汚泥より顕現せし黒き闇(龍之介side)

「いた」

 声量を抑えた隼人の一言に背後の望が大袈裟に体を震わせた。
 そして隼人が自身の内履きを振り上げたその時、耳をつんざくような金切り声が寮の廊下に響く。

「やめて!!」

 どうやら叩いて退治してほしくないらしい。

「誰が掃除すると思ってるの! というか俺はこれから先ずっとその部分を目にする度に思い出すんだよ! うっかり物が触れた時、それを捨てなきゃいけないんだよ!」

 早口で捲し立てる彼は、よっぽど奴の姿を見たくないのかサングラスをかけている。ふざけた行動に見えるが、本人は至って大真面目なのだろう。
 時折鼻を啜って目元を拭いだしたのには流石に驚いて声を掛けた。

「お前さん、泣いてんのかィ?」

「仕方無いだろ!」

 常に猫を被り本心を見せない望が泣いている、それ程心にダメージを負っているという事だ。これは少しでも希望を叶えてやらなければと、隼人に掛け合ってみれば「やってみる」と一言返ってくる。
 一体何をどの様にやるのかは知らないが、とりあえず様子を見ることにした。

 隼人はただ真っ直ぐ汚泥より顕現せし黒き闇を見つめてから、どういう訳か目を離して窓を開けた。
 すると、なんという事だろうか、その汚泥より顕現せし黒き闇はなんの迷いも無く窓へ進み、そのまま外へ出て行ったのだ。

「藤咲……」

 わけもわからずその名を呼ぶと、彼は真顔のまま振り返りVサインを決めた。
 意外と話せばわかる奴だった、と言っているが、きっといつもの冗談だろうし、奴が窓から出て行ったのもきっと偶然だ、龍之介はそう思うことにした……のだが、望は違った。

「奴と……意思疎通した……?」

 サングラス越しからでも、なんとも言えない目で見ているのがわかる。

「隼人くんは……汚泥より顕現せし黒き闇の、亜種?」

――そしてその日からしばらくの間、恐怖に染まった目で隼人を見る望が度々目撃されたのは、また別の話。


【完】
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