藤咲隼人の自覚

 隼人がその恋を自覚したのはいつだったか。

 初めはただ頭を撫でてほしかった。赤ん坊の頃から傍にいた幼馴染みの手で。さすがにその頃の記憶は無いけれど、物心ついた頃には既にその手が好きだった。

 一つ年上で、けれど年齢以上に頼もしく見えた彼の手。隼人より一歩先を行く謙也に頭を撫でられると、こそばゆくて誇らしくて。そのたびにもっと撫でてほしいと願った。

 そっと名前を呼んで近付いて、少し俯いて頭を差し出せば伸びてくる手。ぽんぽんと軽く弾ませたり、頭の形を確かめるように撫でられたりと様々で、そのどの触り方でも隼人の胸は温かく満たされた。

 それだけでよかったのだ、初めはそれだけで。

 けれどいつからか頭を撫でられるだけでは物足りなくなった。わざと肩同士を触れさせてみたり、背中合わせに座って体重をかけてみたり、常に謙也の体温を体のどこかで感じていなければ気が済まない。長時間離れていると無性に不安になったりするのだ。

 とはいえ察しのいい謙也のお陰で、寂しさに身を焦がすことはほぼ無いに等しかったのだが、それでも欲望はどんどん膨らんでいく。満たされれば満たされるだけ欲を受け入れる器は大きくなり、以前は満足できていた戯れだけでは些か不足した。

 強欲。終わることのない欲求。これではいけないと己を律しても、心の奥深くでひっそり望んだ。

 そうすると少なくとも小学生の間には、彼の手が届く範囲まで寄って名を呼ぶだけで頭を撫でられるようになった。
 そもそも謙也は求められれば求められるだけ応えるような男なので、度重なる隼人の催促に付き合ううちに癖になってしまったのだろう。

 いつだったか彼はこう言った、隼人の頭はまぁるいなと。まるで長年使い込んできた革製の財布を語るように、もしくは昔からの好物を改めて噛み締め味わうように、愛着を感じるものの一つに隼人を挙げたのだ。

 隼人は何も言わなかった。否、言えなかった。あまりの幸福感に胸がいっぱいになって、言葉に詰まったから。謙也にとって隼人が特別だというならば、隼人の特別こそが謙也なのだと明確に理解した。

 隼人は頭を撫でられるのが好きだ。そして謙也に撫でられたならば、例え気分が乱れていても風の無い海のように穏やかになった。謙也だから良いのだ。

 だから隼人はこうも思った、年下ならば自然な手つきで頭を撫でていた謙也だが、隼人を相手にする時は他の人とは違う感情をその胸に抱いてほしいと。

 贅沢を言うならば他の人には触れてほしくない。その分のスキンシップを隼人に充ててほしい。体温や匂いを感じたい。脳が蕩けてしまうような甘い言葉を囁いてほしい。

 思春期に入ると、あどけなかった欲望は見る影もなく過激に淫らになっていった。
 触られたい、触りたい。その手に、体に。唇で、舌で。繋がって、溶け合って。

 この感情に名前を付けるのに随分苦労した。独占欲、執着、情欲、ごちゃ混ぜにした気持ちを恋と呼ぶならばそうなのだろう。

 しかし現実は残酷だった。性別という名の壁が途方も無い高さで立ちはだかり、努力や気合いではどうしようもない事実を突き付けてくる。初恋に浮かれる隼人を容赦なく叩きのめしたのは“不毛”の二文字だ。

 わかっていた。わかっていたから諦めようとした。こればかりは仕方がないと物分りのいいフリをして。

 けれど代用品として隼人が好んだのは、そこはかとなく謙也に似た年上の男達。そんな筈はないと自分に言い聞かせて、同年代の女子に目を向けてみる。

 田舎とはいえ町一番の美人は存在したし、何人かには告白もされた。けれどどんなに頑張ってみても、どんなに迫られても異性には興味が湧かなかった。つまりそういう事なのだと隼人はまた静かに受け入れる。

 同性愛者──自身をそう呼びつつも、それは心の中にそっと隠した。唯一打ち明けたのは恋心を注ぐ対象である謙也のみ。少しだけ、気持ちが軽くなった気がした。

 長年募らせてきた想いは、さすがに怖くて伝えていないけれど。


【完】
1/1ページ
スキ