第1部 チャリング・クロス・ロード
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マグル学の授業で、ほんの少しだけ先生と心が通じた気がしたあの日から、私のホグワーツでの日常は、淡い期待と、それを打ち消すような切なさの繰り返しだった。
長く続く石造りの廊下を歩いていると、時折、向こうからやってくる彼の姿を見かけることがある。
あの少し猫背気味の見慣れたシルエット。
そのたびに、私の心臓はきゅっと小さく縮こまり、足が勝手に止まりそうになる。
「こんにちは、先生」
勇気を出して、すれ違いざまに声をかける。
でも、返ってくるのは、ほとんど聞き取れないような「…ああ」という呟きだけだったり、あるいは、彼は私の存在に気づいていないかのように、目も合わせずに足早に通り過ぎてしまったり。
ひらりと翻る彼のローブの裾が、まるでシャッターみたいに、私と彼の間に壁を作る。
ある時は、私が角を曲がろうとした瞬間、ちょうど彼も反対側から歩いてくるのが見えた。
彼は私の姿を認めると、一瞬、驚いたように動きを止め、そしてまるで何か恐ろしいものから逃げるかのように慌てて踵を返し、別の通路へと消えていったのだ。
(…やっぱり、避けられてるんだ)
認めたくないその事実は、冷たい廊下の空気みたいに、私の肌に突き刺さった。
分かっていたはずなのに実際にそうされると、胸の奥が鈍く痛む。
廊下の隅に立ち止まり、彼が消えていった方向をただ呆然と見つめることしかできなかった。
何か気に障ることをしてしまっただろうか。
もしかしたら、プライベートは生徒に見られたくないだろうが、私が想像するよりもひどく嫌悪していたのではないだろうか。
後ろ姿を追いかけるべきじゃなかった…でも、あの日が無ければクィレル教授の知られざる一面を知らずに過ごしていたことになる。
一人勝手に傷つき、落ち込む日々。
窓の外では、秋の終わりの冷たい雨が、しとしとと降り始めている。
ガラス窓を伝う雨粒が、私の心模様を映しているかのようだった。
それでも、私は先生のことを、もっと知りたかった。
彼がロンドンの鞄の中に忍ばせていた、あのイグアナの本。
あれは、一体何だったのだろう。
先生は、イグアナが好きなのだろうか。
それとも、何か特別な意味があるのだろうか。
そんな疑問に導かれるように、天気が良い日に図書室の奥深くへと足を運んだ。
高い天井まで続く書架には、無数の知識が眠っている。
古い羊皮紙とインクの匂いが、静寂の中に満ちていた。
「魔法生物学…爬虫類…イグアナ…」
小声で呟きながら、指先で背表紙を辿る。
やがて、一冊の、かなり古びた大型の本を見つけた。
ー『古代魔法における爬虫類の象徴性について』
重たいその本を書架から抜き取り、窓際に陽だまりが落ちる大きな木の机へと運んだ。
ゆっくりとページをめくる。
そこには、緻密なタッチで描かれた様々な爬虫類の絵と、古代ルーン文字で書かれたらしい難解な文章が並んでいた。
イグアナのページを探し当てる。
その、どこか物憂げで、全てを見透かすような瞳。
この瞳に、先生は何を見ているのだろう。
そう思うだけで、胸が少しだけ温かくなる気がした。
夢中で本を読み耽っていた、その時だった。
「へえ、カレン先輩、そんなマニアックな本読んでるんだ。イグアナ?」
すぐそばから、嘲るような声がした。
顔を上げると、そこには、グリフィンドール寮のローブを着た下級生―ウィル・シュタインバーグが、意地の悪そうな笑みを浮かべて立っていた。
彼とはミランダが所属するゴブストーンクラブで知り合い、彼の些細なミスを指摘してから何か突っかかるようになった。
彼はグリフィンドールでも浮いている生徒のようで、私が優しいからつけあがるのだから、冷たく突き放した方が良いと何度ミランダに忠告されたかわからない。
ただ、彼は私のテリトリーにずかずかと入り込み、拒絶する隙を与えないのだ。
そして今日も、いつの間にか広げた書籍をのぞき込んでいた。
「別に、あなたには関係ないでしょう」
私は、できるだけ平静を装いながら彼から遠ざける様に本を窓際へ引っ張った。
「えーだって、関係なくなくないっしょー」
ウィルは、私の読んでいる本を覗き込みながら、さらに声を大きくした。
「カレン先輩、マグル額の授業で珍しく質問してたって聞きましたよ!」
一体なぜそんなことを知っているのか。
顔に出ていたのだろう、聞かれずとも彼は同じ教室にいたグリフィンドールの男子生徒の名を挙げた。
