望くんの世渡り教室
ただの空き教室に集められた隼人、龍之介、晴馬の三人はそれぞれ適当な席につき、教壇に立つ望をじっと見上げていた。
望がくるりと身を翻すと、栗色の柔らかい癖毛が空気を纏い、小さな両手が胸の前で軽く合わさる。──茶番開始の合図だ──
「はい、皆さんこんにちは。望くんの世渡り教室のお時間です。今日は、チョロいけど利用価値のあるタイプの大人を攻略する方法を伝授します」
シフォンケーキのように甘く柔らかい笑顔を振り撒きながら、なかなかエグいことを言うんだな──と隼人は思う。きっと晴馬や龍之介もそう思っただろう。
そんな生徒三人を置き去りに世渡り教室とやらが始まった。
「まずこれだけは覚えておいてください。偉い人には気に入られるべし! 長いものには巻かれろ! 利用できるものは利用しろ!」
言いながら望は黒板に書き並べていく。やや小さめだが綺麗な字だ、なのに言っていることはとてつもなく汚い、大人の醜さを感じる。
「大人はとても身勝手な生き物です。相手より優位でありたいと思いつつ、面倒くさいのは嫌います。なので一般常識とマナーはしっかり身につけた上で、ドヤ顔でウンチクを語られた場合は、初めて聞いたような顔をしてあげると上機嫌になりますよー」
あまりにも歪んだ酷い言い草だ。一体彼の人生に何があったのか──なんて突っ込む者はおらず、取り敢えずノートにメモしておく。
「そして大事なのは媚び言葉の“さしすせそ”です」
「媚び言葉って……いや、なんでもない」
隼人はつい出てしまったツッコミを咳払いで誤魔化した。
せめて“褒め言葉”と言い換えることは出来なかったのかと続けたかったが、この狂気に満ちた授業でそれを言える強者はそうそういないだろう。
「えーと、続けますねぇ。これはある言葉の頭文字なのですが、これを使いこなせると年上に気に入られやすくなります。……では蘇芳龍之介くん、この便利な“さしすせそ”とは何なのかお答えください」
「はんっ、簡単だァ。刺身、塩辛、砂肝、せせり、そら豆──ぐッ!?」
自信満々に答えた龍之介の額にチョークが飛んだ。前方には恐ろしく冷たい目をした望が龍之介を見下ろしている。
「誰が君の好きな肴なんて聞いたよ、将来は酒豪か。全然違います、かすりもしてません。蘇芳くんは後ろで立ってさない」
「くっそ、自信あったんだけどなァ……」
早口でまくしたてられた龍之介は額を撫でつつ、素直に教室の後ろまで下がった。
壁にもたれて口元に手をやり、刺身じゃなくて秋刀魚の塩焼きだったか……? とブツブツ的外れな事を言っている彼の額に再びチョークが命中。龍之介の解答は的外れだが、望は的を外さないらしい。
「はーい、では答え言いますねぇ。“さすがー、知らなかったー、すごーい、センスあるー、そうなんだー”です。はい、ノートに書いてー」
望の言葉通りノートに書き記していくと、隼人の右隣に座る晴馬は器用にペンを回しながら頬杖をついた。
「なぁーんか思ったよりわざとらしく媚びてんね。本当にこれで年上に気に入られんのー?」
軽々しい口調に半信半疑な苦笑い。しかし望は待ってましたとばかりに前のめりになって人差し指を立てる。
「ここで一つ解説しておくね。年上……特に男の人は案外単純です。確かに多用すると不自然ですが、上手く使えば相手の態度が面白いほど変わります」
ただし俺の体験談だけどね、と注釈を入れてくるあたり強かだ。
あらゆる方面からの苦情を一切受け付けない姿勢は、繊細な年齢のうちから社会の荒波に揉まれて、荒んだ空気にあてられた結果なのだろう。
「もちろん世渡りのポイントはこれだけじゃないよー。自分の長所を理解して、それぞれに合ったアピール方法を知るのも大事です。……さて、では隼人くん! 君の魅力を一言でどうぞ!」
望の愛らしいウインクと共に、マイクの代わりにペンを向けられたので、隼人は音もなく立ち上がった。
「誰の体にも侵入せず、また侵入されてこなかった綺麗な体です!」
