第3部 永遠の影
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ハロウィーンの夜が残したものは、ずっと重く苦い罪悪感だった。
クィレル教授のために、私は先生方に嘘をついた。
それが苦しむ彼を守るためだと自分に言い聞かせても、鏡に映る自分の顔は、どこか見知らぬ人のように強張って見えた。
嘘は、小さな棘のように心の奥に残り、時折チクリとした痛みを伴って、私の良心を苛んだ。
夜ベッドの中で目を閉じると、マクゴナガル先生たちの厳しい視線と、自分のついた嘘の言葉が、ぐるぐると頭の中を巡りなかなか寝付けない日が続いた。
それでも、私は決めたのだ。
クィレル先生を信じよると。
彼がどんな秘密を抱えていようと、どんなに不可解な行動を取ろうとも。
あの夏の日の不器用な優しさ、雪の中庭で触れた手の温もり、そして時折見せるあの深い孤独と苦悩に満ちた瞳。
それらは、決して演技ではなかったはずだ。
だから、私が彼を支えなければ。
私が、彼の唯一の味方にならなければ…そう、腹を決めていた。
たとえ、それが茨の道だとしても。
その決意を新たにした矢先、あの日がやってきた。
グリフィンドール対スリザリンの、シーズン最初のクィディッチの試合。
澄み切った冬空の下、競技場は両チームの応援団の熱気でむんむんしていた。
私もミランダと一緒に、グリフィンドールの応援席から活躍を見守っていた。
スリザリンよりはマシだと、ミランダが笑いながら連れてきてくれたのだ。
特に注目を集めていたのは、グリフィンドールの新しいシーカー、ハリー・ポッターだ。
彼の小さな身体が、箒に乗って空をスイスイと舞う姿は本当に見事だった。
試合が白熱し、両チームのシーカーが金のスニッチを追い始めた、その時だった。
ハリーの乗る箒、ニンバス2000が突然ガクガクと奇妙に揺れ始めたのだ。
まるで、彼を振り落とそうとするかのように激しく揺れ回転する。ハリーは必死にしがみついているが、その顔は蒼白だ。観客席から、悲鳴に近い声が上がる。
「危ない!」
「何が起きてるんだ!?」
「誰かが呪いをかけてるんだわ!」
グリフィンドールの一年生。
亜麻色の女子生徒の鋭い声が聞こえた。
周りの生徒たちが騒ぎ立てる中、私の視線はなぜか教職員用の観覧席へと吸い寄せられていた。
そこに立つ、クィレル先生の姿。
彼は、他の先生たちから少し離れた場所に一人で立っていた。
ターバンを深く被り、その表情は遠くからではよく見えない。
彼はじっと…一点を凝視していた。
まるで、何か呪文を唱えているかのように…。
その姿は、いつものビクビクした彼とはまるで違い、どこか冷たい集中力とそして…鬼気迫るような執念を漂わせていた。
前方にいた亜麻色髪の女子が、はっとしたように何かに気づき、「スネイプよ! 彼がハリーに呪いをかけてるんだわ!」と叫ぶと、慌てて席を立ち、どこかへ駆けていくのが見えた。
しばらくすると、スネイプ先生のローブの裾から、ぼうっと小さな火の手が上がり、彼がそれに気を取られた瞬間、ハリーの箒はぴたりと安定を取り戻したのだ。
試合の後、寮へ戻る道すがら小さなグリフィンドール生徒たちが口々に「やっぱりスネイプが犯人だったんだ!」「ハーマイオニーのおかげでハリーは助かった!」と興奮して話していた。
クィレル教授はスネイプに対して怯えていた。
そうだ、彼に何か弱みか握られ脅されているのだ。
なぜ脅されているのかわからないけれど、彼の言うことは正しかったのだ。
ハリー・ポッターに呪いをかけたのはスネイプであって、クィレル教授ではない。
罪悪感で眠れない夜を過ごすのは、この日を境に無くなった。
