Golden Japanese Diarys
【14:culture 04】
〜Golden Japanese Diarys〜
[Happily Ever After番外編]
───これは、居候たちが城戸邸での生活を始めたばかりの頃の話である。
見習い料理人として厨房で働き始めたものの、まだ調理を任せてもらえず下働きをしながら厨房全体の動きを見て人の顔と役割などを覚える段階であったデスマスク───否、一般人からは呼びにくい慣れ親しんだ呼称を捨てたカルキノス・フェラーロこと仮称カニは夕食前の最も忙しい時間ながら厨房を出て、この邸で暮らしている青銅聖闘士の10人兄弟たちが主に過ごす居間へと歩いていた。
別に、サボっている訳でも、厨房をお役御免になった訳でもない。
これは邸内を歩いて構造を覚え、主要な部屋へ料理を運んだ時の時間を体に叩き込み、実際に調理をする時にはその時差を考慮して仕上げる為のトレーニングである。
ついでに、料理を提供する家人らがどのタイミングで食堂へ集まるのかも確認しておけば、更にその時間も考慮しながら調理に取り掛かれるのだ。
チャランポランに見えて、カニ(仮)は存外に真面目な性質であった。
そんなカニ(仮)が居間の扉を開けたのとほぼ同時に、テレビから響いたのは女性の怒鳴り声での懐かしい母国語の下ネタである。
「は?」
一体何を観ているんだ、と訝しげにテレビ画面を見れば、和風の屋敷に住むとある家族のアニメーションが流れている。
そんなほのぼのとした画面とは裏腹に、メインキャラクターと思しき女性が弟らしき少年に向かってイタリア語で男性器を指す言葉を連呼しているのだ。
混乱するしかない。
「ん? どうした、デスマスク。何か用があるのか?」
来訪に気付いた紫龍に問われ、カニ(仮)は呆然とテレビ画面を指差しながら尋ね返す。
「一体、お前らはなんの番組を観てやがんだ? これが日本では子供向けの内容なのか?」
「これは、少し昔の一般的な家庭を描いたアニメ番組だ。もう長年放送されていて、日本国民ならほぼ知っている」
単にどんな番組なのかを尋ねられた、と解釈した紫龍は普通に答えるが、カニ(仮)は大混乱だ。
なにしろテレビ画面の向こうでは、イタリア語で男性器が連呼され続けている。
老若男女問わず、1人の少年に向かって。
「……おい、そろそろ飯の時間だ。テレビは切り上げて食堂へ移動を始めろ」
そこへ、精神的長兄である一輝が顔を出し、兄弟たちに声をかける。
どうやら兄弟たちの生活リズムは、彼によって社会に馴染むようコントロールされているようだ。
「……なぁ、にぃちゃんよ。日本じゃこんな番組が本当にガキ向けなのか?」
普段から生活の中で分からない事があればもっとも頼りになる存在へ、カニ(仮)は確認する。
できれば嘘だと言って欲しくて。
「ん? ……ああ、イタリア人には別の意味に取られるのか。この番組は昔から放送されている家族向けの番組だが、あんたが誤解するのも無理はない」
しばしテレビ画面を見やった一輝は思い至る。
日本語とイタリア語でとても発音が似ているのに全く別の物を指し、よりにもよって片方は男性器を意味する厄介な言葉がある事に。
「あんたには別の意味に聞こえてるんだろうが、そのキャラクターの名前は鰹 って意味だ。このアニメのキャラクターたちの名前は海にちなんだ物で統一されてる」
「……あー、なるほど。しかし、偶然とは言え、なんでこんな名前になるかねぇ……」
イタリア人が苦笑いするのも当然で、日本の国民的アニメに登場する少年のフルネームは、イタリア語話者には『私の名前は男性器です』としか認識できない。
ちゃんとしたイタリア語の文章になっているのだ。
下ネタだが。
「お前は笑ってるがな、お前たちがサロンで乾杯の時に交わしてる掛け声あるだろう。あれは日本人には、今あんたがあのキャラクターの名前に感じたのと同じ違和感を覚えるぞ」
「はぁっ!?」
一輝の指摘した言葉は、ガラスの触れ合う音を表現したカジュアルな乾杯の言葉であり、古いラテン語では風鈴なども指す南欧一帯のラテン語系言語圏では広く使われている乾杯の掛け声だ。
しかし、多くの日本人の耳には男性器を声高に叫んでいるようにしか聞こえない。
そして、日本のとある地方出身者には熱いと訴えているように感じられるだろう。
なんという文化的多重衝突事故か。
ちなみに、カニ(仮)や一輝が分かっていて直接的な表現を避けているのは家族だけとはいえ人前で連呼するには羞恥が勝つし、なによりこんな下ネタ雑学を耳にしたらそこら中で魚の名前とイタリア語での乾杯を繰り返し叫ぶ者が居ると察しているからだ。
「……こう言う事故的な言葉の重複に気付いたら、できるだけ共有して行こう」
「……それが、良さそうだな」
