スネイプの人形
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ホグワーツに激動の嵐が吹き荒れていた。弟のハリーが四人目の代表に選ばれたという事実は、城内の空気を奇妙に歪ませていた。
閉鎖空間で「注目を浴びたがる英雄」は格好の餌食だ。
大広間が騒然とする中、カレン・ポッターはスリザリンの長机で、冷ややかな笑みを浮かべていた。
「英雄の弟君は、注目を浴びないと死んでしまう病気なのかしら」
「ええ、きっとそうよ。」
学友からの嫌味も平然と受け流し、トライウィザードトーナメントで活気あふれる生徒たちからは、一歩離れた場所でカレンの6年目が始まった。
ルームメイトたちは外部から来たダームストラング生の厚い胸板にときめかせており、今年のお祭りはありとあらゆる学生を熱狂させていた。
その熱の渦に、人形ではなくなっていたカレンも感化され、あれほど嫌っていたハリーが出場する第一の課題も観に行ったのだ。
カレンはあれほど興奮した日は人生で初めてといっていいほど、のめりこんだ。
ドラゴンとの闘いは見事であったし、なにより2歳も年の離れた弟が箒を乗りこなし、課題をクリアする姿に心から賞賛したのだ。
その熱が冷めやらぬまま、若者たちは次のイベントに色めきあっていた。
そう、ダンスパーティーである。
ホグワーツは浮き足立った熱気に包まれ、クリスマスの夜に開催されるダンスパーティは誰と行くかの話題で、城中の空気は甘く華やいでいた。
図書室でも、廊下でも、誰もがパートナー探しの話ばかり。 スリザリンの談話室でも、誰が誰を誘ったかという品定めが横行しており、特に沈黙の女王が誰を選ぶか注目されていた。
だが、当の本人はその視線に気づいていたものの、一番重要なのは、どうやってスネイプをダンスに誘うかであった。
ある放課後、いつものように地下牢の準備室で、カレンはスネイプ教授の背中を見つめながら、杖を握る手に力を込めた。二人きりになるチャンスは今までたくさんあったが、それだけだ。自分から行動しなければ、手に入れることはできない。
カレンは初めてグリフィンドールのような勇気が欲しいと切望しながら、恐る恐るスネイプに声をかけた。
「……先生」
カレンの呼びかけに、彼は羽ペンを走らせたまま、低く唸るように応えました。
「なんだ」
「ダンスパーティのことですが……先生は、当日は監視に回られるのですか?」
「校長がそう望むならな。……生徒の火遊びを眺めて過ごすなど、およそ正気とは思えんが」
彼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
今しかない。
カレンは喉の渇きを覚えながら、努めて平静を装って言葉を紡ぎました。
「もし……パートナーがお決まりでないのでしたら、その……私が、お供をしてもよろしいでしょうか。」
羽ペンの音が、ピタリと止まった。重苦しい沈黙が部屋を支配し、数秒が永遠のように感じられる。心臓が痛いほど脈打カレンはスネイプの顔が見れず、鍋底に目をやった。
やがて、彼はゆっくりと椅子を回転させ、カレンの方に身体を向けた。その瞳は、いつもの冷徹さ以上に、氷のように硬く閉ざされており、彼が何を言うか容易に想像できた。
「……カレン」
名前を呼ばれただけで、叱られる予兆がわかった。自分の指先が、まるで見知らぬ陶器のように冷たくなっていくのを感じる。
「私は職務としてそこへ行くのであって、お遊びの相手を連れ歩くためではない。……何より、私が生徒と手を取り合って浮かれるような男に見えるか?」
スネイプの声は低く、地を這うような冷たさを帯びていた。
「そんなこと、関係ありません。私はただ、先生と……」
「他の、身の程を知らぬ羽虫のような男どもに誘われなかったのか。それとも、わざわざ私を不愉快にさせるために、貴重な時間を無駄にしているのか」
カレンは鍋底に向けた視線を上げ、彼を射抜くように見つめ返した。逃げ出したくなるような威圧感。けれど、ここで引けば二度と彼の隣には立てない。
「冗談ではありません、先生」
カレンは一歩も引かなかった。鍋底を見つめていた視線を上げ、彼の漆黒の瞳を真っ向から見据える。心臓の鼓動が耳元でうるさいほど鳴っているが、声だけは震わせまいと喉に力を込めた。
「私は本気です。他の誰でもない、先生と——」
「黙れ」
その一言で、室内の温度が数度下がった。スネイプはゆっくりと立ち上がり、机を回ってカレンの目の前まで歩み寄る。彼の影が彼女を完全に覆い尽くした。
「貴様はスリザリンだ。己の価値を、そして立場というものを理解していると思っていたが……。過大評価だったようだな」
彼はカレンの至近距離で足を止め、蔑むような冷ややかな笑みを浮かべた。
拒絶。完全な拒絶だ。
「……失礼いたしました」
唇を噛み締め、溢れそうになる涙を瞳の奥へ押し戻した。ここで泣けば、本当にただの子供になってしまう。彼女はスリザリンの女王らしく、精一杯の虚勢を張って、冷たく微笑んでみせた。
「では、当日は存分に『監視』なさってください。」
カレンは一度も振り返ることなく準備室を飛び出した。
胸の奥が焼けるように熱く、呼吸がうまくできない。
「分を弁えぬ、愚かな教え子」という言葉が、呪文のように頭の中で反芻されます。階段を駆け上がり、誰もいない廊下の隅で、彼女は膝を抱えて座り込んだ。
カレンは思いあがっていた。
自分だけは、他の生徒とは違う。スネイプにとって自分は特別で愛されていると思い込んでいた。了承を得られる自信があった。
恥ずかしい。
本当に穴があったら入ってしまいたくなるほど恥ずかしい。
自分が思っていた以上に、スネイプという存在を「聖域」として扱っていたことに気づかされた。
恥辱と、それ以上に深い、名づけようのない喪失感。
カレンは想像していたよりもスネイプのことを想っていたのだ。
「人形」になりそうな感覚があった。
これ以上傷つくのが嫌で、心拍数がすっと落ちこんでいく。
座り込んでお尻が冷たく硬くなった気づき、ふと頭をあげると視界にガラスに反射した自身の姿が映りこんだ。
ただ落ち込んで、隅で泣いている女。
カレンには慰めてくれる友達も居なければ、追いかけてくるような男に想いを寄せているのではない。
彼女は女王。
ここに居たってなにも始まらない。
客観視できたカレンは「人形」に戻ることを拒んだ。
もし彼が「監視」を職務とするならば、その視線を呪縛のように私自身に縛り付けてやろう。
彼が無視できないほど鮮烈な、それでいて彼の手には決して届かない「他者の所有物」として、彼の前に立ってやろうと。
リベンジに燃えるティーンエージャーは、次のホグズミード休暇でアバーフォースの元を訪れた。彼女は無言で、しかし断らせない圧迫感を持って、最高級のドレスをアバーフォースに要求した。
形と色、装飾具、化粧品はどこのメーカーどれそれが欲しい。
今まで全く強請りもしなかった少女の姿にアバーフォースは嬉しそうにすべての要求をのんだ。
それから図書室によく現れるという人気者を、そわそわと男の存在を待つ少女たちの群衆から一歩抜け出して声をかけた。
「……ビクトール・クラム。少し、お時間をよろしいかしら」
クラムが顔を上げた。彼の無愛想な瞳が、金茶色の髪を持つ見慣れぬ少女を捉える。
「……何だ」
「単刀直入に言うわ。クリスマス・ダンスパーティーのパートナー、まだ決まっていないのであれば、私を選んでいただきたいの。」
周囲で盗み聞きをしていた下級生たちが、ヒッと息を呑むのが聞こえた。スリザリンの女王が直談判。それも、あのクラムに。
今日中に全校生徒の噂になるだろう。
しかし、クラムは眉一つ動かさず、静かに首を振りました。
「……すまない。もう、誘いたい人がいる」
カレンの胸に冷たい風が吹き抜けた。スネイプに続きクラムにまで。
「そう。残念だわ。でも、一つお願いがあるの」
カレンは、震えそうになる指先をローブの袖に隠し、無理やり唇の端を上げました。
「私を、あなたの友人に紹介してくれないかしら。私はこの城で一番美しく踊らなければならないの。それが私の…戦いだから」
クラムは少しの間、カレンの瞳の奥にある、必死で隠された絶望と、燃え盛るような反骨心をじっと見つめていた。彼は寡黙であるが、スポーツマンとして勘は鋭い男だ。
