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白衣と眼鏡と落ちこぼれ教師


「おい!そこのお前ちょっと!」

綺麗な黒い髪。パリッとした白衣にノンフレームの眼鏡。


暑くて暑くて俺は多分あんたを睨んだと思う。

夏に駆け出す前の初夏の風。ぶわっとあんたの白衣の裾をめくって、俺の顔に吹き付けた。

今でも鮮明に覚えてる。
あんたの暑さに歪めた不機嫌そうな眉間のシワと、澄んだ黒い瞳。

第一印象は、――神経質そうな奴、だった。



_____________



「金剛(こんごう)、だったよな。」

薄いピンク色の唇は俺の名字を確かめるように口にする。

「違います」

とっさに嘘を付いた。急にバイト先から電話がかかってきて、休みの奴の代わりに入ることになったのだ。
――少し急いでいた。


「嘘付くんじゃない。」

厳しい目つきで俺の緩そうな金髪や腰までずらしたズボンを見ると、男は細くて白い腕で俺の焼けた二の腕を掴むと、すたすたと歩き出した。


「ちょ、なんなんだよ」

「なんなんだよ、じゃない。お前、水曜二限、さぼっただろ。しかも一度じゃない。二年に上がってから一度も出ていないじゃないか。お前は知らないだろうから自己紹介してやる。物理担当の中河(なかがわ)だ。」

ノンフレームのレンズがきらりと光りに当たって反射した。汗がじわりと浮かんだ白い額。
俺は全く嫌な時に嫌な相手に捕まったなあと舌打ちした。


「お前の素行がよろしくないのは知っている。」

中河は理科準備室の戸を開けて俺を中に押し込むと、冷房を付けた。

ブオーと鈍い音がして、強い冷気が汗でべたついた俺の肌を乾かしていく。

しばしの間、涼しさに目を細めていると、いつの間にか机に座った中河が軽く机を叩き、座れと椅子を引く。

ここまで来たらしゃあねえな、と大人しく席に付いた俺は、中河の白衣の胸ポケットの辺りを見つめる。黒と赤のボールペンが一本ずつ、とか考えていると

「お前物理が苦手なのか。」

凛とした声がする。


「まあ…」

「だからって出なかったら、解ることも解らないままだぞ。」

教師はみんな同じだ。いや、大人というべきか。勝手に解釈して勝手に口出ししてくる。うんざりだった。

だから要約すると、

「……どうでもいい」

投げやり、だと思われてもいい。

「……お前高校なんて、誰も引き止めてくれないぞ。自分で自分を落とすな。」

見た目と違って、熱いな。なんてぼんやりと思う。まだ俺の視線は赤と黒のボールペン。
赤はキャップ式で黒はノック式。


「金剛、」

「……あんた、なんで俺に構うのさ。担任でもないじゃんか。」

「……お前の担任。お前のことほったらかしだろ。他の教科担当も諦めてる。」


所詮私立の進学校の落ちこぼれ。嫌ならやめて下さい、そんな世界。金とテストの点数。それだけの世界。


「で、同情したあんたは俺を見捨てないでいてくれる、と。」

はは、乾いた笑いが出る。馬鹿馬鹿しい。誰もそんなこと頼んでいないじゃないか。またそうやって大人は、勝手に同情して、勝手にお節介をやく。


「……お前が中学一年の時の作文、読んだんだ。」

「はあ?」

さっぱり訳が解らない。その作文に何が書いてあったというのか。どうせくだらない将来の夢、とかだろ。
医者、とか書いてたかもしれない。馬鹿な幼い俺は、今の自分がどんな状況かも想像出来なかったんだろう。あまりにも滑稽だ。


「人の役に立ちたい、って。お前、書いてたぞ。」

その言葉にかあっと頭に血がのぼる。

純真無垢な自分に対する苛立ちか、今更こんな落ちぶれた俺にその事実を突き付けてどうする、という中河への苛立ちか。

俺はがたんと音を立てて立ち上がると、涼しい室内を横切って扉に近付く。


「金剛、今逃げたら全てが台無しになる。」


――台無し?今更何が台無しになるって言うんだ。

今まで誰も大人は助けてくれなかったじゃないか。

今更出てくるな。


俺は中河の言葉を無視すると戸を開け、生ぬるい空気を感じながら、後ろ手にピシャンと音を立てて閉めた。

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