青く深き王国

【3 秘密の守り手】
   ~ Deep Blue ~
[青く深き王国]



 礁の国の周辺海域は海底が浅く、地形も海流も複雑であまり大きな船は航行できない。
 しかし、小さな船でも操船は難しく、初めてこの海域を通る者が座礁することも多かった。

 だから礁の国では、他国の船が近付くと警告・先導して事故を防ぎ、その見返りに外貨を得ている。
 そのために木ノ葉を出るとき、船も外洋を航行できる中で小型のものを仕立てた。

「この船でしたら、通れる場所はあります。もうすぐ小船がきますから、先導を頼みましょう」

 イルカ先生にそう伝えてと告げれば、サスケが頷き、伝言の為に船尾へと駆けてゆく。
 ナルトとサクラはマナの話に興味を持ったのだろう、船縁から海を覗き込んだ。

「うっわーぁっ!」

「すごい、数……」

 透明度の高い海の底には船の残骸が累々と横たわる。
 船体にサンゴや海草がはびこるものもあれば、まだ新しいものも少なくない。
 
 そして、その下には崩れかかった町並みが広がっていた。

 波に揺れる藻や海草は雲や草花、枝を伸ばした珊瑚は木々、大小の魚たちは鳥のように泳ぐ。
 まるで空から町を見下ろしているようだ。

「……あれって、沈んだ町ですか?」

「そう。60年前までは海の上、だったのよ」

「それが、あんな……」

 今、目前に近付く小さな島は海底に広がる町に比べれば、本当に僅かな土地でしかない。

 もしも、<力>の封印が解けてしまったら、今度こそ人の住める場所はなくなり、多くの命が失われる。
 そして、それだけで終わらないかもしれない。

 この国を消滅させた<力>が別の国を襲えば、さらに多くの土地と人がなくなってしまう。

 自分の生まれ育った場所や、大事な人を失う辛さは、ナルトやサクラにだって分かる。

 木ノ葉崩しのようなことは、もう2度と経験したくはない。
 そして誰にも同じ思いはさせたくなかった。

 すっかり言葉を失ってしまったサクラとナルトを気遣ってか、島から近付く船を指し示してマナが声を掛ける。

「ああ、先導してくれる船が来たわ」

「マナ様ーっ!」
 
 近付く小船の上から、誰かがこちらへ手を振っていた。
 マナが大きく手を振り返す。

「ナルトくん、あの船が先導してくれるわ。寄せてもらって」

「分かったってばよっ」

 イルカ先生に教えてくる。

 ナルトはそう叫んで駆け出していった。
 サクラはマナと共に近付く小船を出迎える。

 接舷した小船から大柄な男が乗り移ってきた。

「マナ様、よくご無事でお帰りなさいました」

「ただいま。皆に変わりはない?」

「はい。お日様みてえなもんです」

 島独特の言い回しで変わりのない事を告げた男はマナを様付けで呼び、使用人のように振舞う。
 マナも親しげで蔑むことはないが、やはりどこかで主人のような物言いをしている。

 2人を不思議そうに見ていたサクラへ、マナが男を紹介する。

「サクラさん、水先案内のカフよ。私の兄弟みたいなものなの」

 カフと呼ばれた彼は膝までのズボンと袖のない麻の上着という姿で、マナよりずっと日に焼けた肌をしている。
 癖が強く、渦を巻くように波打つ黒髪をひっつめてイルカのように結い上げていた。

 真っ黒な眼は小さく落ち窪んだようだったが、実に人懐っこそうな顔で笑いかけてくる。

 その笑顔にサクラは微笑み返した。

「よろしくお願いします、カフさん」

 まだ少女とも言えるサクラに微笑まれ、カフはますます顔を皺くちゃにして笑う。

「こちらこそお願いしますです。あの、マナ様、それで……あの方は、見つかったですか?」

「ええ。あちらに」

 そこへ舵をサスケにあずけ、イルカがやってきた。

 ちらちらと後を気にかけているのは、自分も舵を取りたがったナルトとの言い合いが耳に入ってくるからだろう。
 見かねて、サクラが入れ替わりに船尾へかけてゆく。

 サクラに叱られるまでもなく、流石のナルトも多くの船が沈んでいるのを見たこの海で、サスケから舵を奪い取るようなことはしないだろう。

「イルカさん。こちらは、カフ。この先は彼が舵をとります」

 マナはまずイルカへカフを、次にカフへイルカを紹介した。

「この方が、うみのイルカさん。木ノ葉隠れに渡った、うみのの方」

 イルカとカフは互いに手を差し出して握手をしながら、改めて名乗りあう。

「うみのイルカです。よろしくお願いします、カフさん」
 
「カフでいいです、イルカ様」

 だが、様付けで呼ばれてイルカは慌てた。

「やめてくださいっ。様なんてっ! イルカでいいですっ!」

「そんなわけにゃいかねえです。イルカ様って呼ばねば、オレ、叱られますです」

「いや、でも……」

 繰り返される『イルカ様』と、うろたえる恩師の姿に、船尾で子供たちが盛大に噴出していた。



   ★ ☆ ★ ☆ ★



 小船の先導にカフが舵を取り、船は礁の入り組んだ海を進んでいく。

 イルカは疲れたように舳先にもたれかかっていた。
 もちろん、思いっきり噴出してくれたナルトには思い切りのいい、なんとか堪えようとしてくれたサスケとサクラには加減をしたゲンコツをくれてやってから。

