第1章 新天地へ
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アカリとの不思議な出会いを果たした翌日から、エレナ・スズキの世界は、古い写真に鮮やかな色彩が戻ってきたかのように、少しずつ変わり始めていた。
クィリナスへの想いも、彼に拒絶された深い傷も、一夜にして消え去ったわけではない。それは、まだ彼女の心の奥底に、鈍い痛みを伴う棘のように突き刺さったままだった。しかし、アカリという名の灯台が放つ確かな光が、エレナに進むべき道を照らし、ヒーラーとしての誇りと自信を、もう一度取り戻させてくれたのだ。
彼女は、アカリのアドバイスを忠実に実行した。患者と向き合う時、まずその瞳の奥を静かに見つめ、言葉にならない魂の声を聴こうと努めた。
すると彼、彼女が会話の途中で目をそらすタイミングがあることに気づいた。人は目をそらすことで、嘘や隠し事をしていると言われる行動だが、実際は真実を伝えているのだが、その事を恥ずかしいと感じているだけであったり、そうありたいと己に自己魔法をかけたがっている防御姿勢なのだと気づけるようになった。
以前、魔力の暴走を起こした少年トムの時のような、ヴィジョンが見えたら楽なのだが、あれ以来見ていない。
また、魔法薬を調合する時は、一つ一つの薬草が持つ生命の物語に耳を澄ませ、その力を最大限に引き出すことに意識を集中させた。すると、以前のように、いや、以前にも増して、彼女の五感は研ぎ澄まされ、その手は驚くほど的確に、癒やしの力を紡ぎ出すことができるようになっていった。
些細なミスは消え、その仕事ぶりは日ごとに精彩を取り戻していく。
ホプカークは、口には出さないものの、エレナの変化に気づいているようだった。彼女がエレナに向ける視線には、かつての厳しい非難の色はなく、むしろ再評価するような、そして僅かな安堵の色さえ浮かんでいるように見えた。周囲のヒーラーたちも、再び以前のように、彼女に敬意と信頼を寄せてくれるようになった。エレナは、ゆっくりと、しかし確実に、失いかけていた自分の居場所を取り戻しつつあった。
そんなある日、エレナは意を決して、マージョリー・ホプカークの執務室の扉を叩いた。アカリとの出会いが、自分を救ってくれたように、今度は自分が、彼女のために何かをしなければならない。
その思いが、エレナを突き動かしていた。
「失礼します、ホプカーク先生。今、少しだけお時間をいただけますでしょうか」
「スズキ?どうしたの、改まって」
ホプカークは、山積みの書類から顔を上げ、少し訝しげにエレナを見つめた。
「実は、先生にご紹介したい、ヒーラーがいるのです」
エレナは、緊張で少し震える声を抑えながら、はっきりと言った。
「彼女の名前はアカリ。今はロンドンで職を探しているのですが、その知識と洞察力は、並大抵のものではありません」
ホプカークは、眉をひそめた。
「貴女の個人的な友人かしら?だとしたら、公私混同も甚だしいわね。聖マンゴは、馴れ合いで人材を採用するような場所ではないわ」
「いえ…いいえ、友人ではありますが、決して私情で申し上げているわけではありません」
エレナは、臆することなく続けた。
「先日、先生が私にお尋ねになった、トリカブトの毒性中和に関する問いがありましたが、実は、その前夜に、私は彼女とその議題について議論を交わしていたのです。彼女の知識は、私がこれまで出会ったどのヒーラーよりも深く、そして独創的でした。彼女なら、きっとここの研究部門、あるいは専門外来で、大きな力になってくれるはずです」
エレナの真摯な瞳と、その具体的な説明に、ホプカークの厳しい表情がほんの少しだけ揺らいだ。
彼女は、エレナの瞳の奥に、以前の知的な輝きが完全に戻っていることを、そして、それが他者を思いやるというヒーラーとして最も大切な資質から発せられていることを見抜いたのかもしれない。
