Golden Japanese Diarys

【GJD 02 clothing 02〔衣類 その2〕】
   〜Golden Japanese Diarys〜
[Happily Ever After番外編]



 城戸邸で共に暮らす事となった戦女神アテナこと城戸沙織に青銅聖闘士の兄弟たち───檄、一輝、蛮、那智、紫龍、氷河、市、瞬、邪武、星矢。
それと元黄金聖闘士造反組───サガ、カノン、デスマスク、シュラ、アフロディーテ。
総勢16名が暮らす事となっても豪邸たる城戸邸ならば何も問題はない。

 住環境はそれぞれに居間や衣装室付きの個室が当てがわれ、練度の高い使用人によって邸内は常に隅々まで掃除が行き届くだけでなく、全てが使いやすく整えられている。
もちろん家具や調度品、食器やアメニティといった目につく物が悉く一級品であり、幼い頃から孤児として苦労してきた少年たちの中には返って尻の座りの悪い思いをする者さえいたけれど。

 また、腕の良い料理人も多数雇われているから育ち盛りで食べ盛りの少年が10人と大食漢や食道楽な居候が居た所で食事が滞る事もなく、全国各地から城戸光政翁を恩人と慕う人々が折に触れて名産の作物やら魚やら肉やらを送ってくれるので食材も豊富だ。
料理が趣味だという居候が暇を見て有り余る食材で腕を振るい、育ち盛りでどんなに豪勢でも3度の食事とおやつだけでは物足りない欠食児童たちの腹を満たしている。

 しかし、文明と隔絶された人の生活限界地域のような所で長年修行に明け暮れていた者たちの普段着から学生ならば制服などの学用品、仕事をする者ならその内容に相応しい衣服、そして城戸邸で暮らす以上はいずれ必要となるフォーマルなど衣類はほぼ一から揃えなければならないのはかなり手間取っていた。

 何しろ、服を買いに外出する際に着る物すら無い者が居るのである。
しかも彼らの体格は、日本ではその辺の衣料品店で簡単に調達できるサイズではない。

 とにかく旅先の個室内で寛ぐ旅行者という体裁にはできる浴衣を羽織らせ、本人の衣服の趣味とサイズを聞き取ってから百貨店の外商に何着か見繕って持ってこさせてなんとか近所への買い物へは出られる格好にはできた。
上着やシャツにパンツといったアウターウェアだけでなく下着や靴、それとヘアブラシや髭剃りといった雑多な生活小物まで、数人が数日困らない量を1度に揃えるのは搬入する外商もかなり大変そうではある。
しかし、海外からのゲストが着替えの入ったスーツケースを飛行機の乗り換えでロストして滞在先で全部買い揃えるというのは良くあるようで、それほど不審には思われなかったのは幸いか。

 だからその日、全員揃っての朝食の席で、この邸の主人たる沙織が本日の予定を一方的に宣言しても有難いだけで、不満に思う者は居ない筈であった。
何しろ彼らのワードローブには学生服とご近所へちょっとした買い物に出かけるようなワンマイルウェアくらいしかないのだから。

「今日はお爺様が贔屓にしていたテーラーを呼んでありますから、全員夏用のスーツを仕立ててくださいね。特に一輝は財団の仕事で着るのだから、最低でも3着は必要かしら?」

 しかし、名指しされた一輝としては服など着られれば良い物であり、仕事用にスーツは要るだろうとは考えていたが、居候たちや同年の兄弟たち程には標準から離れた体型でもない為、態々フルオーダーまでする必要性は感じていなかった。

「……オレはその辺の吊るしで良かろう……」

「一輝。あなたには城戸家の1人として我がグラード財団の1部門を任せます、と伝えた筈ですよ? 私と一緒とは言いませんけど、せめて関連企業のパーティーには出て貰わないといけないの。恥ずかしくない装いをしてくれなくては困るわ」

