第2章 賢者の石
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セストラルが引く馬車が、巨大な樫の木の扉の前で静かに止まった。扉の上部には、猪、穴熊、鷲、そして蛇が絡み合うホグワーツの紋章が精巧に彫り込まれている。エレナが馬車を降りると、重厚な扉がまるで意思を持っているかのように内側からゆっくりと開かれた。
その先には天井が驚くほど高い、広大な石造りのエントランスホールが広がっていた。床には磨かれた石が敷き詰められ、壁には燃え盛る松明がいくつも掲げられ、荘厳な光でホールを照らしている。生徒たちの到着前とあって、ホールはしんと静まり返り、自分の足音だけがやけに大きく響いた。まるで、何世紀もの魔法の歴史が凝縮された聖域に足を踏み入れたような、畏敬の念に似た感覚がエレナを包んだ。
その静寂を破ったのは、不機嫌そうな咳払いだった。
ホールの隅の影から、一人の痩せた男がぬっと姿を現した。埃っぽい黒いフロックコートをまとい、肩には骨と皮ばかりに痩せた灰色の猫を乗せている。城の管理人、アーガス・フィルチだった。彼の顔には深い皺が刻まれ、その目は猜疑心に満ちていた。
「あんたが、新しいヒーラーのインターンか。スズキとか言ったな」
フィルチは、しゃがれた声でぶっきらぼうに言った。
「マダム・ポンフリーが保健室で待ってる。こっちだ、遅れるな」
ミセス・ノリスが、黄色い大きな瞳でエレナをじろりと睨みつけ、フンと鼻を鳴らした。エレナは軽く会釈をしたが、フィルチはそれに気づかないふりをして、さっさと踵を返し薄暗い廊下へと歩き出した。彼の足取りは奇妙に音を立てず、まるで床の上を滑っているかのようだ。
エレナは慌ててその後を追った。ホグワーツ城内は、まるで迷宮のように入り組んでいた。フィルチから離れないように彼の一歩後ろを追いかける。壁には、何世紀も前の魔法使いたちの肖像画がずらりと並び、その多くはエレナが通り過ぎるのを興味深げに見つめ、ひそひそと何かを囁き合っているように見えた。中には、あからさまに顔をしかめたり、エレナの服装を値踏みするような視線を送ってくるものもいる。
「新入りか、ふむ」
「どこから来たのかしらね」
「ヒーラーだそうですよ、奥様」
そんな声が、壁のあちこちから聞こえてくるようだ。 時折、磨き上げられた鎧の騎士像が、カンテラの光を受けて鈍い輝きを放ち、その兜の奥から誰かに見つめられているような錯覚に陥る。
廊下はいくつも枝分かれし、螺旋階段が上へ下へと続いていた。どの扉も重々しく、その向こうにどんな部屋が広がっているのか想像もつかない。空気はひんやりとしていて、古い石と埃、そして微かに魔法の匂いが混じり合っている。エレナは、聖マンゴ病院の清潔で機能的な白い廊下とは全く異なる、この城の持つ圧倒的な歴史と神秘性に、知らず知らずのうちに息を詰めていた。
長い廊下をいくつも曲がり、重いタペストリーで隠された通路を抜け、ようやくフィルチが足を止めたのは、他の扉とは少し趣の異なる、飾り気のないオーク材の扉の前だった。
扉の上には「保健室」と彫られた小さな真鍮のプレートが、長年磨き込まれて鈍い光を放っている。
「ここだ。」
フィルチはそう吐き捨てるように言うと、返事も待たずにに再び闇の中へと消えていった。
ミセス・ノリスだけが、最後にエレナの足元に擦り寄り、何かを確かめるように匂いを嗅ぐと、満足したのか主人の後を追って姿を消した。
後に残されたエレナは、深呼吸を一つして、保健室の扉をそっとノックした。
「どうぞ、お入りなさい」
中から、落ち着いた女性の声が聞こえた。エレナはゆっくりと扉を開け、一歩足を踏み入れた。
エレナを包み込んだのは、薬草の複雑で清涼な香りと清潔なリネンの匂い、そして微かに消毒薬の匂いが混じり合った懐かしい空気だった。
カモミールやラベンダーの優しい香りの奥に、ペパーミントやユーカリのすっきりとした芳香が感じられる。それは、彼女が長年慣れ親しんできた、ヒーラーとしての仕事場の匂いであり、不思議と心が落ち着いた。
保健室は想像していたよりもずっと広く、そして驚くほど整然としていた。壁際には、天井まで届くほどの大きなガラス戸棚がいくつも並び、中には大小さまざまな薬瓶が、色や用途別に分類され、手書きのラベルをこちらに向けて行儀よく収まっている。
琥珀色の液体、深紅色の粉末、エメラルドグリーンの軟膏。それぞれの瓶が、まるで小さな宝石のように棚の中で静かな光を放っていた。部屋の奥には、白いカーテンで仕切られた寝台が等間隔に五つほど並び、その一つ一つには丁寧に畳まれたウールの毛布と、ふかふかとした羽毛の枕が置かれている。シーツは染み一つなく真っ白で、パリッとのりがきいているのが見て取れた。 窓は大きく、そこから差し込む午後の柔らかな光が、磨き上げられたオーク材の床に温かな模様を描き出している。窓の外には、禁じられた森の木々が、風にそよぐのが見えた。