「…そう。そのアカリという人物、貴女がそこまで言うのなら、一度、私が直接会って判断しましょう。履歴書を持って、明日の午後、私のところへ来るように伝えなさい。ただし、採用を約束するものではないわ。あくまで、面接の機会を与えるだけよ」
「ありがとうございます、ホプカーク先生!」
エレナの顔が、ぱっと明るくなった。
「礼を言うのは早いわ。それから、スズキ」
ホプカークは、いつもの厳しい口調に戻った。
「貴女のホグワーツ行きが、正式に決定したわ」
ホプカークは机の上に置かれた、ホグワーツの紋章が入った封筒を示しながら事務的な口調で言った。
「アルバス・ダンブルドア校長から、貴女を一年間のインターンシップ生として正式に受け入れたい、との返事が届いたわ。赴任は、九月一日から。それまでの間、こちらでの業務と並行して引き継ぎの準備を進めなさい」
「はい。ありがとうございます」
エレナは、深々と頭を下げた。自分の未来が、確かなものとして決まった安堵感と少しの罪悪感で胸がいっぱいになる。
「最後に、スズキ」ホプカークは、立ち上がり、エレナの前に来た。
「ホグワーツへ行っても、今の気持ちを忘れないように。貴女は一度、道を見失いかけた。けれど、自分の力で再び立ち上がった。その強さを信じなさい。決して何かの『力』に飲み込まれてはだめよ。貴女は、貴女自身の道を歩みなさい。分かりましたね」 その言葉は、彼女なりの、最大限の賛辞だった。厳しく、そして母親のような温かさに満ちていた。
「はい、先生。肝に銘じます」
エレナは、涙をこらえながら、力強く頷いた。
『親愛なるエレナへ。
先日は、私のためにマージョリー・ホプカーク先生への貴重な機会を設けてくださり、誠にありがとうございました。
本日、先生との面接を無事に終えることができました。それはもう、私の知識の全てを試されるような、厳しくも大変中身の濃い時間でしたが、貴女が事前に先生のお人柄について教えてくださっていたおかげで、落ち着いて臨むことができました。
手応えがあった、と言えば、少し自惚れているように聞こえるかもしれませんが、自分の持てる力は全て出し切れたように思います。
まだ、採用するかどうかの正式なご連絡はいただいておりませんが、このような素晴らしい機会を与えてくださった貴女に、改めて心からのお礼を申し上げたく、筆を取りました。
つきましては、今度の土曜日にランチでもご一緒しませんか。
ささやかですが、私にご馳走させてください。
貴女からの良いお返事を、心待ちにしております。 アカリ』
その知らせに、エレナは安堵の息をつくと共に、温かい気持ちが込み上げてくるのを感じた。すぐに返事を書き、土曜日のランチの約束を取り付けた。
そして、約束の土曜日。
二人は、ダイアゴン横丁から少し外れた、目立たない路地にある、魔法使い御用達の小さなレストラン「柳の枝亭」で待ち合わせた。その店は派手さはないが、美味しい家庭料理と静かな雰囲気が評判の、知る人ぞ知る隠れ家的な店だった。
「エレナさん、こちらです」
店に入ると、奥のテーブルで、アカリが既にハーブティーを飲みながら、一冊の古い本を読んでいるのが見えた。
今日も彼女は、あのハイネックの黒い服を身にまとっている。
「アカリさん、お待たせしました」
「いいえ、私も今来たところですから」
アカリは本を閉じ、穏やかに微笑んだ。
席に着きランチを注文すると、エレナは早速、一番聞きたかったことを尋ねた。
「面接、どうでしたか?ホプカーク先生は、何か難しいことを聞いてきませんでしたか」
「難しい、なんてものじゃありませんよ」
アカリは、大げさにため息をついて見せた。
「あれは、面接というより、尋問でした。最終魔法戦争の生き残りでも探しているのかと思ったくらいです」
彼女は少し声を潜め悪戯っぽく目を輝かせると、突然、背筋をぴんと伸ばし、ホプカーク先生そっくりの、厳格で鋭い表情を作ってみせた。
