一章

 男子校にはゲイやバイがいると噂では聞いていたけど康平に会うまでは半信半疑だった。だけどあいにく俺はノーマルだ、そんな趣味はない。だからこのストーカー行為には本当にうんざりしているんだ。

「はぁ……。」
「どうした涼太、ため息なんかついて。」

 原因はお前だよ。

「いやな、最近ストーカー被害が凄くてさ……もういい加減精神的に参るよ……。」
「えっ涼太ストーカーされてんの!? 俺全然気付かなかった……。クソッ、どこのどいつだ涼太にストーカーしてんのは! 絶対許さねぇ!」
「オメーだよ馬鹿。」

 あそこまでやっといて自覚ねぇのかよ、末恐ろしいな。キョトン顔やめろ。

「俺が……ストーカー?」
「そうだよ、いい加減気付け。」

 すると康平はなぜか嘲笑気味に笑った。

「あのな涼太、お前が口悪いのは知ってるしそれ含めて好きになったけどさ、さすがの俺でもストーカー呼ばわりされると傷付くよ。」

 いや待て、なんで俺が悪いみたいな流れになってんだよ。どう考えても容疑者はお前だろうが。

「あのさ康平、今日こそハッキリ言わせてもらうけど、もう俺に付きまとうのやめてくんね? ほんっっとうに迷惑だから。」
「涼太……俺を試してるんだな。大丈夫、俺の気持ちはそんな言葉くらいで揺らぐほど軽いものじゃねぇから。」

 キメ顔すんな、間違ってもときめかねぇよ。

「いっそヘリウムガスくらい軽くなっちゃえよ、風船に閉じ込めてあの大空へ解き放ってやるから。」
「涼太にとって俺の愛はそんなにスケールがでかいもんだったんだな! ありがとう涼太、俺達少しずつ想いが通じあってきたな!」

 駄目だこいつ。鈍感とかプラス思考通り越してただの馬鹿だ。
 すっかり呆れた俺は話題を変えることにした。

「あのさ……聞いてもまともな返事が返ってくるとは思えないけど、なんで俺の事好きになったの。」

 ファーストコンタクトはあの無人のトイレだけど、あんな出会いのどこにそんな要素があったんだろう……俺はそこが単純に気になっている。
 すると間髪入れずに康平は答えた。

「顔。」
「真顔で言うな、ぶっ飛ばすテメェ。そういうときは性格とか言うだろ普通。」
「だってあの時は会ったばかりだから性格とかわかんねぇし、今だからわかるけど涼太は口悪いしー。」
「ぐっ……!」

 反論できねぇ。ディスられたけど口悪いのは自覚してるだけに何も言えねぇ……悔しい。それと俺、そこまで顔いいか? 自分じゃよくわかんねぇんだけど。

「じゃあ本当に顔だけ?」
「んー、強いて言うならあの日誰もいない所を一点に見つめて一人で喋ってた姿にビビっときた。つーかビビった。」
「馬鹿にしてんのかテメェは。」
「や、そうじゃなくて、ぶっちゃけ俺自身も理由はわかんねぇの。でも涼太を一目見て『こいつだ!』って思ったんだ。運命感じたって言うかさ。」
「ふぅん。」

 要するに一目惚れか。あの光景を見といて惚れるとかすげぇなこいつの神経。いずれにせよ康平の気持ちには応えられねぇけどな。

「まぁ何でもいいけどさ、そんなに口説かれても俺はなびかねぇよ。見ろよこの拒否っぷり。」

 康平は事あるごとに俺と密着しようとしてくるので、その度に俺は背を向けたり一歩後ずさりしている。
 今ではごく自然な動作でそれができるようになったが、普通に生活してれば全く必要のないスキルなだけに、会得してもあまり嬉しくない。
 しかし康平はこれすらも良いように受け止める。

「涼太は照れ屋さんだからなぁー。」
「はいはい。」

 この鈍感っぷりは絶対わざとだろ。

「あーあ、なんでこんなことになったかな……男に追い回される日が来るなんて思ってもなかったよ。」

 ため息混じりに理想の高校生活に思いを馳せる。

「友達たくさん作って、あわよくば彼女も作ってさ……休み時間とか放課後は皆で楽しく笑いあってるはずだったんだよ。
それなのに、現実では一人の男に追い回されるわ、クラスメートはいらん気を利かせてなかなか話し掛けてこねぇわで……俺の青春は春のうちに終わった……。」
「涼太、それが男子校だ。」

 やめろ、もしその通りなら男子校を受験した自分を呪い殺したくなる。
 こんな調子で康平に絡まれ続けて生活していると、四時間目の授業を受ける頃には死んだ魚のような目をした俺が出来上がる。
 そしてその死んだ魚は今、空腹と戦いながらグラウンドで体育の授業を受けていた。サッカーボールを適当に転がしていると、案の定康平が声を弾ませやって来た。

