短編作品
「あの二人、例の七不思議のやつで付き合ったらしいよ」
「まじ?」
「マジ。これで何組目? みんなよくやるよねー」
「ねー。七不思議を二人で全部体験しなくちゃいけないんでしょ? こっわー」
「でもさ、ちょっと楽しそうだよね。私もやろっかなー相手いないけど」
「私とやる?」
「えー、同性でも効果あんのかな?」
「試してみようよ」
「あはは、いいね。やってみよっか」
昼休みの騒がしい廊下を、女の子たちが噂話をしながら通り過ぎて行った。
最近学校はこの手の話で持ち切りだ。高校生にもなって七不思議? って思うけど、何故かうちの学校の七不思議は呪われるんじゃなくて、一緒に体験した二人が結ばれちゃうんだよね。
「でさ、」
「ん?」
「おまえも来いよ。いや、来てくれ! 俺の恋の命運はおまえにかかってる!」
「……七不思議ねぇ。別に行ってもいいけど、僕相手いないじゃん」
「そこは任せとけよ。とびっきり可愛い子連れて来てやるから!」
可愛い子ねぇ……
僕に対してあまり効果のない殺し文句に、心の中で盛大に溜息を吐きつつオッケーと返事をする。
正直、僕はこの手の話をあまり信じていないし興味もない。が、友人の恋を応援しない程薄情でもない。ので、夜の学校へわざわざやって来たわけだが。なんで、どうして、
「いやー、コイツがどうしても来たいって言うからさー」
「楽しみだねー」
「…………」
いやいや、可愛い子連れてくるって言ったじゃん。最悪だ。なんでよりにもよってコイツなんだよ。
チラリと目の前で愛想良く突っ立っている男を見る。イケメン、て言うより美人ていう表現が似合う彼は僕と目が合うと、にこりと人好きのする顔で笑った。……ほんとに最悪。まだ四人で回るだけマシか。なるべく関わらないように離れて歩こう。
「よし、じゃあ揃ったところで始めっか。2−2で時間差で出発な」
「おっけー」
「は? なんで? みんなで行くんじゃないの?」
「みんなで行ってどうすんだよ。このイベントの趣旨を忘れたのか」と友人に小声で怒られたけどそんなん知らん。無理。帰ろう。
「なに? もしかして怖いとか?」
なんだって? 怖い? 僕が?
「……それ、僕に言ってる?」
「うん。二人きりじゃ怖いんでしょ? やめとく?」
「やめる? なんで? こんなの朝飯前だよ」
「そ? じゃあやって見せてよ。俺たちから出発ね」
「……ん?」
「行ってきまーす」
「おう、気をつけろよー」
んん? なんでこうなった?
鼻歌を歌いながら歩いてく彼の後ろを黙って着いていく。ほんとになんでこうなったんだ。負けず嫌いな僕の性格が恨めしい。とにかくこんなのさっさと終わらせてサクッと帰ろう。
「…………」
「〜〜♪」
「……ねぇ」
「なにー?」
「一つ目ってなに? 道わかってるの?」
「んー? なんだっけな? さっきメモもらったけど」
「……はぁ。ちょっと見せて」
「はい、どうぞー」
二人でメモを覗き込む。近い近い。なんなの、パーソナルスペースってものはないの?
「わぁ、魔の十三階段だって! どこだろ。えっと、西校舎か。逆じゃん!」
「……なんで自信満々にこっちに歩いてたんだよ」
「なんとなく?」
「……わかった。メモは僕が持っとくから」
「そ? じゃ、お願いねー」
そう言って彼はまた鼻歌を歌いながら先陣を切って歩き出す。全くもう……
「ちょっと! そっちは本館。こっち」
「あれ? そうだっけ?」
ほんとコイツは……外見と中身のギャップが相変わらずすごい。黙ってれば見惚れるくらい綺麗なのに、中身はびっくりするくらいほわほわしてて、でもそこがどうしようもなく、
「ねぇ、ここじゃない? 魔の十三階段」
「え? あ、そう、だね」
「どうかした?」
「!? なんでもないッ」
「そう? なら良かった」
至近距離で顔を覗き込まれて息が止まる。だから! パーソナルスペース! あんたの顔面えげつないんだから自覚してくれよ。ほんとやだ。帰りたい……
「よし、じゃあ数えてみよっか」
「待って。別々に数えて報告し合おう」
「わかった。じゃあ行くよ? せーの……」
「……うん、十二だな。そっちは?」
「……そんな、どうしよう」
「どした?」
「やばいよ、まじでやばいかも! 俺、十三だった……」
「え、まじで? もっかい数えてみたら?」
「う、うん……、……間違いない。十三ある」
「うーん、僕は十二なんだけど……ねぇ、声出して数えてみてくれる?」
「わかった……やってみるね。……行きます、いーち……」
「それ!」
「どれ!?」
「その一段目! なんで登ってないのにそこが一なの? 一個登って一でしょ?」
「え? このなんも登ってないところが一じゃないの? だって一階二階ってそう数えるよね?」
「いやいや、段だから。段て重ねてものを数えていくでしょ? 階段も一段二段て数えるじゃん」
「なるほど! ちょっと待ってね、数えてみる……、……十一、十二、十二だ! やったぁ!」
そう言って彼は僕に飛びついてきた。既の所でサッと躱す。危ない所だった……
「なんだよー、なんで避けるんだよ、ケチー」
なんとでも言え。僕は必死なんだ。
彼から少し離れてメモを確認する。えっと、二つ目はー
「夜ひとりでに鳴る音楽室のピアノ?」
……近い。ほっぺたがピタッとくっつくくらいの距離に、僕は慌てて彼を押し剥がす。彼は一瞬ちょっとびっくりした顔をしたけど、すぐにいつもの優しい顔になった。ほら、こうやっていつだって僕だけが翻弄されるんだ。
「でもさー、」
と、彼が腕組みをして首を傾げる。
「この学校、ピアノなんてあったっけ?」
「……たぶん旧校舎じゃないかな。前に実験道具を取りに行った時に見かけた」
「ふーん、俺旧校舎行った事ないや。楽しみー」
楽しみ? 僕は今すぐ帰りたい。
旧校舎は校庭を挟んで向かい側にある。今は教室として使われてはいないが色んな教材が置いてあるので、教師や係の生徒は結構頻繁に行き来する。問題のピアノは使われていない教室の真ん中で静かに佇んでいた。
「うわあ、グランドピアノだ! 俺ピアノ弾いてみたかったんだよね」
