君は僕の輝ける星

【[4]THE 絶望行進曲】
   ~ The Despair March ~
[君は僕の輝ける星]



 それは3月も下旬、金曜日の夕方。

 木ノ葉バレエ・アカデミーに、あの男が帰ってきた。

 一昨日までパリ公演に参加していたはたけカカシが、1月半ぶりに。

「よお、久しぶりだな」

 カカシがアカデミー・オフィスへ入ったところで、出入り口の脇に設けられた狭い喫煙スペースに体躯を押し込んだ髭面の男と鉢合わせた。

 互いに片手を上げて挨拶を返す。

「Ah~ Long time no see, Asuma~[あー。久しぶりー、アスマー]」

「オメエ、頭はまだ向こうかよ」

 盛大に煙を吐き出してアスマが指摘してやれば、カカシも気付いて頭を切り替えた。

「ああ? はいはい。あんがとね~」

「っとに、面倒なヤツだな」

 日々、世界を飛び回っているカカシは、久しぶりに日本に帰ってくると日本語を忘れている。
 世界中たいがいの国で英語かフランス語が通じるせいで。

 だから彼と親しいものが、たまに日本に帰ってきたカカシにツッコミを入れてやるのだ。

「ま! それはお互い様ってことで~」

「オメエは迷惑かけっぱなしだろーがよ」

 吸いきったタバコを吸殻入れに放り込み、これで用は終わったとばかりにアスマは立ち去ろうとする。

「じゃ、いい金曜日を~」

 聖金曜日だし、と付け加える。

「オメエ、クリスチャンだったか?」

「いんや。でもクリスマスもイースターも楽しむべきデショ?」

 小首を傾げて聞いてくるカカシを可愛くねえからやめろと制したアスマは、クリスチャンでない日本人が派手にクリスマスを満喫している様を思い浮かべた。

「そりゃ、そうだがよ」

 クリスマスはな、というアスマの呟きはカカシに届かなかったようで、彼は巨大な荷をオフィスに預けてアスマに手を振った。

「んじゃ、オレ行くトコあっから~ TGIF![良い金曜日を!]」

「あ、おいっ」

 去っていく軽やかな足取りは流石、世界的バレエダンサーといったところか。

「行っちまいやがった」

 アスマは新しいタバコを取り出し、火をつける。
 そこへ、同僚の紅が顔を出した。

「カカシ、今日帰ったのね」

「ああ」

 実はカカシは日本の常識や風習に疎い。
 かと言って、その他の国では完璧なワケでもない。
 ほどほどに広く、浅い知識の持ち主なのだ。

 なので、きっとカカシは知らない。

 クリスマス程、イースターという行事が日本に浸透していないことを。
 そして、カカシがスルーしてしまった日本の風習を、結構気にしていた人物がいることを。

「ずいぶん浮かれてイルカちゃんとこに向かってたけど……」

「SIF[悲惨な金曜日]通り越してBlack Monday[暗黒の月曜日]にならなきゃいいがな……」

 カカシ不在の出来事を思い出し、2人は同時に人の悪い笑みを浮かべた。



   ★ ☆ ★ ☆ ★



 カカシはレッスン室へと向かう廊下の途中で、目指す人物の後姿をみとめて走りよる。

「イルカ先生っ!」

「カカシさん、お久しぶりです」

 うみのイルカは振り返り、社交辞令程度の笑顔を見せた。
 見習クラスのレッスンが終わり、子供たちを迎えに来た親へ引き渡してきたところなのだろう。

「いつお戻りに?」

 自分のスケジュールを把握してくれていたことが嬉しいカカシは、へらりと笑って後ろ頭を掻く。

「や、たった今ですー。本当にご無沙汰しちゃってー」

「いえ、カカシさんはお忙しいですからね。あぁ、パリ公演の成功、おめでとうございます」

「あー、はい。ありがとうございます。お陰様で」

 互いに笑顔で穏やかな会話が続くのだが、どうもカカシにはそれが上滑りしている表面上のものとしか思えない。

 いや、事実そうなのだ。
 穏やかで誠実そうな笑顔を浮かべているイルカの目が、笑っていない。

「あの、イルカ先生……なにか、あったんですか?」

「いいえ、なにも」

「でも……」

 なんか、怒ってませんか。

 とは言いたくとも言い出せない迫力が、イルカの笑顔にはあった。

 カカシは続く言葉を探してしばし沈黙し、それをイルカは表情を変えずに待っている。

