Golden Japanese Diarys

【15:culture 05】
〔文化 その5〕

   〜Golden Japanese Diarys〜
[Happily Ever After番外編]



───これは、居候たちが城戸邸での生活を始めて数日経った頃の話である。



 生まれ故郷や長く暮らしていた地を遠く離れ、日本という異国で暮らし始めた居候たちにとって、毎日が刺激的なカルチャーショックの連続だった。
まず、真っ先に驚愕したのが今後生活していく城戸邸の広大さであったが、それを別にしてもこの国は文化が独特である。

「便座が暖かかったり、温水でケツ洗えたり、無駄な機能のついた便所だと最初は笑ったんだがなぁ……」

 居候用として開放された本館のサロンの窓辺で愛用の煙草を咥え、デスマスク───日常においては非常に呼びにくい呼称であった故に、カニを意味する『カルキノス』という仮称をつけられたものの、この邸の人間は遠慮なく『カニ』と呼び、本人も受け入れている───男が、ボヤく。

「もう温水洗浄便座なしの生活には戻りたくねー」

 その嘆きを聞いている他の居候たちは、彼を笑ったりしない。
快適さを知ってしまった全員が、同じ気持ちだからだ。

 潤沢に湯を沸かして浸かる風呂も同様。
最初は無駄に水を使って、と眉を顰めた物だが、その日の疲れや気苦労をリセットするのに最適な物だと身を持って知った。
特に、風呂上がりに冷やした好みの飲み物を煽るあの爽快感。
テレビCMやドラマで「この一杯の為に生きてるー!」と叫ぶ台詞を、大袈裟なと笑っていたのに、今は共感しか覚えない。

 朝昼晩と熟練の料理人によって提供される質も量も申し分ない食事はどれも目新しく、頼めばいつでも用意される飲み物や軽食も種類は豊富で味も良い。
これは人を堕落させる罠なのか、と疑うほどに美味い食事でもてなされている。

「……ここは『楽園エリュシオン』か?……」

 思わず呟くサガへ、双子の弟であるカノンが訂正する。

「『冥界の最深部エリュシオン』なら我らが戦女神と勇敢な聖闘士たちでぶっ壊しただろうが」

「……そうか、そうだったな。だとすればここは楽園を超える聖なる地だろうか?」

 かつて戦女神の『聖域サンクチュアリ』を乗っ取ろうとし、失脚した男の妄言に付き合う者は居ない。
けれど、ある意味間違いではないとも思ってしまう。

 ここは戦女神と聖闘士たちが暮らす、『聖域サンクチュアリ』の飛び地なのだから。

「……そういやさ、邸に来て食った物で、何が今んとこ美味いと思ってる?」

 なんとなく話題を変えたくて、カノンは無難に食事の好みを尋ねてみた。
昔から知っている顔だが、話した事があるのはサガだけで他の居候連中とは初対面と変わらない。
これから数年は共に暮らすことになる以上、ある程度のコミュニケーションは必要であり、関係を強固にしておこうという腹だ。

「どれもこれも印象が強くてなあ。強いてあげれば、米の飯だ。最初は味気ない、と思ってたんだがよ」

 食に関しては一過言あるカニ(仮)が語る白飯の美味さに、聞いている居候らの喉が鳴る。
日本に来て、最初は身体が絶食状態だからと刺激の少ない少量の白湯だとか、温かい麦茶、重湯、微かに塩味のする白粥と段階を踏み、出された塩むすびとだし巻き玉子。
それを噛み締めた時の、何とも言えない充足感と満足感は忘れ難い。

「空腹は最上のソースって言うけどよ、普段の飯だって美味いだろ? 飯を食わせる為の味付けがされた主菜や副菜が何品も並んでてよ、それでも飯が主役なんだよ」

「確かに、白飯は美味い。だが、オレはうどんを押そう」

 カニ(仮)の熱弁にシュラが対抗してきた。

「塩むすびのあと、まだ物足りないオレたちへ時間を置いて澄んだスープの温かいうどんが出されただろう? オレはあのスープの味が忘れられない」

「おお、あの昆布出汁のスープな。あれも確かに美味かったな。あと、うどん。ぶっとい生パスタみてぇなもんかと思ったら、全然違ったな。スープを吸わせて柔らかく煮てあったが、しっかり物を食ってるって分かる食感でよ」

「確かにうどんは美味しかったが、太過ぎてフォークでは食べにくくなかったか?」

 シュラ以上の熱量でうどんも語るカニ(仮)へ、サガが口を挟んだ。
シュラは箸という東アジア圏で使われている独特なカトラリーを使いこなしているが、他の者はまだ覚束ない。
煮込まれて柔らかいうどんは箸では掴めないし、フォークでも掬うのが難しい、と。

「いや、最初は苦戦したが、慣れると楽な物だぞ。箸」

 既に園丁として働き始めているアフロディーテは、とっくに箸使いをマスターしたかのような口振りだ。
確か、数日前にうどんを食べていた時は、両手に箸を1本ずつ持って巻き込んで食べていたはずだが。

「庭仕事をしているとな、庭木や花に害虫が付いている物なんだが、道具箱からピンセット取り出すより、その辺に落ちている枝で挟み取れば効率が良い。最初は力加減に失敗していたが、やっているうちに使えるようになったんだ」

