青く深き王国
【10 愛する大地】
~ Deep Blue ~
[青く深き王国]
「何故だっ!?」
驚愕し、罵声と悲鳴の入り混じった叫びをあげながら、アウムは赤黒く染まった碑石と共に襲いかかる水流に押し流されていく。
彼に向かって行こうとしていた高霎(タカオ)と闇霎(クラオ)もまた、水流に巻き込まれて姿を消した。
霧隠れの忍たちを攫った水流はナルトたちにも向かって来たが、カカシとサスケの写輪眼で水流の動きを見極めてチームワークでかわしていく。
それでも水流は執拗に襲いかかった。
水流はアウムの命じたように攻撃してきている。
けれど、思い通りでない事は、一番最初に彼が巻き込まれた事で明白だ。
では何故。
「……暴走?」
サクラは厚く雲に覆われた暗い空を見上げて呟く。
封印が解ける目安となる月は、まだ満ちていない。
それを知っていたはずのアウムは、鍵となる血を得て悦に入って先走った。
それで暴走したのかもしれない。
いや、最初から人の意のままにできるものだったのかも分からない。
サクラが見上げる先で《力》は高空へと駆け上り、獲物の様子を窺う猛禽のように大きく弧を描く。
このままでは、60年前に礁の国を滅ぼした悲劇を繰り返す事になってしまう。
「どうしたら……、そうだ、確か」
サクラは自分の記憶に残る、白い社の前に据えられていた丸く黒い石に刻まれた紋様を思い返していた。
碑文の大半は《力》の計り知れない万能さと危険さを伝える言葉ばかり。
万が一として、《力》が目覚める条件と鎮める方法も記されていた。
───祖王、連なる、血
古い言葉なのか、名詞や動詞の羅列でしかない。
助詞を足せば読めるけれど、選択を間違えれば正解にはたどり着けなくなる。
サクラは慎重に言葉を組み立てていく。
───大地、汚れ、目覚める
「王に連なる血が、大地を汚した目覚める? じゃあ、あんなやり方じゃ……」
きっとあの《力》は、王が傷つくような危機への最後の対抗手段だったのだ。
───怒り、巫女、祈り、鎮める
「怒りは巫女の祈りで鎮められる、のね」
巫女はマナの事だろうが、どのように祈れば良いのか。
サクラだって自分が間違いなく解読できているとは思ってはいない。
だがアウムが読み違えたか都合良く解釈した結果から、可能性を絞り込める。
あの男の言動をも記憶から掘り起こし、手掛かりとしていた。
───再び、眠り……王、刃
「……刃?」
マナやカフ、フナが話してくれた礁の国の記憶を総て浚い、たどり着いたのは最初の話。
60年前、礁の国が滅亡した時の話。
若者と巫女が一振りの剣を手に、荒れ狂う《力》に立ち向かった、と。
そして、碑文は続く。
サクラが解釈するに───。
───巫女よ、刃を持って古と、青く深き海を尊ぶべし
王よ、人と大地に心を砕け───
「巫女と、王だけが、あの《力》を鎮められる……」
つまり、内輪湖へ落ちて安否の分からないイルカとマナが居なければ、どうにもならない。
「お前らは村に下りて、島の人たちと高台に避難してな。イルカ先生たちは、オレが探す!」
カカシはそう指示を出すが、ナルトは聞かない。
「オレも、オレも探すってばっ!」
暗い海の中の根源と言われる《力》のことは、こうして目の当たりにしている今でもナルトには良く分からない。
ただ、ナルトにしか理解できないこともあった。
得体の知れない強大な力を、その身に宿していると知らされる衝撃。
忌まわしい秘密さえ受け入れ、自分自身を認めてくれる人のいる喜び。
九尾の封印がある腹の辺りを強く握り、ナルトが思い出しているのは、忍となったあの日に自分に額当てを託してくれたイルカだ。
「……分かったよ、ナルト」
カカシも2人の絆を知っているから、止めることもできない。
軽く、懐かしい色の頭を撫で、釘だけは刺して。
「ただし、暴走してるアレを避けながらの捜索は危険だ。お前の面倒見ながら、なんて余裕はオレにもない」
そこでだ、とテンポ良く呟くと、ナルトの頭に載せた手からボフンと煙が上がる。
「よろしくねー、パックン」
小僧のお守りか、と愚痴る忍犬に先導され、ナルトは躊躇なく荒れ狂う内輪湖へ飛び込んで行った。
