Golden Japanese Diarys

【03 clothing 03〔衣類 その3〕】
   〜Golden Japanese Diarys〜
[Happily Ever After番外編]



 和やかに始まろうとしていたその日の朝食は全員揃った所で、家長たる沙織の宣言により時が止まった。

「今週末、呉服屋さんが来ますから皆で浴衣を仕立てますよ。反物と帯を選んで、それに合わせた履物や小物も注文しますからね」

 夏の盛りに行われるお祭りなどへ着て行く浴衣を作る、というのは前々から話が出ていた事である。
だから、それについてはほぼ全員が覚悟もしていたし、多くの者が楽しみにしていた。
問題なのは、わざわざ呉服屋を呼んだ事である。

 城戸家御用達の呉服屋となれば、何を選んだところで一般的な勤め人の稼ぎで数ヶ月分になるのは前回のテーラーとのやり取りの中で悟った。
それでも一応、付け焼き刃ではあるが浴衣について邸の書庫に積まれた蔵書から色々と調べてみたのだが、それがよくない。

 和服は反物の値段だけでも天井知らずであったからだ。
素材の希少性や、染色や織り手など職人の減少から高級品は年々高騰している。
しかも規格外の体格を持つ居候と兄弟には着物一式だけでなく履物まで特別注文となるのだから、その分が価格に上乗せされるに決まっている。

 支払いについては問題ないと理解していても、落ち着きのない誰かがはしゃぎ過ぎて全員の浴衣を駄目にしてしまうのでは、という不安からは逃れられない。

「……お嬢さん。全員、浴衣で大丈夫だと思うか?」

 問い掛ける一輝は沙織ではなく、末弟2人───星矢と邪武を見ている。
その意図を察した沙織は暫し黙考した後、朗らかな笑みを浮かべた。

「……そうね。浴衣だけではもったいないし、一緒に甚兵衛か作務衣も仕立てて貰いましょう。あら、羽織も必要かしら?」

 何がもったいないのかは明言せずに買い物の追加を提案する沙織の弾む声に、藪蛇だったと一輝は眉を顰める。
できるなら諦めさせたいのが本心だが、アイツらが何をしでかすか予想がつかないなら予備も必要、と無理やり考えを改めて耐えた。
物欲が薄い一輝には、持つ者として意識せずに経済を回すのはまだ難しく、意識していてもひどく気疲れする。

「ア……いえ、沙織嬢、ジンベエやサムエとはなんでしょう?」

 うっかり人前では呼んではならない神名で呼びそうになりながら、サガが問う。
ユカタはこの邸で目覚めてから日常着が揃うまでの間に着せられていたので分かるのだが、今朝になって加わった衣服の名称は聞き覚えがなかった。

「作務衣というのは和装のアンサンブルよ。甚兵衛は夏用の作務衣と言えば良いかしら?」

「作務衣は作業がしやすいよう着物を分割して、下をパンツ仕立てにした物だ。甚兵衛は袖や裾を短くしたり脇を開けて縫い合わせて風通しをよくしてある」

 沙織と一輝の簡単な説明に大体の形を兄弟と居候が想像して納得した所で、全員のテーブルに給仕が朝食の飲み物を用意する。
紅茶やコーヒーの銘柄や煎れ方はもちろん、ミルクは産地や搾乳する牛の種類、ジュースは搾りたてか還元果汁か、ただの水も温度だけでなくガスの有無や硬度まで個々の好みに通りに。

「それじゃあ、いただきましょうか」

 沙織の言葉で止まっていた朝食が始まり、ようやくそれぞれの1日が動き出すのだった。



    ★ ☆ ★ ☆ ★



 ここ数年使われる機会は少なくなっていたが、城戸邸の東側には和風建築の離れが1棟建っていた。
海外からの客人をもてなす為に造られたもので、茶室も備えた数寄屋造りの平屋は宴席を設けるにも寝泊まりするにも充分な広さがあり、周囲の庭園もこの一角だけは池を中心に築山や四阿まで日本風に整えられている。