「まず、執務室に入るなり、こうです。『貴女、そこに立ちなさい。まず、トリカブトの根と花が持つ拮抗作用について、古代シュメールの文献における記述との整合性を、三分以内に述べなさい』ですって。三分ですよ、三分!ストップウォッチでも持っているのかと思いました」
アカリの見事な物真似に、エレナは思わず噴き出してしまった。
「それから、私が何とか答えると、次はこれです」
アカリは、さらに声色を変え、冷たくて権威のある口調で続けた。
「『ほう、まあまあの出来ね。では、その知識を臨床に応用するとして、マンドレイクの赤子の鳴き声による失神と、ベラドンナを誤飲した際の見分け方、その初期症状における五つの明確な違いを、今すぐ列挙なさい。それから、夢鳴草と呼ばれるものと何が違うのか最後にまとめないさ』…もう、次から次へと。まるで、O.W.L.の口頭試問を、百倍速で受けているようでした」
聞いただけでも眩暈がしそうな内容である。エレナであったら答えられずただ「わかりません…」とおとなしくなるしかない。
「ふふ、目に浮かぶようです」
エレナは、涙を浮かべて笑った。
「でも、きっと、アカリさんは全部完璧に答えられたのでしょう?」
「まさか」アカリはいつもの自分に戻ると、肩をすくめた。
「いくつか、しどろもどろになってしまいましたよ。でも、最後にこう言われたのです。『貴女の知識は、まだ荒削りで体系化されていない部分もあるけれど、その核には確かな輝きがある。磨けば、一流のヒーラーになれる可能性を秘めているわ』と。…あのホプカーク先生にそう言われた時は、少し、泣きそうになりました」
そう語るアカリの横顔は、いつものミステリアスな雰囲気とは違う、一人のヒーラーとしての、純粋な喜びと安堵に満ちていた。
やがて、注文した料理と、二人のための紅茶が運ばれてきた。
エレナは、運ばれてきた温かいシェパーズパイを味わいながら、アカリの健闘を心から祝福した。
二人は、紅茶を一口飲んだ。その時、エレナは、アカリがカップを持つ手が、自分と全く同じように僅かに小指を立てていることに気づいた。
「あら、アカリさんも、紅茶を飲む時に小指が立つんですね。私もなんです。」
エレナが無邪気にそう指摘した瞬間、彼女は持っていたティースプーンを、カチャン、と小さな音を立ててソーサーの上に落としてしまった。
「あら、すみません。手が滑ってしまいました」
彼女は、何でもないというように冷静にスプーンを拾い上げた。
「…お見苦しいところを、すみません」
彼女は、少し早口でそう言うとティースプーンを落としてしまってことに気まずそうに視線を逸らした。
エレナは「いえ、そんなこと。私もよく落とします。」と慌ててフォローした。
そういえば、彼女の指の腹がつるりとしていることに気づいた。ヒーラーは多くの薬品に触れるため、指紋が無くなる話を聞いたことはあったが、実際にそこまで消えかかっているヒーラーは初めて見た。
「そういえば」
エレナは、話題を変えるように言った。
「私、ホグワーツに行くことが、正式に決まったんです」
「まあ、本当ですか!それは素晴らしいわ、エレナ!心から、おめでとう!」
アカリは、自分のことのように顔を輝かせた。
「貴女にとって、きっと大きな転機になりますね。素晴らしい経験ができるはずです」
「だと良いのですが。マダム・ポンフリーという方は、ホプカーク先生以上に厳しい方かもしれないと、脅かされていて…少し不安なんです」
「大丈夫ですよ、きっと。」
アカリは、力強く言った。
「でも、どんな場所なんでしょうね、ホグワーツって。伝説の魔法学校ですものね」
「私も、本で読んだ知識しかないのですが、動く階段とか、おしゃべりな肖像画とか、本当に全部あるのかしら」
「きっと、ありますよ」アカリは、楽しそうに目を細めながら、羨ましそうな表情を浮かべた。