「えっと……あ、そうそう」

 カカシは両手に収まる大きさの包みを取り出した。

「お土産です。イルカ先生だけにっ」

「ああ、ありがとうございます」

 受け取ったイルカは開けてもいいかと問い、カカシもどうぞと答える。

 日本の習慣では無作法なこと。
 逆に欧米ではプレゼントを受け取ったらその場で包みを盛大に破いて、贈り物を喜んでみせるのが礼儀だ。

 お互いが持つ常識のギャップを気遣うくらいには、2人の距離は縮まっているらしい。

 簡単というよりは大雑把に近い包装を開けたイルカが苦笑した。

「うーん。斬新な、色合いですねえ……」

 そう表現するしかないぐらい派手な色合いの、タマゴとうさぎを模ったチョコレート。
 それは春を寿ぐ祝祭のためのものだ。

「ええ、もうすぐイースターですから」

「イースター、ですか?」

 聞きなれない言葉に、イルカは首を傾げた。

 一方カカシも、ここまでのイルカの言葉で日本にはイースターという行事がポピュラーでないと悟ったのだろう。
 どう説明すべきかと頭をひねる。

「ええっと、春のお祭りで、色塗った卵とか、うさぎのお菓子とか飾ったりするんです……」

「へえ、楽しそうですねえ」

 カカシの説明はまったく要領を得ないせいか、イルカも興味なさげな返しだ。

 ぶっつりと互いのコミュニケーションを断裂するかのようなイルカに、カカシは続く言葉を捜して焦りだす。

 けれど、奇妙な沈黙を破ったのはイルカが先だった。

「ああ、そうそう。オレもカカシさんに渡そうと思ってたものがあったんです」

「え? イルカ先生が、オレにっ」

 予想もしていなかった嬉しい台詞に、カカシのテンションは一気に上がる。

 天上から響く音楽にのせてグラン・パ・ド・ドゥでも踊っている幻想ぐらいは見えていそうだ。

 しかし、すぐに失墜する。

「ええ。先月、お誘いいただいたお礼にって、思ってたんですけどね」

 そう言われ、イルカの言葉が過去形になっていることにカカシもようやく気付いた。

 そう、あったということに。

「ずっとお会いする機会がなくて痛んでしまったので、今、ないんですよ」

 すみませんねえ、と悪びれた様子もなくイルカは告げる。

「まさか今日、お会いできるなんて思ってなかったんで、代わりのものも用意してませんし」

「それは、あの?……」

 なんとなくだが、イルカの不可解な態度の原因───の一端に、カカシは触れた気がした。

 謎を解くための鍵になりそうなものは見つけたらしい。
 まあ、それがどこのどんな扉を開く鍵なのかは、まださっぱり分からないのだが。

「あ、すみません。オレ、次のレッスンがあるので、これで失礼します。それと、オミヤゲありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げ、そそくさとイルカは去っていく。

 取り残されたカカシは、自分の考えに没頭してしばらくその場に立ちつくしていた。

 けれど、急に当初の目的を思い出す。

「あ、イルカ先生イースターに誘うの忘れた……」

 そう、本当はオミヤゲにイースターのチョコレートを渡して、自宅へ誘うつもりだったのだ。
 子供たちもダシにして、イースターパーティでもしませんか、と。
 そして、もうちょっと親密になれたらなと思っていた。

 なのに、何も言い出せず、以前以上にギクシャクとした会話だけ。

 そんな自分の不甲斐なさと、イルカの頑なさに、カカシの気分は下降していく。
 よれよれとオフィスへ戻って預けていた荷物を受け取ると、真っ直ぐに自宅へと帰って引きこもるくらいに。

 そしてアスマの予想通り、悲惨な金曜日から暗黒の月曜日までの貴重な休暇を絶望のうちに過ごしてしまったという。

 ホワイトデーの存在と、その日のイルカの様子も知らないまま。



 【続く】
‡蛙女屋蛙姑。@ iscreamman‡
WRITE:2005/03/14
UP DATE:2005/03/24(PC)
   2008/12/01(mobile)
RE UP DATE:2024/08/09
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