君は僕の輝ける星

【[1]君は僕の輝ける星】
   ~ Your My Only Shining Star ~
[君は僕の輝ける星]



 バレエダンサーの1日は忙しない。

 身体を維持するために毎日2時間以上のレッスンは欠かせないし、公演の打ち合わせや出演交渉にも時間をとられる。
 言語の習得も一流となるためには必要だったし、多少なりとも有名になれば色々と取材にも応じなければならなくなる。

 はたけカカシがその日のスケジュールを全て終えたのは、日付が変わるまであと2~3時間というところだった。
 木ノ葉バレエ・アカデミーきってのプリンシパル、となれば当然というところか。

 立場上、後進の指導員も兼務している身だが、3人の付き人兼教え子たちは夏休みを利用した1週間の合宿に参加中で手を離れている。
 
 それがないだけで、多少なりとも自分の時間が持てることを有り難いと思えるほどだ。

 そしてカカシは本日最後の仕事───オフィスでの打ち合わせを終え、地下駐車場へ下りていく。
 途中、まだ明かりの灯ったままのレッスン室の前を通りかかった。
 誰かが消灯し忘れたものかと思ったが、防音扉からはかすかに音楽がもれている。

 こんな時間に正規のレッスンは行なわれない。
 たぶん、一般コースなどを受け持つ講師あたりが自身のレッスンのために部屋を借りているのだろう。

 珍しいことでもない。

 そう思って、通り過ぎようとした。
 したけれども、細い窓から垣間見た光景に、足が止まる。

───……イルカ、先生?

 それは、うみのイルカだった。

 初めての教え子の口からよく聞かされる人物で、中級クラスに所属している青年。
 ダンサーとしては一流とは言えないまでも、堅実な踊り手としての評価は高いと聞いていた。
 若いながらも見習クラスや一般コースの講師をしていて、寮住まいのアカデミー特待生たちの面倒もみているからか、多くの人に慕われている。
 だからカカシも彼を、イルカ先生として覚えていた。
 
 しかし、そのイルカのバレエを目にしたカカシは、言葉を失っている。

 うみのイルカは背の高い、男性ダンサーらしい肉体をしていた。
 長めの黒い髪は高い位置で1つに結い、額にバンダナを巻いている。

 顔は少し愛嬌も含んでいるが、整っているほうだと思う。
 なにより、誰からも好感をもたれそうな笑顔が印象的だった。

 そんな彼が、濃紺のレッスン着と白いウォーマー、普通のシューズで『瀕死の白鳥』を舞っていた。

 この踊りの難易度は恐ろしく高い。

 1曲通してパ・ド・ブーレ───爪先だけで立って踊らねばならず、またそれゆえに高度なボディコントールも、優雅で叙情的な動きや表情も要求される。
 熟練のプリマドンナにも、踊りこなすことは難しいのだ。

 体力や技術があったとしても、男が一朝一夕に踊れるものではない。

 男の踊る『瀕死の白鳥』といえば、男性のみのバレエ団でも人気の演目だ。
 ただそれは高い技術を伴いながらも、肩の関節を外して見せたりするキワモノ芸の範囲でしかない。