「たぶん調律されてないから綺麗な音は出ないと思うよ」
「お? なんか詳しいね。もしかしてピアノ弾けるの?」
「いや、全然。詳しいとかじゃなくて調律しなきゃいけないとかみんな知ってるんじゃないの……」
「そなの? 俺知らなかったー。おまえすごいね」
「すごくないって。ただ知ってるだけなんだから……」
「ううん。おまえは俺より何でも知ってるし何でも出来るじゃん。俺に出来て、おまえに出来ない事なんてないくらい」
「……んな事ない」
「ん?」
「何でもない」
ギュイ……ン ギィ ギッ キィ……
「な、なに!?」
「ピアノ!?」
ピアノから弦を引っ掻くような不快な音が響いてくる。まさか、七不思議が本当に……? 次に何が起こるかわからない。僕は彼の体を引き寄せて自分の背後に隠すようにピアノの前に立った。鍵盤は動いていない、てことは弦が直に鳴ってる? 僕はそっとピアノに耳を当ててみた。
「な、何してるの!? 危ないよ!」
「シ……、静かに」
彼は両手で口を塞いでくぐもった声で「おっけい」と言った。そういうとこほんと変わってない。僕はちょっと笑いそうになったのをグッと堪えて耳を澄ます。
……やっぱりそうか
膝についた埃を払いながら彼を見ると、まだ口を両手で押さえながら目だけが不安そうに揺らいでいた。僕は咄嗟に彼から目線を逸らす。もう、ほんとに、やだ……
「……大丈夫だからしゃべっていいよ」
「……、大丈夫なの? 何で? 一体何したの?」
「何も。これは怪奇現象でも何でもなくて、単にピアノの中にネズミが棲みついてるだけなんだよ」
「ネズミ?」
「そう、古いピアノにはよくあることなんだって聞いたことある。耳を当ててみたら鳴き声も聞こえたし間違いないと思う」
「なんだ、そうなんだー! 良かったぁ。さすがに怖かったよね!」
「まぁ、ちょっとはびっくりしたかな……なに?」
ふと目線を上げると、ニヤついた顔の彼と目が合った。
「いや? ただ、俺を守ろうとしてくれたの、嬉しかったなって」
「は、はぁ!? し、してないし!」
「そりゃ残念」
「な、ちょ、ほ、ほんとにッしてないッ!」
「わかったって。ほら、次行こうよ」
「…………」
はぁ……いつまで続くんだよこれ。まだ二つ目終わったとこなんだけど。あと五つも残ってるの? 無理。それに、最後までやった所でどうにかなるわけでもないのに。なんで僕はこんなことやってるんだ。もうここらで切り上げて帰っても文句は言われないんじゃないか? そうだよ、別に僕らが最後までやる必要はないんだ。てか、なんでコイツは今日来たんだろ? 自分から行きたいって言ったみたいだし、何が目的なんだ。あ、もしかして練習? 好きな子とコレ巡るための練習に来てんのか……! なるほど。ふーん、そっか。へー。
「次どこだっけ? ってなんか怒ってる?」
「べつに」
「怒ってるじゃん」
「怒ってない」
「なんなんだよー」の声は無視して僕は先に歩き出した。そうだよ。別に怒ってなんかない。怒れるわけない。怒れるわけ、ないんだ
初めて彼と出会ったのは小学五年生の春。転校生だった彼は、その綺麗な容姿とほわほわした中身のギャップからかすぐに人気者になった。女子からも男子からも先生からも人気があって、平々凡々な僕なんか声すらかけられず、彼のことをいつも遠くから眺める事しか出来なかった。そう、一目惚れだったんだ。
中学生になったある日、コンビニでばったり彼に会った。挨拶をしようか迷ったけど、やめた。だって、きっと彼は僕のことなんか覚えてないだろうから。そう思って目当ての漫画の新刊を手に取ってレジに向かおうとしたら「久しぶり」と声をかけられた。心臓がドクンと跳ねた。久しぶり? 僕のことを覚えてるの? それとも誰かと勘違いしてる? 半信半疑のまま返事をしたらどうやら彼は、ほんとに僕のことを覚えていたようだった。嬉しかった。夢のようだった。手に持っていた漫画を指差して「好きなの?」と聞かれた。力一杯「好き!」と答えた。彼は一瞬びっくりした顔をしたけど、すぐ優しい笑顔に戻って、「俺も好きなんだ。その作家の前作も全巻持ってる。読む?」と聞いてきたので、すぐさま「読みたい」と答えた。そのまま彼の家に一緒に行き、全巻借りて帰った。けど、ほんとは僕も全巻持ってた。
彼との交流が始まって、親友と呼べる程仲良くなって、幸せな時間はあっという間に過ぎ、僕たちは高校生になった。頭の良い彼と同じ高校に行きたくて必死に勉強した。合格したその日の夜は、お風呂でこっそり泣いた。
高校二年生の春、彼が女の子に呼び出された。そんなのはいつものことで、彼はその度断っていたからあまり気にしてなかった。その日の帰り、彼は用事があるから先に帰ってて、と僕に言って教室を出て行った。彼がそんなこと言うなんて、仲良くなってから一度だってなかった。それで僕は、やめとけばいいのに、彼の後を付けてしまった。嫌な予感はしてたんだ。そういう時の勘ほどよく当たるもので。サラサラの腰まであるストレートの髪を軽く揺らしながら、彼女は彼に手を振った。あ、と思った。そっか、そうなんだ。僕はいつから勘違いをしていたんだろう。彼の隣に長く居過ぎたせいだろうか。だから僕は大きな思い違いをしてしまった……まるで、僕が、彼の特別であるかのような。何を話しているかここからでは聞こえないし、彼の顔も見えないけど、彼女が笑う度、彼の腕に触れる度、僕という存在が彼の中から消えていくような気がした。
これがきっと彼にとって正しいんだ。僕は彼にとって友達で、それ以上でもそれ以下でもなくて、その友達がこんな気持ちを抱えてるなんて知ったら……もう、今まで通り彼の隣に友達としているのはとてもじゃないけど出来なかった。幸い彼には友達が多い。僕と離れたところでなんら困ることはないだろう。クラスも違うし、離れるのは難しいことじゃなかった。次の日から僕は彼を視界から消した。
だからあの後彼女とどうなったかなんて知らなかったけど、この七不思議をやりたいってことは彼女とはダメになって別の好きな子ができたってこと?
