Golden Japanese Diarys

【07:culture 01〔文化 その1〕】
   〜Golden Japanese Diarys〜
[Happily Ever After番外編]



───これは、サガが身の振り方を決められずにもだもだしていた時分の出来事である。



 暇を持て余したのだろう居候3人が蔵書室を訪れるや、窓辺に距離を空けて置かれた1人掛けのソファでそれぞれ分厚い書籍を紐解いていた一輝とカノンを取り囲んだ。

「おい、にぃちゃん。なんかオレらでも読めそうなモン見繕ってくれや」

 まるで通りすがりに因縁つけてきたチンピラみたいな口調だが、内容は真っ当な要求だと理解した一輝が応対する。

「……何かを勧められる程、お前らの為人を知らんのだがな」

「だからこそ、君に頼むのだよ。要は互いの相互理解の為に対話をしようということさ」

 華やかな容姿と芝居がかった仕草で語られると、落ち着いた調度で飾られた蔵書室が歴史ある劇場かのように錯覚しそうである。

「何しろ私たちと君は蘇った時が初対面だ。互いに存在を知ってはいてもな」

「なるほど、正論だな。カノン、コイツらの相手をしてくるが、構わんか?」

「ああ、すまんな。終わったら、また頼む」

「分かっている。さて、まずは誰からだ?」

 先に何かをやっていたカノンに断りを入れ、一輝が立ち上がるとシュラが申し訳なさそうに尋ねた。

「中断させて悪いな。カノン、とは何を?」

「日本語の勉強というか、英訳の注釈を参考にちょっとした解説だ。1人でも読み進められるみたいだから、気に病むことはない」

 この邸の蔵書室は家人の趣味で集められた書籍が殆どだが、海外からの客人が暇を潰すのにも利用される為、日本贔屓の外国人が興味を持ちそうな本も多い。
時に有名な日本文学であったり、文化風俗の解説本───所謂『スシ、ゲイシャ、サムライ、フジヤマ』な書籍は出入り口に近い棚に置かれている。

 その入り口近くに設けられた腰高の本棚まで移動した一輝が、棚の一角から抜き出した一冊をシュラに渡す。

「第一印象として、アンタにはコレだな」

「こ、これはっ!?……」

 一輝が差し出した前聖戦よりも古い時代の剣豪が剣士としての心構えを綴った書は、実はかねてからシュラが機会があれば読みたいと思っていたものだ。

「こっちの文庫が現代語訳で注釈もついているが、英訳された物がいいか?」

「……両方を、借りてもいいだろうか」

「これは持ち出していい物だからな。読み終わったら、あそこのカウンターの箱に入れておけ。使用人が元の棚に戻してくれる。関連書籍もこの棚に揃っている」

 既に本の内容に没頭しているシュラは答えないが、蔵書室の使い方と棚の配置は入り口横のカウンターに英語で表示されているから次に1人で来ても困る事はないだろう。
そう判断した一輝は次の人物───アフロディーテに向き合う。

「さて、次はアンタか……。源氏物語ストーリー オブ ゲンジは知っているか?」

「1000年前に女性によって書かれた王朝ロマンス、という事はな。なんだ、君は私に恋愛小説を勧めるつもりか?」

 入り口からカウンターとは別の向きに置かれた棚へ向かい、そこから数冊組の書籍を抜き出した一輝はそういう理由ではない、と告げる。

「アンタ、園丁の仕事始めたんだろう? 日本では源氏物語に出てくる女の名前が植物につけられてたり、章題が物の順番になってたりしてな、庭師として必要な知識だと聞いた覚えがある。あと、恋愛小説と言われてるが、政治劇としても面白い」

 伊達に1000年も読み継がれていないのだ、と別の側面を推してから更に興味を引くような事を付け加える。

「主人公は光り輝くような美男子だが、恋愛も出世の足掛かりにする野心家だ。だが、その野心故や時に親友に唆されて失敗もするからか、どうにも誰かを思い出させる」

 その視線が窓辺で真剣に書籍を紐解くカノンに向いている、と気付いた2人が盛大に吹き出した。
一輝が示したのはカノンでも、その姿から彼らが思い浮かべたのは付き合いの長いサガである。
言われてみれば、一輝が上げた主人公像は確かにサガを想起させた。
唆したのは親友ではなく、双子の弟だが。