「禁じられた森には、きっと珍しい薬草もたくさん生えているはずです。ユニコーンの角の粉末なんかも、保健室には常備されているのかしら。ああ、それに、四つの寮の対抗意識とかも、面白そうですね。グリフィンドールの勇気、スリザリンの野心…貴女は、どの寮に一番親近感を覚えますか?」
アカリがエレナに詳細な話題を振った。
「もしかして、ホグワーツ出身ですか?」
「いいえ、残念ながら、一度も」彼女は、静かに首を横に振った。「…ただ、ずっと、ホグワーツ生として入学してみたかったのです。」その声には、嘘偽りのない切実な響きがあった。
誰もが憧れ名門校である。エレナもいくらキッカケがネガティブな理由であったとはいえ、ホグワーツに行くのは楽しみだった。
「アカリさん…」
エレナは少し改まった口調で、今日会うと決まった日からずっと考えていたことを切り出した。
「ホグワーツ行きが正式に決まったので、今私が住んでいる下宿の部屋が、来月の末には、空くことになるのです」
エレナは、アカリの瞳をまっすぐに見つめて言った。
「もし、まだお住まいが決まっていらっしゃらないのなら、アカリさんに、あの部屋を引き継いでいただけないでしょうか。本当に、大した部屋ではありません。古くて少し狭いですし、冬は少し冷えます。でも家賃は安いですし、日当たりも悪くはありません。それに何より、聖マンゴまで歩いて通える距離です」
エレナは、この心優しい友人に、ささやかでも安定した生活の場を提供したいと心から思ったのだ。
アカリは、エレナの申し出に、しばらく言葉を失っていた。
「エレナさん…そんな、大切な場所を、初対面に等しい私に譲ってくださるなんて…申し訳なく思います。」
「いいえ、そんなことはありません」
エレナは、穏やかに首を振った。
「アカリさんだから、お願いしたいのです。貴女なら、きっとあの部屋を、私以上に大切にしてくださるような気がして。それに、何より、私がロンドンを離れている間、貴女があの部屋にいてくださると思えば、私も安心して、ホグワーツでの仕事に集中できますから。だから、これは、私の我儘でもあるのです」
エレナの真摯な言葉に、アカリは一度、ふっと視線を落としたが、再び顔を上げた時には、その表情には深い感謝と、そして決意の色が浮かんでいた。
「…そのお申し出、ありがたく、お受けしてもよろしいのでしょうか」
「はい、ぜひ。お願いします」
二人の間で、確かな約束が交わされた。それは、単なる部屋の賃貸契約などではなく、二人の間に生まれた友情と信頼を形にした、大切な約束だった。
楽しいランチの時間は、あっという間に過ぎていった。
店を出る頃には、エレナの心は、久しぶりに晴れやかな、そして希望に満ちた気持ちでいっぱいになっていた。
アカリという、かけがえのない友人を得たこと。彼女の助けになれること。そして、自分自身の未来が、確かなものとして動き出したこと。
ホグワーツへの旅立ちは、自分自身を取り戻すための、前向きな一歩なのだ。
その日の午後、窓際に置かれた小さな机の上で、エレナは一枚の羊皮紙に向かい、羽根ペンを走らせていた。
クィリナスに宛てた手紙だった。
何度も書き直し、インクの染みがいくつもできたその手紙には、彼を責める言葉も、裏切られたことへの恨み言も、そして関係の修復を願う言葉もなかった。
『親愛なるクィリナスへ
お元気でいらっしゃいますか。
突然の手紙を、お許しください。
私、九月より一年間、ホグワーツ魔法魔術学校の保健室で、インターンとして働くことになりました。 あなたの身に、一体何があったのか。なぜ、あのような形で私たちの関係が終わらなければならなかったのか。その理由は、今も私には分かりません。
貴方に会いたい気持ちが0%も無いというの嘘になりますが、それでも、あの日の答えを追い求めることはやめようと思います。
