モブおじさんが東雲学園へお仕事に来たよっ!

 バスを降りると、ぽっと柔らかい日差しが僕の体を温めた。とってもいいお天気だ。僕はおじさん。どこにでもいるただのおじさんだよぉ。今日はね、丘の上にある東雲学園へお仕事にやって来たんだ。
 丘の土地は全てこの学園のものらしいんだけど、いざ目にしてみると、その広さに圧倒されちゃうね。確か全寮制の男子校だったはず。

「ふふっ」

 僕はマスク越しから、こもった笑い声を漏らした。よかった、僕は女の子苦手なんだよね……目が合うと嫌な顔されたり舌打ちされたりするんだもん。やっぱり年々丸くなっていくお腹のせいかなぁ……髪も少し薄くなってきた気がするし、鏡を見る度に僕はおじさんなんだなぁって自覚させられるよ。

 それはそうと、僕は今から何処へ行けばいいんだろう。まずは事務所へ来てくださいって言われてたんだけど、事務所って何処? 僕は昔から方向音痴だから、駐車場から一番近い建物が校舎なのか寮なのかわからないし、そもそも校舎の事務所なのか寮の事務所なのか確認するのを忘れちゃった。

 はぁ……どうしてこう、いつもいつもドジなんだろう。こんなんだから前の職場では上司に良いように使われ、部下には馬鹿にされちゃうんだ。
 でもでもっ、おじさんはめげないよっ! 新しいお仕事では頑張るんだ! だから僕はとりあえず一番近い建物に入った。そこは校舎だったみたいで、入ってすぐに事務所があったから僕は迷わず受付の人に話しかけた。
 中年の僕よりは年上の、初老の男性は訝しげな顔で僕をまじまじ見つめてくる。頭の先から爪先までチェックするような視線が痛い。

 持参してきた書類と身分証明書を提示して、ようやく僕がここへお仕事にやって来たと信じてくれたみたいだ。不審者だと思われたのかなぁ……全寮制の学校だから用心深いんだねっ。
 受付の男性は渋々といった感じで、お仕事の説明をしてくれた。次なる目的地は生徒さんが暮らす寮だ。案内は必要かと面倒臭そうに言われて、僕は背筋をシャキッと伸ばして頭を下げた。

「いえ、大丈夫です。ありがとうございましゅ!」

 あ、噛んじゃった。恥ずかしい……。

 ともあれ僕は校舎の事務所を出て、先程の事務員さんに手渡されたメモを見た。そこには第二寮と走り書きがされている。この学園の寮は全部で五つあるんだけど、僕の職場はその中の一つ、第二寮だ。
 校舎から少し外れて、教えてもらった通りの道順を辿っていく。風が自然の香りを運んで心地いい。花粉症気味だからマスクは必需品なんだけど、こんな素敵な所で働ける僕は幸せ者だねっ。
 だけどある程度進んだ所で、僕はふと足を止めた。また道がわからなくなったのだ。

「どうしよう……」

 ポツリと呟いて、事務員さんから貰ったメモを確認する。だけど何回見ても、第二寮としか書かれていない。もう一度戻って訊いてこようかな……だけどまた睨まれたら怖いしなぁ……。
 眼鏡を拭いて気持ちを落ち着かせた。僕の丸いお腹から切ない虫の鳴き声が聞こえる。もうお昼ご飯の時間かな。とにかく早く第二寮へ行かなくちゃ!

 当てずっぽうで足を進めると、道が一気に開けた。綺麗なレンガ造りの花壇に囲まれた中庭……なのかな。中央に大きな花時計があって、それに対面するようにベンチがぐるりと並んでいる。花時計を眺めながらお昼ご飯が食べられるって事だね。
 ちょうど一人の男の子が、そうやってベンチに腰掛けてパンを食べていた。艶やかな藤色の髪、白い肌、凄く綺麗な男の子だね。そうだ、あの子に訊いてみよう。ここの生徒さんなら寮の場所も当然知ってるはず。
 人見知りだからドキドキするけど、僕は思い切って彼に近付いて声をかけた。

「ハァハァ……ねぇ、きみ……ちょっと、いいかな」

 緊張しすぎて呼吸が荒くなっちゃった。藤色の君は何故か表情を変えないままじっと僕を見て、リスみたいに頬を膨らませながらモグモグと口を動かしている。

「んふふ、美味しそうに頬張るねぇ……いっぱい食べる子は、おじさん大好きだよぉ……」

「……」

 あ、あれ? フレンドリーに話しかけたつもりなのにお返事が返ってこないなぁ……。聞こえなかったのかな?
 もう一度話しかけてみようかな──そう思ったその時、誰かがこちらへ駆け寄ってくる気配がした。

「おいそこのアンタ、ここで何してんだ」

 凄く低い声だ。まるで地を這うような声音は、脅されてもいないのに凄く恐ろしく感じた。ドスの効いた声とはこういう声のことを言うんだね。恐る恐る顔を上げた僕はまた固まった。目の前に凄く美人な男の子がいたから。
 中性的って言うのかな、睫毛が長くて女の子かと思ったけど、さっきの低い声はこの子が出したんだよね? この赤い髪の男の子は、藤色の子を守るように立って僕を睨みつけている。うう、そんな怖い目で見ないでほしいな。
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