 不意に耳に飛び込んできた笑い声に、カノンは顔をあげてそちらを向く。
話している内容は聞こえず、一輝の周囲の2人が腹を抱え声を潜めて笑っているので、何事かが笑いの壺にハマったのだろうと判断した。
まさか自分の兄を小説の主人公に擬えられているとは考えもせず、覚えていたら後で訊いてみればいいか、と自分の読書に戻っていく。

 ようやく笑いを収めたカニ(仮)は読み終わったら回せ、シュラにも読ませてやる、と勝手に回し読みを決めてしまった。
アフロディーテも元よりそのつもりなのか了承し、渡された書籍の中身を改めていく。

「……な、なるほど。それはちょっと興味が湧いた。ふふっ、これは英訳された物で、注釈も図解もあるな。ふむ、だが、これとは別に何か植物に関する面白い本はないか?」

「だったら江戸時代に朝顔の変種栽培が流行った頃の本があったはずだが……」

 そう言って一輝は西側の奥まった棚へ向かい、しばらく眺めた後、下段から古書を取り出した。

「これは写しではなく原本だから持ち出しは出来ないが」

「そんな貴重なものがあるのかここは!?」

 奪うように手にしたアフロディーテはページをめくり、木版で刷られた変わり朝顔の図版に見入って、唐突に吠えた。

「……くぅっ、どれも素晴らしいが、文字が全く読めないのがもどかしい!」

「文章を抜き書きして、英語で対訳つけた冊子がある」

「それを早く言いたまえ! おお、この時代に遺伝の法則に則って種子を選別していたのかっ!? これはすごい!」

 すっかり夢中なアフロディーテは部屋の隅に設けられた読書スペースを陣取ってしまった。
多分、読破するまで動くつもりはないだろう。

「さて、残るはアンタだが、やはり料理本か?……」

「あるのかよ。ずいぶんバリエーション豊かな蔵書だなぁ、この書庫は……」

 元々の持ち主の趣味か、といいかけてカニ(仮)は慌てて口を噤む。
忘れがちだが、この邸の元主の話題は一輝の地雷だ。
途中で言葉を切ったからか訝しげに眉をしかめ、それでもここに納められた本の豊富さの理由を律儀に話してくれる。

「江戸時代の庶民の娯楽のひとつが読書だったらしい。今と変わらず、人の興味がある事柄をまとめたりランク付けした本は人気だったようだしな」

「そりゃまた、随分と文化的な事で」

 江戸の町の人々は同時期のヨーロッパ都市部に住んでいた庶民に比べて、識字率が高かったと言われている。
絵で言葉遊びを表した判じ絵、中国の歴史物を下敷きにした壮大な冒険小説、流行の髪型や化粧法をまとめたもの、美味い料理屋や有名な観光地をランク付けしたものなど、現代と変わらない様々な本が流通していた。

 そんな会話をしながら同じ並びの本棚の中段を探っていた一輝が数冊を抜き出し、カニ(仮)へと差し出してくる。

「百珍物、というひとつの食材で100の料理法を記した200年程前のベストセラーだ。これは写しと英訳。原本もこの棚にあるが持ち出しは禁止されてる」

「お、おおっ。こりゃ、すげぇな……。玉子だけでこんなに、こっちは豆腐か……」

「あとこっちは江戸時代に料理屋をランク付けした番付に載ってる店で、今も営業してる店を紹介した本だが……」

「おいおい、200年も前の料理屋が今もやってるって? 冗談だろ」

「東京は震災と戦争で2度焼けたから老舗も珍しいが、京都はそんな店だらけらしいぞ」

「……とんでもねぇな。他にどんな本あんだ? なんか面白えもんあんだろ?」

 呆れながらもしっかりと勧められた本を抱え込み、カニ(仮)はぐるりと蔵書室を見渡す。
広大な邸の東棟を半分使う程に広く、天井も高い立派な書庫だ。
さすがに全てを把握しているとは思っておらず、だいたいの傾向を尋ねたつもりで問う。