「……分かった。私の友人で、まだパートナーが決まっていない。名はニコライ。ダンスは私より上手い」
クラムは傍らにいた、ガッシリとした体格の、しかしどこか優しげな顔立ちのダームストラング生を顎で示した。
彼らは母国語で何か話した後、ニコライと呼ばれた青年は、カレンの前に立つと、ダームストラング流の古風で礼儀正しい一礼をしました。
「もしよろしければ、貴方のような美しいレディのパートナーに選んでいただけないでしょうか」
「……ありがとう。よろしくお願いします」
カレンはニコライの手をった。
彼に当日のドレスの色を聞かれ、大広間の前で待っていると約束して別れた。
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クリスマスの夜。
大広間は銀色の霜と氷の彫刻で飾られ、幻想的な美しさに満ちていた。
カレンは深緑色のドレスに身を包み、髪をシニヨンにまとめてガラス細工の髪留めを刺した。
スリザリン生らしい色とすらりとした体型に美しい背中を惜しげもなく披露した煽情的なスタイルは、下手すると、はしたない印象に捉えられてしまうところを、刺繡でできた繊細なストールを腰あたりから腕へかけていることで上品な仕上がりとなっている。
カレンの腕をエスコートしているニコライは、体格が非常に良く、彼もクディッチをしているようだ。6年生ということで同級生という共通点から話はゆっくりと弾んでいった。彼がカレンを誘ったのは、クラムに紹介されたからだが、その後カレンが「スリザリンの女王」と呼ばれていることを知り、非常に興味を持ったようだ。
感情のない「人形」として振る舞うには話過ぎて、でも仲を深めるには時間が足りない。
カレンは計らずしも、自身にとっていいパートナを選んでいたのである。
音楽が始まり、カレンとニコライがはダンスフロアへと滑り出した。あまりにも美しい大広間と、初めてのダンスに想定以上に心躍っていた。ニコライのリードが上手なこともあって、自然と笑みがこぼれていた。
1曲目が終わり、2曲目も楽しく踊っていたところ、視界の端、壁際の影に黒いローブの姿を映った。
クリスマスパーティーという魔法にかかてしまって本来の目的を忘れてしまっていた。
スネイプ教授は腕組みをして、不機嫌を絵に描いたような顔でフロアを睨みつけていた。彼に嫉妬してほしいと願いながらも、悪いことをしている気分になって、2曲目が終わった後、彼の視界から消える様に群衆の中へニコライを誘っていった。
ニコライはエレナを丁寧にエスコートしながら、熱気溢れるフロアの隅へと促した。彼は先ほどまでカレンの視線がどこを彷徨っていたのか、鋭く察していたようだ。
「……それでカレン。君の『戦い』はどうだった?」
ニコライが、冷たい飲み物を手渡しながら低く問いかけました。その瞳には、からかうような色ではなく、純粋な案じが宿っている。
「ええ、うん、まあまあかな。」
カレンは自嘲気味に口角を上げ、銀色の杯を見つめた。
「負け戦……だったのかもしれない。私がどれほど着飾っても、あの人の瞳には映っていない。私はただの、背景の一部なのよ」
声が微かに震えます。スリザリンの女王としての鎧が、この熱狂の中で少しずつ剥がれ落ちていくようだった。すると、ニコライが彼女の細い肩にそっと手を置き、顔を近づけて囁きました。
「それは、その男が盲目なだけだ。……君は今、この城で誰よりも綺麗だよカレン。ダームストラングの連中も、みんな君に見惚れているよ」
その温かな言葉に、カレンは不覚にも鼻の奥がツンとするのを感じた。
「ありがとう、ニコライ。……あなた、本当に良いパートナーね」
彼女は無理にでも気分を浮上させようと、差し出されたドリンクを煽るように飲み干した。高揚した気分のまま、彼女はニコライを誘って三曲目、四曲目と踊り続けた。笑い声を上げ、わざとらしく楽しげに振る舞う。それが、壁際で見張っている「あの男」への最大の復讐だと信じていたし、なにより頭を空っぽにしなくては無いだが触れそうだったからだ。
しかし、ふと五曲目の合間に視線を巡らせた時――。
そこにいたはずの、忌々しいほど真っ黒なローブの姿が消えていた。
「……いない」
心臓が嫌な跳ね方をしました。
あんなに不機嫌そうにしていたはずの彼が、忽然と姿を消した。それは、彼が自分に興味を失った証拠なのか。
「ニコライ、ごめんなさい。少し、風に当たってくるわ」
「カレン? 追いかけるのかい?」
「ええ、追いかけてみる。ごめんね。」
ニコライが片手をあげてくれたのを見てから、カレンは繊細なストールを握りしめ、人混みをかき分け大広間から出た。
華やかな音楽が遠ざかり、冷たい夜気が廊下に満ち始める。
「……どこにいるんだろう。」
ドレスの裾を捌きながら、人目のつかないテラスへと彼を求めて暗い校内を彷徨い始めました。
火照ていた身体はずいぶんと冷え込み、雪が降る中庭を眺めた。 冷たい夜風が、身体の体温を奪う。回廊の柱に寄りかかり、遠くから聞こえる音楽に耳を傾け、探し始めて一時間経っていることに気づいた。
もうパーティーもお開きに近い。
会えないんだろう…今夜は。
スネイプを探すことを諦めるには身体が冷えすぎた。
冷たい雪交じりの風が吹き込む廊下を抜け、寮に戻る途中。
吸い寄せられるように魔法薬学の教室へと足が向いていた。
大広間の喧騒はもはや遠い国の出来事のようにかすみ、湿り気を帯びた石造りの静寂がエレナを包み込む。
魔法薬学の教室の扉は、拒絶するように固く閉ざされていおり、案の定、中に主の姿はなく、ただ冷え切った大釜が並んでいるばかり。
カレンは小さく溜息をついた。やはり今夜は会えないのかもしれない。でも、あと10分だけここで待ってみても良いだろう。
杖を振って暖炉に火を灯した。
パチパチとはぜる薪の音が、静かな室内に響き渡りる。彼女はドレスを崩さぬよう、椅子の縁に腰を下ろした。オレンジ色の炎が、銀色のドレスの刺繍を不規則に煌めかせながら、カレンの体温を温めていく。
心地よい暖かさに少しまどろんでいたカレンであったが、背後で重厚な扉が開く音がした。
「……何をしている」
闇の中から響いた声に、カレンは顔を上げた。
「……何をしている、カレン」
低く、地を這うような声。振り返ると、そこには影を纏ったかのような黒いローブの男が立っていた。スネイプの瞳は、暖炉の前で夜会服を纏う教え子の姿を捉え、不快そうに眉間にしわが寄る。
「ダンスなら上で嫌というほど踊っていたはずだ。今さらこんな湿った地下室に、何の用がある」
「……先生と、踊りたかったんです」
カレンは真っ直ぐに彼を見つめて、隠していた本心を口にした。
スネイプは鼻で笑い、無慈悲に言葉を放つ。
「馬鹿げたことを。上には君に相応しい、若くて血気の盛んなダームストラングの男が控えているだろう。さっさと戻るがいい」
突き放すような物言いに、カレンの胸は切り刻まれたように痛むが、もう怖いものなどなかった。ここで引けば二度とこのチャンスは訪れない。カレンは一歩踏み出し、ドレスの裾を揺らして彼の前に立った。
「ニコライは良いパートナーです。でも、私が踊りたいのは彼じゃなくて……先生と」
静寂が二人を支配した。
暖炉の火が爆ぜ、スネイプの頬に一瞬、影が落ちます。彼は長く重い沈黙の後、忌々しそうに、けれど抗えないものを受け入れたかのように、小さく吐息をつきました。
「……一曲だけだ。それ以上は許さん」
彼は躊躇いがちに、しかし大きな掌を差し出しました。
カレンはその手に、震える指先を重ねた。
彼の手は、想像していたよりもずっと冷たくて、氷のようだった。温める様に指先を包み込み、もう片方の手がエレナの背中に添えられた瞬間、心臓が跳ねるような衝撃が走った。
音楽のない、火の粉が舞うだけの密室。
ゆっくりと、二人のステップが刻まれ始めた。
普段は威圧的な黒いローブが、踊るたびにカレンのドレスの裾に触れ、重なり合う。カレンの体温と、微かに漂う薬草とインクの香りが交じり合う。
「……先生、見てくれていましたか。私のダンス」
囁くような問いに、彼は答えない。
ただ、カレンの瞳から目を離し、視線を少女の美しいドレスへ移る。
「……悪くない。スリザリンの生徒として、恥ずかしくないものだった。」
リードする指先にわずかな力がこもる。彼に見つめられると、まるで魂の奥底まで見透かされているような錯覚に陥る。