ただ、これだけは、伝えたくて筆を取りました。
貴方にホグワーツで会えるのかわかりませんが、心から健康を祈っています。
エレナ・スズキ』
クィリナスへの想いも、彼に拒絶された深い傷も、一夜にして消え去ったわけではない。それは、まだ彼女の心の奥底に、鈍い痛みを伴う棘のように突き刺さったままだった。しかし、アカリという名の灯台が放つ確かな光が、エレナに進むべき道を照らし、ヒーラーとしての誇りと自信を、もう一度取り戻させてくれたのだ。
彼女は、アカリのアドバイスを忠実に実行した。患者と向き合う時、まずその瞳の奥を静かに見つめ、言葉にならない魂の声を聴こうと努めた。
すると彼、彼女が会話の途中で目をそらすタイミングがあることに気づいた。人は目をそらすことで、嘘や隠し事をしていると言われる行動だが、実際は真実を伝えているのだが、その事を恥ずかしいと感じているだけであったり、そうありたいと己に自己魔法をかけたがっている防御姿勢なのだと気づけるようになった。
以前、魔力の暴走を起こした少年トムの時のような、ヴィジョンが見えたら楽なのだが、あれ以来見ていない。
また、魔法薬を調合する時は、一つ一つの薬草が持つ生命の物語に耳を澄ませ、その力を最大限に引き出すことに意識を集中させた。すると、以前のように、いや、以前にも増して、彼女の五感は研ぎ澄まされ、その手は驚くほど的確に、癒やしの力を紡ぎ出すことができるようになっていった。
些細なミスは消え、その仕事ぶりは日ごとに精彩を取り戻していく。
ホプカークは、口には出さないものの、エレナの変化に気づいているようだった。彼女がエレナに向ける視線には、かつての厳しい非難の色はなく、むしろ再評価するような、そして僅かな安堵の色さえ浮かんでいるように見えた。周囲のヒーラーたちも、再び以前のように、彼女に敬意と信頼を寄せてくれるようになった。エレナは、ゆっくりと、しかし確実に、失いかけていた自分の居場所を取り戻しつつあった。
そんなある日、エレナは意を決して、マージョリー・ホプカークの執務室の扉を叩いた。アカリとの出会いが、自分を救ってくれたように、今度は自分が、彼女のために何かをしなければならない。
その思いが、エレナを突き動かしていた。
「失礼します、ホプカーク先生。今、少しだけお時間をいただけますでしょうか」
「スズキ?どうしたの、改まって」
ホプカークは、山積みの書類から顔を上げ、少し訝しげにエレナを見つめた。
「実は、先生にご紹介したい、ヒーラーがいるのです」
エレナは、緊張で少し震える声を抑えながら、はっきりと言った。
「彼女の名前はアカリ。今はロンドンで職を探しているのですが、その知識と洞察力は、並大抵のものではありません」
ホプカークは、眉をひそめた。
「貴女の個人的な友人かしら?だとしたら、公私混同も甚だしいわね。聖マンゴは、馴れ合いで人材を採用するような場所ではないわ」
「いえ…いいえ、友人ではありますが、決して私情で申し上げているわけではありません」
エレナは、臆することなく続けた。
「先日、先生が私にお尋ねになった、トリカブトの毒性中和に関する問いがありましたが、実は、その前夜に、私は彼女とその議題について議論を交わしていたのです。彼女の知識は、私がこれまで出会ったどのヒーラーよりも深く、そして独創的でした。彼女なら、きっとここの研究部門、あるいは専門外来で、大きな力になってくれるはずです」
エレナの真摯な瞳と、その具体的な説明に、ホプカークの厳しい表情がほんの少しだけ揺らいだ。
彼女は、エレナの瞳の奥に、以前の知的な輝きが完全に戻っていることを、そして、それが他者を思いやるというヒーラーとして最も大切な資質から発せられていることを見抜いたのかもしれない。