その深い緑は、目に優しく心を静めてくれる。 部屋の隅には、銀色の輝きを放つ医療器具が、ガラスケースの中に整然と並べられている。メスやピンセット、縫合針といった見慣れたものから、エレナが見たこともないような奇妙な形をした器具まで様々だ。壁には、人体の骨格図や、魔法生物の解剖図、薬草の精密なイラストなどが掲げられている。全体として、機能的でありながらも、どこか温かみと歴史を感じさせる空間だった。
部屋の中央には、大きなマホガニー材の机があり、その向こうに一人の魔女が座っていた。背筋をぴんと伸ばし、白いナースキャップをきちんと被り、清潔な白いエプロンを身に着けている。それが、ホグワーツの保健室を長年一人で切り盛りしてきた、マダム・ポピー・ポンフリーだった。彼女は分厚い医学書から顔を上げると、エレナをじっと見据えた。その瞳は鋭く、全てを見通すような深さを湛えていたが、その奥には、長年の経験からくるであろう深い慈愛の色も見て取れた。顔には細かな皺が刻まれているが、その表情は厳格さと優しさが同居している。
「あなたが、エレナ・スズキさんね。ようこそ、ホグワーツへ。お待ちしていましたわ」
その声は、落ち着いていて、少しハスキーだが、聞く者に安心感を与える響きを持っていた。
マダム・ポンフリーは立ち上がり、エレナに手を差し出した。その手は、多くの魔法薬を扱い、数えきれないほどの怪我や病気に触れてきたであろう、節くれだった、しかし温かく力強い手だった。
「初めまして、マダム・ポンフリー。エレナ・スズキと申します。本日から一年間、こちらでお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
エレナは少し緊張しながらも、はっきりとした口調で挨拶をし、その手を握った。
「こちらこそ、よろしく。あなたの聖マンゴ魔法疾患傷害病院でのご活躍は、ダンブルドア校長からも伺っておりますが、ホプカーク婦長からも貴女の勤務態度が良好であったと聞いております。いい仕事をしたのね。」
マダム・ポンフリーはエレナに机の前の椅子を勧めると、自分も再び腰を下ろした。
「そんな…ありがとうございます。まだまだ若輩者ですし、こちらでの経験はまだ何もありません。一日も早くお役に立てるよう、精一杯努めさせていただきます」
「その意気込みは結構。しかし、エレナさん、まず肝に銘じていただきたいことがあるの」
マダム・ポンフリーは、穏やかながらも有無を言わせぬ口調で切り出した。
「ここは聖マンゴとは違う。全く違うと言っても過言ではないわ」
彼女は窓の外に広がる禁じられた森に目をやった。
「聖マンゴは、いわば魔法界の最先端医療機関。診断も治療も、体系化され、ある程度の予測がつくことが多いでしょう。しかし、ここはホグワーツ。魔法を学ぶ若い、そしてしばしば無謀な生徒たちが何百人も集う場所。彼らが引き起こすトラブルは、教科書にも載っていない、予測不可能なものばかりよ」
マダム・ポンフリーは、戸棚の一つを指差した。その棚には、焦げ跡のついたローブの切れ端や、爆発して半分になった大鍋、奇妙な紫色に変色した羽ペン、果ては意思を持っているかのように時折ぴくぴくと動く植物の根などが、まるで戦利品のように並べられている。
「あれらは、ほんの序の口。箒からの転落による骨折や打撲は日常茶飯事。魔法薬の調合ミスで一時的に鼻がカボチャになったり、全身が緑色の鱗で覆われたりする生徒もいれば、うっかり危険な魔法生物にちょっかいを出して噛まれたり、呪いのかかった古い品に触れてしまったりする生徒も後を絶たない。時には、自分たちで新しい呪文を開発しようとして、とんでもない結果を招くこともあるの。『厄介なお土産』と私は呼んでいるけれど、それらは聖マンゴのベテランヒーラーでさえ、首を傾げるような代物ばかりよ」
彼女はため息をついたが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「例えば昨年は、レイブンクローの優等生が、完璧な姿くらましの術を編み出そうとして、自分の体の半分だけを透明にしてしまい、元に戻せなくなったこともあったかしら」
エレナはつばを飲みこんだ。聖マンゴでも確かに危険な症例や稀な魔法疾患は数多く扱ってきたが、生徒たちの好奇心や無謀さが直接的な原因となるトラブルは、想像をはるかに超えていた。これが土地柄というものか。
「もちろん、最初から全てを完璧にこなせるとは思っていません。私もできる限りのことは教えますし、あなたの知識と技術を大いに頼りにしています。ただ、ここでは何よりもまず、冷静さと機転、そして生徒たちへの深い理解と忍耐力が求められる。彼らは時に悪戯好きで、手に負えないこともありますが、その多くはまだ善悪の分別もつかない子供。そして、根は純粋で、脆い存在でもあるのですから」
