時雨さんの趣味(陸の一人称視点)

 時雨さんは多趣味だ。花の世話をしたり生徒たちを観察したりなど、昔から続けている習慣のようなものもあれば、突発的に始めるマイブームも多く存在する。
 特に今のブームは、うさぎ型に切ったリンゴを俺に食べさせることらしい。なぜなのかはわからない。だけど童心に返ったような屈託のない笑顔を見せられると、ありがとうございますと皿を受け取るしかなくなる。

 どうぞ、と渡されたフォークはパステルカラーのうさぎ柄で、こんな可愛いものいったいどこで買ってくるのだろうと、女児向けのショップに嬉々として足を運ぶ綺麗な長身男性──時雨さん──の姿を浮かべてしまう。

「美味しい?」

「はい、美味しいです」

 形のいいうさぎリンゴをシャクリと齧ると、時雨さんの笑みがいっそう深くなる。二人きりの調理室、頬杖をついてニコニコと俺を眺める時雨さんの意図を汲み取りたくて、新鮮なリンゴを咀嚼しながらジッと観察した。だけどいつだって時雨さんは腹の中を見せてくれない。

「あのー……」

「なに?」

「時雨さんもどうぞ。いつも俺だけ食べるのも申し訳ないし」

「ううん、陸が食べて」

 なぜだろう、その声からは有無を言わさない圧を感じた。相変わらず楽しそうに口角を上げて、小動物を愛でるように優しく、獲物を捉えるように鋭く目を細めている。その対比が少し恐ろしい。

 ふと手元の皿に目を落とす。綺麗に並べられたうさぎのリンゴたち。それを刺すフォークは薄ピンク色のうさぎが描かれていて、持ち手の先端にはうさぎの頭がくっついている。俺の妹が小さかった頃、こんなかんじのフォークやスプーンを持っていたのを思い出した。

 ひとつ、ふたつ、とリンゴを平らげていく。先の丸いプラスチック製のフォークは小さくて、いくら俺が小柄でも成人男性の手では少し扱いづらい。それでも黙々と食べる。うさぎ型のリンゴを俺に食べさせたい──それが最近の時雨さんのブームで要望なら、可能な限り叶えてあげたい。こんなことで時雨さんの何が満たされるのかはわからないけれど、時雨さんの心を埋めることができるなら俺はなんだってする。

 それでも気になるものは気になるので、痛いほどの熱視線を向ける時雨さんをチラチラ確認した。相変わらず聖母ようで捕食者のような読めない笑顔を浮かべている。心なしか頬が色付いている気がするけれど気のせいだろうか。

「ふふ」

 唐突に時雨さんが笑った。思わず咀嚼が止まる。噛みかけのリンゴが頬に残って膨らみ、ファンシーなデザインのフォークを持つ俺はさぞかし間抜けな顔をしているだろう。だからなのか時雨さんは更にクスクスと笑った。
 妙に声を殺して笑うものだから、ときどき息継ぎのように熱い吐息を漏らす。涙が滲んだ瞳は焦点が曖昧で、紅潮した頬に艶めかしく汗がつたう。
 どことなく閨の時雨さんを思い出して、いたたまれなくなった俺は気を逸らすために質問してみた。どうして笑うんですか? と。

 すると時雨さんは情欲をかき立てる顔と声でこう答えた。

「可愛い子が、可愛いものを使って、可愛いものを食べる姿って……良いよね」

「ひぇっ……!」

 このときようやく俺は確信した。時雨さんは“可愛いフォークを使ってうさぎ型のリンゴを食べる俺”をオカズにしていたのだ、と。


【完】
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