 城戸の名で仕事をするなら、取引相手に安く見られてはいけない。
要は装いはハッタリ、肩書きと身につけている物でしか相手を評価できない俗物を騙くらかせ、ということだ
そんな理論は鼻で笑ってやりたい所だが、後に続くであろう兄弟達の足枷になるような真似をする訳にもいかず、一輝も渋々了承するしかない。

「……分かった。だが、何をどう選べばいいかも分からんのだがな……」

 一輝の途方に暮れたような声に沙織は、手荒れなどしたことのない指先を額に押し付けてため息を噛み殺す。

 城戸光政の孫娘として最高級の品々と一流のサービスに接してきた彼女と、孤児として育てられて聖闘士となる為に世界の僻地で修行に明け暮れていた兄弟たちの価値観が違い過ぎるのだ。
これまでの苦労のせいか、彼らは『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』ギリギリの水準ですら贅沢なのではと怯んでしまう。

 沙織が享受してきた生活は、本来なら彼らのものであったのに。
それを申し訳なく感じ、出来る限り彼らに還元して行こう。
決意を改めた沙織は出来るだけ穏やかに微笑み、居候達に目配せをする。

「大丈夫です。オーナーは疑問にはなんでも答えてくれますから、気になったらどんどん質問なさいな。それに、相談されたそうな人もいるようですし、ね」

 今回は自分は口を出さず、年長者たちに任せよう。
そう、沙織は決めた。



   ★ ☆ ★ ☆ ★



「初めまして、皆さま。麻衣テーラーのオーナー、麻衣でございます。本日はお呼び出しありがとうございます」

 迎え入れられた城戸邸の広間でにこやかに挨拶をした初老の紳士は真っ直ぐに伸びた背筋のまま、深くお辞儀をした。
乱れなく撫で付けられたグレイヘア、ガラスに指紋など見当たらないシルバーのアンダーリム、シワもシミもない白いシャツにダークグレーのサテンベスト、明るい色合いのネクタイにベストと同布の折り目のしっかりとしたパンツ。
丁寧に磨かれた靴は言うに及ばず、カフスやネクタイピンまで品よく整えられたどこにも隙のない身嗜みの行き届いた老紳士相手に、どう反応して良いのか分からない兄弟たちはただ黙って会釈を返す。

 孤児として育った彼らはこの年代の男性との交流が極めて少なく、また遭遇した時の心証がすこぶるよろしくなかった。
自分ではどうにもできない出自を蔑まれ、顔も知らない両親を侮辱されて将来もろくなものでは無いと決めつけられて暴力を振るわれた事さえある。
もう少し若い働き盛りの男性ならば君子危うきに近寄らずと言えばいいのか、とにかく積極的に関わろうとしてこない者が多かったからそれほど苦手意識はない。
逆に、関わり方が分からないが。

 ちなみに女性の多くは年齢に関わらず同情はしてくれるのだが、公園で仲良くなった同年代の少年たちと遊んでいる時などは急に子供や孫に悪影響を与えるから近寄るなと罵倒された記憶があった。

 兄弟たちが過去の経験から人見知りを発現し、テーラーの人々を警戒しているのに気付いた居候の双子がここは自分たちの出番、と頷き合って前に出る。

「お世話になりますオーナー。私達もこうして仕立てるのは久しぶりなので、流行の移り変わりなど教えていただけるとありがたい」

 サガが人の良さげな微笑でオーナーに応対する後ろで、カノンがわざとらしく「お前は伝統的トラディショナルな物しか着ないだろうが……」と悪態を吐いた。
それにサガも「そういうお前はもう少し年齢相応の格好をしろ」と聞こえるような小声で叱る。

 サガは首までしっかりとボタンをかけた生成りのマオカラーシャツにブルーグレーのワイドパンツを合わせているが、カノンは同じ色合いながら素肌にフィットしたVネックのカットソーにスキニージーンズだ。
全く同じ顔とスタイルをしている2人はどちらも良く似合っているのに、きっとお互いの衣服を交換したら違和感が酷そうなのが想像に難くない。