先生の研究の手伝い(と彼が呼ぶ、古代ルーン文字の解読)は、その後も時折続いた。
内容はやはり難解で、その真の目的は教えてもらえなかったけれど、二人きりで古い羊皮紙に向き合う時間は、私にとって緊張と、そしてどこか特別な意味を持つものになっていた。
彼が時折見せる、研究に没頭する真剣な横顔や、ふとした瞬間の小さな感謝の言葉が、私の決意を支えてくれているような気がした。
やがて、ホグワーツにクリスマス休暇が訪れた。
多くの生徒たちが、浮き足立って故郷へと帰っていく。
駅へと向かうホグワーツ特急の汽笛が、遠くでボォーと鳴り響くのが聞こえた。
「カレンは今年も残るの? N.E.W.T.の勉強も大変だけど、たまには息抜きも必要だよ」
ミランダが、大きなトランクを引きながら心配そうに言った。
「うん。でも、図書室も空いてるし、集中できるかなって」
私は微笑んで答えた。
「それに、クリスマスシーズンのホグワーツって、なんだか特別で好きなんだ今年で最後だし」
「いつものカレンらしくて安心したよ。」
ミランダは肩をすくめた。
「クリスマスカード送るからね!」
「ありがとう。ミランダも楽しんでね」
手を振って彼女たちを見送ると、城の中はしんと静まり返り、まるで魔法が解けた後の舞踏会場のようだった。
残っている生徒は、私を含めてもほんの数えるほど。
そして、あのハリー・ポッターも。
クリスマスイブの夜。
大広間ではなく、教職員用の小さな食堂でささやかなディナーが開かれた。
大きな暖炉には赤い炎がゆらゆらと燃え、テーブルには七面鳥の丸焼きや、クリスマスプディング、そして数えきれないほどのお菓子が並んでいる。
ダンブルドア校長やマクゴナガル先生、フリットウィック先生、スプラウト先生、そして…クィレル先生も、隅の方の席に、少し居心地悪そうに座っていた。
私は、他の数少ない残留生徒たちと一緒にテーブルにつき、楽しい時間を過ごした。
美味しい料理に舌鼓を打ち、他愛ない話に花を咲かせる。
時折、クィレル先生の方へ視線を送ると彼は相変わらず俯き加減で、あまり食事にも手をつけていないようだったけれど、それでも、あの張り詰めたような、ピリピリした雰囲気は少しだけ和らいでいるように見えた。
ダンブルドア校長が時折、彼に優しく話しかけているのが見える。
(先生も、少しはリラックスできているのかな…)
そう思うと、私の心も少しだけ温かくなった。
私が彼のためにできることは少ないかもしれないけれど、こうして同じ空間で、穏やかな時間を共有できている。
それだけでも、今は十分なのかもしれない。
食事が終わり、暖炉のそばで温かいハーブティーを飲んでいると、フリットウィック先生が小さな魔法のオーケストラを指揮し始め、陽気なクリスマスキャロルが流れ出した。
何人かの生徒が手拍子を始め、私も自然と笑顔になっていた。
ふと見ると、クィレル先生も、ほんの少しだけ、本当に微かにだけれど、その口元に笑みを浮かべているように見えた。
それは、すぐに消えてしまったけれど、私には確かな希望のように感じられた。
(大丈夫。きっと、大丈夫)
私は、自分に言い聞かせた。
先生は苦しんでいるかもしれないけれど、決して一人ではない。
私がいる。
そして、このホグワーツの温かい灯火が、彼の心の闇を少しでも照らしてくれるかもしれない。
罪の意識が完全に消えたわけではない。
彼への疑念が晴れたわけでもない。
それでも、この聖夜の束の間の平穏の中で、私は彼を信じると決めた自分の心を、もう一度強く握りしめた。
窓の外では、雪が音もなく降り積もり、ホグワーツ城を優しく包み込んでいる。
まるで、この夜だけは、全ての不安や悲しみを忘れさせてくれるかのように。