マダム・ポンフリーは、そこで言葉を切ると、じっとエレナの瞳の奥を見つめた。その視線は、まるでエレナの心の深層まで見透かすかのようだった。
「ですが、私もサポートいたしますし、何かあれば遠慮なく頼ってちょうだいね」
その言葉は、傷心中であるエレナの胸を包み込むような暖かさだった。そして、この地を訪れるきっかけとなった男の存在について正直に明かすことのできない後ろめたさが、エレナを謙虚にさせる。
マダム・ポンフリーは、静かに言葉を続けた。
「ここはホグワーツ。多くの者が集い、学び、そして傷つき、成長していく場所。生徒たちだけでなく、私たち教職員もまた、何かしらの“傷”を抱えているものですわ。教員同士も私たち保険医へ相談することも多いのです。ヒーラーとは、ただ体の傷を癒すだけではない。心の傷にも寄り添い、その人が再び立ち上がる力を、そっと後押しする存在でなければならない。私はそう信じていますのよ」
その言葉はエレナの心に重く、しかし同時に深く染み渡った。この厳格な魔女は単なる上司ではなく、人生の先輩として、そして同じヒーラーとして、自分の苦しみを理解しようとしてくれているのかもしれない。張り詰めていた気持ちが、少しだけ和らぐのを感じた。
マダム・ポンフリーは立ち上がると、保健室の奥にある、ひときわ古びた大きな戸棚へとエレナを導いた。それは黒光りするマホガニー材で作られており、他の真新しい医療棚とは明らかに異なり、長年使い込まれた風格を漂わせている。表面には細かな傷が無数に刻まれ、真鍮でできた丸い取っ手は、緑青を吹いて鈍い輝きを放っていた。鍵穴もまた精巧な細工が施されており、普通の鍵では開きそうにない。
「ここには、ホグワーツ創設以来の医療記録の一部が保管されていますわ。もちろん、全てではありませんが、特に貴重なものや、取り扱いに注意を要するものがね」
マダム・ポンフリーは、エプロンのポケットから小さな銀の鍵を取り出し、戸棚の鍵穴に差し込んだ。
カチリ、と乾いた音がして、重厚な扉がゆっくりと開かれる。途端に、古紙と乾燥した薬草、そして微かにインクと羊皮紙の香りが混じり合ったどこか神秘的で甘い香りが漂ってきた。それは、まるで何世紀もの時を超えた知識の息吹が、封印を解かれて流れ出してきたかのようだった。 戸棚の中には、分厚い革装丁の本や、黄ばんだ羊皮紙の巻物が、ぎっしりと並んでいる。その多くは手書きで、中にはエレナが見たこともないような古代ルーン文字で記されているものもあるようだ。
「ここには、現代魔法では解明できないような古い呪いの治療法や、失われた治癒魔法に関する記述もあると言われています。もちろん、その多くは禁書扱いであったり、解読自体が極めて困難であったりしますが」
ポンフリーは、その中の一冊、黒い革で装丁された分厚い本をそっと取り出し、エレナに示した。表紙には銀で奇妙な模様が描かれている。
「あなたが本当に一流のヒーラーを目指すのであれば、そして、このホグワーツで起こりうる未知の事態に対応するためには、過去の知恵に学ぶことも怠らないように。新しい魔法薬や治療法も大切ですが、古の魔法には、我々が忘れかけている叡智が眠っていることもありますから。ただし、ここに収められている知識は、扱いを誤れば非常に危険なものでもあることを、ゆめゆめ忘れてはなりません」
その言葉は、エレナのヒーラーとしての探究心を強く刺激した。聖マンゴでは常に最新の魔法医学が優先され、古い伝承や民間療法は、効果が科学的に証明されていない限り軽視される傾向があった。しかし、このホグワーツという魔法の源流に近い場所ならば、あるいは、失われた知識の中にこそ、現代医学の壁を打ち破る鍵が隠されているのかもしれない。エレナは、その古書の持つ重みと、そこから放たれる微かな魔力の波動を感じながら、ごくりと唾を飲んだ。
「来たばかりの私に、こんな貴重な資料を見せていただけるのですか。」
「ええ、特別大公開よ。」
マダムは笑顔を見せながら「仕事終わりの自由時間であれば、ここで読んで行ってもかまわないわ。保健室は24時間、開放していますからね。」といった。
読むのは構わないが、そんな時間があるかどうかわからないということだ。ここは陸の孤島。生徒たちに不調があれば必ずここに来る。保険医はいつどんな時でも対処しなければならないのだ。
「さあ、今日は長旅でお疲れでしょう。説明はこれくらいにしましょう。あなたの部屋は、保健室のすぐ隣に用意してあります。まずはそこで少し休んで、荷物を解くといいわ。明日から、本格的に仕事をお願いすることになります。最初は、基本的な魔法薬の在庫確認と管理、それから生徒たちの健康記録の整理、保健室内の清掃と消毒といったところかしら」