順調に青春を謳歌している彼。僕が居なくても平気そうな彼。それを目の当たりにして僕の心臓はこれでもかと軋んで悲鳴を上げてるのに、また前みたいに普通に話せていることが嬉しすぎて今にも叫び出してしまいそうなんだ。
だから、嫌だった。彼といると、僕は簡単に幸せになってしまうし、簡単に地獄に突き落とされるから。だから、嫌なんだ。まだこんなにも彼が好きで好きでたまらないんだと、心の底から思い知らされるから。
「ね、体育館着いたけど、ここは何が起きるんだっけ?」
ぼーっと歩いてたらいつの間にか目的地に着いたらしい。彼に声をかけられ目線を上へ上げると、彼とパチリと目が合った。琥珀色の綺麗な瞳。吸い寄せられるように一歩前へ踏み出す。彼の頬に触れようと手を伸ばし、また一歩踏み出した、ら、溝に足がハマり盛大にコケてしまった。
「ほら、大丈夫? ぼーっとしすぎ」
「……ダイジョウブ」
彼に支えられて立ち上がる。危なかった。恥ずかしかったけど、コケて良かった。もし彼に触れていたら、きっと、止まれなかった。
「あー、えっと、夜の体育館からボールの音が聞こえる、らしい」
「ふーん。……何も聞こえないね」
彼は体育館の扉に耳を当てて残念そうに呟いた。
僕の心臓は今、これでもかと爆音を奏でてるので、もしほんとにボールの音が鳴っていてもきっと気付かないだろうな……
「体育館の扉は全部鍵が掛かってるし、どうしよっか。もしかして音が聞こえるまで待たないとダメなのかな?」
とりあえず、爆音を鎮めるため当たり障りのない会話をしてみる。
「いや、この七不思議ってその場所を全部回ればいいだけだから。怪奇現象を体験しなくちゃいけないわけじゃないんだよ」
「……そうなんだ。詳しいね?」
彼は少し目を泳がせながら、あー、とか、えー、とか言って言葉を濁している。あー、なるほどね。しっかり下調べをしてきたんだ。それだけ本気って事だよな。……応援、してあげなきゃな。
「よし、じゃあ、次行こう。メモはやっぱりおまえが持っといてよ。その方がよくわかるし」
「え? うん、わかった……」
全く、頼りない返事だな。まぁでも、おまえに好きだと言われてオチないやつはいないよ。僕が保証する。
その後僕たちは、“動く人体模型”“開かずの扉”“美術室のモナリザ”と、特に何の問題もなく巡り、ついに最後の七不思議までやってきた。
「桜の木の下には死体が埋まってる……ねぇ」
僕は桜の木の下に立ち地面を見つめた。まさか掘るわけにもいかないしなぁ、とちらりと彼を見る。
ぱちりと目が合った。いつから僕を見ていたのだろう。少しの悪意もない、夜空の星のような瞳がじっと僕だけを見ていた。
「この桜の木の下には、数え切れないほどの死体が埋まってるんだよ」
「そんなわけ……」
「ううん。ほんとに埋まってるんだ。俺も、もうすぐここに埋まる」
「は?」
秋ももう終わる、冬の始まりのようなこの時期。桜の木からはらはらと枯葉が舞い落ちている。
「ま、ほんとに埋まってるのは身体じゃなくて気持ちだけどね」
「きもち?」
「そ。お前は知らないだろうけどさ、ここは昔からこの学校で有名な告白スポットなんだよね」
告白? ああ、ここで告白する予定なのか
「桜の木の下で気持ちが通じ合えたら、その人は運命の人。なんだって」
へぇ……、そんな話全然知らなかった
「でもさ、通じ合える人たちなんてごく一部で、多くの人はここで振られるってわけ」
まぁ、そうだろうな。おまえは別だろうけど
「だから、ここには結ばれなかった多くの人たちの気持ちが埋まってるんだ」
こいつがなんでこんな話を僕にするのかわからないけど、こいつの中で告白することは確定事項で何故か振られると思ってる?