ディナーが終わり、生徒たちがそれぞれの談話室へと戻っていく中、私は意を決してクィレル先生に近づいた。
彼は、一人、窓の外の雪景色を眺めていた。
「先生、少しよろしいですか」
彼は、私の声に驚いたように振り返った。
その瞳には、まだディナーの温かい余韻が残っているのか、いつものような鋭い警戒心は薄れているように見えた。
「ああ、カレン君。どうかなさいましたか」
その声には、吃音はほとんどなかった。
「あの、先日お預かりしていたルーン文字のことなのですが…」
私は、鞄から一枚の羊皮紙を取り出した。
「少し、分かったことがあるのです」
先生の目が、わずかに見開かれた。
「本当ですか?…場所を変えましょう。」
穴熊寮に続く廊下をゆっくり歩く。
「全てではありませんが、この特徴的な蛇のような形の文字の連なり…どうやら、何かを強く守るための、古い守りの護符の内容の一部のようなのです。悪いものや、悪意ある魔法から、大切なものを保護するための…」
私の言葉を聞きながら、先生の表情が微かに変わっていくのを、私は見逃さなかった。
驚き、そして…ほんの一瞬、何か別の、読み取れない感情がその瞳をよぎった。
それは、安堵のようでもあり、新たな苦悩のようでもあった。
「…そう、ですか」
彼は、静かに言った。
「それは…非常に、有益な情報です。ありがとう、カレン君。君の知識には、いつも助けられます」
彼が少し落胆しているのは、思っていた結果ではなかったからだろう。
「いえ、私にできることなら…」
懐からもう一つ、小さな包みを彼に差し出した。
「それから先生。これは早いですけど、私からのクリスマスプレゼントです」
彼は、戸惑ったようにその包みを見つめた。
「ぼ、僕に…ですか? わ、わざわざ、そのような…」
「開けてみてください」
彼が震える指でゆっくりとリボンを解くと、中から現れたのは、無事を祈って作った小さな布袋のお守りだった。
ハッフルパフのシンボルカラーである黄色いリボンで口が結ばれ、中には、幸運と守護の効果があると言われる乾燥させた薬草が、何種類も詰められている。
あの、マダム・ピンスに教えてもらった古書を参考にして、心を込めて作ったものだ。
「お守り…ですか?」
先生は、それを手のひらに乗せ、じっと見つめていた。
「はい」
私は頷いた。
「先生は旅がお好きかと思って、これからの旅の安全と祈って作りました。気休めかもしれませんが…先生を、悪いものから守ってくれたら、と」
先生は、何も言わなかった。
ただ、その小さなお守りをまるで壊れ物を扱うかのように、優しく握りしめている。
その指先が、微かに震えているのが分かった。
やがて、彼は顔を上げ私を真っ直ぐに見つめた。
その瞳は、潤んでいるように見えた。
「…ありがとう、カレン君」
彼の声は、ひどく掠れていた。
「こ、こんな…僕のために…」
彼は、言葉に詰まったように俯くと、不意に思いがけないことを話し始めた。
「…実は、僕もね」
彼は、照れたように、しかしどこか懐かしむような口調で言った。
「こういった…小さな、自然のものが、昔から好きなのです。…押し花、などが趣味でしてね。誰にも言ったことはありませんが…」
「押し花…ですか?」
意外な言葉に、私は目を見開いた。
「ええ」
彼は頷いた。
「古い本に挟まれた、色褪せた花びらとか…そういうものに、なぜか心が惹かれるのです。儚くて、でも、確かにそこに存在した時間の証のような気がして…」
彼は、そこまで言って、ふと顔を赤らめた。
「い、いや、すみません。変な話をしてしまいましたね」
「いいえ、そんなことありません!」
私は慌てて首を横に振った。
「素敵だと思います、そういうの」