見た目や言動を裏切って家内では常識人枠にある2人は頷き合い、それぞれ気疲れした足取りで食堂へと向かう。
楽しみにしていたテレビ番組を見終わった兄弟たちも、精神的長兄と見習い料理人の何故か煤けたような背中を追った。
★ ☆ ★ ☆ ★
さて、他言語間における不幸な衝突事故だが、実はこれだけでは終わらなかった。
兄弟たちがタイミングを合わせて何かを持ち上げようとした時、うっかりカニ(仮)が吹き出して発覚したのだ。
日本人が息を合わせる時の掛け声「せーの」は、イタリア語では『乳房』を意味する言葉だった、と。
それだけでなく、何か思い出せないことがあって「あのー、ほらなんだっけ、あれだよ、あのー」と繰り返していた末っ子をスペイン人が何とも言い難い気不味げな目で見ていた。
これはスペイン語の分かる一輝がスペイン人に説明して事なきを得たが、末っ子に「あのー」がスペイン語で『排泄孔』を意味すると教えるべきか、2人はしばし頭を悩ませることとなる。
更に、時代掛かったテレビドラマや映画を見ている最中にも「閣下」という呼び掛けにイタリア人が吹き出す。
これはイタリア語で『排泄物』の意味だ。
更に海外暮らしの長かった兄弟たちも、学校生活の中で耳にした言葉に戸惑う場面が幾つかあった。
紫龍曰く、歓談していた女生徒が笑いながら泣き真似をして「ぴえん」と口にした時は我が耳を疑ったらしい。
中国語では、スペイン語の「あのー」と同じ意味である。
戸惑いがちに氷河が告白したのは、沙織の趣味の1つである「乗馬」という言葉が、ロシア語では『尻』という意味なので子供の頃からずっと違和感を覚えていたそうだ。
よくぞ今まで口にせずいてくれたものである。
そして、日本人が電話に出る際、必ず口にしてしまう言葉「もしもし」。
これは電話が交換手を経て繋がれていた時代、通話が可能な状態であると知らせる為に交換手たちが言っていた「申し上げます、申し上げます」が短縮されて今に伝わったものだ、と言われている。
しかし、ドイツ語で『女性器』を指す言葉にとても近い。
色々あって、ドイツ人の女性と電話で話をしなければならなくなった一輝は、通話前にこの事を知れて良かった、と胸を撫で下ろしたのであった。
【続く】
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡
WRITE:2024/10/18
UP DATE:2024/10/18
〔文化 その4〕
〜Golden Japanese Diarys〜
[Happily Ever After番外編]
───これは、居候たちが城戸邸での生活を始めたばかりの頃の話である。
見習い料理人として厨房で働き始めたものの、まだ調理を任せてもらえず下働きをしながら厨房全体の動きを見て人の顔と役割などを覚える段階であったデスマスク───否、一般人からは呼びにくい慣れ親しんだ呼称を捨てたカルキノス・フェラーロこと仮称カニは夕食前の最も忙しい時間ながら厨房を出て、この邸で暮らしている青銅聖闘士の10人兄弟たちが主に過ごす居間へと歩いていた。
別に、サボっている訳でも、厨房をお役御免になった訳でもない。
これは邸内を歩いて構造を覚え、主要な部屋へ料理を運んだ時の時間を体に叩き込み、実際に調理をする時にはその時差を考慮して仕上げる為のトレーニングである。
ついでに、料理を提供する家人らがどのタイミングで食堂へ集まるのかも確認しておけば、更にその時間も考慮しながら調理に取り掛かれるのだ。
チャランポランに見えて、カニ(仮)は存外に真面目な性質であった。
そんなカニ(仮)が居間の扉を開けたのとほぼ同時に、テレビから響いたのは女性の怒鳴り声での懐かしい母国語の下ネタである。
「は?」
一体何を観ているんだ、と訝しげにテレビ画面を見れば、和風の屋敷に住むとある家族のアニメーションが流れている。
そんなほのぼのとした画面とは裏腹に、メインキャラクターと思しき女性が弟らしき少年に向かってイタリア語で男性器を指す言葉を連呼しているのだ。
混乱するしかない。
「ん? どうした、デスマスク。何か用があるのか?」
来訪に気付いた紫龍に問われ、カニ(仮)は呆然とテレビ画面を指差しながら尋ね返す。
「一体、お前らはなんの番組を観てやがんだ? これが日本では子供向けの内容なのか?」
「これは、少し昔の一般的な家庭を描いたアニメ番組だ。もう長年放送されていて、日本国民ならほぼ知っている」
単にどんな番組なのかを尋ねられた、と解釈した紫龍は普通に答えるが、カニ(仮)は大混乱だ。
なにしろテレビ画面の向こうでは、イタリア語で男性器が連呼され続けている。
老若男女問わず、1人の少年に向かって。