「…そう。そのアカリという人物、貴女がそこまで言うのなら、一度、私が直接会って判断しましょう。履歴書を持って、明日の午後、私のところへ来るように伝えなさい。ただし、採用を約束するものではないわ。あくまで、面接の機会を与えるだけよ」
「ありがとうございます、ホプカーク先生!」
エレナの顔が、ぱっと明るくなった。
「礼を言うのは早いわ。それから、スズキ」
ホプカークは、いつもの厳しい口調に戻った。
「貴女のホグワーツ行きが、正式に決定したわ」
ホプカークは机の上に置かれた、ホグワーツの紋章が入った封筒を示しながら事務的な口調で言った。
「アルバス・ダンブルドア校長から、貴女を一年間のインターンシップ生として正式に受け入れたい、との返事が届いたわ。赴任は、九月一日から。それまでの間、こちらでの業務と並行して引き継ぎの準備を進めなさい」
「はい。ありがとうございます」
エレナは、深々と頭を下げた。自分の未来が、確かなものとして決まった安堵感と少しの罪悪感で胸がいっぱいになる。
「最後に、スズキ」ホプカークは、立ち上がり、エレナの前に来た。
「ホグワーツへ行っても、今の気持ちを忘れないように。貴女は一度、道を見失いかけた。けれど、自分の力で再び立ち上がった。その強さを信じなさい。決して何かの『力』に飲み込まれてはだめよ。貴女は、貴女自身の道を歩みなさい。分かりましたね」 その言葉は、彼女なりの、最大限の賛辞だった。厳しく、そして母親のような温かさに満ちていた。
「はい、先生。肝に銘じます」
エレナは、涙をこらえながら、力強く頷いた。
『親愛なるエレナへ。
先日は、私のためにマージョリー・ホプカーク先生への貴重な機会を設けてくださり、誠にありがとうございました。
本日、先生との面接を無事に終えることができました。それはもう、私の知識の全てを試されるような、厳しくも大変中身の濃い時間でしたが、貴女が事前に先生のお人柄について教えてくださっていたおかげで、落ち着いて臨むことができました。
手応えがあった、と言えば、少し自惚れているように聞こえるかもしれませんが、自分の持てる力は全て出し切れたように思います。
まだ、採用するかどうかの正式なご連絡はいただいておりませんが、このような素晴らしい機会を与えてくださった貴女に、改めて心からのお礼を申し上げたく、筆を取りました。
つきましては、今度の土曜日にランチでもご一緒しませんか。
ささやかですが、私にご馳走させてください。
貴女からの良いお返事を、心待ちにしております。 アカリ』
その知らせに、エレナは安堵の息をつくと共に、温かい気持ちが込み上げてくるのを感じた。すぐに返事を書き、土曜日のランチの約束を取り付けた。
そして、約束の土曜日。
二人は、ダイアゴン横丁から少し外れた、目立たない路地にある、魔法使い御用達の小さなレストラン「柳の枝亭」で待ち合わせた。その店は派手さはないが、美味しい家庭料理と静かな雰囲気が評判の、知る人ぞ知る隠れ家的な店だった。
「エレナさん、こちらです」
店に入ると、奥のテーブルで、アカリが既にハーブティーを飲みながら、一冊の古い本を読んでいるのが見えた。
今日も彼女は、あのハイネックの黒い服を身にまとっている。
「アカリさん、お待たせしました」
「いいえ、私も今来たところですから」
アカリは本を閉じ、穏やかに微笑んだ。
席に着きランチを注文すると、エレナは早速、一番聞きたかったことを尋ねた。
「面接、どうでしたか?ホプカーク先生は、何か難しいことを聞いてきませんでしたか」
「難しい、なんてものじゃありませんよ」
アカリは、大げさにため息をついて見せた。
「あれは、面接というより、尋問でした。最終魔法戦争の生き残りでも探しているのかと思ったくらいです」
彼女は少し声を潜め悪戯っぽく目を輝かせると、突然、背筋をぴんと伸ばし、ホプカーク先生そっくりの、厳格で鋭い表情を作ってみせた。