「…そうですか?」
彼は、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
そして、さらに思いがけない言葉を続けたのだ。
「あの夏、ロンドンで会った時…」
彼は、少し遠い目をして言った。
「実は、あの小さな花のカフェ。壁一面にドライフラワーが飾られた場所。君も、そういう場所が好きかもしれないと…ふと、思ったのです。声をかけて、一緒にどうですか、と誘ってみようかと…」
「え…」
私は息を呑んだ。
そんなことを、彼が考えていてくれたなんて。
「…嬉しかったです。すごく。」
彼のその言葉に、私の胸は、甘さと切なさでいっぱいになった。
彼もあの時、私と同じように、何かを感じてくれていたのかもしれない。
「先生…」
私が何かを言おうとした時、彼は、はっとしたように表情を硬くした。
まるで、言ってはいけないことを口にしてしまった、とでもいうように。
「…と、とにかく、このお守り、ありがとう。大切にしますよ」
彼は、慌てて話題を変え、お守りをローブの内ポケットにしまい込んだ。
「君も、もう遅いですから、部屋に戻りなさい。風邪をひいてはいけませんからね」
その言葉は、優しかったけれど、同時に、これ以上この話は終わりだ、という明確な拒絶の響きも持っていた。
私は、何も言えなかった。
ただ、彼の複雑な表情と、彼がくれた一瞬の真心の温もりを、胸に刻み込むことしかできなかった。
「…おやすみなさい、先生」
「ええ、おやすみなさい、カレン君」
私たちは、短い挨拶を交わし、別れた。
私は寮へと続く廊下を歩きながら、さっきまでの出来事を反芻していた。
先生の意外な趣味。
聖夜だからこそ起こったささやかな奇跡。
それが、これからの未来を少しでも良い方向へと導いてくれることを私はただ、祈るしかなかった。
暖炉の火はもう小さくなり、窓の外では雪が静かに、全ての音を吸い込むように降り続いていた。
クィレル教授のために、私は先生方に嘘をついた。
それが苦しむ彼を守るためだと自分に言い聞かせても、鏡に映る自分の顔は、どこか見知らぬ人のように強張って見えた。
嘘は、小さな棘のように心の奥に残り、時折チクリとした痛みを伴って、私の良心を苛んだ。
夜ベッドの中で目を閉じると、マクゴナガル先生たちの厳しい視線と、自分のついた嘘の言葉が、ぐるぐると頭の中を巡りなかなか寝付けない日が続いた。
それでも、私は決めたのだ。
クィレル先生を信じよると。
彼がどんな秘密を抱えていようと、どんなに不可解な行動を取ろうとも。
あの夏の日の不器用な優しさ、雪の中庭で触れた手の温もり、そして時折見せるあの深い孤独と苦悩に満ちた瞳。
それらは、決して演技ではなかったはずだ。
だから、私が彼を支えなければ。
私が、彼の唯一の味方にならなければ…そう、腹を決めていた。
たとえ、それが茨の道だとしても。
その決意を新たにした矢先、あの日がやってきた。
グリフィンドール対スリザリンの、シーズン最初のクィディッチの試合。
澄み切った冬空の下、競技場は両チームの応援団の熱気でむんむんしていた。
私もミランダと一緒に、グリフィンドールの応援席から活躍を見守っていた。
スリザリンよりはマシだと、ミランダが笑いながら連れてきてくれたのだ。
特に注目を集めていたのは、グリフィンドールの新しいシーカー、ハリー・ポッターだ。
彼の小さな身体が、箒に乗って空をスイスイと舞う姿は本当に見事だった。
試合が白熱し、両チームのシーカーが金のスニッチを追い始めた、その時だった。
ハリーの乗る箒、ニンバス2000が突然ガクガクと奇妙に揺れ始めたのだ。