「別にそれがなに?」
「あんな楽な授業、くそ真面目に聞いとるのはレイブンクローかOWLで優を狙っている人しかいないし、カレン先輩はどっちでもないし、そんな先輩が調べものってなんかあるっしょ」
彼の無遠慮な言葉が遠回しに不真面目な学生だと蔑まされているのに黙ってやられるわけにはいかなかった。
「マグル学で興味のある分野が出てきただけよ。貴方には関係ないでしょ、ウィル」
彼は“関係ない”という言葉だけ都合よく聞き流して、マダム・ピンズに聞こえないギリギリの音量で嘲笑った。
「マグル学で興味が出たって将来何の役にも立たない科目でですか
?先輩ってほんと変わってますよね。授業で真面目さをアピールしたってあの先生っすよ? クィレル! あのいつもどもって、魚みたいに口をパクパクさせて!」
彼の無遠慮な言葉に、周りにいた数人の生徒たちが、くすくすと忍び笑いを漏らすのが聞こえた。
顔が、かあっと熱くなるのが分かった。
「やめて!」私は、思わず立ち上がって叫んでいた。「先生のことを、そんな風に言わないで!」
「うわっ、急に優等生ぶるのかよ」ウィルは、面白そうに目を輝かせた。
「先輩マジうけるんですけど… センスなさすぎ!」
彼の言葉は、まるで汚い泥みたいに、私の心に投げつけられた。
悔しくて、悲しくて、涙が滲んでくる。
言い返したいのに、喉が詰まって、言葉にならない。
ただ、震える唇を噛みしめることしかできなかった。
「いいから、そういうことは言わないで。」
「ほんとにどうしちゃったんっすか?言い返さないのがカレン先輩じゃなかった…あ、やべ」
ウィルは、マダム・ピンズがこちらに向かってきそうな空気を感じたのか早々に立ち去った。
司書に睨まれながらも遠くにいた友人とくすくす笑いながら図書室を出ていく。
後に残されたのは、重たい静寂と、私の惨めな気持ちだけだった。
周りの生徒たちの、好奇と憐憫が入り混じった視線が痛い。
私は、開かれたままのイグアナのページの挿絵の上に、ぽつりと落ちる自分の涙を、ローブの袖で拭った。
先生を想うこの気持ちは、そんな風に笑われるような、価値のないものなのだろうか。
怒りがわいてくると同時に、しっかり否定できなかった自分が惨めだった。
いつもそうだ。
反論したいが、うっと喉の奥で詰まって言い返せなくなる。
そんな自分が恥ずかしくて嫌いだった。
夕暮れの光が、図書室の床に長い影を落とし始めていた。
長く続く石造りの廊下を歩いていると、時折、向こうからやってくる彼の姿を見かけることがある。
あの少し猫背気味の見慣れたシルエット。
そのたびに、私の心臓はきゅっと小さく縮こまり、足が勝手に止まりそうになる。
「こんにちは、先生」
勇気を出して、すれ違いざまに声をかける。
でも、返ってくるのは、ほとんど聞き取れないような「…ああ」という呟きだけだったり、あるいは、彼は私の存在に気づいていないかのように、目も合わせずに足早に通り過ぎてしまったり。
ひらりと翻る彼のローブの裾が、まるでシャッターみたいに、私と彼の間に壁を作る。
ある時は、私が角を曲がろうとした瞬間、ちょうど彼も反対側から歩いてくるのが見えた。
彼は私の姿を認めると、一瞬、驚いたように動きを止め、そしてまるで何か恐ろしいものから逃げるかのように慌てて踵を返し、別の通路へと消えていったのだ。
(…やっぱり、避けられてるんだ)
認めたくないその事実は、冷たい廊下の空気みたいに、私の肌に突き刺さった。
分かっていたはずなのに実際にそうされると、胸の奥が鈍く痛む。
廊下の隅に立ち止まり、彼が消えていった方向をただ呆然と見つめることしかできなかった。
何か気に障ることをしてしまっただろうか。
もしかしたら、プライベートは生徒に見られたくないだろうが、私が想像するよりもひどく嫌悪していたのではないだろうか。
後ろ姿を追いかけるべきじゃなかった…でも、あの日が無ければクィレル教授の知られざる一面を知らずに過ごしていたことになる。
一人勝手に傷つき、落ち込む日々。
窓の外では、秋の終わりの冷たい雨が、しとしとと降り始めている。
ガラス窓を伝う雨粒が、私の心模様を映しているかのようだった。
それでも、私は先生のことを、もっと知りたかった。
彼がロンドンの鞄の中に忍ばせていた、あのイグアナの本。
あれは、一体何だったのだろう。
先生は、イグアナが好きなのだろうか。
それとも、何か特別な意味があるのだろうか。
そんな疑問に導かれるように、天気が良い日に図書室の奥深くへと足を運んだ。