「おまえさ、」
僕はちょっとイラッとしながら彼に話しかけた。だってそうでしょ? 彼を振る奴がいるなんで想像できる? 否。
「ここには予行練習で来たんだろうけど、なんだよ、なんでそんな弱気なんだ。おまえはさ、ほんとすごい奴なんだからいい加減自覚しろよ。勉強もスポーツも何でも出来て、なのに全然気取ってなくて、顔だってカッコよくて、可愛くて、美人で、綺麗で、なのに、中身はふわふわしててほんと可愛いし、そんなに強くないのに全部背負いこんじゃうのも見てて腹立つ時もあるけど、でもそこも含めて守ってやりたくなるし、もっと頼れよって思うし、頼られない自分に腹立つし……」
ってあれ? 僕なに言って、
恐る恐る目だけで彼を見る。あ、僕、やっちゃったかも。彼は両手で口を押さえて、前髪から覗く切長の綺麗な目はこれでもかと見開かれている。
「あ、あのっ、えっと、その、僕が言いたいのは、つまり……」
これ、相当不味くないか。絶対引いてるよな。間違いない。可愛いとか言っちゃって気持ち悪いって思われたかな。ああ、もうこれで友達でも何でもなくなってしまったかも。……てかさ、これ、そもそもそういう問題ではなくて、僕の気持ち、バレたんじゃ……?
彼がカサカサと音を立てて木の葉の上を歩く。僕の横を通り過ぎ桜の木に手を着くと「ねぇ」と口を開いた。
「な、なに……?」
「さっきの、本心?」
「それは、その……」
「なに。違うの」
ちょっと怒ったような彼の語気に僕はすぐ怖気付いて「本心だよ!」と言ってしまった。
「ふーん。そっか」
そう言って彼はくるりとこちらを向くと、見たこともない妖艶な笑みを浮かべて僕をじっと見つめた。なに、怖い。美人の無言てほんと怖い。
「続き、どうぞ?」
「は? 続き!?」
「あれで終わりじゃないでしょ? 要は何を言いたかったのか聞いてないし」
「い、いや! あれで終わり! そもそも! 僕の話なんかどうだっていいんだよ! おまえの話だっただろ? おまえが! ここで! 好きな子に告白するつもりなんだろ!」
「あれ? 何で知ってるの?」
「……っ、そんなの、簡単に想像できるよ……」
「まじか。うーん、じゃあさ、相手が誰とかもわかってるの?」
「……いや、そこまでは」
「そうなんだ……、ほんとにわかって欲しいことは中々伝わらないもんだね」
なにを僕に分かって欲しいのか、そんなことはもうどうでも良かった。わかりきっていた失恋なのに、僕の心臓は情けない悲鳴をあげて、今にも彼にしがみついて、なんでどうしてとみっともなく縋り付いてしまいそうなんだ。だからなのか、どうしてなのか、僕は聞きたくもない去年の春の事を口にしていた。
「あの女の子とは別れたの?」
「ん?」
「ほら、去年の春告白してきた、髪の長い……」
「……、……、……あー、あの子か」
「……そんなすぐ思い出せないくらい色んな子と付き合ったの?」
「勘違いしてるようだけど。別にその子と付き合ってないし、そもそも告白されてない」
「え? でもさ、おまえいつもすぐ断って速攻でシャットアウトするのに、その子とは放課後また会ってただろ……?」
「だから、告白されてないって。あの時また会ってたのは、どうしても話さないといけない事があったからで……」
「なに?」
「え?」
「どうしてその子だけ特別だったの? 僕より優先して、話さないといけなかった事ってなんだよっ……」
「あの子が、お前に手ぇ出そうとしてたからだよ」
「……?」
「だから、あの子が狙ってたのは俺じゃなくてお前なの」
ん? だとして、だから、なんなんだ?
僕の頭にハテナがいっぱい浮かんだ。彼の言う通り、彼女が僕の事を好きだったとして、それがどうして彼が彼女と話さないといけない事になるんだろう? やっぱり彼は彼女の事が好きだったんじゃないのか? 僕とくっついて欲しくなくて彼女に告白して、もしかして、フラれた!? この予行演習はその彼女にもう一度告白するため。一度フラれた相手だからまたフラれるかもって弱気になってるのか。
「なるほどな」
「違うからな」
僕は慌てて両手で口を塞ぐ。
「漏れてた?」
「……はぁ、お前の考えそうな事は大体わかる。俺が彼女にここで告白するんじゃないかって思ってるんだろ」
なんだコイツ! エスパーか!?
「お前はさ、俺が誰かと付き合ってもいいの?」
枯葉がひらりひらりと僕と彼の間に舞い落ちる。
質問の意図がわからない。彼は、なにを、知りたいんだろう……僕は、どこまで、言っていいんだろう……
「……それは、どういう意味……? 付き合う付き合わないは個人の自由なんだから、僕の許可なんていらないじゃん……」
「それは、本当に、お前の気持ち?」
「…………」
「俺は嫌だったよ」
「え?」
「だから彼女の告白の邪魔をした。お前が誰かと付き合うなんて絶対嫌だったから」
「な、なんで……?」
僕は震えていた。だって、これって、そういう意味でしょ? ここまで言われれば僕にだってわかる。でも、なんで? と聞かずにいられなかった。だって、こんな夢みたいな事がある? 彼の口から直接聞いて実感したかった。のに、
「はい、次はお前の番だよ」
「え、な、なんの?」
「俺は、お前の質問に正直に答えたじゃん。次はお前の番」
「え、一番聞きたいことが聞けてないのに!」
「へぇ、いいの?」
「……なにが」
「いや? 俺はてっきりお前はこういう時、男らしく、バシっと決めたいんじゃないかと思ってたけど」
ピクリと自分のこめかみが動くのが分かった。
「もしかして、怖い? やめとく?」
怖い? 僕が?