まるで、彼を振り落とそうとするかのように激しく揺れ回転する。ハリーは必死にしがみついているが、その顔は蒼白だ。観客席から、悲鳴に近い声が上がる。
「危ない!」
「何が起きてるんだ!?」
「誰かが呪いをかけてるんだわ!」
グリフィンドールの一年生。
亜麻色の女子生徒の鋭い声が聞こえた。
周りの生徒たちが騒ぎ立てる中、私の視線はなぜか教職員用の観覧席へと吸い寄せられていた。
そこに立つ、クィレル先生の姿。
彼は、他の先生たちから少し離れた場所に一人で立っていた。
ターバンを深く被り、その表情は遠くからではよく見えない。
彼はじっと…一点を凝視していた。
まるで、何か呪文を唱えているかのように…。
その姿は、いつものビクビクした彼とはまるで違い、どこか冷たい集中力とそして…鬼気迫るような執念を漂わせていた。
前方にいた亜麻色髪の女子が、はっとしたように何かに気づき、「スネイプよ! 彼がハリーに呪いをかけてるんだわ!」と叫ぶと、慌てて席を立ち、どこかへ駆けていくのが見えた。
しばらくすると、スネイプ先生のローブの裾から、ぼうっと小さな火の手が上がり、彼がそれに気を取られた瞬間、ハリーの箒はぴたりと安定を取り戻したのだ。
試合の後、寮へ戻る道すがら小さなグリフィンドール生徒たちが口々に「やっぱりスネイプが犯人だったんだ!」「ハーマイオニーのおかげでハリーは助かった!」と興奮して話していた。
クィレル教授はスネイプに対して怯えていた。
そうだ、彼に何か弱みか握られ脅されているのだ。
なぜ脅されているのかわからないけれど、彼の言うことは正しかったのだ。
ハリー・ポッターに呪いをかけたのはスネイプであって、クィレル教授ではない。
罪悪感で眠れない夜を過ごすのは、この日を境に無くなった。
先生の研究の手伝い(と彼が呼ぶ、古代ルーン文字の解読)は、その後も時折続いた。
内容はやはり難解で、その真の目的は教えてもらえなかったけれど、二人きりで古い羊皮紙に向き合う時間は、私にとって緊張と、そしてどこか特別な意味を持つものになっていた。
彼が時折見せる、研究に没頭する真剣な横顔や、ふとした瞬間の小さな感謝の言葉が、私の決意を支えてくれているような気がした。
やがて、ホグワーツにクリスマス休暇が訪れた。
多くの生徒たちが、浮き足立って故郷へと帰っていく。
駅へと向かうホグワーツ特急の汽笛が、遠くでボォーと鳴り響くのが聞こえた。
「カレンは今年も残るの? N.E.W.T.の勉強も大変だけど、たまには息抜きも必要だよ」
ミランダが、大きなトランクを引きながら心配そうに言った。
「うん。でも、図書室も空いてるし、集中できるかなって」
私は微笑んで答えた。
「それに、クリスマスシーズンのホグワーツって、なんだか特別で好きなんだ今年で最後だし」
「いつものカレンらしくて安心したよ。」
ミランダは肩をすくめた。
「クリスマスカード送るからね!」
「ありがとう。ミランダも楽しんでね」
手を振って彼女たちを見送ると、城の中はしんと静まり返り、まるで魔法が解けた後の舞踏会場のようだった。
残っている生徒は、私を含めてもほんの数えるほど。
そして、あのハリー・ポッターも。
クリスマスイブの夜。
大広間ではなく、教職員用の小さな食堂でささやかなディナーが開かれた。
大きな暖炉には赤い炎がゆらゆらと燃え、テーブルには七面鳥の丸焼きや、クリスマスプディング、そして数えきれないほどのお菓子が並んでいる。
ダンブルドア校長やマクゴナガル先生、フリットウィック先生、スプラウト先生、そして…クィレル先生も、隅の方の席に、少し居心地悪そうに座っていた。
私は、他の数少ない残留生徒たちと一緒にテーブルにつき、楽しい時間を過ごした。