「……おい、そろそろ飯の時間だ。テレビは切り上げて食堂へ移動を始めろ」
そこへ、精神的長兄である一輝が顔を出し、兄弟たちに声をかける。
どうやら兄弟たちの生活リズムは、彼によって社会に馴染むようコントロールされているようだ。
「……なぁ、にぃちゃんよ。日本じゃこんな番組が本当にガキ向けなのか?」
普段から生活の中で分からない事があればもっとも頼りになる存在へ、カニ(仮)は確認する。
できれば嘘だと言って欲しくて。
「ん? ……ああ、イタリア人には別の意味に取られるのか。この番組は昔から放送されている家族向けの番組だが、あんたが誤解するのも無理はない」
しばしテレビ画面を見やった一輝は思い至る。
日本語とイタリア語でとても発音が似ているのに全く別の物を指し、よりにもよって片方は男性器を意味する厄介な言葉がある事に。
「あんたには別の意味に聞こえてるんだろうが、そのキャラクターの名前は
「……あー、なるほど。しかし、偶然とは言え、なんでこんな名前になるかねぇ……」
イタリア人が苦笑いするのも当然で、日本の国民的アニメに登場する少年のフルネームは、イタリア語話者には『私の名前は男性器です』としか認識できない。
ちゃんとしたイタリア語の文章になっているのだ。
下ネタだが。
「お前は笑ってるがな、お前たちがサロンで乾杯の時に交わしてる掛け声あるだろう。あれは日本人には、今あんたがあのキャラクターの名前に感じたのと同じ違和感を覚えるぞ」
「はぁっ!?」
一輝の指摘した言葉は、ガラスの触れ合う音を表現したカジュアルな乾杯の言葉であり、古いラテン語では風鈴なども指す南欧一帯のラテン語系言語圏では広く使われている乾杯の掛け声だ。
しかし、多くの日本人の耳には男性器を声高に叫んでいるようにしか聞こえない。
そして、日本のとある地方出身者には熱いと訴えているように感じられるだろう。
なんという文化的多重衝突事故か。
ちなみに、カニ(仮)や一輝が分かっていて直接的な表現を避けているのは家族だけとはいえ人前で連呼するには羞恥が勝つし、なによりこんな下ネタ雑学を耳にしたらそこら中で魚の名前とイタリア語での乾杯を繰り返し叫ぶ者が居ると察しているからだ。
「……こう言う事故的な言葉の重複に気付いたら、できるだけ共有して行こう」
「……それが、良さそうだな」
見た目や言動を裏切って家内では常識人枠にある2人は頷き合い、それぞれ気疲れした足取りで食堂へと向かう。
楽しみにしていたテレビ番組を見終わった兄弟たちも、精神的長兄と見習い料理人の何故か煤けたような背中を追った。
★ ☆ ★ ☆ ★
さて、他言語間における不幸な衝突事故だが、実はこれだけでは終わらなかった。
兄弟たちがタイミングを合わせて何かを持ち上げようとした時、うっかりカニ(仮)が吹き出して発覚したのだ。
日本人が息を合わせる時の掛け声「せーの」は、イタリア語では『乳房』を意味する言葉だった、と。
それだけでなく、何か思い出せないことがあって「あのー、ほらなんだっけ、あれだよ、あのー」と繰り返していた末っ子をスペイン人が何とも言い難い気不味げな目で見ていた。
これはスペイン語の分かる一輝がスペイン人に説明して事なきを得たが、末っ子に「あのー」がスペイン語で『排泄孔』を意味すると教えるべきか、2人はしばし頭を悩ませることとなる。
更に、時代掛かったテレビドラマや映画を見ている最中にも「閣下」という呼び掛けにイタリア人が吹き出す。
これはイタリア語で『排泄物』の意味だ。
更に海外暮らしの長かった兄弟たちも、学校生活の中で耳にした言葉に戸惑う場面が幾つかあった。
紫龍曰く、歓談していた女生徒が笑いながら泣き真似をして「ぴえん」と口にした時は我が耳を疑ったらしい。
中国語では、スペイン語の「あのー」と同じ意味である。
戸惑いがちに氷河が告白したのは、沙織の趣味の1つである「乗馬」という言葉が、ロシア語では『尻』という意味なので子供の頃からずっと違和感を覚えていたそうだ。
よくぞ今まで口にせずいてくれたものである。
そして、日本人が電話に出る際、必ず口にしてしまう言葉「もしもし」。
これは電話が交換手を経て繋がれていた時代、通話が可能な状態であると知らせる為に交換手たちが言っていた「申し上げます、申し上げます」が短縮されて今に伝わったものだ、と言われている。
しかし、ドイツ語で『女性器』を指す言葉にとても近い。
色々あって、ドイツ人の女性と電話で話をしなければならなくなった一輝は、通話前にこの事を知れて良かった、と胸を撫で下ろしたのであった。
【続く】
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡
WRITE:2024/10/18
UP DATE:2024/10/18