「サスケ、サクラは島の人達を頼む。いざとなったら、船で脱出するから」
「わ、分かりましたっ」
無言で頷いたサスケを追って、サクラも一気に崖を下って集落を目指す。
2人を見送ってから、カカシも内輪湖へて身を躍らせた。
すり鉢状になった内輪山の湖面は、暴風の吹き荒れる嵐の海になっていた。
至る所で波が砕け、幾筋もの水竜巻が立ち上がっては巨大な本流といえる水柱に飲み込まれていく。
峰の上から崖の半ばを走るナルトとパックンの姿を確認し、カカシは改めて状況の全体を眺めていた。
「なんて力だ……」
九尾のように禍々しく攻撃的なものではないが、巨大さ強大さはこちらが上を行くから巻き込まれれば結果は同じ。
島の、礁の国の人々が《力》───深き青、暗い海の中の根源───と呼ぶこの力は、自然に存在する原初の生命エネルギーそのものだった。
忍者が自らの体内で練り上げるチャクラに似ているが、仙人が使う仙術の源の一つと言うべきか。
海中の自然エネルギーがなにかのきっかけで凝縮したものだろう。
カカシには───写輪眼には、湖底よりも奥深く、まるで機を窺っているように潜む《力》の核らしき物が見えていた。
嵐としか思えないこの現象も表面に漏れ出した余波に過ぎず、本体が解き放たれたらこんなものでは済まないとわかる。
アウムが碑文を曲解し、先走って条件の揃わぬまま解放して幸いだった───のかもしれない。
たが、心からそう思うには、この《力》を封じ込めなければ。
そして、その為だけでなく、イルカとマナが無事でなければ。
「……そういやぁ、あの碑文が刻まれてた丸い石って?」
イルカとマナの血に反応し、アウムと共に水流に飲まれたあの碑石が、不意にカカシの気にかかった。
あれは、ただの碑石ではない。
アウムはまるで《力》へ命令を伝える物のように扱っていなかったか。
この暴走のきっかけともなったが、なんらかの繋がりがあることは確かだ。
アウムと碑石を攫った水流は一度崖の向こうに消え、また天空へ昇って本流へ合流した。
碑石が流れに飲まれたまま本流にあるのか、それとも流れからこぼれて崖下に落ちたのかは分からない。
「くそっ! どっちだ!?」
判断に迷うカカシの視界に、思いも寄らぬ光景が写った。
隆々と立ち上がる水柱に、細い2本の水流が襲いかかっている。
本流に触れる度に勢いを奪われ、細くなっていく反抗する水流に、わずかだが霧隠れの双子のくのいちらのチャクラが潜んでいた。
これだけの《力》に飲み込まれて尚、高霎(タカオ)と闇霎(クラオ)の怒りは消えず、アウムへと向かっているのだろう。
多分、アウムは最早、思念も残っていないようだが。
そこまで考えたところで、カカシは思い至る。
湖から《力》の具現化した水柱が立ち上がった時に、イルカとマナは落ちた。
もしも2人も、取り込まれていたとしたら。
写輪眼で荒れ狂う湖面や水竜巻を見たところで、膨大な《力》の奔流に紛れて人のチャクラは見分けられない。
それでも水柱と抗い続ける2本の水流からは、ぼんやりとだが気配を感じた。
強く明確な意志を持っていれば、あの《力》に影響を与えるのかもしれない。
気を失っていたマナはともかく、きっと彼女を救う事を第一に考えていただろうイルカならば。
「……とは言ったものの、どうしますか」
言葉ばかりの暢気さで呟いたカカシの眼前に、新たな水柱が立ち上がってきた。
とっさに後退り身構えたが、その水柱は他と様子が違う。
一見、大蛇丸の口寄せする巨大な蟒蛇マンダが鎌首をもたげた様を思い起こさせるが、獰猛な雰囲気は一切ない。
むしろ、誰かがなにかを託そうと手を伸ばしているようにも見える。
カカシは思い切って水柱に近寄り、手を触れてみた。
『おねがいします』
「えっ? あっ、ええっ!?」
触れた途端にイルカの声が聞こえ、水柱から何かが迫り出してくる。
慌てて両腕を差し出せば、気を失ったマナが現れた。
全身がずぶ濡れではあるが、アウムに斬られた傷は見当たらず、血の滑りも臭いもしない。
「イルカ先生!」
問い掛けに答える暇も見せず、イルカのチャクラが潜む水柱は魚が身を翻すようにするりとカカシの元を去った。
「……まずは、退避か」