マダム・ポンフリーはそう言うと、エレナを保健室から少し離れた隅にある小さな扉へと案内した。
「その前に、エレナさん。荷ほどきが終われば一杯お茶でもいかがかしら?少し緊張も解れるでしょう。カモミールのハーブティーと、私が今朝焼いたオートミールのビスケットがあるのだけれど」 ポンフリーは、その日一番の優しい笑みを浮かべて言った。最初の厳格な印象とは異なる、母親のような温かさがその表情にはあった。
「ありがとうございます、マダム。喜んで頂戴いたします」
エレナは心からの感謝を込めて答えた。
小さな扉を開くとそこは小さな廊下が続いていた。廊下の奥には小さな小窓と丸いテーブルに花瓶が置いてある。左側には開き戸があるが右側は格子の入った引き戸のようだった。
「そっちは、用具入れよ。倉庫代わりに使っているわ。」
格子の引き戸をスライドさせると、中には掃除用具から大小様々な大量の包みがきっちり整列して並んであり、備品と思われるシーツなども整頓されていた。
「あなたの部屋は、ここよ」
左側のドアを開けると、簡素だが清潔で、こぢんまりとした部屋が現れた。シングルベッドと小さな机、そして衣類をしまうための簡素な木の戸棚が置かれている。窓からは、先ほど保健室からも見えた禁じられた森の木々と、遠くにホグワーツの敷地を囲む湖の一部がきらきらと光っているのが見えた。
「必要なものは一通り揃っているはず。何か足りないものがあれば、遠慮なく申し出てください。さて、私はお茶の準備でもしておきますわ。生徒のいないホグワーツを数分でも堪能しないとね。」
「準備できたら保健室に戻ります。」
「ええ、急がなくていいわ。だけど早めに戻ってきてね」
ポンフリーは穏やかに微笑むと、エレナに一人になる時間を与えて出て行った。
エレナは鞄を床に置き、杖をひょいッと振った。鞄から勢いよく荷物が飛び出し、自分の居場所はココだと居場所を見つけて飛んでいく。
その光景をベッドにゆっくりと腰を下ろしながら眺めた。ワンルームかとおもったが、小さなキッチンがついている。シャワールームもあり、トイレもついている。プライベートな空間が確保されていると思うと一年間暮らしていけそうだ。
窓の外に広がる未知の世界へと続く森を見つめる。エレナはそっと首元の紫水晶のペンダントに触れた。クィレルの顔が脳裏をよぎる。彼は今大丈夫だろうか。どこにいるかもわからないのに、とても心配だった。
ホグワーツでの一年。それは、自身の過去の傷と向き合い、ヒーラーとして新たな道を模索する一年になるのかもしれない。そして、願わくば、愛する人との絆を確かめ合う一年になることを期待していた。
エレナは、窓の外に広がる禁じられた森の深い緑を見つめながら、それでもヒーラーとして一人前になるため頑張ろうと静かに決意を固めた。
クローゼットにかけられたメディカルウェアを取り出した。
白いワンピースのような医療服に身にまとい、髪の毛を一つにまとめ上げる。杖をホルダーに仕舞い、元来た道を戻った。
保健室でポンフリーは、テキパキとした手つきでティーポットにお湯を注ぎ、戸棚から可愛らしい花柄のティーカップとソーサー、そして素朴な焼き色のビスケットが盛られた皿を取り出した。
「あら、いい医療服ね。似合い過ぎて男子生徒が変な気を起こすんじゃないか心配になるわね」
「今日だけです、マダム。ワンピース型は一着しか持っていないので、明日からパンツスタイルですから」
ミモレ丈のワンピースは彼女の一張羅だ。聖マンゴにいるときもホプカークを探し回ったり、資料室で調べものをするには、パンツスタイルが楽だった。
「スラックスなら…ああでも、若い女性ってだけで言い寄る生徒が出てきそうね」
「その時は失神呪文を使っても見逃してください。」
「ええ、そうするわ。」
ポンフリーが冗談を笑いながらティーカップを差し出した。保健室にはカモミールの甘く優しい香りが満ちていく。
「ホグワーツの生活は、慣れるまで少し戸惑うこともあるかもしれません。特に教師陣は、個性的な方が多いですからね」
ポンフリーは、エレナに温かいティーカップを手渡しながら言った。
「これから挨拶に伺うダンブルドア校長は、ご存知の通り偉大な魔法使いですが、時折何を考えていらっしゃるのか分からないところがおありです。マクゴナガル先生は厳格ですが公正な方。フリットウィック先生は陽気で親切ですが、少しおっちょこちょいな面も。そして…そうね、スネイプ先生は…まあ、あまり関わらない方が賢明かもしれませんわね」
ポンフリーは意味ありげに言葉を濁したが、その表情からはスネイプという人物に対する複雑な感情が窺えた。 エレナは、温かいハーブティーを一口飲んだ。カモミールの優しい香りが鼻腔をくすぐり、緊張で強張っていた体がゆっくりと解けていくのを感じる。オートミールのビスケットは、ほんのり甘く、ザクザクとした食感が楽しかった。家庭的で素朴な味わいに、アカリの焼いてくれたスコーンを思い出し、歓迎されているのだと改めて実感した。