だが、目を離せない。
「それと、ドレスはいかがですか」
「悪くない」
男の言葉にカレンは嬉しそうにほほ笑んだ。
とても嬉しかった。
ぶっきらぼうな、彼なりの賛辞。
旋回するたびに、視界が熱を帯びて溶けていく。カレンは、彼とダンスをしているという事実だけで、鼻の奥が熱くなるのを感じていた。ニコライと踊っていた時とは違う、苦しくて、甘い、息が止まりそうな時間。
「夢みたい」
こんなことは二度と起こらない。
夢のような奇跡。
カレンの言葉にスネイプの手がぎゅっと強く握りしめられる。
至近距離。
彼の黒い瞳にカレンの顔が映っている。
彼の呼吸も聞こえる、カレンに触れている腕の熱さが、ドレス越しに伝わってくる。
先生の体温。
氷のような人だと思っていたけれど、こんなにも熱い。
彼は簡単なステップを止めると、握っていたカレンの手を離し、彼女のほほを指で撫でた。
このままこの男に抱き付いてしまいたかったが、あと15センチ…距離を詰めることができなかった。
こんなに近くで、優しそうな瞳の持ち主を感じられることはないだろう。
もう二度とない奇跡だとわかっていたからこそ、その場から離れることができなかった。
彼はカレンを突き飛ばすこともできず、かといって抱きしめることもできず、ただ苦しげに顔を歪めた。その表情を見て、カレンはより一層期待してしまった。この人も、少なからず自分を大切に想ってくれていると。
「……すぐに美しい女性になるだろう」
彼が絞り出すように囁いた。
その声はこれ以上自分を狂わせないでくれという、悲痛な懇願のように響いた。
スネイプはカレンの腕にかかっていたショールを手に取り、ふわりと肩に羽織らせた。
それでも庭で男を探していた名残か、ひやりと冷たい二の腕が彼の指の腹に触れた。
スネイプはその冷たさに気づき「30分早いが…」と言いながらカレンのそばを離れ、袖机の中から茶色い包みを取りだした。べりッと破くと中から黒いマフラーが現れ、カレンの首に一巻きした。
「メリークリスマス」
スネイプの口から今日を祝う言葉が出てくるとは思わず、カレンは目を見開いた。
カレンはスネイプとはクリスマスを祝うことはできないと勝手に思い込んでいた。教師と生徒であって友人ではないし、保護者でもない。それに彼が祝い事は好きなようには見えなかった。
「私何も用意してません…」
お礼よりも、スネイプに返せないことが気がかりだった。
黒く触り心地の良い布は、ラッピング状態から見て、おそらくスネイプ自身に用意したものだったろうに…
「もう貰っている」
彼は表情を崩さず言い切った。
スネイプの顔を見つめたが、彼は何も答えず「身体が冷えている、早く寮に戻りなさい」とカレンを教室から追い出した。
カレンはドアを閉めようとするスネイプに「今日は本当にうれしかったです、メリークリスマス。おやすみなさい。」と声をかけた。
男が頷いたのを見てから談話室へと戻った。
カレンはその夜寝付くことができなかったが、今日という日は絶対に忘れないと誓った。
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1996年の夏。
悲惨な事故、セドリック・ディゴリーが死んでから、カレンの状況は大きく変わった。カレンはウォルデモートの復活を見ておらず、ましてやアルバス・ダンブルドアとハリー・ポッターの言葉を盲信するほどの関係ではない。
だが、ハリー・ポッターの姉という立場がより安全な場所へ隠す必要があると判断され、父親のように慕っていたアバーフォースと引き離され、不死鳥の騎士団の本部と呼ばれる、ロンドンの「グリモールド・プレイス12番地」に連れてこられた。初めてのロンドンに観光したくてたまらなかったが、カレンは一切の外出を禁じられ軟禁状態となった。
自分がハリー・ポッターの姉であるという事実が、これほどまでに重い鎖になるとは、カレン自身思いもしなかった。
そんな閉塞感の中で、この忌々しい生家から一歩も出られない男、シリウス・ブラックと奇妙な連帯感を抱くようになった。
「……退屈だろう、カレン。この家は、住人の正気を吸い取って生きているようなもんだ」
キッチンで酒の瓶を片手に自嘲気味に笑うシリウスは、カレンの中にどこか面影を見出しているようだ。
「シリウス、私の母は……リリーは、どんな人だったの?」
その問いに、シリウスの瞳に柔らかな光が灯る。
「リリーか。……彼女は誰よりも鮮やかな光だった。正義感が強く、聡明で、そして、一度決めると誰にも止められない頑固さを持っていた。君のその芯の強さは彼女にそっくりだよ」
彼から聞かされる母親の話は、写真の中で微笑むだけの存在に、温かな血を通わせる。
「人気者だったの?」
「かなりな。美人で頭が良くて優しい心を持ってるとくれば、誰もがリリーに恋をする。」
「シリウスも好きだったの?」
「俺か!?馬鹿言うなよ、ジェームズに怒られるじゃないか。」
そういって朗らかに笑う男は、二枚目の面影を見せた。
「シリウスは昔から女子から人気があったから、リリーに目移りする必要なんてなかったんだよ。」
もう一人の旧友、リーマス・ルーピンがキッチンに現れ、馴染みの親友と久しぶりに抱擁した。
彼はずいぶんやつれてはいたが、その眼差しは以前と変わらず穏やかだった。
「カレン、久しぶりだね。見ない間にこれほど立派に成長したとは、よく見せてくれ」
久しぶりに会った親戚のように親友の忘れ形見をくるりと一回転させる。
「本当に素敵な女性になったね。もう7年生か、イモリ試験の準備はどうだい? 君のことだから全教科最高評定を狙えるだろうね」
「そんなうまくいくわけないわ。ずっと勉強よ。」
カレンはそういって笑った。
二人は時間のある時に勉強を見てくれるようになった。
それから数日のうちに、ウィーズリー家の人々が合流した。静かだった屋敷は騒がしい生活の音が満ちた。モリーが振るう鍋の湯気、双子のジョージとフレッドが交わす悪だくみの囁き。その賑やかさは、軟禁状態にあるカレンにとって、眩しすぎる毒のようでもあった。
そんな中、遅れてハリーがやってきた。
「やあ」
ぎこちなく挨拶する血のつながった姉弟は、どう会話を紡げばいいのかわからなかった。
「……元気だった?」
ハリーが、ぎこちなく口を開いた。
「ええ。ハリーも。……大変だったわね」
「……ああ。そうだね」
会話はそれ以上、続かなかった。
同じ血が流れているはずなのに、二人の間には、言葉では埋められない透明な断絶がある。
ハリーにとって、ダーズリー一家の苦労を知らずセドリックの死をを見ていない姉は、仲間とは違いどこか「あちら側」の人間と感じているかもしれなかった。
夜が更け、不穏な冷気を纏って、黒衣の男が姿を現した。
セブルス・スネイプ。
騎士団の会議のために訪れた彼を見つけた瞬間、カレンの心臓が嬉しそうに跳ねた。周囲が彼を「裏切り者」を見るような険しい目で見送る中、カレンだけが、吸い寄せられるように彼へと歩み寄る。
「先生、お元気でしたか?夏休みはどこかに行かれました?」
ダンスパーティーの夜以降、カレンの気持ちはスネイプに捧げる覚悟が決まったが、スネイプはあの夜などなかったかのように教師と生徒の関係に戻った。
それから怒涛のように日々が過ぎ去り、補講もなく、セドリックの死によってカレンの環境が変わり、二人きりになることなど皆無だった。
「…危機感という言葉を忘れた顔をしているな、ミス・ポッター。このような掃き溜めで、わざわざ挨拶をする暇があるのか」
スネイプは足を止め、深い影の落ちた瞳でカレンを見下ろした。ずいぶんと酷いことを言われたはずだが、久しぶりに声をかけてもらえること嬉しさが勝ち、緩んだ頬は崩れなかった。
「先生の嫌味が懐かしくて。ちょうどイモリ試験対策にレポートを書いたんです。見ていただけますか?」
カレンが縋るように問いかけると、スネイプは忌々しそうに鼻を鳴らした。しかし、彼は背を向けることなく、その場に留まる。
「……出せ。確認してやる。」
その言葉を聞くやいなや、カレンは弾かれたように階段を駆け上がり嬉しそうに部屋まで飛んでいった。自室の机から、書き溜めたレポートをひっ掴む。心臓が、春の嵐のように騒がしい。
けれど、息を切らして階下へ戻った私を待っていたのは、凍りついたような沈黙と、爆発寸前の火山のような熱を孕んだ空気だった。