 あの朝食から数日後───絵に描いたようなエキゾチックな光景に普段は大人しい外国で生まれ育った居候たちと兄弟のテンションが爆上げした。
好奇心に満ちた目で入り口と背後の家人を交互に見やり、入室の許可を待ちわびるギリシャ人の双子とロシア系のダブル、それから感極まって茫然と佇むスペイン人はいい。
気の急くまま色んな方向から見ようと反復横跳び状態になっているイタリア人と、母国語と思われる耳慣れない言語でなにやら早口に捲し立てるスウェーデン人は少し落ち着かせなければなるまい。

「同じ敷地内だ。いつでも見に来れるだろう。それにお前、庭仕事してんだから、いずれここも手入れする事になるからな」

 一輝の言葉で我に返った2人はそそくさと乱れた髪を撫で付けたり、払ったりして気恥ずかしさを誤魔化そうとした。

「先に言っておくが、日本家屋は天井が低い。鴨居───部屋の間を仕切る壁は俺でもギリギリだ。ぼんやりしてると頭を打つから、気をつけて歩けよ」

 そう言って引き開けた玄関口は、確かに一輝が屈まなくてもかろうじて通れる高さしかない。
彼より背の高い兄弟2人と居候5人は確実に屈まなければ通れないし、うっかりしていると部屋を出入りする度に顔面を強打するだろう。
しかし全員が聖闘士として顔から着地する事に慣れてしまっているせいか、一輝の忠告は「(建物を破損しないよう)気をつけて歩け」と受け取られていた。
きっと間違ってはいない、が。

「履物はここで脱いで上がれ。脱いだ靴は、下足番が管理してくれる……」

 普段は給仕などをしている使用人の1人が濃紺の作務衣を纏って下足箱の横に控えているのを見て、隠しきれない呆れが滲み出る声音で一輝は居候や兄弟たちに上がるよう促した。
全員が靴を脱いで上がったところで、右手の廊下を進む。
先に立つ一輝自身もこの離れに上がり込むのは初めてだが、上がって右手の座敷に行くよう言われていたのと、人の気配がするのでそちらだと見当をつけたからだ。

 目指す座敷は庭に面した廊下側の襖が開け放たれており、女性たちの話し声が聞こえる。

「あらまあ、ずいぶん男前が揃ってますこと」

 濃い藤色の着物の上から屋号の入った半纏を羽織った壮年の婦人が座敷の中央に背筋を伸ばして正座しており、兄弟たちと居候たちを見るなり嬉しげに言い放つ。
その女性の対面には淡い藤色の振袖を纏った沙織が和かに微笑み、彼らを出迎えた。

「揃いましたね。では、始めましょうか」

 着飾った女性を見れば褒めるのが礼儀と躾けられた男達が口を挟む間も与えず、テーラーの時のような挨拶もなく、居候と兄弟たちはテキパキと身長別に分断されていく。
180cm以上、170cm以上、そして170cm以下に。

「星矢たちはすぐに背も伸びるでしょうから、裄丈や幅に余裕を持たせてちょうだい」

 170cm以下の3人についた沙織はさっさと採寸を終わらせると、予め目星をつけていた反物を何本か渡し、その中から選ばせた。
邪武はお嬢様が選んでくださったと感激しながら即決で、瞬も面倒がなくていいと似た反物を幾つか追加して気に入った物を選んでいく。
星矢だけはどこか納得いかない気持ち半分、座敷の片側に山積みされた反物やカタログから自分の好みを探し出すなんて到底無理だと諦め半分で目についた物を手に取る。
わざわざ選び直すのも面倒なので3人とも同じ柄で浴衣と甚兵衛を仕立てて貰う事にし、帯や下駄等もカタログからサイズの合いそうな物を選んだ。

 180cmを越えるグループは採寸と反物選びに分かれたが、背丈も身幅も特に大柄なサガとカノン、檄には力士用の反物が用意されている。
意外だが、最も日常的に着用されているからか、色や柄が豊富だ。
洒落者な年中組3人もそれぞれのこだわりから個性的な柄を選び、人数は7人と最も多かったがかなりスムーズに小物まで選び終える。

