一章

 不本意ながら康平と付き合うことになった俺は半ば強制的に手を繋がれてトイレから出た。
 隣で弾むように歩く康平の横顔を盗み見る。金髪で耳にはピアスたくさんついてるけど、黙ってれば格好いい部類に入るんじゃないだろうか。口を開けばただの馬鹿なストーカーだけどな。
 今日からこいつが俺の彼氏か……こいつが彼氏で俺も彼氏……変なの。
 康平のでかい手と俺の頼りない手が繋がれてブラブラ揺らされながら、俺は遠い目をして家にいるお母さんにテレパシーを送ってみる。
――お母さん……俺、男なのに彼氏ができたよ。急な展開に頭がついていかないよ……。
 意味の無い行動は現実逃避にもなりやしない。

「……あ、康平ストップ。」

 おもむろに教室の前で制止を促すと不思議そうな顔をされた。

「手ぇ離せ、このまま教室入る気か。」

 手を繋いだまま教室に入れば注目のまとになる。ただでさえクラスの連中から面白がられてるのに、付き合ったと知れたらどんな冷やかしを受けるかわかったもんじゃない。
 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか康平は「いいじゃんこのままで。」と、握った手の力をそのままに堂々と教室へ入っていった。

「あっ、ちょっと!」
 制止の声もむなしく手を繋がれている俺も引っ張られるように教室へ足を踏み入れると、さっそく皆の視線を痛いほど感じて下を向いた。
 そして教室は一瞬静まり返り、直後にワッと歓声のような声が教室を震わせた。

「おぉぉぉ! お前らとうとうくっついたのかよ!」
「カップル1号おめでとう!」
「ぶははは! マジで付き合うとかウケるんですけど!」

 他人事だと思って、それはそれはもう楽しそうに可笑しそうに笑い声混じりで冷やかす連中に殺意を覚える。康平にいたっては「涼太は俺の恋人だから狙うなよー」なんてはしゃいでる。
 一番ムカつくのが、あの公開告白以来俺達の事はクラス中……下手したら学年中で噂になっていたので、奴らは康平の努力の末ようやく恋が成就したという解釈をして祝福ムード一色になっているということ。所詮は他人事だし面白がってるということもあって皆アッサリこれを受け入れた。
 ここで声を大にして『俺ら男同士なんですけど』なんて言ったところで、この馬鹿共は聞く耳を持たないだろう。
 さて、これからどうすっかな……。
 騒がしい教室で俺は早くも上手な別れ方を模索していた。そうとは知らずに康平は嬉々として皆の質問攻めに対応している。

「こうへー、お前涼太のどこを好きになったの?」
「一目見たときにビビっときたから顔かな。」
「ぶっは! お前最低ー!」
「でも涼太は良い奴だよ、可愛いし!」

 はぁ……こいつどうにかなんねぇかな。この俺が可愛いだと? 目イカれてんのか。どう考えても良い案は浮かばない、浮かんでも康平には通用しないだろうと思うものばかり。
……でも、一つだけあるにはある。それは俺の過去を暴露することだ。
 康平はこの通り俺に好きだ好きだ言うし、盗聴盗撮である程度俺の人となりは知っている。だけど俺の過去までは知らないだろう、いじめられて引きこもりになっていた俺の事は知らない。
 俺の経験上リア充から不良系統の人間は陰キャを嫌う傾向にある、過去とはいえ俺がその部類の奴だと知れば、康平の異常なまでの執着もアッサリ消え失せるはず。

「……はぁ」
「どうした涼太、ため息なんてついて。」
「別に。」

 なんか悲しくなってきたけど、考えられる作戦の中ではこれが一番簡単かつ確実に別れられる方法だろう。
 だけど言葉にするよりこの作戦は難しい、そもそもこの作戦があるなら付きまとわれてた時点で実行してたはず、なのになぜここまで何も出来ないでいたのか。それはあまりにもリスクがでかすぎるからだ。
 俺が元いじめられっこの引きこもりだと白状するのは簡単だ。だけどそのあとは? どう考えても噂が広まって高校生活も中学時代同様ぼっち確定だろう。そんなのは嫌だ、俺は高校から人生をやり直すために外に出たんだから。
 できれば俺の過去には触れずに、円満に別れられないかな……。
 チラリと康平を見ると、丁度こいつもこっちを見ていたので目があった。ニコッと慈愛に満ちた顔で微笑まれ、俺も釣られて苦笑で返すと外野が「見つめあってるー」とうるさい。
 中でも一人のクラスメートがとんでもなく馬鹿げた質問をした。