その先には天井が驚くほど高い、広大な石造りのエントランスホールが広がっていた。床には磨かれた石が敷き詰められ、壁には燃え盛る松明がいくつも掲げられ、荘厳な光でホールを照らしている。生徒たちの到着前とあって、ホールはしんと静まり返り、自分の足音だけがやけに大きく響いた。まるで、何世紀もの魔法の歴史が凝縮された聖域に足を踏み入れたような、畏敬の念に似た感覚がエレナを包んだ。
その静寂を破ったのは、不機嫌そうな咳払いだった。
ホールの隅の影から、一人の痩せた男がぬっと姿を現した。埃っぽい黒いフロックコートをまとい、肩には骨と皮ばかりに痩せた灰色の猫を乗せている。城の管理人、アーガス・フィルチだった。彼の顔には深い皺が刻まれ、その目は猜疑心に満ちていた。
「あんたが、新しいヒーラーのインターンか。スズキとか言ったな」
フィルチは、しゃがれた声でぶっきらぼうに言った。
「マダム・ポンフリーが保健室で待ってる。こっちだ、遅れるな」
ミセス・ノリスが、黄色い大きな瞳でエレナをじろりと睨みつけ、フンと鼻を鳴らした。エレナは軽く会釈をしたが、フィルチはそれに気づかないふりをして、さっさと踵を返し薄暗い廊下へと歩き出した。彼の足取りは奇妙に音を立てず、まるで床の上を滑っているかのようだ。
エレナは慌ててその後を追った。ホグワーツ城内は、まるで迷宮のように入り組んでいた。フィルチから離れないように彼の一歩後ろを追いかける。壁には、何世紀も前の魔法使いたちの肖像画がずらりと並び、その多くはエレナが通り過ぎるのを興味深げに見つめ、ひそひそと何かを囁き合っているように見えた。中には、あからさまに顔をしかめたり、エレナの服装を値踏みするような視線を送ってくるものもいる。
「新入りか、ふむ」
「どこから来たのかしらね」
「ヒーラーだそうですよ、奥様」
そんな声が、壁のあちこちから聞こえてくるようだ。 時折、磨き上げられた鎧の騎士像が、カンテラの光を受けて鈍い輝きを放ち、その兜の奥から誰かに見つめられているような錯覚に陥る。
廊下はいくつも枝分かれし、螺旋階段が上へ下へと続いていた。どの扉も重々しく、その向こうにどんな部屋が広がっているのか想像もつかない。空気はひんやりとしていて、古い石と埃、そして微かに魔法の匂いが混じり合っている。エレナは、聖マンゴ病院の清潔で機能的な白い廊下とは全く異なる、この城の持つ圧倒的な歴史と神秘性に、知らず知らずのうちに息を詰めていた。
長い廊下をいくつも曲がり、重いタペストリーで隠された通路を抜け、ようやくフィルチが足を止めたのは、他の扉とは少し趣の異なる、飾り気のないオーク材の扉の前だった。
扉の上には「保健室」と彫られた小さな真鍮のプレートが、長年磨き込まれて鈍い光を放っている。
「ここだ。」
フィルチはそう吐き捨てるように言うと、返事も待たずにに再び闇の中へと消えていった。
ミセス・ノリスだけが、最後にエレナの足元に擦り寄り、何かを確かめるように匂いを嗅ぐと、満足したのか主人の後を追って姿を消した。
後に残されたエレナは、深呼吸を一つして、保健室の扉をそっとノックした。
「どうぞ、お入りなさい」
中から、落ち着いた女性の声が聞こえた。エレナはゆっくりと扉を開け、一歩足を踏み入れた。
エレナを包み込んだのは、薬草の複雑で清涼な香りと清潔なリネンの匂い、そして微かに消毒薬の匂いが混じり合った懐かしい空気だった。
カモミールやラベンダーの優しい香りの奥に、ペパーミントやユーカリのすっきりとした芳香が感じられる。それは、彼女が長年慣れ親しんできた、ヒーラーとしての仕事場の匂いであり、不思議と心が落ち着いた。
保健室は想像していたよりもずっと広く、そして驚くほど整然としていた。壁際には、天井まで届くほどの大きなガラス戸棚がいくつも並び、中には大小さまざまな薬瓶が、色や用途別に分類され、手書きのラベルをこちらに向けて行儀よく収まっている。
琥珀色の液体、深紅色の粉末、エメラルドグリーンの軟膏。それぞれの瓶が、まるで小さな宝石のように棚の中で静かな光を放っていた。部屋の奥には、白いカーテンで仕切られた寝台が等間隔に五つほど並び、その一つ一つには丁寧に畳まれたウールの毛布と、ふかふかとした羽毛の枕が置かれている。シーツは染み一つなく真っ白で、パリッとのりがきいているのが見て取れた。 窓は大きく、そこから差し込む午後の柔らかな光が、磨き上げられたオーク材の床に温かな模様を描き出している。窓の外には、禁じられた森の木々が、風にそよぐのが見えた。