マナの安全を考え、カカシは両腕で彼女を抱えてこの場を離れる。
一方、カカシにマナを託した水柱が目指したのは、パックンとともに垂直の崖を足裏にチャクラを集めて駆けているナルトだった。
今度は容赦なく、背後からさらっていく。
「うっわぁああああああっ!!」
「ナルトっ!?」
パックンを置き去りに、ナルトを飲み込んだ水柱は、中心にそそり立つ巨大な水柱を遡っていった。
突然、水流にさらわれてもがくナルトに馴染み深い声が語りかける。
『おちつけ、なると』
「……イルカ、せんせい?」
普段とは違う穏やかな声音だが、知らないわけではない。
いつもは怒鳴られて、叱られてばかりいたけれど、イルカは優しかった。
こんな声で名を呼んでくれた人は、イルカが最初だった。
『おまえの、ちからを、かしてくれ』
だから、例え姿が見えなくてもイルカの声で請われたなら、ナルトは応えずにいられない。
「おうっ!」
胸に直接響く声に、大きく頷いた。
途端に、ナルトの身体は隆々と立ち上がった水柱の更に上空へと放り出される。
『けちらしてこい』
そんなイルカらしい言葉と共に。
《影分身の術》
同時にナルトは影分身の手を借り、チャクラを右手に凝縮しはじめる。
そして潔く影分身を踏み台に、足下に捉えた水柱の頂点へと跳んだ。
《螺旋丸》
渦巻く奔流の中心に撃ち込まれたチャクラの乱流が、断末魔にも聞こえる轟音をあげならが巨大な水柱を一瞬にして霧散させる。
塩を含んだ大量の水が湖だけでなく、島全体に飛び散って降り注ぐ。
荒れ狂う水柱が消えて露わになったのは、あれだけの水に洗われても未だ血に濡れた赤黒い光を湛えた丸い碑石だ。
術の反動で再び上空に放り上げられていたナルトは再度、今度は碑石に向けて螺旋丸を放とうと影分身の印を組む。
だがその前に、一筋の水流が碑石を抱きとめるように包み込んでいた。
『もういい。ありがとう、《クムリポ》』
誰かを労うイルカの声が、ナルトには確かに聞こえた。
清廉な輝きが碑石から溢れ出し、あれほど禍々しかった血色が荒い流されていく。
そして、全てが静かにゆっくりと落ちていった。
碑石も。
ナルトも。
空に向けて立ち上がっていた、全ての水流も水柱も。
島の頂上、内輪湖に。
湖面が近づいたところで、ナルトはチャクラを足裏に集約して水面に着水した。
碑石はそのまま、湖底へと沈んでいく。
「ナルト、無事じゃったかっ」
「パックン!」
峰から小さな身体を弾ませて、忍犬が駆け下りてきた。
その背後には、マナを背負ったカカシの姿もある。
「なあ、イルカ先生はっ!?」
けれど、さっきまでの荒れ方が信じられないほど凪いだ湖面を見渡しても、イルカの姿は見あたらなかった。
「イルカ先生ーっ!!」
何度大声で呼びかけても、答える声は返らない。
「……ナルト」
不意にかけられたパックンの声は慰めではなく、注意を促す色を含んでいた。
「何か、浮いてきておる」
言われて目を凝らせば、湖の中央に何かが浮かび上がってこようとしているのか、波紋が立っている。
忍犬が止める間もなく、ナルトは確信を持って駆け出していた。
「イルカ先生っ」
信じた通り、イルカが仰向けに浮かび上がってくる。
ぼんやりとした視線を中空にさまよわせているが、怪我などはない。
「イルカ先生ーっ!!」
「うわっ!? ちょ、こら、ナル、ト、ま、おぼ……コラーッ!!」
嬉しさだけで飛びついてくるナルトの勢いを受け止めきれず、2人して溺れかけている。
それでもナルトは抱きついて離れず、イルカもなんとか体勢を立て直すと、教え子の頭を撫でた。
「よかった、イルカ先生が無事で、本当によかったってばー!」
「まったく、お前は……」
そんな2人のじゃれあいをカカシとパックンが安堵と呆れが半分の笑顔で、マナは心から微笑ましく眺めている。
こうして、かつて礁の国を滅ぼした脅威は復活することなく、島にはひとまずの平和が戻った。
【続く】
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡
WRITE:2012/07/21
UP DATE:2012/07/22(mobile)