「おや、沙織お嬢様から言葉の心配はいらないと聞いていましたが、本当でしたね。ええ。私どもは流行も定番もその良い所どりをした更に新しいスタイルも勉強しておりますので、きっとお好みの1着をご提案できると思いますよ」

 オーナーは双子のやり取りをさらりと流し、連れてきていた店のスタッフも簡単に紹介すると広間に設置されたパーテーションで区切られた一角へと顧客を誘う。

「本日は人数が多うございますからね。お手数ではありますが、それぞれの部門をお客様に移動していただく形になります」

 誰かが採寸している間、他の者は生地を決め、また別の者はスタイルを相談したりと言った具合になるのだろう。

 そこで多少人生経験の長い居候達が1人につき2人の兄弟について回る事となった。
まず、サガが星矢と一輝、カノンが瞬と氷河を引き連れて真っ先に採寸スペースへ向かう。
次にデスマスク───とは一般人の前では呼び難い為、カニ(仮名)───が悩んだ末に市と那智を、続いてシュラが紫龍と邪武を生地スペースへと引きずり込んだ。
残されたアフロディーテが檄と蛮を見やった後、人の悪い笑顔でスタイルブースへと誘う。

 サガとカノンが引率する4人の採寸は比較的問題なく終わった。
普段から落ち着きがない星矢も、流石にサガにカノンと一輝から睨まれたら多少は大人しくしている。
採寸を終えた双子は他のブースの進行状況を見て、生地ブースへと兄弟たちを連れて行った。
そのパーテーションで区切られたスペースに積まれた生地を目にした兄弟達がげんなりとした表情になる。

 紳士服の生地など数色のバリエーションしかない。
そうたかを括っていた彼らの予想を覆し、サンプルと思しきファイルがテーブルに山と積まれ、搬入用カーゴがみっちりと生地を積載して数台並んでいた。
スーツ用だけではなく、カラフルな裏地やシャツ、ネクタイ用の生地もあるのだろう。

 生地は産地や会社によって同じ色や織り、デザインであっても全く違う表情と風合いを見せる。
このテーラーの顧客の多くがその違いに拘る、本当の一流を知っていてその中から自分の好みを見出せる人々だ。
だからこれでも、テーラーで扱う生地の一部でしかなく、ここに運ばれたのは城戸家に相応しく厳選された物であろう。

「さて。生地は君たちの好みから選ぶべきなんだが、どんな物がいいかな?」

 そう訊ねるサガもそちら側の人間なのだろう。
分かっていない顔をして、サンプルのファイルをより分けているカノンも多分。

「とりあえず好きな色と柄探せ。後は似たようなのを幾つかの出して貰って実際に触れたり、当ててみたりして決めればいい」

 兄弟たちもそれぞれファイルを手渡されて開いては見るが、何を選ぶべきなのかがさっぱりだ。

「……そう言われてもよー。よく分かんねーよ……」

 途方に暮れた星矢がファイルを投げ出してテーブルに突っ伏してしまうが、他の兄弟も同じ気持ちである。

「まあ、僕らはまだ学生だし、制服でもいいんだけどねぇ」

「早急に必要なのは一輝だけ、だからな……」

 瞬と氷河の言葉と視線に、流石の一輝も逃げ出したくなる。

 幼少期は孤児として与えられた古着ばかりで着る物を選べる立場に居なかったし、修行地は灼熱の孤島だったから常に上半身裸で過ごしていたせいもあり、一輝にはファッションという物が分からない。
他の兄弟も多少環境が違うだけで、着る物についての関心は酷く薄い上に、ファッションセンスなどあるのかすら不明だ。