スネイプはとてもイライラしており、すっと踊り場で立ち尽くすカレンに「……ホグワーツでだ。今はその紙切れを眺めている暇などない」と簡素に一言つぶやいてから、ローブをはためかせて出て行ってしまった。
カレンはレポートを握りしめたまま、その場に立ち尽くした。
「……最悪」
せっかくの機会が奪われたことにショックと、一体だれがスネイプを怒らせたのかと廊下へ顔を出すと、そこに立っていたのはシリウスだった。
彼はほんの少し気まずそうに、けれどどこか楽しげな色を隠しきれない顔で立っていた。
「……おい、そんなに膨れるなよ。あいつが勝手に不機嫌になっただけだ」
「シリウス、何か言ったんでしょ。先生、あんなに怒って……」
カレンの詰問に、シリウスは肩をすくめ、手元のグラスを軽く揺らした。
「別に、大したことじゃないさ。ただ、あいつがあまりに熱心に君と話し込んでいたからな。……ちょっとばかり、昔の話を思い出させてやっただけだ。あいつ、俺たちの後を追い回していた頃と全く変わらないな、ってな。あの偏屈な顔、見たか? 傑作だったよ」
シリウスは悪びれる様子もなく、二枚目の面影を残した顔を綻ばせる。
「最低。……シリウスは、先生のことが嫌いなだけじゃない。私を使って、先生を傷つけたいだけでしょ」
私の言葉に、シリウスの笑みが一瞬だけ消えた。
「……そう見えるか? だがな、カレン。人の根本的なものを変わらない、あいつがデスイーターだった事実や闇に傾倒していたのは周知の事実だ。今はこちら側だと言っているが、そう簡単に人は変われないんだよ。」
シリウスは一呼吸おいて、カレンの様子を探るように見た。黙って立っている姿にまだ怒っているととらえたのか、困ったように頭を掻きむしった。
「俺はただ、叔父として、お前をあの陰気なコウモリから守ってやりたいだけなんだよ。……言い方は、少しばかり間違えたかもしれないがな」
カレンが黙っていたのはスネイプが元デスイーターだったという事実を初めて知ったからだ。
スリザリン生のほとんどは元デスイーターの子供であるものも多く、偏見はないつもりであったが、それでも以前は闇の帝王側に居たという事実に驚いていたのだ。
シリウスは誤魔化すように視線を逸らし、まだ未成年のカレンにシャンパンを勧めた。
カレンは動揺していることがばれないようにシャンパンを受け取って、その場はお開きとなった。
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ホグワーツに到着してから、城内の空気は、アンブリッジ教授の支配と、迫りくるN.E.W.T試験によって空気が張り詰めていた。
突然のカリキュラム変更に、7年生たちは必死に勉強していた。この試験結果が将来の選択に大きく影響するのだ。
カレンも周りの学生たちと共に必死に食らいついていた。
多くの校則ができ、息苦しい学校になってしまったが、それでも魔法薬学の補講は続いていた。
補講というより教室での自主学習に近い。
だが、時折早く帰るように促されることが多々あった。
重い扉の向こう側で、入れ違いにハリーが入っていくのを何度も見た。
カレンには決して見せることはない時間。
「……私は仲間外れ、選ばれし者ではないから」
そんな卑屈な独り言が、冷たい石床に落ちては消えた。
きっかけは、一通の通知だった。
アンブリッジが掲げた新たな教育令により、図書室の閲覧制限が強化された。カレンが卒業後の進路のために必要としていた『高度な魔法薬調合における魂の変質』の貸出が、突如禁じられたのだ。
焦りが、理性を焼き切った。
カレンは消灯間際に談話室を抜けだし、地下牢へと向かった。先生なら、あの本の私蔵版を持っているはずだ。
あるいは、ただ彼に会うための理由が欲しかっただけなのかもしれない。
扉はわずかに開いていた。
中から漏れ聞こえるのは、誰かの荒い息遣いと、水が跳ねるような微かな音
突然、中から激しい怒号が聞こえた。
「出て行け! 出て行け! 二度と私の顔を見せるな、ポッター!!」
ドアが乱暴に開き、蒼白な顔をしたハリーが転がり出てきた。
彼はカレンと鉢合わせると、ショックで引き攣った顔でカレンを見て、逃げるように立ち去った。
ハリーの足音が遠ざかるのを確認し、カレンは深呼吸をして、開け放たれたドアの中へと足を踏み入れた。
机の上に置かれた『憂いの篩(ペンシーブ)』と、その傍らで崩れ落ちるように椅子に掛けているスネイプの姿があった。
彼の顔は青白く、まるで自分の魂の一部を削り取られたかのように、酷くやつれて見える。
「……先生」
カレンが声をかけると、彼は弾かれたように顔を上げた。
普段の冷徹な仮面は剥がれ落ち、剥き出しの憎悪と怒り、絶望があった。
一体ハリーは何をしでかしたのだろうか。薬草を盗んだでは済ませられない程だというのは状況を察していた。
「……お前もか」
スネイプはカレンを睨みつけた。いや、委縮しているようにも見えた、気まずそうに後悔の影をカレンに見ているようだ。
「……何をしている。ミス・ポッター」
のではありませんでした。私の顔に重なる、かつての愛しい人と、憎き男の幻影を見ているのです。
震える声を押し殺し、彼は立ち上がった。その手は、まだ微かに震えている。
「お前も心の中で私を笑い憎んでいるのだろう、ポッター!!」
スネイプの怒りが近くにあった薬瓶が宙に浮き、壁に投げつけられた。破裂音と共に、緑色の液体が飛び散る。
弾け飛んだ薬瓶の破片が、私の頬をかすめて背後の壁に突き刺さった。けれど、その痛みさえ遠く感じるほど、目の前の男は壊れていた。
「出て行け!! その顔を見せるな!!」
彼の絶叫が、地下牢に木霊する。震える声を押し殺し、彼は立ち上がった。その手は、まだ微かに震えている。
カレンは動けなかった。怖いからではない、何に対して怒りをあらわにしているのかわからなかったからだ。ただ、何かトラウマに触れてしまったことだけは確かだった。
「先生、私は……」
「黙れ! その声で呼ぶな! リリー、君はいつだって…」
その名前が彼の唇から零れた瞬間、地下牢の空気は氷結した。
彼は失言したと気づいたのか、言葉の断片を飲み込み、そのまま固く口をつぐんだ。
男が顔を合わせたくないと拒絶しているのは、カレンという実体ではなく、カレンの輪郭に重なる死んだ母の幻影なのだ。
胸の奥で、何かが音を立てて砕けた。それは、「私を見てほしい」と願っていた小さな自尊心だった。
私がいかに着飾り、いかに言葉を尽くしても、彼の魂の最深部に居座っているのは、私ではない。
忘れていたわけではない。
あの忌まわしい夜。両親を失った日。
この男は、冷たくなっていく母の亡骸を、誰よりも絶望的な手つきで抱えていたではないか。
この男は母の亡骸を抱えていたではないか。
今の彼に必要なのは、生徒であるカレンでも、リリーの娘でもない。
(どうすれば、この人のそばに居れるのか)
カレンはゆっくりと歩を進めた。飛び散った液体の匂いが鼻を突く。強く握りしめた男の手に、そっと自分の掌を重ねた。
「……セブルス。私は怒っていないわ」
母がかつて彼を呼んだであろう響きを、偽物だと分かっていても、今の彼にはこの「嘘」が必要なのだと確信していた。
「……セブルス」
カレンはもう一度彼に声をかけた。
カレンが作った声は、いつもの声よりも高く、優しく、甘い響きを持っていた。
彼はゆっくりと、信じられないものを見るようにカレンを見た。
「大丈夫。……大丈夫」
スネイプに対してなのか、それとも己に対してなのか本人にもわからなかった。もし母が生きていたら、きっとこう言って彼を慰めただろう。カレンの想像上の台詞だけれど、今のスネイプにとって、それはあまりにも残酷で、甘美な救いであった。
「……リリー?」
彼の瞳が揺れた。
それから何も言わずにぎゅっとカレンの肩を抱いた。
彼の口から何か言おうと吐息が漏れるが、それは言葉にならなかった。
何も話さなかった。
カレンは優しくスネイプの背中に手を回した。私の指先は冷たく、彼に触れている部分だけが熱い。
これでいい。
カレンは何度も自分に言い聞かせた。この男が私ではなく母を大切に想っていたという事実が重くのしかかていたとしても、“セブルス”と呼べる特権と温もりは彼女だけのものだ。