「もっと他にあったよねぇ!? 何その威風堂々とした態度、ただの童貞処女じゃん!」
「ちなみにネコ希望です。出来れば相手は筋肉質でバリタチの年上男性を求む」
「うるさい! ハッテン場行け!」
今日の望のツッコミは冴えている。彼が声を荒らげる姿が珍しいのか、隣で晴馬が机を何度も叩いて笑っている。
いいものが見られたので今回はこのくらいにしておこう──と隼人が着席したタイミングで、ハイハーイとお調子者の晴馬が手を挙げた。
「のぞむんは確かどっちも卒業してんだよね! てことはそーゆーオッサンを相手したことあんのー?」
この軽率な発言にすぐさま反応したのは、後ろで大人しくしていた龍之介だ。教室の端から教壇までを速足でズカズカと迫り、望に鋭い眼光を飛ばす。
「望! そいつァどういう事だ!? 売春なんてアコギな商売に手ェ染めてねェだろうなァ!?」
「もーっ! 急に怖い顔しないでよー! それにその物言い、お里が知れるよぉー?」
望の余裕な態度が僅かに崩れている。チョークを二発くらっても苦笑止まりだった龍之介が、突然地を這うような声をあげたのだから無理はない。
しかしこれは面白い展開だ。せっかくなので隼人も便乗しようと、同じように望に詰め寄った。
「柿原、お前は大人の男性とも関係を持っていたのか? その話を詳しく聞かせてくれないか? 今後の参考のために」
「ちょ、隼人くん! 話がややこしくなるから後にして!」
龍之介に隼人にと大忙しの望は、その茶色の瞳を横に流す。おそらく晴馬に助けを求めようとしたのだろうが、あいにく晴馬は目尻に涙を浮かべて笑いながら足をバタつかせていた。
常に笑顔を浮かべている望の表情は見事に引き攣り、ヤケになったように叫び声をあげる。
「もー! 結局カオスになるんだから! 仕方ない……そろそろいい時間だし、もうお開きにしよう!
皆さん今日はどうでしたか? もちろん全ての人に通用するわけではないですが、きっとどこかで役に立つかも? てことで今回はこれにて……see you again!」
【完】
望がくるりと身を翻すと、栗色の柔らかい癖毛が空気を纏い、小さな両手が胸の前で軽く合わさる。──茶番開始の合図だ──
「はい、皆さんこんにちは。望くんの世渡り教室のお時間です。今日は、チョロいけど利用価値のあるタイプの大人を攻略する方法を伝授します」
シフォンケーキのように甘く柔らかい笑顔を振り撒きながら、なかなかエグいことを言うんだな──と隼人は思う。きっと晴馬や龍之介もそう思っただろう。
そんな生徒三人を置き去りに世渡り教室とやらが始まった。
「まずこれだけは覚えておいてください。偉い人には気に入られるべし! 長いものには巻かれろ! 利用できるものは利用しろ!」
言いながら望は黒板に書き並べていく。やや小さめだが綺麗な字だ、なのに言っていることはとてつもなく汚い、大人の醜さを感じる。
「大人はとても身勝手な生き物です。相手より優位でありたいと思いつつ、面倒くさいのは嫌います。なので一般常識とマナーはしっかり身につけた上で、ドヤ顔でウンチクを語られた場合は、初めて聞いたような顔をしてあげると上機嫌になりますよー」
あまりにも歪んだ酷い言い草だ。一体彼の人生に何があったのか──なんて突っ込む者はおらず、取り敢えずノートにメモしておく。
「そして大事なのは媚び言葉の“さしすせそ”です」
「媚び言葉って……いや、なんでもない」
隼人はつい出てしまったツッコミを咳払いで誤魔化した。
せめて“褒め言葉”と言い換えることは出来なかったのかと続けたかったが、この狂気に満ちた授業でそれを言える強者はそうそういないだろう。
「えーと、続けますねぇ。これはある言葉の頭文字なのですが、これを使いこなせると年上に気に入られやすくなります。……では蘇芳龍之介くん、この便利な“さしすせそ”とは何なのかお答えください」
「はんっ、簡単だァ。刺身、塩辛、砂肝、せせり、そら豆──ぐッ!?」