RE UP DATE:2024/08/09
~ Deep Blue ~
[青く深き王国]
「何故だっ!?」
驚愕し、罵声と悲鳴の入り混じった叫びをあげながら、アウムは赤黒く染まった碑石と共に襲いかかる水流に押し流されていく。
彼に向かって行こうとしていた高霎(タカオ)と闇霎(クラオ)もまた、水流に巻き込まれて姿を消した。
霧隠れの忍たちを攫った水流はナルトたちにも向かって来たが、カカシとサスケの写輪眼で水流の動きを見極めてチームワークでかわしていく。
それでも水流は執拗に襲いかかった。
水流はアウムの命じたように攻撃してきている。
けれど、思い通りでない事は、一番最初に彼が巻き込まれた事で明白だ。
では何故。
「……暴走?」
サクラは厚く雲に覆われた暗い空を見上げて呟く。
封印が解ける目安となる月は、まだ満ちていない。
それを知っていたはずのアウムは、鍵となる血を得て悦に入って先走った。
それで暴走したのかもしれない。
いや、最初から人の意のままにできるものだったのかも分からない。
サクラが見上げる先で《力》は高空へと駆け上り、獲物の様子を窺う猛禽のように大きく弧を描く。
このままでは、60年前に礁の国を滅ぼした悲劇を繰り返す事になってしまう。
「どうしたら……、そうだ、確か」
サクラは自分の記憶に残る、白い社の前に据えられていた丸く黒い石に刻まれた紋様を思い返していた。
碑文の大半は《力》の計り知れない万能さと危険さを伝える言葉ばかり。
万が一として、《力》が目覚める条件と鎮める方法も記されていた。
───祖王、連なる、血
古い言葉なのか、名詞や動詞の羅列でしかない。
助詞を足せば読めるけれど、選択を間違えれば正解にはたどり着けなくなる。
サクラは慎重に言葉を組み立てていく。
───大地、汚れ、目覚める
「王に連なる血が、大地を汚した目覚める? じゃあ、あんなやり方じゃ……」
きっとあの《力》は、王が傷つくような危機への最後の対抗手段だったのだ。
───怒り、巫女、祈り、鎮める
「怒りは巫女の祈りで鎮められる、のね」
巫女はマナの事だろうが、どのように祈れば良いのか。
サクラだって自分が間違いなく解読できているとは思ってはいない。
だがアウムが読み違えたか都合良く解釈した結果から、可能性を絞り込める。
あの男の言動をも記憶から掘り起こし、手掛かりとしていた。
───再び、眠り……王、刃
「……刃?」
マナやカフ、フナが話してくれた礁の国の記憶を総て浚い、たどり着いたのは最初の話。
60年前、礁の国が滅亡した時の話。
若者と巫女が一振りの剣を手に、荒れ狂う《力》に立ち向かった、と。
そして、碑文は続く。
サクラが解釈するに───。
───巫女よ、刃を持って古と、青く深き海を尊ぶべし
王よ、人と大地に心を砕け───
「巫女と、王だけが、あの《力》を鎮められる……」
つまり、内輪湖へ落ちて安否の分からないイルカとマナが居なければ、どうにもならない。
「お前らは村に下りて、島の人たちと高台に避難してな。イルカ先生たちは、オレが探す!」
カカシはそう指示を出すが、ナルトは聞かない。
「オレも、オレも探すってばっ!」
暗い海の中の根源と言われる《力》のことは、こうして目の当たりにしている今でもナルトには良く分からない。
ただ、ナルトにしか理解できないこともあった。
得体の知れない強大な力を、その身に宿していると知らされる衝撃。
忌まわしい秘密さえ受け入れ、自分自身を認めてくれる人のいる喜び。
九尾の封印がある腹の辺りを強く握り、ナルトが思い出しているのは、忍となったあの日に自分に額当てを託してくれたイルカだ。
「……分かったよ、ナルト」
カカシも2人の絆を知っているから、止めることもできない。
軽く、懐かしい色の頭を撫で、釘だけは刺して。
「ただし、暴走してるアレを避けながらの捜索は危険だ。お前の面倒見ながら、なんて余裕はオレにもない」
そこでだ、とテンポ良く呟くと、ナルトの頭に載せた手からボフンと煙が上がる。
「よろしくねー、パックン」
小僧のお守りか、と愚痴る忍犬に先導され、ナルトは躊躇なく荒れ狂う内輪湖へ飛び込んで行った。