何も知らない若い魔女は愛する男の後悔を受け止め続ける決心をし、もう後には引けない場所へと踏み出した、決定的な夜であった。
閉鎖空間で「注目を浴びたがる英雄」は格好の餌食だ。
大広間が騒然とする中、カレン・ポッターはスリザリンの長机で、冷ややかな笑みを浮かべていた。
「英雄の弟君は、注目を浴びないと死んでしまう病気なのかしら」
「ええ、きっとそうよ。」
学友からの嫌味も平然と受け流し、トライウィザードトーナメントで活気あふれる生徒たちからは、一歩離れた場所でカレンの6年目が始まった。
ルームメイトたちは外部から来たダームストラング生の厚い胸板にときめかせており、今年のお祭りはありとあらゆる学生を熱狂させていた。
その熱の渦に、人形ではなくなっていたカレンも感化され、あれほど嫌っていたハリーが出場する第一の課題も観に行ったのだ。
カレンはあれほど興奮した日は人生で初めてといっていいほど、のめりこんだ。
ドラゴンとの闘いは見事であったし、なにより2歳も年の離れた弟が箒を乗りこなし、課題をクリアする姿に心から賞賛したのだ。
その熱が冷めやらぬまま、若者たちは次のイベントに色めきあっていた。
そう、ダンスパーティーである。
ホグワーツは浮き足立った熱気に包まれ、クリスマスの夜に開催されるダンスパーティは誰と行くかの話題で、城中の空気は甘く華やいでいた。
図書室でも、廊下でも、誰もがパートナー探しの話ばかり。 スリザリンの談話室でも、誰が誰を誘ったかという品定めが横行しており、特に沈黙の女王が誰を選ぶか注目されていた。
だが、当の本人はその視線に気づいていたものの、一番重要なのは、どうやってスネイプをダンスに誘うかであった。
ある放課後、いつものように地下牢の準備室で、カレンはスネイプ教授の背中を見つめながら、杖を握る手に力を込めた。二人きりになるチャンスは今までたくさんあったが、それだけだ。自分から行動しなければ、手に入れることはできない。
カレンは初めてグリフィンドールのような勇気が欲しいと切望しながら、恐る恐るスネイプに声をかけた。
「……先生」
カレンの呼びかけに、彼は羽ペンを走らせたまま、低く唸るように応えました。
「なんだ」
「ダンスパーティのことですが……先生は、当日は監視に回られるのですか?」
「校長がそう望むならな。……生徒の火遊びを眺めて過ごすなど、およそ正気とは思えんが」
彼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
今しかない。
カレンは喉の渇きを覚えながら、努めて平静を装って言葉を紡ぎました。
「もし……パートナーがお決まりでないのでしたら、その……私が、お供をしてもよろしいでしょうか。」
羽ペンの音が、ピタリと止まった。重苦しい沈黙が部屋を支配し、数秒が永遠のように感じられる。心臓が痛いほど脈打カレンはスネイプの顔が見れず、鍋底に目をやった。
やがて、彼はゆっくりと椅子を回転させ、カレンの方に身体を向けた。その瞳は、いつもの冷徹さ以上に、氷のように硬く閉ざされており、彼が何を言うか容易に想像できた。
「……カレン」
名前を呼ばれただけで、叱られる予兆がわかった。自分の指先が、まるで見知らぬ陶器のように冷たくなっていくのを感じる。
「私は職務としてそこへ行くのであって、お遊びの相手を連れ歩くためではない。……何より、私が生徒と手を取り合って浮かれるような男に見えるか?」
スネイプの声は低く、地を這うような冷たさを帯びていた。
「そんなこと、関係ありません。私はただ、先生と……」
「他の、身の程を知らぬ羽虫のような男どもに誘われなかったのか。それとも、わざわざ私を不愉快にさせるために、貴重な時間を無駄にしているのか」
カレンは鍋底に向けた視線を上げ、彼を射抜くように見つめ返した。逃げ出したくなるような威圧感。けれど、ここで引けば二度と彼の隣には立てない。
「冗談ではありません、先生」
カレンは一歩も引かなかった。鍋底を見つめていた視線を上げ、彼の漆黒の瞳を真っ向から見据える。心臓の鼓動が耳元でうるさいほど鳴っているが、声だけは震わせまいと喉に力を込めた。
「私は本気です。他の誰でもない、先生と——」
「黙れ」
その一言で、室内の温度が数度下がった。スネイプはゆっくりと立ち上がり、机を回ってカレンの目の前まで歩み寄る。彼の影が彼女を完全に覆い尽くした。
「貴様はスリザリンだ。己の価値を、そして立場というものを理解していると思っていたが……。過大評価だったようだな」
彼はカレンの至近距離で足を止め、蔑むような冷ややかな笑みを浮かべた。
拒絶。完全な拒絶だ。
「……失礼いたしました」
唇を噛み締め、溢れそうになる涙を瞳の奥へ押し戻した。ここで泣けば、本当にただの子供になってしまう。彼女はスリザリンの女王らしく、精一杯の虚勢を張って、冷たく微笑んでみせた。
「では、当日は存分に『監視』なさってください。」
カレンは一度も振り返ることなく準備室を飛び出した。
胸の奥が焼けるように熱く、呼吸がうまくできない。
「分を弁えぬ、愚かな教え子」という言葉が、呪文のように頭の中で反芻されます。階段を駆け上がり、誰もいない廊下の隅で、彼女は膝を抱えて座り込んだ。
カレンは思いあがっていた。
自分だけは、他の生徒とは違う。スネイプにとって自分は特別で愛されていると思い込んでいた。了承を得られる自信があった。
恥ずかしい。
本当に穴があったら入ってしまいたくなるほど恥ずかしい。
自分が思っていた以上に、スネイプという存在を「聖域」として扱っていたことに気づかされた。
恥辱と、それ以上に深い、名づけようのない喪失感。
カレンは想像していたよりもスネイプのことを想っていたのだ。
「人形」になりそうな感覚があった。
これ以上傷つくのが嫌で、心拍数がすっと落ちこんでいく。
座り込んでお尻が冷たく硬くなった気づき、ふと頭をあげると視界にガラスに反射した自身の姿が映りこんだ。
ただ落ち込んで、隅で泣いている女。
カレンには慰めてくれる友達も居なければ、追いかけてくるような男に想いを寄せているのではない。
彼女は女王。
ここに居たってなにも始まらない。
客観視できたカレンは「人形」に戻ることを拒んだ。
もし彼が「監視」を職務とするならば、その視線を呪縛のように私自身に縛り付けてやろう。
彼が無視できないほど鮮烈な、それでいて彼の手には決して届かない「他者の所有物」として、彼の前に立ってやろうと。
リベンジに燃えるティーンエージャーは、次のホグズミード休暇でアバーフォースの元を訪れた。彼女は無言で、しかし断らせない圧迫感を持って、最高級のドレスをアバーフォースに要求した。
形と色、装飾具、化粧品はどこのメーカーどれそれが欲しい。
今まで全く強請りもしなかった少女の姿にアバーフォースは嬉しそうにすべての要求をのんだ。
それから図書室によく現れるという人気者を、そわそわと男の存在を待つ少女たちの群衆から一歩抜け出して声をかけた。
「……ビクトール・クラム。少し、お時間をよろしいかしら」
クラムが顔を上げた。彼の無愛想な瞳が、金茶色の髪を持つ見慣れぬ少女を捉える。
「……何だ」
「単刀直入に言うわ。クリスマス・ダンスパーティーのパートナー、まだ決まっていないのであれば、私を選んでいただきたいの。」
周囲で盗み聞きをしていた下級生たちが、ヒッと息を呑むのが聞こえた。スリザリンの女王が直談判。それも、あのクラムに。
今日中に全校生徒の噂になるだろう。
しかし、クラムは眉一つ動かさず、静かに首を振りました。
「……すまない。もう、誘いたい人がいる」
カレンの胸に冷たい風が吹き抜けた。スネイプに続きクラムにまで。
「そう。残念だわ。でも、一つお願いがあるの」
カレンは、震えそうになる指先をローブの袖に隠し、無理やり唇の端を上げました。
「私を、あなたの友人に紹介してくれないかしら。私はこの城で一番美しく踊らなければならないの。それが私の…戦いだから」
クラムは少しの間、カレンの瞳の奥にある、必死で隠された絶望と、燃え盛るような反骨心をじっと見つめていた。彼は寡黙であるが、スポーツマンとして勘は鋭い男だ。
「……分かった。私の友人で、まだパートナーが決まっていない。名はニコライ。ダンスは私より上手い」