自信満々に答えた龍之介の額にチョークが飛んだ。前方には恐ろしく冷たい目をした望が龍之介を見下ろしている。
「誰が君の好きな肴なんて聞いたよ、将来は酒豪か。全然違います、かすりもしてません。蘇芳くんは後ろで立ってさない」
「くっそ、自信あったんだけどなァ……」
早口でまくしたてられた龍之介は額を撫でつつ、素直に教室の後ろまで下がった。
壁にもたれて口元に手をやり、刺身じゃなくて秋刀魚の塩焼きだったか……? とブツブツ的外れな事を言っている彼の額に再びチョークが命中。龍之介の解答は的外れだが、望は的を外さないらしい。
「はーい、では答え言いますねぇ。“さすがー、知らなかったー、すごーい、センスあるー、そうなんだー”です。はい、ノートに書いてー」
望の言葉通りノートに書き記していくと、隼人の右隣に座る晴馬は器用にペンを回しながら頬杖をついた。
「なぁーんか思ったよりわざとらしく媚びてんね。本当にこれで年上に気に入られんのー?」
軽々しい口調に半信半疑な苦笑い。しかし望は待ってましたとばかりに前のめりになって人差し指を立てる。
「ここで一つ解説しておくね。年上……特に男の人は案外単純です。確かに多用すると不自然ですが、上手く使えば相手の態度が面白いほど変わります」
ただし俺の体験談だけどね、と注釈を入れてくるあたり強かだ。
あらゆる方面からの苦情を一切受け付けない姿勢は、繊細な年齢のうちから社会の荒波に揉まれて、荒んだ空気にあてられた結果なのだろう。
「もちろん世渡りのポイントはこれだけじゃないよー。自分の長所を理解して、それぞれに合ったアピール方法を知るのも大事です。……さて、では隼人くん! 君の魅力を一言でどうぞ!」
望の愛らしいウインクと共に、マイクの代わりにペンを向けられたので、隼人は音もなく立ち上がった。
「誰の体にも侵入せず、また侵入されてこなかった綺麗な体です!」
「もっと他にあったよねぇ!? 何その威風堂々とした態度、ただの童貞処女じゃん!」
「ちなみにネコ希望です。出来れば相手は筋肉質でバリタチの年上男性を求む」
「うるさい! ハッテン場行け!」
今日の望のツッコミは冴えている。彼が声を荒らげる姿が珍しいのか、隣で晴馬が机を何度も叩いて笑っている。
いいものが見られたので今回はこのくらいにしておこう──と隼人が着席したタイミングで、ハイハーイとお調子者の晴馬が手を挙げた。
「のぞむんは確かどっちも卒業してんだよね! てことはそーゆーオッサンを相手したことあんのー?」
この軽率な発言にすぐさま反応したのは、後ろで大人しくしていた龍之介だ。教室の端から教壇までを速足でズカズカと迫り、望に鋭い眼光を飛ばす。
「望! そいつァどういう事だ!? 売春なんてアコギな商売に手ェ染めてねェだろうなァ!?」
「もーっ! 急に怖い顔しないでよー! それにその物言い、お里が知れるよぉー?」
望の余裕な態度が僅かに崩れている。チョークを二発くらっても苦笑止まりだった龍之介が、突然地を這うような声をあげたのだから無理はない。
しかしこれは面白い展開だ。せっかくなので隼人も便乗しようと、同じように望に詰め寄った。
「柿原、お前は大人の男性とも関係を持っていたのか? その話を詳しく聞かせてくれないか? 今後の参考のために」
「ちょ、隼人くん! 話がややこしくなるから後にして!」
龍之介に隼人にと大忙しの望は、その茶色の瞳を横に流す。おそらく晴馬に助けを求めようとしたのだろうが、あいにく晴馬は目尻に涙を浮かべて笑いながら足をバタつかせていた。
常に笑顔を浮かべている望の表情は見事に引き攣り、ヤケになったように叫び声をあげる。
「もー! 結局カオスになるんだから! 仕方ない……そろそろいい時間だし、もうお開きにしよう!
皆さん今日はどうでしたか? もちろん全ての人に通用するわけではないですが、きっとどこかで役に立つかも? てことで今回はこれにて……see you again!」
【完】