「サスケ、サクラは島の人達を頼む。いざとなったら、船で脱出するから」
「わ、分かりましたっ」
無言で頷いたサスケを追って、サクラも一気に崖を下って集落を目指す。
2人を見送ってから、カカシも内輪湖へて身を躍らせた。
すり鉢状になった内輪山の湖面は、暴風の吹き荒れる嵐の海になっていた。
至る所で波が砕け、幾筋もの水竜巻が立ち上がっては巨大な本流といえる水柱に飲み込まれていく。
峰の上から崖の半ばを走るナルトとパックンの姿を確認し、カカシは改めて状況の全体を眺めていた。
「なんて力だ……」
九尾のように禍々しく攻撃的なものではないが、巨大さ強大さはこちらが上を行くから巻き込まれれば結果は同じ。
島の、礁の国の人々が《力》───深き青、暗い海の中の根源───と呼ぶこの力は、自然に存在する原初の生命エネルギーそのものだった。
忍者が自らの体内で練り上げるチャクラに似ているが、仙人が使う仙術の源の一つと言うべきか。
海中の自然エネルギーがなにかのきっかけで凝縮したものだろう。
カカシには───写輪眼には、湖底よりも奥深く、まるで機を窺っているように潜む《力》の核らしき物が見えていた。
嵐としか思えないこの現象も表面に漏れ出した余波に過ぎず、本体が解き放たれたらこんなものでは済まないとわかる。
アウムが碑文を曲解し、先走って条件の揃わぬまま解放して幸いだった───のかもしれない。
たが、心からそう思うには、この《力》を封じ込めなければ。
そして、その為だけでなく、イルカとマナが無事でなければ。
「……そういやぁ、あの碑文が刻まれてた丸い石って?」
イルカとマナの血に反応し、アウムと共に水流に飲まれたあの碑石が、不意にカカシの気にかかった。
あれは、ただの碑石ではない。
アウムはまるで《力》へ命令を伝える物のように扱っていなかったか。
この暴走のきっかけともなったが、なんらかの繋がりがあることは確かだ。
アウムと碑石を攫った水流は一度崖の向こうに消え、また天空へ昇って本流へ合流した。
碑石が流れに飲まれたまま本流にあるのか、それとも流れからこぼれて崖下に落ちたのかは分からない。
「くそっ! どっちだ!?」
判断に迷うカカシの視界に、思いも寄らぬ光景が写った。
隆々と立ち上がる水柱に、細い2本の水流が襲いかかっている。
本流に触れる度に勢いを奪われ、細くなっていく反抗する水流に、わずかだが霧隠れの双子のくのいちらのチャクラが潜んでいた。
これだけの《力》に飲み込まれて尚、高霎(タカオ)と闇霎(クラオ)の怒りは消えず、アウムへと向かっているのだろう。
多分、アウムは最早、思念も残っていないようだが。
そこまで考えたところで、カカシは思い至る。
湖から《力》の具現化した水柱が立ち上がった時に、イルカとマナは落ちた。
もしも2人も、取り込まれていたとしたら。
写輪眼で荒れ狂う湖面や水竜巻を見たところで、膨大な《力》の奔流に紛れて人のチャクラは見分けられない。
それでも水柱と抗い続ける2本の水流からは、ぼんやりとだが気配を感じた。
強く明確な意志を持っていれば、あの《力》に影響を与えるのかもしれない。
気を失っていたマナはともかく、きっと彼女を救う事を第一に考えていただろうイルカならば。
「……とは言ったものの、どうしますか」
言葉ばかりの暢気さで呟いたカカシの眼前に、新たな水柱が立ち上がってきた。
とっさに後退り身構えたが、その水柱は他と様子が違う。
一見、大蛇丸の口寄せする巨大な蟒蛇マンダが鎌首をもたげた様を思い起こさせるが、獰猛な雰囲気は一切ない。
むしろ、誰かがなにかを託そうと手を伸ばしているようにも見える。
カカシは思い切って水柱に近寄り、手を触れてみた。
『おねがいします』
「えっ? あっ、ええっ!?」
触れた途端にイルカの声が聞こえ、水柱から何かが迫り出してくる。
慌てて両腕を差し出せば、気を失ったマナが現れた。
全身がずぶ濡れではあるが、アウムに斬られた傷は見当たらず、血の滑りも臭いもしない。
「イルカ先生!」
問い掛けに答える暇も見せず、イルカのチャクラが潜む水柱は魚が身を翻すようにするりとカカシの元を去った。