その深い緑は、目に優しく心を静めてくれる。 部屋の隅には、銀色の輝きを放つ医療器具が、ガラスケースの中に整然と並べられている。メスやピンセット、縫合針といった見慣れたものから、エレナが見たこともないような奇妙な形をした器具まで様々だ。壁には、人体の骨格図や、魔法生物の解剖図、薬草の精密なイラストなどが掲げられている。全体として、機能的でありながらも、どこか温かみと歴史を感じさせる空間だった。
部屋の中央には、大きなマホガニー材の机があり、その向こうに一人の魔女が座っていた。背筋をぴんと伸ばし、白いナースキャップをきちんと被り、清潔な白いエプロンを身に着けている。それが、ホグワーツの保健室を長年一人で切り盛りしてきた、マダム・ポピー・ポンフリーだった。彼女は分厚い医学書から顔を上げると、エレナをじっと見据えた。その瞳は鋭く、全てを見通すような深さを湛えていたが、その奥には、長年の経験からくるであろう深い慈愛の色も見て取れた。顔には細かな皺が刻まれているが、その表情は厳格さと優しさが同居している。
「あなたが、エレナ・スズキさんね。ようこそ、ホグワーツへ。お待ちしていましたわ」
その声は、落ち着いていて、少しハスキーだが、聞く者に安心感を与える響きを持っていた。
マダム・ポンフリーは立ち上がり、エレナに手を差し出した。その手は、多くの魔法薬を扱い、数えきれないほどの怪我や病気に触れてきたであろう、節くれだった、しかし温かく力強い手だった。
「初めまして、マダム・ポンフリー。エレナ・スズキと申します。本日から一年間、こちらでお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
エレナは少し緊張しながらも、はっきりとした口調で挨拶をし、その手を握った。
「こちらこそ、よろしく。あなたの聖マンゴ魔法疾患傷害病院でのご活躍は、ダンブルドア校長からも伺っておりますが、ホプカーク婦長からも貴女の勤務態度が良好であったと聞いております。いい仕事をしたのね。」
マダム・ポンフリーはエレナに机の前の椅子を勧めると、自分も再び腰を下ろした。
「そんな…ありがとうございます。まだまだ若輩者ですし、こちらでの経験はまだ何もありません。一日も早くお役に立てるよう、精一杯努めさせていただきます」
「その意気込みは結構。しかし、エレナさん、まず肝に銘じていただきたいことがあるの」
マダム・ポンフリーは、穏やかながらも有無を言わせぬ口調で切り出した。
「ここは聖マンゴとは違う。全く違うと言っても過言ではないわ」
彼女は窓の外に広がる禁じられた森に目をやった。
「聖マンゴは、いわば魔法界の最先端医療機関。診断も治療も、体系化され、ある程度の予測がつくことが多いでしょう。しかし、ここはホグワーツ。魔法を学ぶ若い、そしてしばしば無謀な生徒たちが何百人も集う場所。彼らが引き起こすトラブルは、教科書にも載っていない、予測不可能なものばかりよ」
マダム・ポンフリーは、戸棚の一つを指差した。その棚には、焦げ跡のついたローブの切れ端や、爆発して半分になった大鍋、奇妙な紫色に変色した羽ペン、果ては意思を持っているかのように時折ぴくぴくと動く植物の根などが、まるで戦利品のように並べられている。
「あれらは、ほんの序の口。箒からの転落による骨折や打撲は日常茶飯事。魔法薬の調合ミスで一時的に鼻がカボチャになったり、全身が緑色の鱗で覆われたりする生徒もいれば、うっかり危険な魔法生物にちょっかいを出して噛まれたり、呪いのかかった古い品に触れてしまったりする生徒も後を絶たない。時には、自分たちで新しい呪文を開発しようとして、とんでもない結果を招くこともあるの。『厄介なお土産』と私は呼んでいるけれど、それらは聖マンゴのベテランヒーラーでさえ、首を傾げるような代物ばかりよ」
彼女はため息をついたが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「例えば昨年は、レイブンクローの優等生が、完璧な姿くらましの術を編み出そうとして、自分の体の半分だけを透明にしてしまい、元に戻せなくなったこともあったかしら」
エレナはつばを飲みこんだ。聖マンゴでも確かに危険な症例や稀な魔法疾患は数多く扱ってきたが、生徒たちの好奇心や無謀さが直接的な原因となるトラブルは、想像をはるかに超えていた。これが土地柄というものか。
「もちろん、最初から全てを完璧にこなせるとは思っていません。私もできる限りのことは教えますし、あなたの知識と技術を大いに頼りにしています。ただ、ここでは何よりもまず、冷静さと機転、そして生徒たちへの深い理解と忍耐力が求められる。彼らは時に悪戯好きで、手に負えないこともありますが、その多くはまだ善悪の分別もつかない子供。そして、根は純粋で、脆い存在でもあるのですから」