 今はテーラーとの商談である為、一応全員がきちんとアイロンのかかったシャツに綿のパンツ、そしてローファーなどを着用して良家の子息っぽい格好をさせられている。
だが彼らの普段着は一年中Tシャツの袖をまくり上げていたり、なんの毛皮か分からぬレッグウォーマーをしていたり、ヒーローじみた指抜き黒革のグローブをしていたり、と壊滅的だ。

「そろそろ決まって……は、なさそうだな」

 自分たちはさっさと目当ての生地を見つけた双子が、途方に暮れた兄弟たちの元へ戻ってくる。
好きな色や柄から、と限定されてもどんな色があるのか柄があるのかからして分からない少年たちにはハードルが高過ぎたようだ。

「だったら、お揃いにしちまうか」

 軽い調子でカノンが幾つかのファイルを一輝の前に開いて見せる。

「コレとコレがオレ、コッチとアレがサガの選んだ生地な。この中だったら、好きな手触りの生地はあるか?」

 幾つかのサンプルに触れて、サガが選んだ物は深いブルーが目に美しいが生地が堅く、カノンの選んだ物はちょっとグレーが強いのが気になるけれど手触りが気に入った一輝がそれを示す。

「これがいい。だが、色はサガの選んでたコッチの方が……」

「あー、だったら……うん、これが近いな」

 そう言って2人の会話を聞いていたスタッフが差し出したサンプルを確かめ、カノンは一輝の肩にその生地を掛けて肌映りも確認する。
一輝も触ってみたが、確かにカノンが選んだ生地と似た手触りで、サガの選んだ物に近い色をしていた。

「ああ、これがいいな」

「兄さんがそれなら、僕もそれにしようかなー」

 弟の特権とばかりにお揃いを宣言する瞬に、サガが君にはもっと明るい色が似合うのでないかな、と余計なアドバイスをしてくれる。
オレもー、と便乗しだした星矢と氷河にもカノンが別のファイルを突き付けた。

「星矢。お前、姿勢が悪いからシワになり難い生地から選べ。お前と瞬は上下で生地を変えても面白いだろうな。あー、氷河はとにかく風通しのいい生地だな。暑さ、苦手だろ?」

 的確なカノンの指摘に星矢と氷河も少し考えてから従う事にする。
こういう時は年長者の言葉に倣っておくべきだ、と身についているのだ。
万が一、外したとしてもそれは勧めた側が悪いとできるし。

 隣ではサガが瞬と一輝に幾つかのファイルを見せながら、話をしている。

「ああ。同じ素材で面白い生地があるな。瞬、一輝と同じ生地でジャケットを作ってパンツをこの生地にしたら面白いと思うんだが?」

「あー、このストライプのはいいですね。どうかな、兄さん」

「……いいんじゃないか」

 全くの門外漢である一輝は首振り人形に徹しているが。

「だったらこれと同じ色で細いストライプがあったな。一輝、2着目はこれにしよう。あと、ブラックフォーマルが必要だな。すまない、サンプルを」

 サガが指示するのと同時にスタッフが素材や織りが違う黒い生地だけがぎっしりと集められたファイルを差し出す。

「ア……沙織お嬢様の話では、8月に大規模な礼祭があるのだろう? 暑い盛りだと聞いているから、風通しの良い生地がいいだろうな」

 そう言って開いたファイルから探し出した生地は透ける程薄く織られた物ばかりだ。
その中から触って、裏地と合わせてみて一輝が納得した物を選ぶ。

「さて、スーツ生地が出揃ったが、次はシャツだな」

 そう言って新しいファイルを目の前に積まれ、一輝だけでなく4人ともが死んだ魚のような目になったのは仕方がない。



    ★ ☆ ★ ☆ ★



 それから2週間程して、城戸邸にテーラーから3着のスーツが届けられた。
仕事で必要な一輝とその補佐である双子の分である。

 尚、3人は既に仕事を始めているが、財団に居る時は沙織が厳選したブランドで購入したスーツを彼らは着ている。
勿論、最初に一輝が言及したそのへんの吊るしとは桁が1つどころでなく違う物だ。

