第1章 新天地へ
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あの夏の夜のディナーは、エレナ・スズキのロンドンでの日々を、静かに、しかし確実に変えた。
灰色の空の下で感じていた深い孤独感は、クィリナス・クィレルという存在を知ったことで、柔らかな輪郭を帯び始めたように感じられた。
彼の知性、穏やかさ、そして自分の言葉に真摯に耳を傾けてくれた態度。
思い出すたびに、胸の奥が温かくなり、勉強や実習への意欲も以前にも増して湧いてくるのだった。
彼に認められたい、彼ともっと対等に話せるようになりたい——その想いが、エレナを机へと向かわせる新たな原動力となっていた。
クィレルとの直接的な再会は、互いの多忙さもあって、すぐには叶わなかった。彼は一時的な休職手続きのため、予定よりも早くホグワーツに戻る必要があったからだ。
ふくろうを送りあう約束をした手紙を残して、彼との距離が離れた。
悲しむ間もなく、エレナも聖マンゴでの厳しい実習と課題に追われる日々を送っていた。
だが、二人の間には、以前にはなかった確かな繋がりが生まれていた。
それは、フクロウ便が運んでくる、短いメモや、古びた羊皮紙の切れ端に書かれた伝言だった。
最初に便りが来たのは、あのディナーから数日後のことだった。エレナが自室で英語の翻訳に悪戦苦闘していると、窓を軽く叩く音がした。そこにいたのは、一羽の見慣れない、灰色の小さなフクロウだった。その脚には、インクの染みが少し付いた、小さな巻物が結びつけられていた。
『エレナへ。先日は素晴らしい時間をありがとう。君が興味を示していた16世紀の錬金術師の治癒呪文に関する考察、古い文献の中に該当箇所を見つけたので、参考までに写しを送ります。研究の助けになれば幸いだ。追伸:君の故郷の「言霊」の話、その後も考えている。実に興味深い概念だ。 クィリナス・クィレル』
簡潔で、少し硬い文面。しかし、その行間からは、彼らしい知的な誠実さと、エレナへの確かな関心が伝わってきた。
エレナは何度もそのメモを読み返し、頬が熱くなるのを感じた。彼女もすぐに震える指で羽ペンを取り、返事を書いた。感謝の言葉と、送られた資料への感想、そして自分の研究の僅かな進捗。拙い英語で、言葉を選びながら、それでも自分の気持ちが少しでも伝わるようにと願って。
それから、二人の間で不定期な手紙のやり取りが始まった。それは、互いの研究に関する質疑応答が主だったが、時折、個人的な一文が添えられていることもあった。
「チェコの霧は深い。こういう日は、君の言う『もののけ』でも現れそうだ」「この薬草の持つ二面性は、まるで人間の心のようだと思わないかね?」そんな言葉を見つけるたび、エレナの心は小さく跳ねた。
彼女もまた、手紙の最後に「クィリナスもお身体にお気をつけください」「もう秋ですね。お体にお気をつけて」といった、ささやかな気遣いを書き添えるのが常になった。
白い便箋の上で交わされる言葉は、直接会って話すのとはまた違う、静かで親密な響きを持っていた。互いの筆跡に人柄が滲み、行間に込められた想いを想像する。
それは、孤独なエレナにとって、暗い海を照らす灯台の光のように、温かく、心強いものだった。彼女は、自分がクィレルに対して抱いている感情が、単なる尊敬や友情を超えた、もっと深いものであることをはっきりと自覚していた。彼のことを思うと、胸の奥にある古い傷——家族との確執や無力感が、少しだけ和らぐような気さえした。
しかし、その穏やかな交流の中に、時折、説明のつかない微かな翳りが差し込むこともあった。彼が言及する研究テーマが、強力な防御魔法や呪い返しといった領域から、次第に「力の制御」や「禁忌とされる魔法の理論」へと、僅かに移行しているような気配も感じられた。
エレナはそれを、彼の飽くなき探求心の表れだと好意的に解釈していた。彼のような知的好奇心の高い人は色んな題材に触手が伸びるものである。
夏が終わり、ロンドンの空に秋の気配が混じり始める頃、エレナは中庭のベンチで、クィレルから届いたばかりの手紙を読んでいた。そこには、珍しく彼の個人的な感慨のようなものが綴られていた。『…最近、強く思うのだ。この世界には、我々の理解を超えた力が満ちている。それを解き明かし、制御することこそ、真の魔法使いの道ではないかと。君はどう思うかなエレナ。 君のその純粋な瞳には、この世界はどのように映っているのだろうか』