マダム・ポンフリーは、そこで言葉を切ると、じっとエレナの瞳の奥を見つめた。その視線は、まるでエレナの心の深層まで見透かすかのようだった。
「ですが、私もサポートいたしますし、何かあれば遠慮なく頼ってちょうだいね」
その言葉は、傷心中であるエレナの胸を包み込むような暖かさだった。そして、この地を訪れるきっかけとなった男の存在について正直に明かすことのできない後ろめたさが、エレナを謙虚にさせる。
マダム・ポンフリーは、静かに言葉を続けた。
「ここはホグワーツ。多くの者が集い、学び、そして傷つき、成長していく場所。生徒たちだけでなく、私たち教職員もまた、何かしらの“傷”を抱えているものですわ。教員同士も私たち保険医へ相談することも多いのです。ヒーラーとは、ただ体の傷を癒すだけではない。心の傷にも寄り添い、その人が再び立ち上がる力を、そっと後押しする存在でなければならない。私はそう信じていますのよ」
その言葉はエレナの心に重く、しかし同時に深く染み渡った。この厳格な魔女は単なる上司ではなく、人生の先輩として、そして同じヒーラーとして、自分の苦しみを理解しようとしてくれているのかもしれない。張り詰めていた気持ちが、少しだけ和らぐのを感じた。
マダム・ポンフリーは立ち上がると、保健室の奥にある、ひときわ古びた大きな戸棚へとエレナを導いた。それは黒光りするマホガニー材で作られており、他の真新しい医療棚とは明らかに異なり、長年使い込まれた風格を漂わせている。表面には細かな傷が無数に刻まれ、真鍮でできた丸い取っ手は、緑青を吹いて鈍い輝きを放っていた。鍵穴もまた精巧な細工が施されており、普通の鍵では開きそうにない。
「ここには、ホグワーツ創設以来の医療記録の一部が保管されていますわ。もちろん、全てではありませんが、特に貴重なものや、取り扱いに注意を要するものがね」
マダム・ポンフリーは、エプロンのポケットから小さな銀の鍵を取り出し、戸棚の鍵穴に差し込んだ。
カチリ、と乾いた音がして、重厚な扉がゆっくりと開かれる。途端に、古紙と乾燥した薬草、そして微かにインクと羊皮紙の香りが混じり合ったどこか神秘的で甘い香りが漂ってきた。それは、まるで何世紀もの時を超えた知識の息吹が、封印を解かれて流れ出してきたかのようだった。 戸棚の中には、分厚い革装丁の本や、黄ばんだ羊皮紙の巻物が、ぎっしりと並んでいる。その多くは手書きで、中にはエレナが見たこともないような古代ルーン文字で記されているものもあるようだ。
「ここには、現代魔法では解明できないような古い呪いの治療法や、失われた治癒魔法に関する記述もあると言われています。もちろん、その多くは禁書扱いであったり、解読自体が極めて困難であったりしますが」
ポンフリーは、その中の一冊、黒い革で装丁された分厚い本をそっと取り出し、エレナに示した。表紙には銀で奇妙な模様が描かれている。
「あなたが本当に一流のヒーラーを目指すのであれば、そして、このホグワーツで起こりうる未知の事態に対応するためには、過去の知恵に学ぶことも怠らないように。新しい魔法薬や治療法も大切ですが、古の魔法には、我々が忘れかけている叡智が眠っていることもありますから。ただし、ここに収められている知識は、扱いを誤れば非常に危険なものでもあることを、ゆめゆめ忘れてはなりません」
その言葉は、エレナのヒーラーとしての探究心を強く刺激した。聖マンゴでは常に最新の魔法医学が優先され、古い伝承や民間療法は、効果が科学的に証明されていない限り軽視される傾向があった。しかし、このホグワーツという魔法の源流に近い場所ならば、あるいは、失われた知識の中にこそ、現代医学の壁を打ち破る鍵が隠されているのかもしれない。エレナは、その古書の持つ重みと、そこから放たれる微かな魔力の波動を感じながら、ごくりと唾を飲んだ。
「来たばかりの私に、こんな貴重な資料を見せていただけるのですか。」
「ええ、特別大公開よ。」
マダムは笑顔を見せながら「仕事終わりの自由時間であれば、ここで読んで行ってもかまわないわ。保健室は24時間、開放していますからね。」といった。
読むのは構わないが、そんな時間があるかどうかわからないということだ。ここは陸の孤島。生徒たちに不調があれば必ずここに来る。保険医はいつどんな時でも対処しなければならないのだ。
「さあ、今日は長旅でお疲れでしょう。説明はこれくらいにしましょう。あなたの部屋は、保健室のすぐ隣に用意してあります。まずはそこで少し休んで、荷物を解くといいわ。明日から、本格的に仕事をお願いすることになります。最初は、基本的な魔法薬の在庫確認と管理、それから生徒たちの健康記録の整理、保健室内の清掃と消毒といったところかしら」
マダム・ポンフリーはそう言うと、エレナを保健室から少し離れた隅にある小さな扉へと案内した。