 あまり想像したくない状況だが、要は繰り返しの訓練の賜物、という事だ。

「オレも練習してみっかねぇ。厨房で仕事すんなら、和食の勉強も出来るだろうし」

 カニ(仮)もこの邸での仕事を料理人と決めている。
まず最初の目標として箸を使う事を目指してみようか、と独言た。

「だったら、一輝にコツ聞くといいぞ」

 まるで我が事のように、自信満々で講師を売り込むカノン。

「あいつ、ガキの頃からずっと弟の面倒見てきたから大体の事はこなすし、ちゃんと躾もしてきたから作法とかも詳しい。何より、人間を見てるからか、教えるのが上手いんだ」

 オレも一輝に箸使いのコツ聞いたからな、と付け加えられれば、信憑性も増す。
さすが『神を誑かした男』とまで言われるだけあり、話を聞いた人間をその気にさせる言葉運びが無駄に的確なのだろう。

「わ、私も一輝に教えを請おうと思うのだが……」

 未だにやりたい事も決められず、自室でうだうだしているばかりだったサガだ。
箸使いという些細な事であっても、やる気が出たのは良い事だろう。
居候たちはどこかホッとした表情でサガの選択を支持し、その決意が揺るがぬうちに頼みに行けとサガとカニ(仮)をサロンから引っ張り出した。



   ★ ☆ ★ ☆ ★



 勢いのまま兄弟達が寛ぐ居間に突撃した居候らだったが、用のある一輝はこれから通うことになる学校でどんなことに注意すべきかを兄弟たちと話し合っている最中。
当然の如く、手加減はされたものの、拳が振り下ろされた。

「……思い立ったら吉日、とも言う。分かった。引き受けよう」

 まず、大の大人が揃って突撃してきた事を叱り、次に頼み事をする相手の都合を聞かなかった事について釘を刺し、最後に居候らが暴走した理由を聞き出した一輝は数秒考えを巡らせると、箸使いの講師を引き受ける。

「ちょうど、こっちにも特訓させたい奴がいるしな……」

 一輝の右手が襟首を掴んだのは星矢であり、左手が呼び寄せたのは氷河だ。
星矢は元々、箸使いがなってなかったが、海外暮らしで感覚が狂ったのか、かなり酷い握り箸なので矯正したい。
氷河は日本に居た期間も短く、まだ慣れてないだけなので、練習する機会を与えたかった、と。

 自主的に教えを乞うサガ、カニ(仮)、氷河は神妙に、強制参加の星矢は半ば不貞腐れて、一輝の解説に耳を傾ける。

「まず、ペンを持つように、持ってみてくれ。そして自在に動かせるか、確認して欲しい」

 そう言って1膳の箸のうち、1本を親指と人差し指、中指で持つと、絵筆を動かすように上下左右に振ってみせる。
教えを受ける居候と兄弟も真似をして、全員が言われた通りの事が出来た。

「次に、もう1本を親指と人差し指の付け根で挟み、薬指で支えて固定する。こちらは動かさない」

 箸を持っていない方の手でもう1本の箸を親指の付け根に挟み込み、中指で固定して見せる。
これは不器用なサガが苦戦したが、兄の介g……いや、サポートに慣れたカノンが手と口を出す事で何とかこなせた。

「下は固定したまま、上を動かして物を挟んで掴み上げたり、切ったりするのが、箸の使い方だ。理解したか?」

 言われた通りに動かしてみれば、まだぎこちないが、箸の持ち方と使い方は理解できた。

「後は、慣れだな。塗り箸で炒り豆を皿から皿へ移動させる、なんて練習方法があるが。とりあえず手近な物を摘んだり、移動させたりを繰り返していればいい」

 そう言いながら、一輝は誰かが居間に忘れていった物をまとめて入れてある隅に置かれた箱から手にしていた箸でビー玉を摘み上げ、数歩だがそのまま歩いて教え子たちが見守るテーブルの上へと置いた。
思わず、見学していた兄弟や居候から感嘆の声が上がる。

「すっげー! オレもやる!」

 乗せられやすい末っ子がテーブルの上で静止しているビー玉に箸を伸ばすが、勢いが良すぎたのか摘む前にコロコロと逃げていく。
それを摘み上げたのはカニ(仮)だったが、元の位置に戻す前に滑り落ちたビー玉はバウンドし、テーブルから飛び出そうとした。
それは見かねたカノンが手でキャッチし、もう1度チャレンジしてみろと言わんばかりにテーブルの中央へ戻す。

 その後は星矢が箸を伸ばして転がしたビー玉をサガとカニ(仮)と氷河で受け止め、箸で摘んでセンターへ戻す、という流れが繰り返された。
時々、テーブルから飛び出そうとするビー玉は周囲を囲んだ見物の居候や兄弟の手によって下の位置へと戻される。
星矢は一向に上達が見えないものの、カニ(仮)が真っ先に箸だけて転がってきたビー玉を摘み上げて中央へ戻せるようになった。
次に氷河が続き、サガと星矢は延々とビー玉を転がしている。

「そろそろお茶の時間だ。今日はその辺にしておけ」

 結局、時間切れまで上達の兆しは見えず、それから数日は星矢とサガによるビー玉ラリーが続いたのだった。



 【続く】 
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡ 
WRITE:2024/10/18〜2024/10/19
UP DATE:2024/10/19
17/17ページ
スキ