その問いかけに、エレナはすぐには答えを返すことができなかった。彼の言葉には、以前にはなかった熱っぽさと、どこか危うい響きが感じられたからだ。
胸騒ぎを覚えながら、彼女は白い便箋を折り畳み、ポケットにしまった。空を見上げると、白夜にも似た淡い光を放っていた夏の空は、いつの間にか、重たい雲に覆われ始めていた。クィレルとの間に育まれた温かい繋がりは、確かに彼女の支えとなっていた。
英語でのコミュニケーションは、日々の格闘の末、今ではほとんど不自由を感じないまでに上達していた。魔法医療の知識も、座学と実習、そして資料室での翻訳作業を通じて着実に血肉となり、彼女の白いヒーラー服姿も、以前のような頼りなさは消え、どこか自信のようなものが滲み始めている。
マージョリー・ホプカークは、エレナのその変化を見逃さなかった。相変わらず口調は厳しく、要求する水準も高かったが、最近ではエレナに任せる仕事の範囲が広がり、より専門的で判断力を要する補助業務も増えていた。
ある日の午後、ホプカークは「呪いによる神経麻痺」という難解な症例の若い患者を診ながら、エレナに静かに指示を出した。
「スズキ、この患者の魔力反応の微細な変化を記録しなさい。それから、貴女が翻訳していた17世紀の『魂縛りの呪詛』の症例記録、あれと類似点がないか、後で照合して報告を」
それは、単なる助手ではなく、一人のヒーラーとしての意見を求められているかのような指示だった。エレナは緊張しながらも、確かな手応えを感じていた。自分がこの場所で、確かに何かを学び、成長しているのだという実感。それは、異国での孤独な努力が、ようやく小さな光となって見え始めた瞬間だった。
クィリナス・クィレルとの関係は、あの夏の夜のディナーの後、穏やかに続いていた。彼の旅・研究も「重要な段階に入った」とのことで、以前のように頻繁に連絡が来ることは難しくなっていた。
しかし、不定期ながらも確実にフクロウ便は届き、そこには彼らしい知的な考察や、エレナの研究テーマ(彼女は神経麻痺に対する効果的な治癒魔法の可能性について個人的に調べ始めていた)への的確な助言、そして時には彼女の体調を気遣う短い言葉が綴られていた。
エレナもまた、日々の出来事や、研究で得た小さな発見などを、心を込めて返信に記した。その手紙のやり取りが、今の彼女にとっては、何よりも大切な心の支えとなっていた。
彼が時折見せる影や、研究テーマの僅かな変化に気づかないわけではなかった。
手紙の中で彼が使う言葉が、以前よりも難解で、どこか抽象的な概念——「力の均衡」や「禁忌とされた知識の再評価」といったもの——に及ぶことが増えたような気もした。しかし、エレナはそれを、彼の深い好奇心の表れだと信じていた。彼ほどの知性を持つ人間ならば、既存の枠に収まらない探求をするのは当然のことなのかもしれない、と。
彼へ募る想いが、悪い方向へ思わせているだけなのかもしれない、と不安な気持ちを心の片隅に押し込めた。
孤独感が完全に消えたわけではなかった。故郷の家族との断絶は依然として彼女の心の傷であり、ふとした瞬間に寂しさが込み上げてくることもあった。しかし、以前のような絶望的な孤独ではなく、自分の時間を持ち、内省し、勉学に没頭することで得られる、静かで満たされた孤独へと、その質は変化しつつあった。
資料室の奥、彼女専用の机の周りには、翻訳途中の羊皮紙や、彼女自身の考察を書き留めた白いノートが山積みになっている。その一つ一つの文字が、彼女の努力の証だった。
ある日、エレナは同僚の若いヒーラー(同じ留学プログラムの先輩で、そのままセント・マンゴに就職したドイツ人の女性だった)から、週末にコーンウォール地方へ短い旅行に出かけたという話を聞いた。荒々しい海岸線、古代の魔法遺跡、そして美味しいパスティの話。それを聞いているうちに、エレナもまた、どこかへ旅に出てみたいという気持ちがむくむくと湧き上がってきた。気分転換に、そしてこの国の魔法の歴史にもっと触れるために。
その夜、エレナは自室で、魔法界の旅行ガイドブックを広げていた。スコットランドの霧深い古城、ウェールズのドラゴン保護区、そしてイングランド各地に点在するストーンサークル。ページをめくるたびに、まだ見ぬ風景への期待が膨らむ。
どこへ行こうか。一人旅も悪くないかもしれない。
