崩壊
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真夜中、誰もいない薄暗い廊下で、◯◯は魔導具が保管されている扉の前に立っていた。以前より密かに入手していた鍵を使い、鎖を外して中へ身を滑り込ませる。
冷え切った室内。ストールを羽織り直し、最奥に進む。
珍しくない武器も数多く保管されているが、その中でもやはり魔導具は特別で、形容も異質、かつ独特な気配を纏っていた。
最奥には大きなケースに隔離されている魔導具があった。
美しい紅色の鞘に納められた刀だ。
【……また来たか、小娘】
人ではない声が響くと、一気に室内の空気が蠢く。泥の中にいるように身体が重くなったが、それも◯◯には慣れたものとなっていた。
『また来たよ。気は変わったかな? やっぱりずっとここにいても退屈でしょう。私なら今すぐにでも連れ出してあげるのに』
【我が主はあの仮面の男と決めている】
『まだ紅麗を諦めてないの?』
【数百年ぶりに見る逸材だ。ここにいる者の中で我に一等相応しい】
『すでに完成された主よりも、これから成長が見込めそうな主の方が面白そうじゃない? 例えば、私を鍛えて育てるとか』
【去れ、無駄口が多い女だ】
ここで意思を持つ刀に出会ってから、◯◯は足しげく通い自分と契約しないか口説いていた。
『短い間だけでいいのに。目的を達成したらもう武器は必要ないし……それに以前、あなたの能力について教えてくれたでしょう? それが興味深いな』
刀が探るようにこちらを見ているのが分かる。
『見える? もう私の心臓にはリスクがある』
【……そのようだ】
埋め込まれたものが刀には分かるのだろう。そして私の覚悟も理解したはずだ。あと一押しと踏んでとっておきの情報を教える事にした。
『ねえ、実は炎術士ってもうひとりいるのよ』
【……ありえない。火影一族の炎は一世代にひとりのみ】
『異例よね? 紅麗の弟だそうよ。私と一緒に彼を探してみない?』
この刀が紅麗に惚れているのは、火影一族頭首の証、唯一無二の炎術士であるからだ。それが一世代にふたり生まれている。
紅麗の炎の型は不死鳥。であるならばもうひとりの彼はどんな炎だろう。
『もし、私が
鬼の骨から創られし刀として、そう名付けられている。
笑った気配を感じた。面白いとでもいうように。
【いいだろう。暇つぶしに付き合うてやる。我を所有する事を許そう】
刀に触れると、骨にまで響く鋭い痛みが駆け抜けた。生きているかのようにドクンドクンと脈を打ち、身体中の血液が沸騰し、熱い。
――シュウウゥ……
髪が深みのある薔薇色へ染まってゆく。お互いの一部を共有するかのように。
これまでとは違う感覚が身体を支配した。だが不思議と恐れはない。
持ち上げた刀は、羽のように軽くなった。
***
明日、紅麗が牢から出る事が決まり、小金井薫はいても立ってもいられず走り出した。
あの痛ましい日から、長かった。
鍛錬も兼ねて足音を立てず廊下を走っていると、別館の◯◯の部屋からまだ明かりが漏れているのが見え、小金井は目を輝かせた。
「◯◯姉ちゃん、まだ起きてる? ……あれ、◯◯姉ちゃん?」
ノックしてからそっと中を覗いたが、室内にはおらず、開け放たれたバルコニーの外、その手すりに寄りかかって月を見ているようだった。
そしてまるで別人のように見えた。燃えるような真っ赤な髪をしていたから。
『……薫?』
聞き慣れた声に名前を呼ばれて我にかえる。
「どうしたのその髪! いつ染めたの!?」
『ついさっき。変?』
「すごく綺麗だよ! 一瞬誰かと思っちゃった」
同じようにバルコニーに出ると、外は思いの外寒くて肩が震えた。
どうしてまだ起きているのかと聞こうとした時、ふと思い出した。深夜、◯◯姉ちゃんはここで紅麗の訪れを待つ事があったから。
『こんな遅くにどうしたの? 眠れないの?』
「体力余っててそこらへん走ってたんだ! そしたら◯◯姉ちゃんの部屋がまだ明るかったから…… ◯◯姉ちゃんはまだ寝ないの?」
『月が綺麗だったから、少しここで眺めていたの』
紅麗を待っているの? とは聞けなかった。誰も◯◯姉ちゃんを悲しませたくなくて、紅麗が牢に入れられている事を知らせていない。
(大丈夫だよ、明日にはきっと会える)
願いを込めて、寂しそうな背中に心の中で伝える。
それが聞こえたかのように、振り返った◯◯姉ちゃんは優しく微笑んだ。
『そろそろ戻った方がいい。もうすぐ、雨が降る』
空を見上げた横顔があまりにも綺麗で、悲しくて、同時になぜだか胸騒ぎがした。
この時の俺はまだ未熟で、姉ちゃんが魔導具の気配を纏っているなんて気付かなかった。
その夜が姉ちゃんとの最後の会話になるなんて、思いもしなかったんだ。
みんなが異変に気付いたのは、夜が明けてからだった。その日は一日中酷い雨が降り続けた。匂いも気配も足跡もすべて消し去って、◯◯姉ちゃんは突然いなくなった。
赤い髪に染まった姉ちゃんを知るのは、俺だけだった。
執筆 2006.8.31
修正 2024.7.8