クラムは傍らにいた、ガッシリとした体格の、しかしどこか優しげな顔立ちのダームストラング生を顎で示した。
彼らは母国語で何か話した後、ニコライと呼ばれた青年は、カレンの前に立つと、ダームストラング流の古風で礼儀正しい一礼をしました。
「もしよろしければ、貴方のような美しいレディのパートナーに選んでいただけないでしょうか」
「……ありがとう。よろしくお願いします」
カレンはニコライの手をった。
彼に当日のドレスの色を聞かれ、大広間の前で待っていると約束して別れた。
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クリスマスの夜。
大広間は銀色の霜と氷の彫刻で飾られ、幻想的な美しさに満ちていた。
カレンは深緑色のドレスに身を包み、髪をシニヨンにまとめてガラス細工の髪留めを刺した。
スリザリン生らしい色とすらりとした体型に美しい背中を惜しげもなく披露した煽情的なスタイルは、下手すると、はしたない印象に捉えられてしまうところを、刺繡でできた繊細なストールを腰あたりから腕へかけていることで上品な仕上がりとなっている。
カレンの腕をエスコートしているニコライは、体格が非常に良く、彼もクディッチをしているようだ。6年生ということで同級生という共通点から話はゆっくりと弾んでいった。彼がカレンを誘ったのは、クラムに紹介されたからだが、その後カレンが「スリザリンの女王」と呼ばれていることを知り、非常に興味を持ったようだ。
感情のない「人形」として振る舞うには話過ぎて、でも仲を深めるには時間が足りない。
カレンは計らずしも、自身にとっていいパートナを選んでいたのである。
音楽が始まり、カレンとニコライがはダンスフロアへと滑り出した。あまりにも美しい大広間と、初めてのダンスに想定以上に心躍っていた。ニコライのリードが上手なこともあって、自然と笑みがこぼれていた。
1曲目が終わり、2曲目も楽しく踊っていたところ、視界の端、壁際の影に黒いローブの姿を映った。
クリスマスパーティーという魔法にかかてしまって本来の目的を忘れてしまっていた。
スネイプ教授は腕組みをして、不機嫌を絵に描いたような顔でフロアを睨みつけていた。彼に嫉妬してほしいと願いながらも、悪いことをしている気分になって、2曲目が終わった後、彼の視界から消える様に群衆の中へニコライを誘っていった。
ニコライはエレナを丁寧にエスコートしながら、熱気溢れるフロアの隅へと促した。彼は先ほどまでカレンの視線がどこを彷徨っていたのか、鋭く察していたようだ。
「……それでカレン。君の『戦い』はどうだった?」
ニコライが、冷たい飲み物を手渡しながら低く問いかけました。その瞳には、からかうような色ではなく、純粋な案じが宿っている。
「ええ、うん、まあまあかな。」
カレンは自嘲気味に口角を上げ、銀色の杯を見つめた。
「負け戦……だったのかもしれない。私がどれほど着飾っても、あの人の瞳には映っていない。私はただの、背景の一部なのよ」
声が微かに震えます。スリザリンの女王としての鎧が、この熱狂の中で少しずつ剥がれ落ちていくようだった。すると、ニコライが彼女の細い肩にそっと手を置き、顔を近づけて囁きました。
「それは、その男が盲目なだけだ。……君は今、この城で誰よりも綺麗だよカレン。ダームストラングの連中も、みんな君に見惚れているよ」
その温かな言葉に、カレンは不覚にも鼻の奥がツンとするのを感じた。
「ありがとう、ニコライ。……あなた、本当に良いパートナーね」
彼女は無理にでも気分を浮上させようと、差し出されたドリンクを煽るように飲み干した。高揚した気分のまま、彼女はニコライを誘って三曲目、四曲目と踊り続けた。笑い声を上げ、わざとらしく楽しげに振る舞う。それが、壁際で見張っている「あの男」への最大の復讐だと信じていたし、なにより頭を空っぽにしなくては無いだが触れそうだったからだ。
しかし、ふと五曲目の合間に視線を巡らせた時――。
そこにいたはずの、忌々しいほど真っ黒なローブの姿が消えていた。
「……いない」
心臓が嫌な跳ね方をしました。
あんなに不機嫌そうにしていたはずの彼が、忽然と姿を消した。それは、彼が自分に興味を失った証拠なのか。
「ニコライ、ごめんなさい。少し、風に当たってくるわ」
「カレン? 追いかけるのかい?」
「ええ、追いかけてみる。ごめんね。」
ニコライが片手をあげてくれたのを見てから、カレンは繊細なストールを握りしめ、人混みをかき分け大広間から出た。
華やかな音楽が遠ざかり、冷たい夜気が廊下に満ち始める。
「……どこにいるんだろう。」
ドレスの裾を捌きながら、人目のつかないテラスへと彼を求めて暗い校内を彷徨い始めました。
火照ていた身体はずいぶんと冷え込み、雪が降る中庭を眺めた。 冷たい夜風が、身体の体温を奪う。回廊の柱に寄りかかり、遠くから聞こえる音楽に耳を傾け、探し始めて一時間経っていることに気づいた。
もうパーティーもお開きに近い。
会えないんだろう…今夜は。
スネイプを探すことを諦めるには身体が冷えすぎた。
冷たい雪交じりの風が吹き込む廊下を抜け、寮に戻る途中。
吸い寄せられるように魔法薬学の教室へと足が向いていた。
大広間の喧騒はもはや遠い国の出来事のようにかすみ、湿り気を帯びた石造りの静寂がエレナを包み込む。
魔法薬学の教室の扉は、拒絶するように固く閉ざされていおり、案の定、中に主の姿はなく、ただ冷え切った大釜が並んでいるばかり。
カレンは小さく溜息をついた。やはり今夜は会えないのかもしれない。でも、あと10分だけここで待ってみても良いだろう。
杖を振って暖炉に火を灯した。
パチパチとはぜる薪の音が、静かな室内に響き渡りる。彼女はドレスを崩さぬよう、椅子の縁に腰を下ろした。オレンジ色の炎が、銀色のドレスの刺繍を不規則に煌めかせながら、カレンの体温を温めていく。
心地よい暖かさに少しまどろんでいたカレンであったが、背後で重厚な扉が開く音がした。
「……何をしている」
闇の中から響いた声に、カレンは顔を上げた。
「……何をしている、カレン」
低く、地を這うような声。振り返ると、そこには影を纏ったかのような黒いローブの男が立っていた。スネイプの瞳は、暖炉の前で夜会服を纏う教え子の姿を捉え、不快そうに眉間にしわが寄る。
「ダンスなら上で嫌というほど踊っていたはずだ。今さらこんな湿った地下室に、何の用がある」
「……先生と、踊りたかったんです」
カレンは真っ直ぐに彼を見つめて、隠していた本心を口にした。
スネイプは鼻で笑い、無慈悲に言葉を放つ。
「馬鹿げたことを。上には君に相応しい、若くて血気の盛んなダームストラングの男が控えているだろう。さっさと戻るがいい」
突き放すような物言いに、カレンの胸は切り刻まれたように痛むが、もう怖いものなどなかった。ここで引けば二度とこのチャンスは訪れない。カレンは一歩踏み出し、ドレスの裾を揺らして彼の前に立った。
「ニコライは良いパートナーです。でも、私が踊りたいのは彼じゃなくて……先生と」
静寂が二人を支配した。
暖炉の火が爆ぜ、スネイプの頬に一瞬、影が落ちます。彼は長く重い沈黙の後、忌々しそうに、けれど抗えないものを受け入れたかのように、小さく吐息をつきました。
「……一曲だけだ。それ以上は許さん」
彼は躊躇いがちに、しかし大きな掌を差し出しました。
カレンはその手に、震える指先を重ねた。
彼の手は、想像していたよりもずっと冷たくて、氷のようだった。温める様に指先を包み込み、もう片方の手がエレナの背中に添えられた瞬間、心臓が跳ねるような衝撃が走った。
音楽のない、火の粉が舞うだけの密室。
ゆっくりと、二人のステップが刻まれ始めた。
普段は威圧的な黒いローブが、踊るたびにカレンのドレスの裾に触れ、重なり合う。カレンの体温と、微かに漂う薬草とインクの香りが交じり合う。
「……先生、見てくれていましたか。私のダンス」
囁くような問いに、彼は答えない。
ただ、カレンの瞳から目を離し、視線を少女の美しいドレスへ移る。
「……悪くない。スリザリンの生徒として、恥ずかしくないものだった。」
リードする指先にわずかな力がこもる。彼に見つめられると、まるで魂の奥底まで見透かされているような錯覚に陥る。
だが、目を離せない。
「それと、ドレスはいかがですか」
「悪くない」