美味しい料理に舌鼓を打ち、他愛ない話に花を咲かせる。
時折、クィレル先生の方へ視線を送ると彼は相変わらず俯き加減で、あまり食事にも手をつけていないようだったけれど、それでも、あの張り詰めたような、ピリピリした雰囲気は少しだけ和らいでいるように見えた。
ダンブルドア校長が時折、彼に優しく話しかけているのが見える。
(先生も、少しはリラックスできているのかな…)
そう思うと、私の心も少しだけ温かくなった。
私が彼のためにできることは少ないかもしれないけれど、こうして同じ空間で、穏やかな時間を共有できている。
それだけでも、今は十分なのかもしれない。
食事が終わり、暖炉のそばで温かいハーブティーを飲んでいると、フリットウィック先生が小さな魔法のオーケストラを指揮し始め、陽気なクリスマスキャロルが流れ出した。
何人かの生徒が手拍子を始め、私も自然と笑顔になっていた。
ふと見ると、クィレル先生も、ほんの少しだけ、本当に微かにだけれど、その口元に笑みを浮かべているように見えた。
それは、すぐに消えてしまったけれど、私には確かな希望のように感じられた。
(大丈夫。きっと、大丈夫)
私は、自分に言い聞かせた。
先生は苦しんでいるかもしれないけれど、決して一人ではない。
私がいる。
そして、このホグワーツの温かい灯火が、彼の心の闇を少しでも照らしてくれるかもしれない。
罪の意識が完全に消えたわけではない。
彼への疑念が晴れたわけでもない。
それでも、この聖夜の束の間の平穏の中で、私は彼を信じると決めた自分の心を、もう一度強く握りしめた。
窓の外では、雪が音もなく降り積もり、ホグワーツ城を優しく包み込んでいる。
まるで、この夜だけは、全ての不安や悲しみを忘れさせてくれるかのように。
ディナーが終わり、生徒たちがそれぞれの談話室へと戻っていく中、私は意を決してクィレル先生に近づいた。
彼は、一人、窓の外の雪景色を眺めていた。
「先生、少しよろしいですか」
彼は、私の声に驚いたように振り返った。
その瞳には、まだディナーの温かい余韻が残っているのか、いつものような鋭い警戒心は薄れているように見えた。
「ああ、カレン君。どうかなさいましたか」
その声には、吃音はほとんどなかった。
「あの、先日お預かりしていたルーン文字のことなのですが…」
私は、鞄から一枚の羊皮紙を取り出した。
「少し、分かったことがあるのです」
先生の目が、わずかに見開かれた。
「本当ですか?…場所を変えましょう。」
穴熊寮に続く廊下をゆっくり歩く。
「全てではありませんが、この特徴的な蛇のような形の文字の連なり…どうやら、何かを強く守るための、古い守りの護符の内容の一部のようなのです。悪いものや、悪意ある魔法から、大切なものを保護するための…」
私の言葉を聞きながら、先生の表情が微かに変わっていくのを、私は見逃さなかった。
驚き、そして…ほんの一瞬、何か別の、読み取れない感情がその瞳をよぎった。
それは、安堵のようでもあり、新たな苦悩のようでもあった。
「…そう、ですか」
彼は、静かに言った。
「それは…非常に、有益な情報です。ありがとう、カレン君。君の知識には、いつも助けられます」
彼が少し落胆しているのは、思っていた結果ではなかったからだろう。
「いえ、私にできることなら…」
懐からもう一つ、小さな包みを彼に差し出した。
「それから先生。これは早いですけど、私からのクリスマスプレゼントです」
彼は、戸惑ったようにその包みを見つめた。
「ぼ、僕に…ですか? わ、わざわざ、そのような…」
「開けてみてください」
彼が震える指でゆっくりとリボンを解くと、中から現れたのは、無事を祈って作った小さな布袋のお守りだった。