「涼太ー、一緒にパス練しようぜー!」
「おー。」

 いい加減にうんざりしていたが、あの公開告白以来クラスの連中は俺と康平を二人きりにさせたいのか、変な気を回して話し掛けてこないので、こういうときは康平しか相手がいない。ぼっちになるよりは良いので素直に相手になる。
 だけど康平が相手になってくれるのは俺にとってもメリットがあって、運動がさほど得意でない俺でも康平は嫌な顔をせずに付き合ってくれるのでありがたい。気をつかわなくていいというのは、長年ぼっちで人付き合いが苦手な俺としてはかなり楽なんだ。

「あっ、ごめん!」
「ぶはははっ! 出ました涼太のノーコンキックー!」
「うっせーな!」

 腹を抱えて直球で馬鹿にしてくるけれど、俺が中学時代に受けた罵声とは違って悪意は感じられない。

「涼太ぁ、ちょっと見てたんだけどさ、爪先で蹴るより足の内側を使って蹴った方がやり易いと思うぜ。」
「お、おう、やってみる。」

 悪意どころか康平はどうやれば上手くいくかも教えてくれるし、教え方も嫌みじゃない。

「あっ! 真っ直ぐ転がった!」
「そうそう、そんなかんじ! やるじゃねーか涼太!」

 しかも成功すれば褒めてくれるという。
 そういったところを見ると康平は案外良いやつなのかも……なんて最近は思う。
 確かにストーカー行為には迷惑してるしヤンキーっぽい見た目は怖いけど、康平と過ごすあいだは俺も素のままの自分でいられる。

「で、腰を使って、ここをこう捻って……。」
「こう?」
「そうそう、そんでそのまま――」

 気兼ねなく言い合える関係に憧れていた俺としては康平はまさに理想の友達。生い立ちが正反対な俺とでも意外と話が合うし味の好みも似ている。
 見かけによらず優しくて気が回る一面もあって手先が異常なまでに器用だし、なにより俺が好きだという言葉は間違いなく本気だと伝わってくる。
 この14日で知った康平の内面はハッキリ言って好印象だらけだ。ストーカーじみた愛情表現は度が過ぎているけれど、一途で真っ直ぐと言えなくもないしな。

「はぁ……涼太チョー良い匂い……腰ほっせぇー。」
「嗅ぐな触んな。」

 だが、どさくさ紛れにセクハラしてくるのは、いただけない。

「お前そういうのマジで気持ちわりぃよ、それさえ無かったらまだマトモだったのに勿体ねぇやつ。」
「涼太が自分の魅力に無頓着なだけですぅー。この匂い、この腰つき、たまんねぇ。俺の性欲をモロに刺激する……。」

 とはいえ康平は不思議な奴だ。元引きこもりで家族以外には自分をさらけ出せない内弁慶の俺がここまで素を出せるのは康平だけだから。

「ドストレートに性欲とか言ってんじゃねぇよ変態が! 死ね!」
「ふへへへ男はみーんな変態だ!」

 しかもその康平は俺がさんざん拒否しても遠慮なく暴言を吐いても涼しい顔してやがる。

「でも涼太ぁ、つい口をついて出ちゃったんだろうけどさ、いくら冗談でも『死ね』はよくねぇよ? 俺は涼太の事好きだからそれくらいで嫌いにはならねぇけど、やっぱり聞いてて気持ちいいもんじゃねぇしな。」
「あ……ごめん。」

 たまに俺の言葉遣いがあまりにも酷い場合はそれとなく注意してくれるし、俺も康平から言われると素直に聞き入れられる。

「俺には謝んなくていーよっ、大好きな涼太には人を傷付けてほしくないだけだからさ。」
「康平……ありがとう、身体中撫で回しながらじゃなけりゃあもっと素直に礼が言えたんだけどな。」
「しまった、体が勝手に……! てへぺろ。」
「てへぺろ、じゃねぇよ可愛くねぇんだよ。」

 もしかして康平といる事は俺にとってもプラスになるのでは……なんて思ったり。下手すりゃ俺より常識あるなと感じるときもあるし。

「っーー!!」
「涼太どうした、いきなり首振って。虫か?」

 いやいや無い無い、相手はストーカーだぞ、非常識の極みだ。しっかりしろ俺、ほだされるな俺!

「別に何でも。暑いなーって思ってさ。」

 俺は額の汗を拭った。体を動かしたせいでもあるだろうが、春なのに日差しが強く汗が首筋を伝う。温暖化こえぇー。

「そうだ涼太、もうすぐ昼休みだからアイスおごってやんよ。昨日抹茶アイス食べたがってたろ?」
「確かにそうだけど、俺が食いたいなーってぼやいてたのは昨夜の俺ん家のリビングなんだけど、何でその場にいなかったお前が知ってんだよ。」
「例に漏れず盗聴してましたぁー、ウェーイ。」
「お前が俺に言葉遣いを教えるなら、俺はお前にモラルを叩き込んでやろうか。」

 康平に付きまとわれること14日、こいつは俺の携帯ストラップに盗聴器を仕込んでいるので俺の私生活は筒抜けなのだ。
 だけど結局昼休みは康平と共に食堂へ。俺がチョロいのか康平が策士なのか。