 最も時間が掛かっているのが一輝達のグループ。
いや、一輝と紫龍は無難な反物をすぐに選んだのだが、他の3人が独特の美学を持つ面倒くさい性分だっだのだ。

 那智、氷河、市が己の感性に見合った反物を物色し続けているのを横目に、残る呉服屋の店員からアドバイスを受けてカタログから小物を決めていく。
うかつに声を掛けようものなら、派手な柄物に紛れた龍や鳳凰の染め抜かれた反物を押し付けられるのは明白だ。
賢明な2人はさっさと自分の分を決めると、その場を離れようとする。

「あら、一輝も紫龍も決めたのね。だったらこちらを手伝ってちょうだい」

 まるで狙っていたかのようなタイミングで沙織が声をかけるや、同時に2人の腕をとって隣の座敷へと引っ張っいく。
またしても部屋の隅に控えていた普段はメイド服を着ている女中たちが揃いの擦りの着物に前掛け姿で隣室への襖を開け放つ。

 次の間に積まれていたのは、前室に集められていた物より華やかな反物と帯であった。
その布の山の前に一輝と紫龍を座らせた沙織は呉服屋の女将や女中達で取り囲み、実に楽しそうに提案してくる。

「さあ、紫龍。春麗さんに似合いそうな反物を選んでちょうだい。夏休みに彼方へ帰る時のお土産にするといいわ。一輝は、パンドラさんのを選ぶのよ」

「いいんですか? 春麗も喜びます。ああ、どれが良いだろうか……」

 遠く中国の山奥で帰りを待つ幼馴染み以上婚約者未満な彼女の事を考えたのか、やや高揚した面持ちで紫龍は華やかな布の山に手を伸ばす。
普段は赤や桃色の大柄な花模様の衣服を着ているから似たような柄か、それとも少し違う景色の物か。
珍しく饒舌に語りながら、横についた呉服屋に相談しつつ、幾つかの反物を選び出していく。

 一方、不機嫌さを隠す事なく一輝は沙織を睨み付けた。

「……どういうつもりだ」

 しかし叔父に凄まれた所で痛くも痒くもない姪は楽しげに返す。

「夏休みに遊びに来るようお誘いしたのよ。その時に着てもらおうと思ったんですけど、どうせなら貴方が選んだ方がいいでしょう?」

 私より付き合いが長いのだから、と微笑まれても素直に肯けるものでもないのに。
確かに出会いは13年以上前、しかし一輝はその事をつい最近まで忘れさせられていたし、再会したのも短い時間だ。
なにより、敵対していたのだから相手の好みなど分かるはずもない。
印象だって、黒衣で高飛車な───そしてどこか寂しげな、女というぐらいなのだ。

「……俺に美意識など期待する方が間違いだ」

「貴方の感性で、彼女に着て欲しい物を選んでください、と言っているのよ」

「……流行りの物も幾つか見せて、本人に選ばせるのが無難だな……」

 紫龍が切り崩した華やかな山とは別に積まれた落ち着いた色味の反物から一輝が抜き出したのは花浅葱の地に墨で乱れ縞のように竹が染め抜かれた物だった。
盛夏の竹林に小鳥が遊んでいるようにも見え、落ち着きと遊び心がちょうどいい塩梅である。

「まあ、素敵。これならパンドラさんも気に入ってくれるわ。そうね、帯は黒、帯締めと半襟の色を揃えて、髪飾りと帯留も。下駄も黒台にしましょう。それから足袋はレースがいいわね。そうそう、日傘と巾着も揃えましょう!」

 盛り上がった沙織が指示するまま、一輝の前には小物のカタログが積まれていく。
その隣では紫龍も同じように女将からカタログを押し付けられていたけれど、とても幸せそうに笑っていた。



 【続く】 
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡ 
WRITE:2020/09/18〜2020/09/22 
UP DATE:2020/09/22 
RE UP DATE:2024/08/17
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