「まず、執務室に入るなり、こうです。『貴女、そこに立ちなさい。まず、トリカブトの根と花が持つ拮抗作用について、古代シュメールの文献における記述との整合性を、三分以内に述べなさい』ですって。三分ですよ、三分!ストップウォッチでも持っているのかと思いました」
アカリの見事な物真似に、エレナは思わず噴き出してしまった。
「それから、私が何とか答えると、次はこれです」
アカリは、さらに声色を変え、冷たくて権威のある口調で続けた。
「『ほう、まあまあの出来ね。では、その知識を臨床に応用するとして、マンドレイクの赤子の鳴き声による失神と、ベラドンナを誤飲した際の見分け方、その初期症状における五つの明確な違いを、今すぐ列挙なさい。それから、夢鳴草と呼ばれるものと何が違うのか最後にまとめないさ』…もう、次から次へと。まるで、O.W.L.の口頭試問を、百倍速で受けているようでした」
聞いただけでも眩暈がしそうな内容である。エレナであったら答えられずただ「わかりません…」とおとなしくなるしかない。
「ふふ、目に浮かぶようです」
エレナは、涙を浮かべて笑った。
「でも、きっと、アカリさんは全部完璧に答えられたのでしょう?」
「まさか」アカリはいつもの自分に戻ると、肩をすくめた。
「いくつか、しどろもどろになってしまいましたよ。でも、最後にこう言われたのです。『貴女の知識は、まだ荒削りで体系化されていない部分もあるけれど、その核には確かな輝きがある。磨けば、一流のヒーラーになれる可能性を秘めているわ』と。…あのホプカーク先生にそう言われた時は、少し、泣きそうになりました」
そう語るアカリの横顔は、いつものミステリアスな雰囲気とは違う、一人のヒーラーとしての、純粋な喜びと安堵に満ちていた。
やがて、注文した料理と、二人のための紅茶が運ばれてきた。
エレナは、運ばれてきた温かいシェパーズパイを味わいながら、アカリの健闘を心から祝福した。
二人は、紅茶を一口飲んだ。その時、エレナは、アカリがカップを持つ手が、自分と全く同じように僅かに小指を立てていることに気づいた。
「あら、アカリさんも、紅茶を飲む時に小指が立つんですね。私もなんです。」
エレナが無邪気にそう指摘した瞬間、彼女は持っていたティースプーンを、カチャン、と小さな音を立ててソーサーの上に落としてしまった。
「あら、すみません。手が滑ってしまいました」
彼女は、何でもないというように冷静にスプーンを拾い上げた。
「…お見苦しいところを、すみません」
彼女は、少し早口でそう言うとティースプーンを落としてしまってことに気まずそうに視線を逸らした。
エレナは「いえ、そんなこと。私もよく落とします。」と慌ててフォローした。
そういえば、彼女の指の腹がつるりとしていることに気づいた。ヒーラーは多くの薬品に触れるため、指紋が無くなる話を聞いたことはあったが、実際にそこまで消えかかっているヒーラーは初めて見た。
「そういえば」
エレナは、話題を変えるように言った。
「私、ホグワーツに行くことが、正式に決まったんです」
「まあ、本当ですか!それは素晴らしいわ、エレナ!心から、おめでとう!」
アカリは、自分のことのように顔を輝かせた。
「貴女にとって、きっと大きな転機になりますね。素晴らしい経験ができるはずです」
「だと良いのですが。マダム・ポンフリーという方は、ホプカーク先生以上に厳しい方かもしれないと、脅かされていて…少し不安なんです」
「大丈夫ですよ、きっと。」
アカリは、力強く言った。
「でも、どんな場所なんでしょうね、ホグワーツって。伝説の魔法学校ですものね」
「私も、本で読んだ知識しかないのですが、動く階段とか、おしゃべりな肖像画とか、本当に全部あるのかしら」
「きっと、ありますよ」アカリは、楽しそうに目を細めながら、羨ましそうな表情を浮かべた。