「これくらい朝飯前だよ。カッコよく決めるから見てろ」
「そ? じゃ、やってみせてよ」
彼の笑顔が咲き誇る七秒前。僕は彼の目を見つめて、大きく息を吸い込んだ。
「まじ?」
「マジ。これで何組目? みんなよくやるよねー」
「ねー。七不思議を二人で全部体験しなくちゃいけないんでしょ? こっわー」
「でもさ、ちょっと楽しそうだよね。私もやろっかなー相手いないけど」
「私とやる?」
「えー、同性でも効果あんのかな?」
「試してみようよ」
「あはは、いいね。やってみよっか」
昼休みの騒がしい廊下を、女の子たちが噂話をしながら通り過ぎて行った。
最近学校はこの手の話で持ち切りだ。高校生にもなって七不思議? って思うけど、何故かうちの学校の七不思議は呪われるんじゃなくて、一緒に体験した二人が結ばれちゃうんだよね。
「でさ、」
「ん?」
「おまえも来いよ。いや、来てくれ! 俺の恋の命運はおまえにかかってる!」
「……七不思議ねぇ。別に行ってもいいけど、僕相手いないじゃん」
「そこは任せとけよ。とびっきり可愛い子連れて来てやるから!」
可愛い子ねぇ……
僕に対してあまり効果のない殺し文句に、心の中で盛大に溜息を吐きつつオッケーと返事をする。
正直、僕はこの手の話をあまり信じていないし興味もない。が、友人の恋を応援しない程薄情でもない。ので、夜の学校へわざわざやって来たわけだが。なんで、どうして、
「いやー、コイツがどうしても来たいって言うからさー」
「楽しみだねー」
「…………」
いやいや、可愛い子連れてくるって言ったじゃん。最悪だ。なんでよりにもよってコイツなんだよ。
チラリと目の前で愛想良く突っ立っている男を見る。イケメン、て言うより美人ていう表現が似合う彼は僕と目が合うと、にこりと人好きのする顔で笑った。……ほんとに最悪。まだ四人で回るだけマシか。なるべく関わらないように離れて歩こう。
「よし、じゃあ揃ったところで始めっか。2−2で時間差で出発な」
「おっけー」
「は? なんで? みんなで行くんじゃないの?」
「みんなで行ってどうすんだよ。このイベントの趣旨を忘れたのか」と友人に小声で怒られたけどそんなん知らん。無理。帰ろう。
「なに? もしかして怖いとか?」
なんだって? 怖い? 僕が?
「……それ、僕に言ってる?」
「うん。二人きりじゃ怖いんでしょ? やめとく?」
「やめる? なんで? こんなの朝飯前だよ」
「そ? じゃあやって見せてよ。俺たちから出発ね」
「……ん?」
「行ってきまーす」
「おう、気をつけろよー」
んん? なんでこうなった?
鼻歌を歌いながら歩いてく彼の後ろを黙って着いていく。ほんとになんでこうなったんだ。負けず嫌いな僕の性格が恨めしい。とにかくこんなのさっさと終わらせてサクッと帰ろう。
「…………」
「〜〜♪」
「……ねぇ」
「なにー?」
「一つ目ってなに? 道わかってるの?」
「んー? なんだっけな? さっきメモもらったけど」
「……はぁ。ちょっと見せて」
「はい、どうぞー」
二人でメモを覗き込む。近い近い。なんなの、パーソナルスペースってものはないの?
「わぁ、魔の十三階段だって! どこだろ。えっと、西校舎か。逆じゃん!」
「……なんで自信満々にこっちに歩いてたんだよ」
「なんとなく?」
「……わかった。メモは僕が持っとくから」
「そ? じゃ、お願いねー」
そう言って彼はまた鼻歌を歌いながら先陣を切って歩き出す。全くもう……
「ちょっと! そっちは本館。こっち」
「あれ? そうだっけ?」
ほんとコイツは……外見と中身のギャップが相変わらずすごい。黙ってれば見惚れるくらい綺麗なのに、中身はびっくりするくらいほわほわしてて、でもそこがどうしようもなく、
「ねぇ、ここじゃない? 魔の十三階段」
「え? あ、そう、だね」
「どうかした?」
「!? なんでもないッ」
「そう? なら良かった」
至近距離で顔を覗き込まれて息が止まる。だから! パーソナルスペース! あんたの顔面えげつないんだから自覚してくれよ。ほんとやだ。帰りたい……
「よし、じゃあ数えてみよっか」
「待って。別々に数えて報告し合おう」
「わかった。じゃあ行くよ? せーの……」
「……うん、十二だな。そっちは?」
「……そんな、どうしよう」
「どした?」
「やばいよ、まじでやばいかも! 俺、十三だった……」
「え、まじで? もっかい数えてみたら?」
「う、うん……、……間違いない。十三ある」
「うーん、僕は十二なんだけど……ねぇ、声出して数えてみてくれる?」
「わかった……やってみるね。……行きます、いーち……」
「それ!」
「どれ!?」
「その一段目! なんで登ってないのにそこが一なの? 一個登って一でしょ?」
「え? このなんも登ってないところが一じゃないの? だって一階二階ってそう数えるよね?」
「いやいや、段だから。段て重ねてものを数えていくでしょ? 階段も一段二段て数えるじゃん」
「なるほど! ちょっと待ってね、数えてみる……、……十一、十二、十二だ! やったぁ!」
そう言って彼は僕に飛びついてきた。既の所でサッと躱す。危ない所だった……
「なんだよー、なんで避けるんだよ、ケチー」
なんとでも言え。僕は必死なんだ。
彼から少し離れてメモを確認する。えっと、二つ目はー
「夜ひとりでに鳴る音楽室のピアノ?」
……近い。ほっぺたがピタッとくっつくくらいの距離に、僕は慌てて彼を押し剥がす。彼は一瞬ちょっとびっくりした顔をしたけど、すぐにいつもの優しい顔になった。ほら、こうやっていつだって僕だけが翻弄されるんだ。
「でもさー、」
と、彼が腕組みをして首を傾げる。
「この学校、ピアノなんてあったっけ?」
「……たぶん旧校舎じゃないかな。前に実験道具を取りに行った時に見かけた」
「ふーん、俺旧校舎行った事ないや。楽しみー」
楽しみ? 僕は今すぐ帰りたい。
旧校舎は校庭を挟んで向かい側にある。今は教室として使われてはいないが色んな教材が置いてあるので、教師や係の生徒は結構頻繁に行き来する。問題のピアノは使われていない教室の真ん中で静かに佇んでいた。