ハッフルパフのシンボルカラーである黄色いリボンで口が結ばれ、中には、幸運と守護の効果があると言われる乾燥させた薬草が、何種類も詰められている。
あの、マダム・ピンスに教えてもらった古書を参考にして、心を込めて作ったものだ。
「お守り…ですか?」
先生は、それを手のひらに乗せ、じっと見つめていた。
「はい」
私は頷いた。
「先生は旅がお好きかと思って、これからの旅の安全と祈って作りました。気休めかもしれませんが…先生を、悪いものから守ってくれたら、と」
先生は、何も言わなかった。
ただ、その小さなお守りをまるで壊れ物を扱うかのように、優しく握りしめている。
その指先が、微かに震えているのが分かった。
やがて、彼は顔を上げ私を真っ直ぐに見つめた。
その瞳は、潤んでいるように見えた。
「…ありがとう、カレン君」
彼の声は、ひどく掠れていた。
「こ、こんな…僕のために…」
彼は、言葉に詰まったように俯くと、不意に思いがけないことを話し始めた。
「…実は、僕もね」
彼は、照れたように、しかしどこか懐かしむような口調で言った。
「こういった…小さな、自然のものが、昔から好きなのです。…押し花、などが趣味でしてね。誰にも言ったことはありませんが…」
「押し花…ですか?」
意外な言葉に、私は目を見開いた。
「ええ」
彼は頷いた。
「古い本に挟まれた、色褪せた花びらとか…そういうものに、なぜか心が惹かれるのです。儚くて、でも、確かにそこに存在した時間の証のような気がして…」
彼は、そこまで言って、ふと顔を赤らめた。
「い、いや、すみません。変な話をしてしまいましたね」
「いいえ、そんなことありません!」
私は慌てて首を横に振った。
「素敵だと思います、そういうの」
「…そうですか?」
彼は、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
そして、さらに思いがけない言葉を続けたのだ。
「あの夏、ロンドンで会った時…」
彼は、少し遠い目をして言った。
「実は、あの小さな花のカフェ。壁一面にドライフラワーが飾られた場所。君も、そういう場所が好きかもしれないと…ふと、思ったのです。声をかけて、一緒にどうですか、と誘ってみようかと…」
「え…」
私は息を呑んだ。
そんなことを、彼が考えていてくれたなんて。
「…嬉しかったです。すごく。」
彼のその言葉に、私の胸は、甘さと切なさでいっぱいになった。
彼もあの時、私と同じように、何かを感じてくれていたのかもしれない。
「先生…」
私が何かを言おうとした時、彼は、はっとしたように表情を硬くした。
まるで、言ってはいけないことを口にしてしまった、とでもいうように。
「…と、とにかく、このお守り、ありがとう。大切にしますよ」
彼は、慌てて話題を変え、お守りをローブの内ポケットにしまい込んだ。
「君も、もう遅いですから、部屋に戻りなさい。風邪をひいてはいけませんからね」
その言葉は、優しかったけれど、同時に、これ以上この話は終わりだ、という明確な拒絶の響きも持っていた。
私は、何も言えなかった。
ただ、彼の複雑な表情と、彼がくれた一瞬の真心の温もりを、胸に刻み込むことしかできなかった。
「…おやすみなさい、先生」
「ええ、おやすみなさい、カレン君」
私たちは、短い挨拶を交わし、別れた。
私は寮へと続く廊下を歩きながら、さっきまでの出来事を反芻していた。
先生の意外な趣味。
聖夜だからこそ起こったささやかな奇跡。
それが、これからの未来を少しでも良い方向へと導いてくれることを私はただ、祈るしかなかった。
暖炉の火はもう小さくなり、窓の外では雪が静かに、全ての音を吸い込むように降り続いていた。