 それを、一介のバレエ講師が踊っていた。

 カカシが見たこともない、優雅で悲愴な『瀕死の白鳥』を。

 繊細で基本に忠実なパ(ステップ)。
 堅実なポワント。
 柔らかな腕の動き。

 そして、普段の笑顔からは想像もつかない、静謐な表情で。

 カカシはイルカの踊る『瀕死の白鳥』に見惚れていた。
 そして自分の中に湧き上がる感情に、戸惑う。

───……なんで、オレが王子だったらなんて……

 彼の手を取って、共にパ・ド・ドゥを踊る姿を想像していた。

 白鳥はプリマドンナではない演出。
 カカシが王子、イルカがザ・スワンを踊る。

 想像のステージに、ひどく心惹かれる自分をカカシは止められない。

 イルカが動きを止めたのを見計らって、カカシはレッスン室の扉を開けた。

「遅くまで熱心ですね。イルカ先生」

「……はたけ、カカシ、さん……」

「カカシでけっこーですよ。オレもイルカ先生って呼ばせてもらってますから」

「はあ……。あの、それで……なにかご用でしょうか、カカシさん?」

 バァルに掛けてあったタオルを取り、噴出してくる汗を拭いながらイルカは首を傾げる。

 無理もない。
 カカシとイルカの接点は全て間接的なもので、直接言葉を交わすのは今が初めてのはずだ。

「や、見させて頂きました。『瀕死の白鳥』」

「……はあ、お見苦しいものを……」

「いえいえ。男のパ・ド・ブーレをキレイだなんて思ったのは初めてですよ」

「……え。あ、どうも……」

 たいした面識もないカカシの賛辞に、イルカは気恥ずかしさが先立っているようで、曖昧な返事しかしてくれない。

 なのにカカシは問うことを、イルカに話し掛けることをやめられなかった。

「でーも、なんでイルカ先生がポワントを?」

「あの、オレが受け持つクラスには初めてポワントに挑戦する子も多いものですから、オレ自身が見本を示さないとならなくて……」

 問えばイルカも照れくさそうに頬を掻きながら答えてくれる。

 よく見れば、イルカの顔には鼻を跨いで両頬に渡る薄い傷があった。
 もう古い傷なのだろうが、その傷を掻く癖があるのだろう。

「なるほどねーえ。やっぱイルカ先生ってマジメなんですね」

「いいえ。オレは自分に出来ることをしているだけなんです……」

「ソレができる人をマジメっていうんだと、オレは思ってんですけどね」

 ついでに言うなら、オレはそーゆー人が好きみたいです。
 
 にっこりと極上の笑みを浮かべて、カカシは告げた。

 アカデミー屈指のプリンシパルに誉められたからか、それともカカシの笑顔にか、イルカの顔に血が上っていく。

「あ、ありがとう、ございます……」

 それでもうつむかずに真っ直ぐに自分を見て礼を言われ、カカシはますます好感を抱いた。

「ねえ、イルカ先生。今日はもうあがりませんか?」

「……ええ、そのつもりです」

 ここを片付けて掃除して、鍵を返したら……ああシャワー浴びる時間はねぇな。

 などと小声で段取りを確認しながらシューズを脱ぎ、ロッカーへモップを取りに行こうとする。

 そんなイルカに、カカシは誘いをかけていた。

「でね、メシ付き合ってくれません? あ、勿論オゴリますし、帰りもお送りします!」

「や、あのオレ寮で、門限ありますし……」

「あー、そーなんですかー。残念デス」

「スミマセン、せっかく誘っていただいたのに」

「いえ、でもそのうちご一緒しましょう。メシでも、レッスンでも構いませんから」

「ええ!? そ、そんなダメですよっ! オレなんかじゃレッスンの邪魔にしかなりませんよっ」

 慌てて辞退しようとするイルカの手からモップを奪い取って、代わりに汗に濡れた床を拭い始めたカカシは、楽しそうに勝手に約束を強引に取り付ける。

「じゃーあ、お掃除手伝いますんで、今度オレのレッスンに付き合ってくださーい」

「そんな勝手に、ちょっとカカシさんっ」

「約束ですよー、イルカせんせーぇ」

 語尾をやたらと伸ばしながら、イルカの手を逃れてぱたぱたと狭いレッスン室にモップを掛けていく。

 多少、自分は浮かれていると、カカシは自覚していた。

「オレねー、イルカせんせー」

「はい?」

 モップ掛けをカカシに任せ、デッキ回りに散らばっているテープやCDを簡単にまとめていたイルカが律儀にあいづちまで返してくれるのが嬉しい。

 その感情がどこからくるのかは気付かないまま、カカシは続ける。

「アナタと『スワンレイク』踊りたいなーって思ってんです」

「はあっ!?」

「さっき『瀕死の白鳥』見て、そー思ったんデス」

 素っ頓狂な返事にこぼれた笑いを隠さずに、けれど真剣な声でイルカへ迫った。

「イルカ先生、オレの星になってよ」

 星───エトワールはバレエ・ダンサーの目指すところ。
 
 けれど、今カカシが言った意味は、そうではない。

 自分だけの、たった1人。

 果たしてイルカは、そのことに思い至ったのかは分からない。

「なっ……なに言ってんだアンターーーっ!!!」

 ただ、真っ赤になって叫んでくれた。

 そして、その耳がバカになるほどの大声にひるんでいる隙に、駆け去っていく。

 モップを手に、1人取り残されたカカシは、途方にくれた。

 レッスン室の掃除も途中だし、ここの鍵はさっき後にしたオフィスに返さなくてはいけない。

「あー、オレ……なにやってんだろーねー」

 そして、性急に彼に近付こうとする自分にも。



 【続く】
‡蛙女屋蛙姑。@ iscreamman‡
WRITE:2004/12/06
UP DATE:2004/12/06(PC)
   2008/11/25(mobile)
RE UP DATE:2024/08/09
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