柿原兄弟の幼児化


「だいじょうぶです! みなさんやさしくて、ずっとたのしかったです」

「そっか……偉いな望」

 前向きな望の返答に謙也の表情は何故だか曇り気味。なんとも言えない顔のまま、聡明な幼子の頭に手を置き、指先だけで優しく撫でた。

「そうだよな……お前は兄ちゃんだもんな、歩の為に頑張ってんだよな。でもよ、そろそろ休憩してもいいんだぜ?」

 ゆっくり言い聞かせるような謙也の言葉。秀虎は今ひとつピンとこなかったが、幼い望には何かが届いたらしく、目元は力が入ったように強張り、桃色の唇がギュッと結ばれた。ずっと可愛らしい笑顔だった望が今日初めて見せた険しい表情だ。謙也は更に続ける。

「ニコニコしとかねぇと、こいつらに嫌われるって思ったんだろ? だからずっと頑張ってたんだよな。嫌われたら優しくしてもらえねぇって、怖かったんだよな」

 その言葉にハッとして思わず隼人たちに目を向けると、彼らも互いに顔を見合わせていた。これまでに感じた違和感はそれだったのかと、世話係全員が理解したのだ。

「でも、もういい。望はもう充分……たくさん頑張った。だからもう休憩しよう、そんくらいでお前らを嫌いになんてならねぇから」

 わかりやすい言葉と、ゆっくりと芯のある声色で謙也は言い切った。するとどうだろう、あれだけ笑顔を絶やさなかった望の瞳がユラユラ揺れて、透明なしずくがとめどなく溢れてきたのだ。

 小さな体にそぐわない声量でわんわん泣き、呼吸が追い付かないのか時おり音を立てて息を吸い、その度に弱々しい肩が震えた。

「望はずっと歩を庇いながら怖ェのを我慢してたってのか……」

 龍之介がポツリと呟く。改めて言葉にされてしまうと、望がその小さな体で背負っていたものの重みが伝わってきて眉間と唇に力が入る。

「のぞむ……なかないで」

 歩の震えた声。突然泣きだした兄を心配して頭を撫でてなだめるも一向に泣き止む気配は無く、徐々に不安に染まる顔は予想通り幼い泣き顔に変わった。

「……なんで望さんが無理してるってわかったんだよ」

 謙也に問うと、彼は双子を同時に抱きかかえて振り返り笑う。

「望って、そういうとこあんだろ。普段は飄々としてるけど根は優しくて、自分なりに弟を大事にしてるみてぇだしさ。だけどそのせいで、知らず知らずのうちに歩の盾になるのが癖になってんだ」

 幼い双子を抱えたまま、あやすようにユラユラ揺れる謙也。その腕の中で二人は小さな手を繋いで背中を震わせて泣いていた。

「そういえば……」

 隼人が何かを思い出したように謙也の袖を引っ張る。個人的に気になっていたことだが……と前置きして、二人が幼児化した直後に煎餅とホットミルクを与えたときの話を持ち出した。
 静かな語り口調を聴きながら秀虎は思い出す。確かにあのときの望の行動は秀虎も違和感を感じていた。それぞれの皿とコップを用意したのに、望はまず歩の煎餅とホットミルクに口をつけたのだ。
 仮にあれが自由奔放な晴馬なら意地汚いで済む話だが、望ならば話は違う。きっと何か理由があるはずだ。そして今になってようやくその理由の検討がついてきた。

 まさかと思い謙也に目線を送ると、気の良さそうな彼はいびつな笑顔を浮かべて言いにくそうに答える。

「たぶんあれは、いわゆる……毒見ってやつだと思う。安全かどうかを確かめてから歩に寄越したんだ。ずっとそうやって歩を守ってきたんだろうな」

「……」

 秀虎は押し黙る。隼人も龍之介も、普段はうるさい晴馬ですら、幼い望にかける言葉を持たなかった。
 声には出さなかったが、秀虎は思う。この人が弟を守るなら俺は望さんを守る──と。
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