「うわあ、グランドピアノだ! 俺ピアノ弾いてみたかったんだよね」
「たぶん調律されてないから綺麗な音は出ないと思うよ」
「お? なんか詳しいね。もしかしてピアノ弾けるの?」
「いや、全然。詳しいとかじゃなくて調律しなきゃいけないとかみんな知ってるんじゃないの……」
「そなの? 俺知らなかったー。おまえすごいね」
「すごくないって。ただ知ってるだけなんだから……」
「ううん。おまえは俺より何でも知ってるし何でも出来るじゃん。俺に出来て、おまえに出来ない事なんてないくらい」
「……んな事ない」
「ん?」
「何でもない」
ギュイ……ン ギィ ギッ キィ……
「な、なに!?」
「ピアノ!?」
ピアノから弦を引っ掻くような不快な音が響いてくる。まさか、七不思議が本当に……? 次に何が起こるかわからない。僕は彼の体を引き寄せて自分の背後に隠すようにピアノの前に立った。鍵盤は動いていない、てことは弦が直に鳴ってる? 僕はそっとピアノに耳を当ててみた。
「な、何してるの!? 危ないよ!」
「シ……、静かに」
彼は両手で口を塞いでくぐもった声で「おっけい」と言った。そういうとこほんと変わってない。僕はちょっと笑いそうになったのをグッと堪えて耳を澄ます。
……やっぱりそうか
膝についた埃を払いながら彼を見ると、まだ口を両手で押さえながら目だけが不安そうに揺らいでいた。僕は咄嗟に彼から目線を逸らす。もう、ほんとに、やだ……
「……大丈夫だからしゃべっていいよ」
「……、大丈夫なの? 何で? 一体何したの?」
「何も。これは怪奇現象でも何でもなくて、単にピアノの中にネズミが棲みついてるだけなんだよ」
「ネズミ?」
「そう、古いピアノにはよくあることなんだって聞いたことある。耳を当ててみたら鳴き声も聞こえたし間違いないと思う」
「なんだ、そうなんだー! 良かったぁ。さすがに怖かったよね!」
「まぁ、ちょっとはびっくりしたかな……なに?」
ふと目線を上げると、ニヤついた顔の彼と目が合った。
「いや? ただ、俺を守ろうとしてくれたの、嬉しかったなって」
「は、はぁ!? し、してないし!」
「そりゃ残念」
「な、ちょ、ほ、ほんとにッしてないッ!」
「わかったって。ほら、次行こうよ」
「…………」
はぁ……いつまで続くんだよこれ。まだ二つ目終わったとこなんだけど。あと五つも残ってるの? 無理。それに、最後までやった所でどうにかなるわけでもないのに。なんで僕はこんなことやってるんだ。もうここらで切り上げて帰っても文句は言われないんじゃないか? そうだよ、別に僕らが最後までやる必要はないんだ。てか、なんでコイツは今日来たんだろ? 自分から行きたいって言ったみたいだし、何が目的なんだ。あ、もしかして練習? 好きな子とコレ巡るための練習に来てんのか……! なるほど。ふーん、そっか。へー。
「次どこだっけ? ってなんか怒ってる?」
「べつに」
「怒ってるじゃん」
「怒ってない」
「なんなんだよー」の声は無視して僕は先に歩き出した。そうだよ。別に怒ってなんかない。怒れるわけない。怒れるわけ、ないんだ
初めて彼と出会ったのは小学五年生の春。転校生だった彼は、その綺麗な容姿とほわほわした中身のギャップからかすぐに人気者になった。女子からも男子からも先生からも人気があって、平々凡々な僕なんか声すらかけられず、彼のことをいつも遠くから眺める事しか出来なかった。そう、一目惚れだったんだ。
中学生になったある日、コンビニでばったり彼に会った。挨拶をしようか迷ったけど、やめた。だって、きっと彼は僕のことなんか覚えてないだろうから。そう思って目当ての漫画の新刊を手に取ってレジに向かおうとしたら「久しぶり」と声をかけられた。心臓がドクンと跳ねた。久しぶり? 僕のことを覚えてるの? それとも誰かと勘違いしてる? 半信半疑のまま返事をしたらどうやら彼は、ほんとに僕のことを覚えていたようだった。嬉しかった。夢のようだった。手に持っていた漫画を指差して「好きなの?」と聞かれた。力一杯「好き!」と答えた。彼は一瞬びっくりした顔をしたけど、すぐ優しい笑顔に戻って、「俺も好きなんだ。その作家の前作も全巻持ってる。読む?」と聞いてきたので、すぐさま「読みたい」と答えた。そのまま彼の家に一緒に行き、全巻借りて帰った。けど、ほんとは僕も全巻持ってた。
彼との交流が始まって、親友と呼べる程仲良くなって、幸せな時間はあっという間に過ぎ、僕たちは高校生になった。頭の良い彼と同じ高校に行きたくて必死に勉強した。合格したその日の夜は、お風呂でこっそり泣いた。
高校二年生の春、彼が女の子に呼び出された。そんなのはいつものことで、彼はその度断っていたからあまり気にしてなかった。その日の帰り、彼は用事があるから先に帰ってて、と僕に言って教室を出て行った。彼がそんなこと言うなんて、仲良くなってから一度だってなかった。それで僕は、やめとけばいいのに、彼の後を付けてしまった。嫌な予感はしてたんだ。そういう時の勘ほどよく当たるもので。サラサラの腰まであるストレートの髪を軽く揺らしながら、彼女は彼に手を振った。あ、と思った。そっか、そうなんだ。僕はいつから勘違いをしていたんだろう。彼の隣に長く居過ぎたせいだろうか。だから僕は大きな思い違いをしてしまった……まるで、僕が、彼の特別であるかのような。何を話しているかここからでは聞こえないし、彼の顔も見えないけど、彼女が笑う度、彼の腕に触れる度、僕という存在が彼の中から消えていくような気がした。
これがきっと彼にとって正しいんだ。僕は彼にとって友達で、それ以上でもそれ以下でもなくて、その友達がこんな気持ちを抱えてるなんて知ったら……もう、今まで通り彼の隣に友達としているのはとてもじゃないけど出来なかった。幸い彼には友達が多い。僕と離れたところでなんら困ることはないだろう。クラスも違うし、離れるのは難しいことじゃなかった。次の日から僕は彼を視界から消した。
だからあの後彼女とどうなったかなんて知らなかったけど、この七不思議をやりたいってことは彼女とはダメになって別の好きな子ができたってこと?
