付いていた。

「……んっ……」

 唇に何かが触れ、驚きに叫ぼうと開いた隙間に舌が入り込んでくる。
 キスされていると思い至った頃には、互いの舌が絡まりあっていた。

「ふぅっ」

 上あごを舐められるたびに、ぞくりと背筋が痺れるような感覚が走る。

 自分の舌を他人の舌が舐め、吸い上げる。それが思いのほか気持ちがいいのだと初めて知った。
 唾液を啜られる感触と音に脳が弾けたような衝撃を受け、そこから先、何が起こったのか分からなくなった。

 口付けから開放されても、カカシはまだキスの余韻の中にいる。

「これが契約の証。オレの名前はイルカです。よろしくお願いしますね、カカシさん」

 再び、そっと寄せられた唇は触れただけだ。
 けれど、その一瞬の柔らかな感触で一挙に現実へ引き戻される。

 今、自分は目の前の男に唇を奪われ、口腔内を蹂躙されたのだと。

「……ファッ」

───ファーストキスだったのにっ……

 叫びは心の中でだけ、響いた。

 イルカの人差し指1本が唇に押し当てられているだけなのに、声がでない。

「こんな夜中に、ご近所迷惑ですよ」

 にやりと今まで見せたことのない、影のある笑顔をイルカは浮かべていた。

 たが、清廉な印象ばかりだったこの男にその笑みは存外、似合っていることが恐ろしい。

「……この、悪魔っ」

「初めからそう言ってるじゃないですか」

 カカシの罵りに、しれっと答える表情は、最初に見せた人のよさげなものだったけれど。



 【続く】
‡蛙女屋蛙姑。@ iscreamman‡
WRITE:2006/03/25
UP DATE:2006/03/29(PC)
   2008/12/21(mobile)
RE UP DATE:2024/08/18
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