 兄弟たちに促されるまま、真新しいスーツを試着した一輝はため息が止まらない。
あの日、採寸と生地選びを終えてひと段落、と思っていたのに最後の難関が待ち構えているなんて思ってもいなかった。
まさか紳士服の仕立てにあんなに細かいデザインの指定が必要だなんて知らなかった兄弟たちには衝撃が強すぎる。

 基本は3種。
サガが指定したストレートなシルエットでゆったりとした着心地だというアメリカン・スタイルに、カノンが選んだフィット感のある細身のブリティッシュ・スタイル。
その中間という認識で一輝が選択したイタリアン・スタイルがある。

 次に合わせをシングルにするかダブルにするか、ボタンの素材は何で数はシングルかダブルかトリプルか。
襟───ラベルの形と幅、それにポケットの形、袖の作りとボタンの材質と数。
後ろのスリットの入れ方まで指定しても、まだ上着だけだ。

 パンツのタックにポケット、裾の折り返しはどうするか、と見本を並べて答えていく作業は心が折れそうだった。
当然、シャツも襟や袖や併などに様々なデザインがあって選ぶだけでも面倒だったし、ネクタイにも形の違いがあるばかりか好みで幅や長さが幾らでも変えられる。
ネクタイはネクタイという1種類の装飾品ではなかったのだ。

 拘ればとことんまで拘れるオーダースーツは非常に奥深く、大変に沼い世界である。

 2度と御免だ、とは思うけれど、きっと季節毎にこの騒動は繰り広げられるのだろう。
先を思えば憂鬱でしかないが、1度やると決めたからにはやり抜くのが一輝である。

「一輝、どうだ? 不都合はないか?」

 別室で着替えていたカノンがノックの後に部屋の外から声を掛けてきた。
未だに個室の概念が薄い兄弟たちと違い、居候たちは適度にプライベート空間を尊重してくれるので一輝も付き合いやすい。
時々、兄弟たちと一緒になって暴走する者も居ないではないが、まあ許容範囲内だ。

「ああ。入ってくれ」

 一輝もスーツくらい1人で着られるし、ネクタイだって結べるが、着こなしている自信はない。
意外にも着物のように粋な着こなし、野暮な着方なんてものがスーツにもあるのだ。

 入室してきた双子は既に着替え、仕事の時と同様に長い髪もサガは左肩から前に垂らすように緩く編み、カノンはポニーテールのようにしっかりと結い上げている。

「ああ。よく似合っているね、一輝」

「うむ。男前だなぁ、一輝よ」

 サガは純粋に褒めたのだろうが、カノンからはからかうようなニュアンスを感じる。
けれど、ここで噛み付いてたところで揚げ足を取られて余計にからかわれるだけだ、と一輝は聞き流して双子の装いを眺めやった。

 それぞれ違うスタイルに仕立てられたスーツだが、同じ姿で性格の真逆な2人によく似合っている。

 サガはアメリカン・スタイルでトリプルボタンのダブル、ラベルは幅の広いセミピークドという重厚さを感じさせ、カノンはブリティッシュ・スタイルでシングルボタンのシングル、ラベルは幅の狭いセミピークドと軽快な印象だ。
確か、パンツにダブルタックを指定したサガに「親父臭い」と双子の弟が貶めれば、カノンが裾の折り返しで悩んでいたのを「隣に同じ姿の私が居るのだから、見た目など誤魔化せないぞ」と双子の兄が指摘して、最終的に一輝が「喧嘩するなら鍛錬場に行け」と睨んだのが既に懐かしい。

 一輝のスーツは最初に選んだ生地でメリハリの効いたイタリアン・スタイルにダブルボタンのシングル。
ラベルはレギュラーのノッチドというスタンダードな形で、パンツもワンタックにシングルカフスというシンプルなデザインだ。