男の言葉にカレンは嬉しそうにほほ笑んだ。
とても嬉しかった。
ぶっきらぼうな、彼なりの賛辞。
旋回するたびに、視界が熱を帯びて溶けていく。カレンは、彼とダンスをしているという事実だけで、鼻の奥が熱くなるのを感じていた。ニコライと踊っていた時とは違う、苦しくて、甘い、息が止まりそうな時間。
「夢みたい」
こんなことは二度と起こらない。
夢のような奇跡。
カレンの言葉にスネイプの手がぎゅっと強く握りしめられる。
至近距離。
彼の黒い瞳にカレンの顔が映っている。
彼の呼吸も聞こえる、カレンに触れている腕の熱さが、ドレス越しに伝わってくる。
先生の体温。
氷のような人だと思っていたけれど、こんなにも熱い。
彼は簡単なステップを止めると、握っていたカレンの手を離し、彼女のほほを指で撫でた。
このままこの男に抱き付いてしまいたかったが、あと15センチ…距離を詰めることができなかった。
こんなに近くで、優しそうな瞳の持ち主を感じられることはないだろう。
もう二度とない奇跡だとわかっていたからこそ、その場から離れることができなかった。
彼はカレンを突き飛ばすこともできず、かといって抱きしめることもできず、ただ苦しげに顔を歪めた。その表情を見て、カレンはより一層期待してしまった。この人も、少なからず自分を大切に想ってくれていると。
「……すぐに美しい女性になるだろう」
彼が絞り出すように囁いた。
その声はこれ以上自分を狂わせないでくれという、悲痛な懇願のように響いた。
スネイプはカレンの腕にかかっていたショールを手に取り、ふわりと肩に羽織らせた。
それでも庭で男を探していた名残か、ひやりと冷たい二の腕が彼の指の腹に触れた。
スネイプはその冷たさに気づき「30分早いが…」と言いながらカレンのそばを離れ、袖机の中から茶色い包みを取りだした。べりッと破くと中から黒いマフラーが現れ、カレンの首に一巻きした。
「メリークリスマス」
スネイプの口から今日を祝う言葉が出てくるとは思わず、カレンは目を見開いた。
カレンはスネイプとはクリスマスを祝うことはできないと勝手に思い込んでいた。教師と生徒であって友人ではないし、保護者でもない。それに彼が祝い事は好きなようには見えなかった。
「私何も用意してません…」
お礼よりも、スネイプに返せないことが気がかりだった。
黒く触り心地の良い布は、ラッピング状態から見て、おそらくスネイプ自身に用意したものだったろうに…
「もう貰っている」
彼は表情を崩さず言い切った。
スネイプの顔を見つめたが、彼は何も答えず「身体が冷えている、早く寮に戻りなさい」とカレンを教室から追い出した。
カレンはドアを閉めようとするスネイプに「今日は本当にうれしかったです、メリークリスマス。おやすみなさい。」と声をかけた。
男が頷いたのを見てから談話室へと戻った。
カレンはその夜寝付くことができなかったが、今日という日は絶対に忘れないと誓った。
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1996年の夏。
悲惨な事故、セドリック・ディゴリーが死んでから、カレンの状況は大きく変わった。カレンはウォルデモートの復活を見ておらず、ましてやアルバス・ダンブルドアとハリー・ポッターの言葉を盲信するほどの関係ではない。
だが、ハリー・ポッターの姉という立場がより安全な場所へ隠す必要があると判断され、父親のように慕っていたアバーフォースと引き離され、不死鳥の騎士団の本部と呼ばれる、ロンドンの「グリモールド・プレイス12番地」に連れてこられた。初めてのロンドンに観光したくてたまらなかったが、カレンは一切の外出を禁じられ軟禁状態となった。
自分がハリー・ポッターの姉であるという事実が、これほどまでに重い鎖になるとは、カレン自身思いもしなかった。
そんな閉塞感の中で、この忌々しい生家から一歩も出られない男、シリウス・ブラックと奇妙な連帯感を抱くようになった。
「……退屈だろう、カレン。この家は、住人の正気を吸い取って生きているようなもんだ」
キッチンで酒の瓶を片手に自嘲気味に笑うシリウスは、カレンの中にどこか面影を見出しているようだ。
「シリウス、私の母は……リリーは、どんな人だったの?」
その問いに、シリウスの瞳に柔らかな光が灯る。
「リリーか。……彼女は誰よりも鮮やかな光だった。正義感が強く、聡明で、そして、一度決めると誰にも止められない頑固さを持っていた。君のその芯の強さは彼女にそっくりだよ」
彼から聞かされる母親の話は、写真の中で微笑むだけの存在に、温かな血を通わせる。
「人気者だったの?」
「かなりな。美人で頭が良くて優しい心を持ってるとくれば、誰もがリリーに恋をする。」
「シリウスも好きだったの?」
「俺か!?馬鹿言うなよ、ジェームズに怒られるじゃないか。」
そういって朗らかに笑う男は、二枚目の面影を見せた。
「シリウスは昔から女子から人気があったから、リリーに目移りする必要なんてなかったんだよ。」
もう一人の旧友、リーマス・ルーピンがキッチンに現れ、馴染みの親友と久しぶりに抱擁した。
彼はずいぶんやつれてはいたが、その眼差しは以前と変わらず穏やかだった。
「カレン、久しぶりだね。見ない間にこれほど立派に成長したとは、よく見せてくれ」
久しぶりに会った親戚のように親友の忘れ形見をくるりと一回転させる。
「本当に素敵な女性になったね。もう7年生か、イモリ試験の準備はどうだい? 君のことだから全教科最高評定を狙えるだろうね」
「そんなうまくいくわけないわ。ずっと勉強よ。」
カレンはそういって笑った。
二人は時間のある時に勉強を見てくれるようになった。
それから数日のうちに、ウィーズリー家の人々が合流した。静かだった屋敷は騒がしい生活の音が満ちた。モリーが振るう鍋の湯気、双子のジョージとフレッドが交わす悪だくみの囁き。その賑やかさは、軟禁状態にあるカレンにとって、眩しすぎる毒のようでもあった。
そんな中、遅れてハリーがやってきた。
「やあ」
ぎこちなく挨拶する血のつながった姉弟は、どう会話を紡げばいいのかわからなかった。
「……元気だった?」
ハリーが、ぎこちなく口を開いた。
「ええ。ハリーも。……大変だったわね」
「……ああ。そうだね」
会話はそれ以上、続かなかった。
同じ血が流れているはずなのに、二人の間には、言葉では埋められない透明な断絶がある。
ハリーにとって、ダーズリー一家の苦労を知らずセドリックの死をを見ていない姉は、仲間とは違いどこか「あちら側」の人間と感じているかもしれなかった。
夜が更け、不穏な冷気を纏って、黒衣の男が姿を現した。
セブルス・スネイプ。
騎士団の会議のために訪れた彼を見つけた瞬間、カレンの心臓が嬉しそうに跳ねた。周囲が彼を「裏切り者」を見るような険しい目で見送る中、カレンだけが、吸い寄せられるように彼へと歩み寄る。
「先生、お元気でしたか?夏休みはどこかに行かれました?」
ダンスパーティーの夜以降、カレンの気持ちはスネイプに捧げる覚悟が決まったが、スネイプはあの夜などなかったかのように教師と生徒の関係に戻った。
それから怒涛のように日々が過ぎ去り、補講もなく、セドリックの死によってカレンの環境が変わり、二人きりになることなど皆無だった。
「…危機感という言葉を忘れた顔をしているな、ミス・ポッター。このような掃き溜めで、わざわざ挨拶をする暇があるのか」
スネイプは足を止め、深い影の落ちた瞳でカレンを見下ろした。ずいぶんと酷いことを言われたはずだが、久しぶりに声をかけてもらえること嬉しさが勝ち、緩んだ頬は崩れなかった。
「先生の嫌味が懐かしくて。ちょうどイモリ試験対策にレポートを書いたんです。見ていただけますか?」
カレンが縋るように問いかけると、スネイプは忌々しそうに鼻を鳴らした。しかし、彼は背を向けることなく、その場に留まる。
「……出せ。確認してやる。」
その言葉を聞くやいなや、カレンは弾かれたように階段を駆け上がり嬉しそうに部屋まで飛んでいった。自室の机から、書き溜めたレポートをひっ掴む。心臓が、春の嵐のように騒がしい。
けれど、息を切らして階下へ戻った私を待っていたのは、凍りついたような沈黙と、爆発寸前の火山のような熱を孕んだ空気だった。