「なぁお前らって今付き合ったんだろ、もうキスした?」

 馬鹿かこいつは。興味本意でも滅多なことを聞くんじゃねぇ、おぞましい。

「するわけねぇだろそんなもん。」

 俺は間髪いれずに真顔で答えた。それがいけなかったらしい、さっきまで祝福ムードだった教室が俺らの仲を怪しむ空気に包まれた。

「あれ、涼太の反応おかしくね? 本当に康平の事好きなの?」

 ざわざわと嫌な雰囲気だが、康平は未だに俺の手を握ったままのんきに微笑みかけてくる。

「ちゃんと付き合ってるぜ。なー涼太!」
「う、う……ん。」

 肯定したくねぇけど無理矢理首を縦に振った。だけどこれくらいで奴らが許してくれるはずもない。

「えー、なんか怪しいなぁほんとに好きなのかぁ?」
「証拠にキスしろキスー!」
「おぉ、いいなそれ!」
「キース! キース!」

 誰かが始めたキスコールに、その場にいる全員が合わせて教室がよりいっそう騒がしくなる。

「お前ら悪ノリしてんじゃねぇ! おい、康平からも何とか言ってくれよ!」
「仕方ねぇ……涼太、キスしよう!」
「そうじゃねぇだろボケェェ!」

 康平と向き合い肩を掴まれた俺はこれでもかというほど絶叫した。だってこれがファーストキスになるかもしれねぇんだぞ、初めてが男だなんてそんなの嫌すぎる!

「嫌だ嫌だ、離せよ! ふざけんなてめぇ!」
「大丈夫、怖くねぇよ。全部俺に任せろ!」
「いやぁぁぁぁーっ!!」

 暴れる俺の頭と体を康平ががっちり捕まえて、あれよあれよという間に唇が重なった。
 「おおーっ!」と喝采が沸き起こる中、俺はただただ悲しくて泣きそうになる。俺のファーストキスが今、終わった。

「……?」

 ここで俺は違和感を覚えた。なかなか終わらない。
 康平はついばむようなキスを何度も繰り返し後頭部を優しく撫でてくる。そのなんともいえない気持ちいい感覚に体の力が抜け、固く閉じられた唇が半開きになった。

「ふァッ!?」

 それを待っていたかのように康平は舌を俺の口の中に滑り込ませた。

「ンーっ!」

 なんだこれ! こんなの知らない!
 パニックになる俺を宥めるような康平の腕に優しく体を包まれ、大きな手でゆっくり撫でられる。

「ン……はぁ……っ。」

 次第に落ち着いてくると意識はキスに向く。舌を絡ませ時々吸われて緩急をつけた濃厚なキスに頭が真っ白になる。

「なぁ、なんか涼太エロくね?」
「俺も思った……ヤバイな。」

 周りの声もいつの間にか聞こえない。

「はぁ……ン、ふ……あッ。」

 息が出来ない、口の端の僅かな隙間から呼吸するのが精一杯だというのに、康平はそれごと奪うように激しく唇を合わせていく。酸欠で頭がくらくらする。なのにやめられない。
 嘘だろ……気持ちいい……。
 俺は童貞だからこんなキスは知らない、だけど気持ちいい……いつの間にか俺からもぎこちなく舌を絡ませていた。
 何故だろう、康平の広くてたくましい胸板も太くて固い腕もゴツゴツした手も愛しくてたまらない、ずっとこうしていたい。だけど激しかったキスはしだいに穏やかになっていき、とうとう唇が離れていってしまった。

「あ……」

 途端に口寂しくなって切ない声が漏れる。『やめないで』なんて散々拒絶してきた俺が言えるわけもない。
 だけど康平は気付いたらしい。目を細めて両手で俺の頬を包み「また今度な」と耳打ちされる。見透かされたことが恥ずかしくて目線を下に向けたまま小さく頷いた。

「ん。」
「涼太可愛い。」

 ふわりと抱き寄せられたので素直に身を委ねる、トクトクと康平の鼓動を感じて安心する自分に驚いた。何故だか康平といると妙な安心感がある。
 だとしても、たった一回のキスでここまで心が動かされるものだろうか……。
 わからない、こんな経験は今まで無かったから。ひょっとしたら俺は案外単純な男なのかもしれない。
 さて、これは当然といえば当然の話なのだが、皆の前でキスをしてしまった事で授業中はあらゆる方向から好奇の眼差しを受けて、特に真隣からは桁違いの熱い視線を送られて全く集中できなかった。
 とにかく隣が鬱陶しい、机をぴったりくっつけて至近距離から見つめてくるから横目でも康平の顔が見える。時おり耐えきれなくなって睨み返すと、こちらの苛立ちを削ぐような屈託のない笑みを見せられるのだ。

「……っ。」

 さっきのキスのせいでまともに顔が見られない。咄嗟に目を反らせばクスッと笑われて、余裕を見せつけられてるようで少し悔しかった。
 結局授業の内容は全く頭に入らないまま放課後に。いそいそと帰り支度を済ませた康平が手鏡を見ながら金髪のセットを整えているのをボンヤリ眺めていると、俺の視線に気付いてニカッと笑う。

「涼太、デートしよっか。」
「何を言い出すかと思えば。」

 というかもっと誘いかた考えろよ、堂々としすぎるからまた冷やかされてるだろうが。

「男同士でデートってお前……。」

 ジト目で睨むが、康平はしれっと答えるのだ。

「男同士でも女同士でも男と女でも、大好きな恋人と出掛けるならデートっていうんだよ。バイトも休みだし、いいだろ?」

 当然のようにバイトの休みも把握されているわけで。

「よし決まり! 行くぞー!」
「ちょっ、引っ張るな!」
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