 仕事柄、3人一緒に行動する機会が多い為、見た目を揃えた方が面白いとカノンが言っていたし、この3着は他の兄弟たちへの見本でもあるのでバリエーションがあった方がいいとサガが話していたからでもある。

「さて、仕上げだな」

 襟やネクタイを直していたカノンが手にしたのは整髪剤。
サガが手近な椅子に一輝を座らせ、カノンは一輝の前髪をきっちりと撫で付ける。
前髪がなくなって鋭さがより露わになった一輝に、サガが用意していたナイロール───上部に太めのシルバーフレームがある眼鏡を手渡す。

 学生として過ごす時に着用しているフルフレームとは違い、眉間の傷を隠しながら一輝の容貌をはっきりと見せるナイロールのデザインは若く野心的なエグゼグティブを演出した。
けしてインテリ風なヤのつく自由業者ではない。
最初にこの姿をお披露目した時に「若頭だっ!」などと叫んだ末っ子は誰かにこっぴどく叱られたらしく、しばらく大人しかった。

「さあ、皆にお披露目と行こうか」

 常になく浮かれた様子のサガに右手を取られ、一輝は立ち上がる。
手に残った整髪料をぬぐっていたカノンは慌ててドアへと駆け寄り、左手をドアノブに掛けると右手を一輝へと差し出す。
いつの間にか、一輝の右にサガ、左にカノンが居るのが当たり前になりつつある。

「じゃ、開けるぞ」

 一輝に左手を預けられたカノンがゆっくりと扉を開けると、隣室に待ち構えていた兄弟たちの視線が集まる。
が、まだドアを開けたカノンに入り口が塞がれていて何も見えない状態なのだろう。
ざわつく彼らに挑むような視線を向けたカノンは左手に避け、続いて姿を表したサガは誇らしげな顔でドアの右側へ立った。
それからゆっくりと、2人の間に一輝が歩み出る。

 途端に鎮まり返る兄弟たちの様子に、恐る恐る訊ねる一輝。

「……どう、だろうか?」

「……かっこいいよ! 兄さんすごくかっこいいよ!」

 すぐにそう叫んだ弟は、同時に携帯電話のカメラ機能を立ち上げて連写を始めた。
実はほぼ毎朝この調子なので、瞬の携帯電話の写真フォルダは常に容量がパンパンである。
毎晩、その日に撮った兄の画像データを全てパソコンに移し、幾つもの記録メディアにバックアップを取っているらしいのだが、携帯電話には常に持ち歩きたい厳選した兄の画像を入れているせいで、だ。

「さすが、一輝。孫にも衣装ってやつだな」

「待て星矢、それは褒め言葉じゃないはずだ。あとなんか漢字も違う気がする」

 紫龍の指摘通り、正しくは『馬子にも衣装』であり、どんなに見窄らしい者でも装いさえ整えればそれなりに見えるという意味だ。
けして褒め言葉ではないので、末っ子はきっと後でお仕置きされてしまうだろう。

 そんなやり取りの影でボソリと氷河が呟く。

「……じゃぱにーず、まふぃあ?……」

 その呟きを聞いて吹き出してしまった邪武と那智、そしていらん事を口にした氷河と星矢の背後で何かがシャラリと蠢き、一瞬煌めいた。

 直後に響いた短い悲鳴を無視し、沙織がうっとりとした表情で両手を胸元に合わせ、やや興奮気味に提案する。

「ああ、やっぱりいいわねえ! そうだわ、次は着物……いいえ、時期的に浴衣を作りましょう! 辰巳! 呉服屋さんに連絡を!」

 それを耳にした一輝はうんざりとした表情を隠せなかったが、お嬢様が指示をだしてしまってはもう決定事項なのだ。



 【続く】 
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡ 
WRITE:2020/08/11〜2020/08/24 
UP DATE:2020/08/24 
RE UP DATE:2024/08/17
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