あるいは、もしクィリナスの時間が許すならどこかで合流して…そんな淡い期待も胸に秘めながら。
灰色の空の下で感じていた深い孤独感は、クィリナス・クィレルという存在を知ったことで、柔らかな輪郭を帯び始めたように感じられた。
彼の知性、穏やかさ、そして自分の言葉に真摯に耳を傾けてくれた態度。
思い出すたびに、胸の奥が温かくなり、勉強や実習への意欲も以前にも増して湧いてくるのだった。
彼に認められたい、彼ともっと対等に話せるようになりたい——その想いが、エレナを机へと向かわせる新たな原動力となっていた。
クィレルとの直接的な再会は、互いの多忙さもあって、すぐには叶わなかった。彼は一時的な休職手続きのため、予定よりも早くホグワーツに戻る必要があったからだ。
ふくろうを送りあう約束をした手紙を残して、彼との距離が離れた。
悲しむ間もなく、エレナも聖マンゴでの厳しい実習と課題に追われる日々を送っていた。
だが、二人の間には、以前にはなかった確かな繋がりが生まれていた。
それは、フクロウ便が運んでくる、短いメモや、古びた羊皮紙の切れ端に書かれた伝言だった。
最初に便りが来たのは、あのディナーから数日後のことだった。エレナが自室で英語の翻訳に悪戦苦闘していると、窓を軽く叩く音がした。そこにいたのは、一羽の見慣れない、灰色の小さなフクロウだった。その脚には、インクの染みが少し付いた、小さな巻物が結びつけられていた。
『エレナへ。先日は素晴らしい時間をありがとう。君が興味を示していた16世紀の錬金術師の治癒呪文に関する考察、古い文献の中に該当箇所を見つけたので、参考までに写しを送ります。研究の助けになれば幸いだ。追伸:君の故郷の「言霊」の話、その後も考えている。実に興味深い概念だ。 クィリナス・クィレル』
簡潔で、少し硬い文面。しかし、その行間からは、彼らしい知的な誠実さと、エレナへの確かな関心が伝わってきた。
エレナは何度もそのメモを読み返し、頬が熱くなるのを感じた。彼女もすぐに震える指で羽ペンを取り、返事を書いた。感謝の言葉と、送られた資料への感想、そして自分の研究の僅かな進捗。拙い英語で、言葉を選びながら、それでも自分の気持ちが少しでも伝わるようにと願って。
それから、二人の間で不定期な手紙のやり取りが始まった。それは、互いの研究に関する質疑応答が主だったが、時折、個人的な一文が添えられていることもあった。
「チェコの霧は深い。こういう日は、君の言う『もののけ』でも現れそうだ」「この薬草の持つ二面性は、まるで人間の心のようだと思わないかね?」そんな言葉を見つけるたび、エレナの心は小さく跳ねた。
彼女もまた、手紙の最後に「クィリナスもお身体にお気をつけください」「もう秋ですね。お体にお気をつけて」といった、ささやかな気遣いを書き添えるのが常になった。
白い便箋の上で交わされる言葉は、直接会って話すのとはまた違う、静かで親密な響きを持っていた。互いの筆跡に人柄が滲み、行間に込められた想いを想像する。
それは、孤独なエレナにとって、暗い海を照らす灯台の光のように、温かく、心強いものだった。彼女は、自分がクィレルに対して抱いている感情が、単なる尊敬や友情を超えた、もっと深いものであることをはっきりと自覚していた。彼のことを思うと、胸の奥にある古い傷——家族との確執や無力感が、少しだけ和らぐような気さえした。
しかし、その穏やかな交流の中に、時折、説明のつかない微かな翳りが差し込むこともあった。彼が言及する研究テーマが、強力な防御魔法や呪い返しといった領域から、次第に「力の制御」や「禁忌とされる魔法の理論」へと、僅かに移行しているような気配も感じられた。
エレナはそれを、彼の飽くなき探求心の表れだと好意的に解釈していた。彼のような知的好奇心の高い人は色んな題材に触手が伸びるものである。
夏が終わり、ロンドンの空に秋の気配が混じり始める頃、エレナは中庭のベンチで、クィレルから届いたばかりの手紙を読んでいた。そこには、珍しく彼の個人的な感慨のようなものが綴られていた。『…最近、強く思うのだ。この世界には、我々の理解を超えた力が満ちている。それを解き明かし、制御することこそ、真の魔法使いの道ではないかと。君はどう思うかなエレナ。 君のその純粋な瞳には、この世界はどのように映っているのだろうか』