「禁じられた森には、きっと珍しい薬草もたくさん生えているはずです。ユニコーンの角の粉末なんかも、保健室には常備されているのかしら。ああ、それに、四つの寮の対抗意識とかも、面白そうですね。グリフィンドールの勇気、スリザリンの野心…貴女は、どの寮に一番親近感を覚えますか?」
アカリがエレナに詳細な話題を振った。
「もしかして、ホグワーツ出身ですか?」
「いいえ、残念ながら、一度も」彼女は、静かに首を横に振った。「…ただ、ずっと、ホグワーツ生として入学してみたかったのです。」その声には、嘘偽りのない切実な響きがあった。
誰もが憧れ名門校である。エレナもいくらキッカケがネガティブな理由であったとはいえ、ホグワーツに行くのは楽しみだった。
「アカリさん…」
エレナは少し改まった口調で、今日会うと決まった日からずっと考えていたことを切り出した。
「ホグワーツ行きが正式に決まったので、今私が住んでいる下宿の部屋が、来月の末には、空くことになるのです」
エレナは、アカリの瞳をまっすぐに見つめて言った。
「もし、まだお住まいが決まっていらっしゃらないのなら、アカリさんに、あの部屋を引き継いでいただけないでしょうか。本当に、大した部屋ではありません。古くて少し狭いですし、冬は少し冷えます。でも家賃は安いですし、日当たりも悪くはありません。それに何より、聖マンゴまで歩いて通える距離です」
エレナは、この心優しい友人に、ささやかでも安定した生活の場を提供したいと心から思ったのだ。
アカリは、エレナの申し出に、しばらく言葉を失っていた。
「エレナさん…そんな、大切な場所を、初対面に等しい私に譲ってくださるなんて…申し訳なく思います。」
「いいえ、そんなことはありません」
エレナは、穏やかに首を振った。
「アカリさんだから、お願いしたいのです。貴女なら、きっとあの部屋を、私以上に大切にしてくださるような気がして。それに、何より、私がロンドンを離れている間、貴女があの部屋にいてくださると思えば、私も安心して、ホグワーツでの仕事に集中できますから。だから、これは、私の我儘でもあるのです」
エレナの真摯な言葉に、アカリは一度、ふっと視線を落としたが、再び顔を上げた時には、その表情には深い感謝と、そして決意の色が浮かんでいた。
「…そのお申し出、ありがたく、お受けしてもよろしいのでしょうか」
「はい、ぜひ。お願いします」
二人の間で、確かな約束が交わされた。それは、単なる部屋の賃貸契約などではなく、二人の間に生まれた友情と信頼を形にした、大切な約束だった。
楽しいランチの時間は、あっという間に過ぎていった。
店を出る頃には、エレナの心は、久しぶりに晴れやかな、そして希望に満ちた気持ちでいっぱいになっていた。
アカリという、かけがえのない友人を得たこと。彼女の助けになれること。そして、自分自身の未来が、確かなものとして動き出したこと。
ホグワーツへの旅立ちは、自分自身を取り戻すための、前向きな一歩なのだ。
その日の午後、窓際に置かれた小さな机の上で、エレナは一枚の羊皮紙に向かい、羽根ペンを走らせていた。
クィリナスに宛てた手紙だった。
何度も書き直し、インクの染みがいくつもできたその手紙には、彼を責める言葉も、裏切られたことへの恨み言も、そして関係の修復を願う言葉もなかった。
『親愛なるクィリナスへ
お元気でいらっしゃいますか。
突然の手紙を、お許しください。
私、九月より一年間、ホグワーツ魔法魔術学校の保健室で、インターンとして働くことになりました。 あなたの身に、一体何があったのか。なぜ、あのような形で私たちの関係が終わらなければならなかったのか。その理由は、今も私には分かりません。
貴方に会いたい気持ちが0%も無いというの嘘になりますが、それでも、あの日の答えを追い求めることはやめようと思います。
ただ、これだけは、伝えたくて筆を取りました。
貴方にホグワーツで会えるのかわかりませんが、心から健康を祈っています。
エレナ・スズキ』