「その前に、エレナさん。荷ほどきが終われば一杯お茶でもいかがかしら?少し緊張も解れるでしょう。カモミールのハーブティーと、私が今朝焼いたオートミールのビスケットがあるのだけれど」 ポンフリーは、その日一番の優しい笑みを浮かべて言った。最初の厳格な印象とは異なる、母親のような温かさがその表情にはあった。
「ありがとうございます、マダム。喜んで頂戴いたします」
エレナは心からの感謝を込めて答えた。
小さな扉を開くとそこは小さな廊下が続いていた。廊下の奥には小さな小窓と丸いテーブルに花瓶が置いてある。左側には開き戸があるが右側は格子の入った引き戸のようだった。
「そっちは、用具入れよ。倉庫代わりに使っているわ。」
格子の引き戸をスライドさせると、中には掃除用具から大小様々な大量の包みがきっちり整列して並んであり、備品と思われるシーツなども整頓されていた。
「あなたの部屋は、ここよ」
左側のドアを開けると、簡素だが清潔で、こぢんまりとした部屋が現れた。シングルベッドと小さな机、そして衣類をしまうための簡素な木の戸棚が置かれている。窓からは、先ほど保健室からも見えた禁じられた森の木々と、遠くにホグワーツの敷地を囲む湖の一部がきらきらと光っているのが見えた。
「必要なものは一通り揃っているはず。何か足りないものがあれば、遠慮なく申し出てください。さて、私はお茶の準備でもしておきますわ。生徒のいないホグワーツを数分でも堪能しないとね。」
「準備できたら保健室に戻ります。」
「ええ、急がなくていいわ。だけど早めに戻ってきてね」
ポンフリーは穏やかに微笑むと、エレナに一人になる時間を与えて出て行った。
エレナは鞄を床に置き、杖をひょいッと振った。鞄から勢いよく荷物が飛び出し、自分の居場所はココだと居場所を見つけて飛んでいく。
その光景をベッドにゆっくりと腰を下ろしながら眺めた。ワンルームかとおもったが、小さなキッチンがついている。シャワールームもあり、トイレもついている。プライベートな空間が確保されていると思うと一年間暮らしていけそうだ。
窓の外に広がる未知の世界へと続く森を見つめる。エレナはそっと首元の紫水晶のペンダントに触れた。クィレルの顔が脳裏をよぎる。彼は今大丈夫だろうか。どこにいるかもわからないのに、とても心配だった。
ホグワーツでの一年。それは、自身の過去の傷と向き合い、ヒーラーとして新たな道を模索する一年になるのかもしれない。そして、願わくば、愛する人との絆を確かめ合う一年になることを期待していた。
エレナは、窓の外に広がる禁じられた森の深い緑を見つめながら、それでもヒーラーとして一人前になるため頑張ろうと静かに決意を固めた。
クローゼットにかけられたメディカルウェアを取り出した。
白いワンピースのような医療服に身にまとい、髪の毛を一つにまとめ上げる。杖をホルダーに仕舞い、元来た道を戻った。
保健室でポンフリーは、テキパキとした手つきでティーポットにお湯を注ぎ、戸棚から可愛らしい花柄のティーカップとソーサー、そして素朴な焼き色のビスケットが盛られた皿を取り出した。
「あら、いい医療服ね。似合い過ぎて男子生徒が変な気を起こすんじゃないか心配になるわね」
「今日だけです、マダム。ワンピース型は一着しか持っていないので、明日からパンツスタイルですから」
ミモレ丈のワンピースは彼女の一張羅だ。聖マンゴにいるときもホプカークを探し回ったり、資料室で調べものをするには、パンツスタイルが楽だった。
「スラックスなら…ああでも、若い女性ってだけで言い寄る生徒が出てきそうね」
「その時は失神呪文を使っても見逃してください。」
「ええ、そうするわ。」
ポンフリーが冗談を笑いながらティーカップを差し出した。保健室にはカモミールの甘く優しい香りが満ちていく。
「ホグワーツの生活は、慣れるまで少し戸惑うこともあるかもしれません。特に教師陣は、個性的な方が多いですからね」
ポンフリーは、エレナに温かいティーカップを手渡しながら言った。
「これから挨拶に伺うダンブルドア校長は、ご存知の通り偉大な魔法使いですが、時折何を考えていらっしゃるのか分からないところがおありです。マクゴナガル先生は厳格ですが公正な方。フリットウィック先生は陽気で親切ですが、少しおっちょこちょいな面も。そして…そうね、スネイプ先生は…まあ、あまり関わらない方が賢明かもしれませんわね」
ポンフリーは意味ありげに言葉を濁したが、その表情からはスネイプという人物に対する複雑な感情が窺えた。 エレナは、温かいハーブティーを一口飲んだ。カモミールの優しい香りが鼻腔をくすぐり、緊張で強張っていた体がゆっくりと解けていくのを感じる。オートミールのビスケットは、ほんのり甘く、ザクザクとした食感が楽しかった。家庭的で素朴な味わいに、アカリの焼いてくれたスコーンを思い出し、歓迎されているのだと改めて実感した。