「……まずは、退避か」
マナの安全を考え、カカシは両腕で彼女を抱えてこの場を離れる。
一方、カカシにマナを託した水柱が目指したのは、パックンとともに垂直の崖を足裏にチャクラを集めて駆けているナルトだった。
今度は容赦なく、背後からさらっていく。
「うっわぁああああああっ!!」
「ナルトっ!?」
パックンを置き去りに、ナルトを飲み込んだ水柱は、中心にそそり立つ巨大な水柱を遡っていった。
突然、水流にさらわれてもがくナルトに馴染み深い声が語りかける。
『おちつけ、なると』
「……イルカ、せんせい?」
普段とは違う穏やかな声音だが、知らないわけではない。
いつもは怒鳴られて、叱られてばかりいたけれど、イルカは優しかった。
こんな声で名を呼んでくれた人は、イルカが最初だった。
『おまえの、ちからを、かしてくれ』
だから、例え姿が見えなくてもイルカの声で請われたなら、ナルトは応えずにいられない。
「おうっ!」
胸に直接響く声に、大きく頷いた。
途端に、ナルトの身体は隆々と立ち上がった水柱の更に上空へと放り出される。
『けちらしてこい』
そんなイルカらしい言葉と共に。
《影分身の術》
同時にナルトは影分身の手を借り、チャクラを右手に凝縮しはじめる。
そして潔く影分身を踏み台に、足下に捉えた水柱の頂点へと跳んだ。
《螺旋丸》
渦巻く奔流の中心に撃ち込まれたチャクラの乱流が、断末魔にも聞こえる轟音をあげならが巨大な水柱を一瞬にして霧散させる。
塩を含んだ大量の水が湖だけでなく、島全体に飛び散って降り注ぐ。
荒れ狂う水柱が消えて露わになったのは、あれだけの水に洗われても未だ血に濡れた赤黒い光を湛えた丸い碑石だ。
術の反動で再び上空に放り上げられていたナルトは再度、今度は碑石に向けて螺旋丸を放とうと影分身の印を組む。
だがその前に、一筋の水流が碑石を抱きとめるように包み込んでいた。
『もういい。ありがとう、《クムリポ》』
誰かを労うイルカの声が、ナルトには確かに聞こえた。
清廉な輝きが碑石から溢れ出し、あれほど禍々しかった血色が荒い流されていく。
そして、全てが静かにゆっくりと落ちていった。
碑石も。
ナルトも。
空に向けて立ち上がっていた、全ての水流も水柱も。
島の頂上、内輪湖に。
湖面が近づいたところで、ナルトはチャクラを足裏に集約して水面に着水した。
碑石はそのまま、湖底へと沈んでいく。
「ナルト、無事じゃったかっ」
「パックン!」
峰から小さな身体を弾ませて、忍犬が駆け下りてきた。
その背後には、マナを背負ったカカシの姿もある。
「なあ、イルカ先生はっ!?」
けれど、さっきまでの荒れ方が信じられないほど凪いだ湖面を見渡しても、イルカの姿は見あたらなかった。
「イルカ先生ーっ!!」
何度大声で呼びかけても、答える声は返らない。
「……ナルト」
不意にかけられたパックンの声は慰めではなく、注意を促す色を含んでいた。
「何か、浮いてきておる」
言われて目を凝らせば、湖の中央に何かが浮かび上がってこようとしているのか、波紋が立っている。
忍犬が止める間もなく、ナルトは確信を持って駆け出していた。
「イルカ先生っ」
信じた通り、イルカが仰向けに浮かび上がってくる。
ぼんやりとした視線を中空にさまよわせているが、怪我などはない。
「イルカ先生ーっ!!」
「うわっ!? ちょ、こら、ナル、ト、ま、おぼ……コラーッ!!」
嬉しさだけで飛びついてくるナルトの勢いを受け止めきれず、2人して溺れかけている。
それでもナルトは抱きついて離れず、イルカもなんとか体勢を立て直すと、教え子の頭を撫でた。
「よかった、イルカ先生が無事で、本当によかったってばー!」
「まったく、お前は……」
そんな2人のじゃれあいをカカシとパックンが安堵と呆れが半分の笑顔で、マナは心から微笑ましく眺めている。
こうして、かつて礁の国を滅ぼした脅威は復活することなく、島にはひとまずの平和が戻った。
【続く】
‡蛙女屋蛙姑。@iscreamman‡
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RE UP DATE:2024/08/09