その問いかけに、エレナはすぐには答えを返すことができなかった。彼の言葉には、以前にはなかった熱っぽさと、どこか危うい響きが感じられたからだ。
胸騒ぎを覚えながら、彼女は白い便箋を折り畳み、ポケットにしまった。空を見上げると、白夜にも似た淡い光を放っていた夏の空は、いつの間にか、重たい雲に覆われ始めていた。クィレルとの間に育まれた温かい繋がりは、確かに彼女の支えとなっていた。
英語でのコミュニケーションは、日々の格闘の末、今ではほとんど不自由を感じないまでに上達していた。魔法医療の知識も、座学と実習、そして資料室での翻訳作業を通じて着実に血肉となり、彼女の白いヒーラー服姿も、以前のような頼りなさは消え、どこか自信のようなものが滲み始めている。
マージョリー・ホプカークは、エレナのその変化を見逃さなかった。相変わらず口調は厳しく、要求する水準も高かったが、最近ではエレナに任せる仕事の範囲が広がり、より専門的で判断力を要する補助業務も増えていた。
ある日の午後、ホプカークは「呪いによる神経麻痺」という難解な症例の若い患者を診ながら、エレナに静かに指示を出した。
「スズキ、この患者の魔力反応の微細な変化を記録しなさい。それから、貴女が翻訳していた17世紀の『魂縛りの呪詛』の症例記録、あれと類似点がないか、後で照合して報告を」
それは、単なる助手ではなく、一人のヒーラーとしての意見を求められているかのような指示だった。エレナは緊張しながらも、確かな手応えを感じていた。自分がこの場所で、確かに何かを学び、成長しているのだという実感。それは、異国での孤独な努力が、ようやく小さな光となって見え始めた瞬間だった。
クィリナス・クィレルとの関係は、あの夏の夜のディナーの後、穏やかに続いていた。彼の旅・研究も「重要な段階に入った」とのことで、以前のように頻繁に連絡が来ることは難しくなっていた。
しかし、不定期ながらも確実にフクロウ便は届き、そこには彼らしい知的な考察や、エレナの研究テーマ(彼女は神経麻痺に対する効果的な治癒魔法の可能性について個人的に調べ始めていた)への的確な助言、そして時には彼女の体調を気遣う短い言葉が綴られていた。
エレナもまた、日々の出来事や、研究で得た小さな発見などを、心を込めて返信に記した。その手紙のやり取りが、今の彼女にとっては、何よりも大切な心の支えとなっていた。
彼が時折見せる影や、研究テーマの僅かな変化に気づかないわけではなかった。
手紙の中で彼が使う言葉が、以前よりも難解で、どこか抽象的な概念——「力の均衡」や「禁忌とされた知識の再評価」といったもの——に及ぶことが増えたような気もした。しかし、エレナはそれを、彼の深い好奇心の表れだと信じていた。彼ほどの知性を持つ人間ならば、既存の枠に収まらない探求をするのは当然のことなのかもしれない、と。
彼へ募る想いが、悪い方向へ思わせているだけなのかもしれない、と不安な気持ちを心の片隅に押し込めた。
孤独感が完全に消えたわけではなかった。故郷の家族との断絶は依然として彼女の心の傷であり、ふとした瞬間に寂しさが込み上げてくることもあった。しかし、以前のような絶望的な孤独ではなく、自分の時間を持ち、内省し、勉学に没頭することで得られる、静かで満たされた孤独へと、その質は変化しつつあった。
資料室の奥、彼女専用の机の周りには、翻訳途中の羊皮紙や、彼女自身の考察を書き留めた白いノートが山積みになっている。その一つ一つの文字が、彼女の努力の証だった。
ある日、エレナは同僚の若いヒーラー(同じ留学プログラムの先輩で、そのままセント・マンゴに就職したドイツ人の女性だった)から、週末にコーンウォール地方へ短い旅行に出かけたという話を聞いた。荒々しい海岸線、古代の魔法遺跡、そして美味しいパスティの話。それを聞いているうちに、エレナもまた、どこかへ旅に出てみたいという気持ちがむくむくと湧き上がってきた。気分転換に、そしてこの国の魔法の歴史にもっと触れるために。
その夜、エレナは自室で、魔法界の旅行ガイドブックを広げていた。スコットランドの霧深い古城、ウェールズのドラゴン保護区、そしてイングランド各地に点在するストーンサークル。ページをめくるたびに、まだ見ぬ風景への期待が膨らむ。
どこへ行こうか。一人旅も悪くないかもしれない。
あるいは、もしクィリナスの時間が許すならどこかで合流して…そんな淡い期待も胸に秘めながら。