「……アンタが好きそうなのがここいらの棚の上部にあるがな、絶対に弟たちの前で見るなよ。他の奴らにもそう伝えといてくれ」

 だというのに、呆れと嫌悪をたっぶり込めて凄まれ、少々たじろいでしまった。
意地もあって反射的に嫌味っぽく噛みつき返してしまう。

「お、おう……。って、弟共にゃ見せらんねぇもんをオレ好みってどういう事かねぇ?」

「……江戸時代の滑稽本とか、黄表紙と呼ばれてるもんだ。当時の大人向けのマンガと言えば分かるな?」

「なるほど。所謂、ウタマロってやつか? そりゃ、確かにオレ好みだし、にぃちゃんとしては見せらんねぇよなぁ」

 現代の成年マンガに比べればお粗末な筆ではあるが、倫理観の違いでしっかりと局部が描かれている春画擬きを未成年に見せようなんて気は毛頭ない。
見たければ、このにぃちゃんにバレないよう、自分で見ればいい、とは思うが。

「理解したなら、もういいな」

「おう、まだ頼むぜ」

 カノンの元へ戻って行く背中に次を一方的に約束し、自分も蔵書室に点在する読書スペースに腰を落ち着けてまずはレシピ本へと目を通し出す。

 それからしばらくは紙をめくる小さな物音と、分からない言葉を問いかけるカノンと解説する一輝の潜めた声が時折する他は、静かな時間が過ぎていった。

 けれど、不意に一輝が顔を上げ、カノンもページをたどる手を止める。
入り口近くを陣取っていたシュラが微かな振動を足裏に感じた所で、蔵書室の扉が乱暴に叩き開かれた。

「一輝ーっ! 聞いてくれよーっ!」
「兄さん! 星矢と邪武がねっ」
「おいこらっ、お前らっ、俺を巻き込むなーっ!!」

 飛び込んでくると同時に喚き出した末っ子トリオを見咎めるや立ち上がった一輝が、音も立てずに歩き寄ると無言で彼ら3人の脳天に拳骨を落とす。
見事に顔から床に落ちた末っ子どもは黙り込み、居候も容赦のない見事な3連撃に息を飲んだ。

「お前たち、ここは蔵書室だと理解しているな?」

 立ち上がれないまま殴打された箇所や打ち付けた顔を押さえて呻く末っ子トリオに構わず、一輝は静かな怒りを湛えた声で問う。

「今は身内だけだが、いずれ財団の客人を招く事もある。その時に同じような振る舞いをして、お嬢さんに恥をかかせるつもりか?」

 でもだのだってだの口籠る星矢と、お嬢様に恥をかかせるような真似はしないと言い切る邪武を他所に、兄の怒り処を心得ている瞬はまず謝った。

「ごめんなさい、兄さん。ちょっと気が急いて失念してました。以後、気をつけます」

「そうか。で、俺を探していたようだが、3人揃って駆け込んでくるような緊急の用件なのか?」

「……それは、」

 改めて用件を聞かれるが、別に今すぐでなく午後のお茶の時にでも話せば良かったのだと理解している瞬は口籠る。
だが、やっと聞いてもらえるとはや合点した星矢が口を開いた。

「俺は一輝のこと『兄ちゃん』って呼びたいんだけど、邪武は『兄貴』だろって言うんだ! だからさ、一輝ならどっちがい……」

 くだらない相談事を大声でまくし立てる末っ子の口を同年の兄2人が左右から押さえ込むが、もう遅い。
居合わせてしまった居候たちは次の展開が見えてしまい、肩を震わせる。

「……カノン、俺たちは午後のお茶には出られない、とお嬢さんに伝えてくれるか?」

「あ、ああ……」

 不穏な空気をようやく察して逃げ出そうとした末っ子の襟首を右手で掴み、左手で下から2番目を拘束した一輝は振り向きもせずカノンに伝言を託す。
お茶の時間を欠席する、とは食べ盛りの末っ子トリオには死刑宣告にも等しい『おやつ抜き』のペナルティを課すという意味だ。
おまけに大好きなお兄ちゃんとの楽しい楽しい地獄の鍛錬つきらしく、そのまま2人を引きずって蔵書室を去る一輝の後ろを所在なげに瞬がついていく。

「お邪魔しました」

 と、小さく告げてから開けっぱなしにしていた扉をしめて。

 そして残された居候たちは声を潜め、腹を抱えて盛大に笑った。



 【続く】 
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡ 
WRITE:2020/09/09〜2020/09/28 
UP DATE:2020/09/29 
RE UP DATE:2024/08/17
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