順調に青春を謳歌している彼。僕が居なくても平気そうな彼。それを目の当たりにして僕の心臓はこれでもかと軋んで悲鳴を上げてるのに、また前みたいに普通に話せていることが嬉しすぎて今にも叫び出してしまいそうなんだ。
だから、嫌だった。彼といると、僕は簡単に幸せになってしまうし、簡単に地獄に突き落とされるから。だから、嫌なんだ。まだこんなにも彼が好きで好きでたまらないんだと、心の底から思い知らされるから。
「ね、体育館着いたけど、ここは何が起きるんだっけ?」
ぼーっと歩いてたらいつの間にか目的地に着いたらしい。彼に声をかけられ目線を上へ上げると、彼とパチリと目が合った。琥珀色の綺麗な瞳。吸い寄せられるように一歩前へ踏み出す。彼の頬に触れようと手を伸ばし、また一歩踏み出した、ら、溝に足がハマり盛大にコケてしまった。
「ほら、大丈夫? ぼーっとしすぎ」
「……ダイジョウブ」
彼に支えられて立ち上がる。危なかった。恥ずかしかったけど、コケて良かった。もし彼に触れていたら、きっと、止まれなかった。
「あー、えっと、夜の体育館からボールの音が聞こえる、らしい」
「ふーん。……何も聞こえないね」
彼は体育館の扉に耳を当てて残念そうに呟いた。
僕の心臓は今、これでもかと爆音を奏でてるので、もしほんとにボールの音が鳴っていてもきっと気付かないだろうな……
「体育館の扉は全部鍵が掛かってるし、どうしよっか。もしかして音が聞こえるまで待たないとダメなのかな?」
とりあえず、爆音を鎮めるため当たり障りのない会話をしてみる。
「いや、この七不思議ってその場所を全部回ればいいだけだから。怪奇現象を体験しなくちゃいけないわけじゃないんだよ」
「……そうなんだ。詳しいね?」
彼は少し目を泳がせながら、あー、とか、えー、とか言って言葉を濁している。あー、なるほどね。しっかり下調べをしてきたんだ。それだけ本気って事だよな。……応援、してあげなきゃな。
「よし、じゃあ、次行こう。メモはやっぱりおまえが持っといてよ。その方がよくわかるし」
「え? うん、わかった……」
全く、頼りない返事だな。まぁでも、おまえに好きだと言われてオチないやつはいないよ。僕が保証する。
その後僕たちは、“動く人体模型”“開かずの扉”“美術室のモナリザ”と、特に何の問題もなく巡り、ついに最後の七不思議までやってきた。
「桜の木の下には死体が埋まってる……ねぇ」
僕は桜の木の下に立ち地面を見つめた。まさか掘るわけにもいかないしなぁ、とちらりと彼を見る。
ぱちりと目が合った。いつから僕を見ていたのだろう。少しの悪意もない、夜空の星のような瞳がじっと僕だけを見ていた。
「この桜の木の下には、数え切れないほどの死体が埋まってるんだよ」
「そんなわけ……」
「ううん。ほんとに埋まってるんだ。俺も、もうすぐここに埋まる」
「は?」
秋ももう終わる、冬の始まりのようなこの時期。桜の木からはらはらと枯葉が舞い落ちている。
「ま、ほんとに埋まってるのは身体じゃなくて気持ちだけどね」
「きもち?」
「そ。お前は知らないだろうけどさ、ここは昔からこの学校で有名な告白スポットなんだよね」
告白? ああ、ここで告白する予定なのか
「桜の木の下で気持ちが通じ合えたら、その人は運命の人。なんだって」
へぇ……、そんな話全然知らなかった
「でもさ、通じ合える人たちなんてごく一部で、多くの人はここで振られるってわけ」
まぁ、そうだろうな。おまえは別だろうけど
「だから、ここには結ばれなかった多くの人たちの気持ちが埋まってるんだ」
こいつがなんでこんな話を僕にするのかわからないけど、こいつの中で告白することは確定事項で何故か振られると思ってる?