 格式の高い依頼先で虚栄心剥き出しの様付けなら覚えがある。

 だが、こんな風に善意や尊敬だけで呼ばれることには、慣れていない。
 それに、イルカには彼から敬意を払われるようなことは何一つないはずなのだ。

 イルカの傍らにマナが近寄り、苦笑を堪えて言った。

「この国では、うみの家の方は英雄なんです」
 
 島では、こんなことばかりですよ。

「私も、本当はイルカ様ってお呼びしたかったんですけど」

「やめてください、本当に。そういうガラじゃないんです……」

 それにオレが英雄なわけじゃないでしょう。

「オレはガキの頃から出来が悪くて、普通って言うのも変ですけど……平凡な中忍でやってきたんです」

 そう呟くイルカの微笑は、少し苦い。

 けれど、その傍らで同じように微笑んだマナの表情も、よく似ていた。

「私は、生まれた頃から、ずっと1人でした」

 父は私の生まれる前、母も私を生んだときに亡くなったそうです。

「それでカフの父親に育てられたのです。大事にはしてくれましたが、まるで主人にでも接するようで……。カフだって、兄弟みたいなのに、マナ様って呼ぶんです」

 孤独だったわけではないが、寂しさは感じたのだとマナは言う。

「だから、同じ立場の人ができて……少し嬉しいです」

 そう言って笑うマナは、本当にイルカと良く似ていた。

「でも、イルカさんはお嫌そうですし、皆にはできるだけ呼ばないよう、言ってみます」

「……お願いします」

 そんな会話のうちに、やがて島は近付き、その全容が見えてくる。

 砂浜だけでなく、海岸線の集落まで、なだらかな白い砂が続いている。

 あれは砂ではなく、死んだ珊瑚が砕けたものだ。
 水はけはいいが、保水性がなく、植物は育ちにくいのだという。

 うっそうと繁った熱帯性の森林は村のさらに奥にある。
 そして植生の変わったあたりから、急に勾配がきつくなって一つの峰へと上っていた。

 天然の防波堤である礁を迂回し、湾の端に石を積んで作られた波止場に船が接岸した。

 港のそばで遊んでいた子供たちはマナの姿を見つけると、駆け寄ってくる。
 男の子たちが皆、伸ばした髪を結い上げているのをみると、イルカの髪型はここの習慣の名残かもしれない。