高い天井まで続く書架には、無数の知識が眠っている。
古い羊皮紙とインクの匂いが、静寂の中に満ちていた。
「魔法生物学…爬虫類…イグアナ…」
小声で呟きながら、指先で背表紙を辿る。
やがて、一冊の、かなり古びた大型の本を見つけた。
ー『古代魔法における爬虫類の象徴性について』
重たいその本を書架から抜き取り、窓際に陽だまりが落ちる大きな木の机へと運んだ。
ゆっくりとページをめくる。
そこには、緻密なタッチで描かれた様々な爬虫類の絵と、古代ルーン文字で書かれたらしい難解な文章が並んでいた。
イグアナのページを探し当てる。
その、どこか物憂げで、全てを見透かすような瞳。
この瞳に、先生は何を見ているのだろう。
そう思うだけで、胸が少しだけ温かくなる気がした。
夢中で本を読み耽っていた、その時だった。
「へえ、カレン先輩、そんなマニアックな本読んでるんだ。イグアナ?」
すぐそばから、嘲るような声がした。
顔を上げると、そこには、グリフィンドール寮のローブを着た下級生―ウィル・シュタインバーグが、意地の悪そうな笑みを浮かべて立っていた。
彼とはミランダが所属するゴブストーンクラブで知り合い、彼の些細なミスを指摘してから何か突っかかるようになった。
彼はグリフィンドールでも浮いている生徒のようで、私が優しいからつけあがるのだから、冷たく突き放した方が良いと何度ミランダに忠告されたかわからない。
ただ、彼は私のテリトリーにずかずかと入り込み、拒絶する隙を与えないのだ。
そして今日も、いつの間にか広げた書籍をのぞき込んでいた。
「別に、あなたには関係ないでしょう」
私は、できるだけ平静を装いながら彼から遠ざける様に本を窓際へ引っ張った。
「えーだって、関係なくなくないっしょー」
ウィルは、私の読んでいる本を覗き込みながら、さらに声を大きくした。
「カレン先輩、マグル額の授業で珍しく質問してたって聞きましたよ!」
一体なぜそんなことを知っているのか。
顔に出ていたのだろう、聞かれずとも彼は同じ教室にいたグリフィンドールの男子生徒の名を挙げた。
「別にそれがなに?」
「あんな楽な授業、くそ真面目に聞いとるのはレイブンクローかOWLで優を狙っている人しかいないし、カレン先輩はどっちでもないし、そんな先輩が調べものってなんかあるっしょ」
彼の無遠慮な言葉が遠回しに不真面目な学生だと蔑まされているのに黙ってやられるわけにはいかなかった。
「マグル学で興味のある分野が出てきただけよ。貴方には関係ないでしょ、ウィル」
彼は“関係ない”という言葉だけ都合よく聞き流して、マダム・ピンズに聞こえないギリギリの音量で嘲笑った。
「マグル学で興味が出たって将来何の役にも立たない科目でですか
?先輩ってほんと変わってますよね。授業で真面目さをアピールしたってあの先生っすよ? クィレル! あのいつもどもって、魚みたいに口をパクパクさせて!」
彼の無遠慮な言葉に、周りにいた数人の生徒たちが、くすくすと忍び笑いを漏らすのが聞こえた。
顔が、かあっと熱くなるのが分かった。
「やめて!」私は、思わず立ち上がって叫んでいた。「先生のことを、そんな風に言わないで!」
「うわっ、急に優等生ぶるのかよ」ウィルは、面白そうに目を輝かせた。
「先輩マジうけるんですけど… センスなさすぎ!」
彼の言葉は、まるで汚い泥みたいに、私の心に投げつけられた。
悔しくて、悲しくて、涙が滲んでくる。
言い返したいのに、喉が詰まって、言葉にならない。
ただ、震える唇を噛みしめることしかできなかった。
「いいから、そういうことは言わないで。」
「ほんとにどうしちゃったんっすか?言い返さないのがカレン先輩じゃなかった…あ、やべ」
ウィルは、マダム・ピンズがこちらに向かってきそうな空気を感じたのか早々に立ち去った。
司書に睨まれながらも遠くにいた友人とくすくす笑いながら図書室を出ていく。
後に残されたのは、重たい静寂と、私の惨めな気持ちだけだった。
周りの生徒たちの、好奇と憐憫が入り混じった視線が痛い。
私は、開かれたままのイグアナのページの挿絵の上に、ぽつりと落ちる自分の涙を、ローブの袖で拭った。
先生を想うこの気持ちは、そんな風に笑われるような、価値のないものなのだろうか。
怒りがわいてくると同時に、しっかり否定できなかった自分が惨めだった。
いつもそうだ。
反論したいが、うっと喉の奥で詰まって言い返せなくなる。
そんな自分が恥ずかしくて嫌いだった。
夕暮れの光が、図書室の床に長い影を落とし始めていた。