「おまえさ、」
僕はちょっとイラッとしながら彼に話しかけた。だってそうでしょ? 彼を振る奴がいるなんで想像できる? 否。
「ここには予行練習で来たんだろうけど、なんだよ、なんでそんな弱気なんだ。おまえはさ、ほんとすごい奴なんだからいい加減自覚しろよ。勉強もスポーツも何でも出来て、なのに全然気取ってなくて、顔だってカッコよくて、可愛くて、美人で、綺麗で、なのに、中身はふわふわしててほんと可愛いし、そんなに強くないのに全部背負いこんじゃうのも見てて腹立つ時もあるけど、でもそこも含めて守ってやりたくなるし、もっと頼れよって思うし、頼られない自分に腹立つし……」
ってあれ? 僕なに言って、
恐る恐る目だけで彼を見る。あ、僕、やっちゃったかも。彼は両手で口を押さえて、前髪から覗く切長の綺麗な目はこれでもかと見開かれている。
「あ、あのっ、えっと、その、僕が言いたいのは、つまり……」
これ、相当不味くないか。絶対引いてるよな。間違いない。可愛いとか言っちゃって気持ち悪いって思われたかな。ああ、もうこれで友達でも何でもなくなってしまったかも。……てかさ、これ、そもそもそういう問題ではなくて、僕の気持ち、バレたんじゃ……?
彼がカサカサと音を立てて木の葉の上を歩く。僕の横を通り過ぎ桜の木に手を着くと「ねぇ」と口を開いた。
「な、なに……?」
「さっきの、本心?」
「それは、その……」
「なに。違うの」
ちょっと怒ったような彼の語気に僕はすぐ怖気付いて「本心だよ!」と言ってしまった。
「ふーん。そっか」
そう言って彼はくるりとこちらを向くと、見たこともない妖艶な笑みを浮かべて僕をじっと見つめた。なに、怖い。美人の無言てほんと怖い。
「続き、どうぞ?」
「は? 続き!?」
「あれで終わりじゃないでしょ? 要は何を言いたかったのか聞いてないし」
「い、いや! あれで終わり! そもそも! 僕の話なんかどうだっていいんだよ! おまえの話だっただろ? おまえが! ここで! 好きな子に告白するつもりなんだろ!」
「あれ? 何で知ってるの?」
「……っ、そんなの、簡単に想像できるよ……」
「まじか。うーん、じゃあさ、相手が誰とかもわかってるの?」
「……いや、そこまでは」
「そうなんだ……、ほんとにわかって欲しいことは中々伝わらないもんだね」
なにを僕に分かって欲しいのか、そんなことはもうどうでも良かった。わかりきっていた失恋なのに、僕の心臓は情けない悲鳴をあげて、今にも彼にしがみついて、なんでどうしてとみっともなく縋り付いてしまいそうなんだ。だからなのか、どうしてなのか、僕は聞きたくもない去年の春の事を口にしていた。
「あの女の子とは別れたの?」
「ん?」
「ほら、去年の春告白してきた、髪の長い……」
「……、……、……あー、あの子か」
「……そんなすぐ思い出せないくらい色んな子と付き合ったの?」
「勘違いしてるようだけど。別にその子と付き合ってないし、そもそも告白されてない」
「え? でもさ、おまえいつもすぐ断って速攻でシャットアウトするのに、その子とは放課後また会ってただろ……?」
「だから、告白されてないって。あの時また会ってたのは、どうしても話さないといけない事があったからで……」
「なに?」
「え?」
「どうしてその子だけ特別だったの? 僕より優先して、話さないといけなかった事ってなんだよっ……」
「あの子が、お前に手ぇ出そうとしてたからだよ」
「……?」
「だから、あの子が狙ってたのは俺じゃなくてお前なの」
ん? だとして、だから、なんなんだ?
僕の頭にハテナがいっぱい浮かんだ。彼の言う通り、彼女が僕の事を好きだったとして、それがどうして彼が彼女と話さないといけない事になるんだろう? やっぱり彼は彼女の事が好きだったんじゃないのか? 僕とくっついて欲しくなくて彼女に告白して、もしかして、フラれた!? この予行演習はその彼女にもう一度告白するため。一度フラれた相手だからまたフラれるかもって弱気になってるのか。
「なるほどな」
「違うからな」
僕は慌てて両手で口を塞ぐ。
「漏れてた?」
「……はぁ、お前の考えそうな事は大体わかる。俺が彼女にここで告白するんじゃないかって思ってるんだろ」
なんだコイツ! エスパーか!?
「お前はさ、俺が誰かと付き合ってもいいの?」
枯葉がひらりひらりと僕と彼の間に舞い落ちる。
質問の意図がわからない。彼は、なにを、知りたいんだろう……僕は、どこまで、言っていいんだろう……
「……それは、どういう意味……? 付き合う付き合わないは個人の自由なんだから、僕の許可なんていらないじゃん……」
「それは、本当に、お前の気持ち?」
「…………」
「俺は嫌だったよ」
「え?」
「だから彼女の告白の邪魔をした。お前が誰かと付き合うなんて絶対嫌だったから」
「な、なんで……?」
僕は震えていた。だって、これって、そういう意味でしょ? ここまで言われれば僕にだってわかる。でも、なんで? と聞かずにいられなかった。だって、こんな夢みたいな事がある? 彼の口から直接聞いて実感したかった。のに、
「はい、次はお前の番だよ」
「え、な、なんの?」
「俺は、お前の質問に正直に答えたじゃん。次はお前の番」
「え、一番聞きたいことが聞けてないのに!」
「へぇ、いいの?」
「……なにが」
「いや? 俺はてっきりお前はこういう時、男らしく、バシっと決めたいんじゃないかと思ってたけど」
ピクリと自分のこめかみが動くのが分かった。
「もしかして、怖い? やめとく?」
怖い? 僕が?
「これくらい朝飯前だよ。カッコよく決めるから見てろ」
「そ? じゃ、やってみせてよ」
彼の笑顔が咲き誇る七秒前。僕は彼の目を見つめて、大きく息を吸い込んだ。
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