スネイプはとてもイライラしており、すっと踊り場で立ち尽くすカレンに「……ホグワーツでだ。今はその紙切れを眺めている暇などない」と簡素に一言つぶやいてから、ローブをはためかせて出て行ってしまった。
カレンはレポートを握りしめたまま、その場に立ち尽くした。
「……最悪」
せっかくの機会が奪われたことにショックと、一体だれがスネイプを怒らせたのかと廊下へ顔を出すと、そこに立っていたのはシリウスだった。
彼はほんの少し気まずそうに、けれどどこか楽しげな色を隠しきれない顔で立っていた。
「……おい、そんなに膨れるなよ。あいつが勝手に不機嫌になっただけだ」
「シリウス、何か言ったんでしょ。先生、あんなに怒って……」
カレンの詰問に、シリウスは肩をすくめ、手元のグラスを軽く揺らした。
「別に、大したことじゃないさ。ただ、あいつがあまりに熱心に君と話し込んでいたからな。……ちょっとばかり、昔の話を思い出させてやっただけだ。あいつ、俺たちの後を追い回していた頃と全く変わらないな、ってな。あの偏屈な顔、見たか? 傑作だったよ」
シリウスは悪びれる様子もなく、二枚目の面影を残した顔を綻ばせる。
「最低。……シリウスは、先生のことが嫌いなだけじゃない。私を使って、先生を傷つけたいだけでしょ」
私の言葉に、シリウスの笑みが一瞬だけ消えた。
「……そう見えるか? だがな、カレン。人の根本的なものを変わらない、あいつがデスイーターだった事実や闇に傾倒していたのは周知の事実だ。今はこちら側だと言っているが、そう簡単に人は変われないんだよ。」
シリウスは一呼吸おいて、カレンの様子を探るように見た。黙って立っている姿にまだ怒っているととらえたのか、困ったように頭を掻きむしった。
「俺はただ、叔父として、お前をあの陰気なコウモリから守ってやりたいだけなんだよ。……言い方は、少しばかり間違えたかもしれないがな」
カレンが黙っていたのはスネイプが元デスイーターだったという事実を初めて知ったからだ。
スリザリン生のほとんどは元デスイーターの子供であるものも多く、偏見はないつもりであったが、それでも以前は闇の帝王側に居たという事実に驚いていたのだ。
シリウスは誤魔化すように視線を逸らし、まだ未成年のカレンにシャンパンを勧めた。
カレンは動揺していることがばれないようにシャンパンを受け取って、その場はお開きとなった。
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ホグワーツに到着してから、城内の空気は、アンブリッジ教授の支配と、迫りくるN.E.W.T試験によって空気が張り詰めていた。
突然のカリキュラム変更に、7年生たちは必死に勉強していた。この試験結果が将来の選択に大きく影響するのだ。
カレンも周りの学生たちと共に必死に食らいついていた。
多くの校則ができ、息苦しい学校になってしまったが、それでも魔法薬学の補講は続いていた。
補講というより教室での自主学習に近い。
だが、時折早く帰るように促されることが多々あった。
重い扉の向こう側で、入れ違いにハリーが入っていくのを何度も見た。
カレンには決して見せることはない時間。
「……私は仲間外れ、選ばれし者ではないから」
そんな卑屈な独り言が、冷たい石床に落ちては消えた。
きっかけは、一通の通知だった。
アンブリッジが掲げた新たな教育令により、図書室の閲覧制限が強化された。カレンが卒業後の進路のために必要としていた『高度な魔法薬調合における魂の変質』の貸出が、突如禁じられたのだ。
焦りが、理性を焼き切った。
カレンは消灯間際に談話室を抜けだし、地下牢へと向かった。先生なら、あの本の私蔵版を持っているはずだ。
あるいは、ただ彼に会うための理由が欲しかっただけなのかもしれない。
扉はわずかに開いていた。
中から漏れ聞こえるのは、誰かの荒い息遣いと、水が跳ねるような微かな音
突然、中から激しい怒号が聞こえた。
「出て行け! 出て行け! 二度と私の顔を見せるな、ポッター!!」
ドアが乱暴に開き、蒼白な顔をしたハリーが転がり出てきた。
彼はカレンと鉢合わせると、ショックで引き攣った顔でカレンを見て、逃げるように立ち去った。
ハリーの足音が遠ざかるのを確認し、カレンは深呼吸をして、開け放たれたドアの中へと足を踏み入れた。
机の上に置かれた『憂いの篩(ペンシーブ)』と、その傍らで崩れ落ちるように椅子に掛けているスネイプの姿があった。
彼の顔は青白く、まるで自分の魂の一部を削り取られたかのように、酷くやつれて見える。
「……先生」
カレンが声をかけると、彼は弾かれたように顔を上げた。
普段の冷徹な仮面は剥がれ落ち、剥き出しの憎悪と怒り、絶望があった。
一体ハリーは何をしでかしたのだろうか。薬草を盗んだでは済ませられない程だというのは状況を察していた。
「……お前もか」
スネイプはカレンを睨みつけた。いや、委縮しているようにも見えた、気まずそうに後悔の影をカレンに見ているようだ。
「……何をしている。ミス・ポッター」
のではありませんでした。私の顔に重なる、かつての愛しい人と、憎き男の幻影を見ているのです。
震える声を押し殺し、彼は立ち上がった。その手は、まだ微かに震えている。
「お前も心の中で私を笑い憎んでいるのだろう、ポッター!!」
スネイプの怒りが近くにあった薬瓶が宙に浮き、壁に投げつけられた。破裂音と共に、緑色の液体が飛び散る。
弾け飛んだ薬瓶の破片が、私の頬をかすめて背後の壁に突き刺さった。けれど、その痛みさえ遠く感じるほど、目の前の男は壊れていた。
「出て行け!! その顔を見せるな!!」
彼の絶叫が、地下牢に木霊する。震える声を押し殺し、彼は立ち上がった。その手は、まだ微かに震えている。
カレンは動けなかった。怖いからではない、何に対して怒りをあらわにしているのかわからなかったからだ。ただ、何かトラウマに触れてしまったことだけは確かだった。
「先生、私は……」
「黙れ! その声で呼ぶな! リリー、君はいつだって…」
その名前が彼の唇から零れた瞬間、地下牢の空気は氷結した。
彼は失言したと気づいたのか、言葉の断片を飲み込み、そのまま固く口をつぐんだ。
男が顔を合わせたくないと拒絶しているのは、カレンという実体ではなく、カレンの輪郭に重なる死んだ母の幻影なのだ。
胸の奥で、何かが音を立てて砕けた。それは、「私を見てほしい」と願っていた小さな自尊心だった。
私がいかに着飾り、いかに言葉を尽くしても、彼の魂の最深部に居座っているのは、私ではない。
忘れていたわけではない。
あの忌まわしい夜。両親を失った日。
この男は、冷たくなっていく母の亡骸を、誰よりも絶望的な手つきで抱えていたではないか。
この男は母の亡骸を抱えていたではないか。
今の彼に必要なのは、生徒であるカレンでも、リリーの娘でもない。
(どうすれば、この人のそばに居れるのか)
カレンはゆっくりと歩を進めた。飛び散った液体の匂いが鼻を突く。強く握りしめた男の手に、そっと自分の掌を重ねた。
「……セブルス。私は怒っていないわ」
母がかつて彼を呼んだであろう響きを、偽物だと分かっていても、今の彼にはこの「嘘」が必要なのだと確信していた。
「……セブルス」
カレンはもう一度彼に声をかけた。
カレンが作った声は、いつもの声よりも高く、優しく、甘い響きを持っていた。
彼はゆっくりと、信じられないものを見るようにカレンを見た。
「大丈夫。……大丈夫」
スネイプに対してなのか、それとも己に対してなのか本人にもわからなかった。もし母が生きていたら、きっとこう言って彼を慰めただろう。カレンの想像上の台詞だけれど、今のスネイプにとって、それはあまりにも残酷で、甘美な救いであった。
「……リリー?」
彼の瞳が揺れた。
それから何も言わずにぎゅっとカレンの肩を抱いた。
彼の口から何か言おうと吐息が漏れるが、それは言葉にならなかった。
何も話さなかった。
カレンは優しくスネイプの背中に手を回した。私の指先は冷たく、彼に触れている部分だけが熱い。
これでいい。
カレンは何度も自分に言い聞かせた。この男が私ではなく母を大切に想っていたという事実が重くのしかかていたとしても、“セブルス”と呼べる特権と温もりは彼女だけのものだ。
何も知らない若い魔女は愛する男の後悔を受け止め続ける決心をし、もう後には引けない場所へと踏み出した、決定的な夜であった。