「マナ様、お帰りなさーい」

「マナさまー、オミヤゲー」

「ただいま、みんな」

 数人の子供たちに囲まれ、マナは1人1人の顔を確認しはじめた。
 小さな子から順に声を掛け、頬を撫でて微笑んでいる。

 子供たちも頭をなでられながら、マナが島を離れていた間の、他愛のない日常を報告しだす。

 今日はおねしょしなかった。
 昨日は魚を突いた。
 一昨日は沖を大きな船が通った。
 その前は、砂浜で海亀を追いかけた。

 そんな島の子供たちの様子は、ナルトたちを懐かしい気持ちにさせる。

「マナ姉ちゃん、人気者だってばよ」

「本当。なんか、イルカ先生みたい」

 言っているそばから、イルカも子供たちに囲まれてしまっている。

 しかし、マナと子供たちの姿はそのまま、アカデミー時代のイルカと彼らだった。

 離れた場所からこちらの様子を伺っている人見知りの子供にも、マナは手を振っている。
 まるで、イルカがサスケやナルトを呼んだように。

「マナ様は、水門(みなと)の嬢様ですけ。この島じゃ姫様みたいなもんです」

 ナルトたちの会話に、カフが加わった。

「それに、この島にゃ学校がねえで、マナ様が子供らに字教えてくれてるです」

「じゃあ、マナさんがこの島じゃ先生なのね」

 ますますマナとイルカに似通ったところがあるのだと知ってサクラは笑う。
 だがサスケの言葉に、3人とも黙ってしまった。

「なんか、イルカ先生……この島にいた方がよさそうだな」

 中忍試験を経験した3人とも、イルカがただの先生でないことは理解している。
 
 状況は違っていたかもしれないが、自分たちがあれほど苦戦した試験を経て、中忍として任務についている人なのだ。

 だからといって、死と隣り合わせの忍家業と、この島での生活。
 どちらがイルカに似合っていると思えるかは、別だった。

「ナルトくんっ! サクラさんっ! サスケくんっ!」

 ようやく子供たちの群れから脱したマナとイルカが3人を呼んでいる。

 これから島の奥へ向かうらしい。
 島の中央にそびえる峰を指して、マナは歩き出す。

「あの山の頂きに、島のことを、もう少し詳しくお話できる場所があります。まず、そこへ行きましょう」

「わかりました。いくぞ、お前ら」

 イルカに促され、ナルト、サクラ、サスケも後に続いた。

「おうっ!」

「はい!」

「はい」

 だが、久しぶりに地に立ったせいか、子供たちにはまだ波に揺られる感覚が残っているらしく、多少足元がふらついている。

 それでも流石に忍者として鍛えているだけはある。
 サンゴの砂を撒いた小道を辿り、集落と森を抜け、険しい山を上る頃にはおさまっていた。

 道すがら、マナは島の話をする。

「60年前までは、この島は今よりずっと大きな島で、この山ももっと高く険しくて、人が近付くことがなかったのだそうです」

 だが島が沈んだ時、山は辛うじて中腹までが海上に残った。
 その残された僅かな土地で、僅かな人々が生き延びたのだという。

「元々、山は禁足地だったので、ここで暮らすことを拒んだ人もいました。逆に国を失った私たちに、神様が残してくれたのだと言う人も……」

 折角、生き延びたものの、考えの違いが諍いを生み、礁の国の人々は散り散りに旅立っていったのだと。

「……今となっては、どちらが正しかったのか……誰にも、いえないけれど……」

 マナはそう締め括る。



   ★ ☆ ★ ☆ ★



 もはや道とは呼べない場所を抜け、ようやく山頂へ辿りつく頃には、島へ着いた時には中天にあった日もだいぶ西に傾いている。
 だが、暮れ始めの空に彩られた眼下に広がる世界はまさしく絶景だった。

 石灰岩を多く含んだ白い峰の山頂は、影とのくっきりとしたコントラストが生まれている。
 そして、その中央は深く抉られ、漣だった青い湖が煌いていた。
 
 海から離れるほどに薄まっていた潮の匂いが、ここでは急に強くなっている。
 多分、どこかで海とつながっているのかもしれない。

 内輪から湖の上へ半分ほどせり出すように建てられた、白い石造りの簡素な社のようなものもあった。
 入口とおぼしき扉はぴたりと閉ざされ、塞ぐように文様の刻まれた丸く黒い岩が置かれている。

 その傍らにボロボロの布を敷き、白く少ない髪を1つに結い上げた老人が座っていた。

「ただいま、フナ」

「おお、マナ様! お帰りなさいませ!」

 マナが声をかけると、その老人───フナは立ち上がって迎えた。

「こちらが、木ノ葉隠れの里に居られたうみのの方よ」

「はじめまして。うみのイルカです」

 ぎこちなく挨拶するイルカも、フナは大仰に喜んで迎える。

「おお、よくぞお戻りくださいました! イルカ様!」

 そう言ってがっしりと両手を握り、よくぞお戻りくださいました、と繰り返す。

「うみのの方がお戻りになれば、あの《力》も封じられます」

「フナ」

 だが、感激に眼を潤ませるフナへ、マナは告げる。

「……イルカさんは戻ってこられたわけではないの」

「なんですとっ」
 
「木ノ葉隠れの里へ、封印を守ってくれるよう依頼したの。火影様のお計らいで、この国に縁のあるイルカさんたちを派遣してくださったけれど、全てが解決すればイルカさんは帰ります」

 マナは辛そうに、それでも真実を告げる。

「もうイルカさんの国は礁の国じゃないわ。火の国、木ノ葉隠れの里の人なの」

「……そうですか」

 落胆した気持ちのまま、フナはその場へ座り込んでしまう。

 申し訳ないイルカは、なんと言葉をかけるべきか迷っていた。
 ただ、残るとは言えない。

「フナ、仕方がないわ。私たち、60年も前に違う場所で生きる事を選んだんですもの……」

「……マナ様」

 呆然とするフナへ気丈にもマナは微笑んでみせる。

「さ、フナ。話して頂戴。木ノ葉の方々に、私たちの事情を……」

「……は、はい」

 マナに支えられ、フナは元の敷物の上に座りなおすとしばらく傍らの岩を撫で、そしてようやく口を開いた。

「……これは、礁の国……いえ、この島に古くから伝わる話です……」

 フナの隣りにマナ、正面にイルカ、その後にサクラを真中にしてサスケとナルトも腰を下ろす。
 
 いまや空は赤さを増し、大地は闇に支配されつつある。

「人が生まれた時、成した《力》がこの山に眠っている、と。60年前、ワシはその秘密を守る家の者でした……」

 強く照り付けていた太陽は沈み行き、深い海の色に似た空には一つ、明星が輝きだしていた。
 


 【続く】
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡
WRITE:2005/09/21
UP DATE:2005/10/10(PC)
   2008/12/31(mobile)
RE UP DATE:2024/08/09
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