「さぁ、どれでも好きなのを選べ! 今ならサービスで何個でも選び放題だぜ。」

 えらく太っ腹な康平がそう言うもんだから、欲張りな俺は期待の目を向けた。

「…3つくらい選んでいい?」
「勿論、何個でも選ぶがいい!」
「有り難き幸せ、康平様!」

 こういうときだけ虫が良い俺の態度にも康平は嫌な顔一つせず、むしろこっちが恥ずかしくなるくらい愛溢れる笑顔で見つめてくる。康平相手だから遠慮なくアイスを3つ買ってもらって、弁当と一緒にペロリと平らげた俺は終始ご機嫌で昼休みを過ごした。
……しかし、午後の授業中に悲劇はおきる。一度に3つもアイスを食べた俺の腹が悲鳴をあげたのだ。
 顔面蒼白で冷や汗を流しつつ一時間を耐えしのび、授業が終わると同時にトイレへ駆け込んだ。我ながらなんて馬鹿なんだ。

「ふぅ……これからはアイスは1日1個にしよう。」

 なんとか落ち着いたので紙を取ろうと手を伸ばすと、俺はまた顔を白くさせた。

「か、紙がねぇ!」

 急いで入ったから確認する余裕も無かったんだ。とはいえどうする、偶然トイレに来た奴にトイレットペーパーを投げ入れてもらうか?
……いや、それは危険すぎる。男子トイレでは個室イコールう○こだ、場合によっては噂が広まって卒業するまで俺のあだ名はう○こだ。かといってずっとこのままでいるわけにもいかねぇ。
 どうする……どうする!?

「お困りかな?」

 なんの前触れもなく頭上から声が聞こえた。ぎょっとして顔を上げると同時に、俺は外まで聞こえるんじゃないかというくらいの断末魔をあげた。

「ぎゃぁぁぁーっ! 覗くな変態ぃぃぃ!!!」

 なんと個室を分ける壁の上から康平が顔を出していたのだ。恐らく隣の個室のトイレの上に乗っているのだろうが、俺にとってはそんな小さな問題はどうでもいい。

「な、なんでこんなとこに! つーか見るな! ニヤニヤすんな!」
「ぐへへ……良い眺めだぜぇ。ところで涼太くん、これを見ろ。」

 軽いノリでひょいと見せたそれは、今俺がもっとも欲しているトイレットペーパーだった。まさかこいつ、俺のために…!?
 俺は迷わず康平を頼る事にした。

「康平っ! ありがとう、お前は恩人だ! 早くそれをこっちに投げて。」
「いいけど条件がある!」
「条件……?」

 康平の勝利を確信したような顔に嫌な予感がして俺の笑顔が消える。

「条件、それは……トイレットペーパーが欲しけりゃ俺と付き合え!」
「究極の選択ぅぅぅぅ!!!」

 康平はしたり顔で俺を見下ろしている。完全に勝った気だ。
――だけどまだだ。俺はひそかに口の端を上げた。
 こっちにはまだ手札がある、惚れた弱味という名の手札がな。癪だけど、本気で惚れてる相手が涙ながらに懇願すれば気持ちが揺らぐはず。

「頼むよ康平ぇ……それが無いと俺は人間としての尊厳を失わない限りここから出られねぇんだ……。」

 どうだこの涙目上目遣いを!

「なら付き合え!」
「慈悲がねぇぇ!」

 この冷徹人間が!

「康平、てめぇには心がねぇのか! そんなに俺をオモチャにして楽しいか、えぇ!?」
「涼太……そんなに俺と付き合うのは嫌?」
「嫌に決まってんだろヴァーカ!!」

 力の限り罵倒すると、康平はショックを受けたのか眉を下げて弱々しく「そっか……」と呟き頭を引っ込ませたので俺は慌てて呼び戻す。

「待て待て! 紙は置いてって!」
「じゃあ付き合おっか!」

 康平は再びぴょこっと顔を出した。さっきのしおらしい態度は演技だったらしい。

「無理、付き合わない!」
「じゃあ紙もあげない!」

 そんな謎のやり取りを何度か続けているうちにだんだん疲れてきた。なんかもういいんじゃね? っていう気持ちがじわじわ心を侵食していく。
 とりあえずケツ拭きたい。

「わかった……付き合うよ。」

 俺は観念した。

「マジで!?」

 康平の顔がぱぁっと明るくなった。俺はゆっくり頷いて「ただ……」と付け加える。

「俺、まだお前の事好きじゃないけど、それでもいい?」
「いい、全然いい! よっしゃぁぁぁー! 涼太がついに折れたぁぁ!」

 よっぽど嬉しかったのか康平はガッツポーズをし、個室から出て歓声をあげた。雄叫びをあげながらトイレを出て廊下を走り回っているのが音でわかる。

「うぉぉぉおい!! 紙置いてけぇぇぇ!!」

 結果、俺は無事に紙を受け取ってトイレから出ることができた。しかしその代償として俺と康平の不本意な関係はトイレからスタートしたのだった。
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