うちよそ
真さんは、今日も俺が働くカフェに、客として座っている。
いつもの、キッチンが見える席。ときどき視線を合わせられるのが、酷く幸せだ。真さんだって、時々パソコンから視線をあげてこちらを見て、小さく微笑んでくれる。ああ、なんて、なんて幸せで――
ちりん。ドアに着いたベルが鳴った。来客だ。いらっしゃいませ、と声をかけようとした瞬間、そのお客様――ボブカットの女性は、きょろきょろと周囲を見回した。誰かと待ち合わせかな。さて、元気に声掛けを。と思った瞬間、彼女はぱあと笑顔を浮かべて、早足で店内を歩いていく。その先は――
「まこちゃん!」
「なんだ、お前か」
真さんの正面に、その子は座った。俺の接客スマイルにぴし、と一瞬ひびが入る。誰だ。知らない人だ。真さんの知り合いなんだろうけど、どういう関係なんだろうか。そんなことが頭をぐるぐると回るけれど、身に染み付いた接客スキルで、俺はメニューとお冷を持って、笑顔で彼女の元へと向かっていた。
「いらっしゃいませ、こちらメニューです」
「わっ、ありがとうございます!」
可愛い子だ。声まで可愛い。こんな可愛い子がもし、仮に、真さんを好きだったらどうしよう。
「んで、何しに来たんだお前は」
「まこちゃんったらゼミ終わった早々帰っちゃったから、バレンタイン渡し損ねたんだよーう」
ま、まこちゃん。そんな呼び方、結構深い仲でしか許されないのでは!? それに、バレンタインって。
俺だって、バックヤードのロッカーにしまったカバンの中に、真さんに贈るチョコレートを用意してある。けど、仕事が終わってから渡すつもりだったのに……俺が恋人なのに、先を越されるなんて。
「はい、これ――」
と、固まって動けない俺の前で、彼女は鞄の中から大きな袋を取り出して――ん?
「いつものするめです」
「お前相変わらず俺を痛風にしてえのな!?」
するめ。バレンタインに、するめ。固まった体がちょっとほぐれてきて、それから、するめ。と頭の中で反芻して、思わず。
「するめ……ふふっ……ふっ、」
噴き出してしまった。
「空もうっせえよ! するめはもういらん! 俺はそんな寂れた飲んだくれじゃねえ!」
「またまた~、どうせ今夜も恋人のないまこちゃんは一人酒でしょ」
「うるせえよお前マジで! 恋人ならこいつ!!」
ぐい、と腕を真さんから引っ張られて、顔が近付く。うわ、毎日見てるけどやっぱいい顔だ。近くで見るともっといい顔だ。と思うと同時に、俺の顔も爆発したみたいに熱くなる。
「覚えとけあづさ! こいつが俺の恋人の空だよ!」
「は、ハイ……空デス」
そう言えば、他の人に恋人だと紹介されるのはこれが初めてだ。うれしいのとはずかしいのがない交ぜになって、ロボットみたいな喋り方になってしまった。うっすらと女の子の方を見ると、彼女は一瞬驚いたように目をぱちくりとさせて、それから――ぱああ、と表情を明るくさせた。
「まこちゃんの彼氏さん超イケメンじゃん!! 何で言ってくれなかったの!!」
「お前が面食いだから言いたくなかったんだよ!」
「顔は良いほどいいじゃん。ねっねっ空さん? あたし、あづさ! まこちゃんのゼミのただのいち生徒だから、変なこと何もないから安心してね!」
そう言って、彼女――あづささんは、俺に握手を求めて手を差し出してくる。少し困りながらもそれに応えようとすると、真さんの手があづささんの手を払いのけた。
「俺の恋人に触ろうとすんな、この面食い女」
「ちょっとくらいいじゃん、イケメン成分を分けてくれても……」
「嫌だね、もう帰れ」
「い゛~っ! 狡い!」
「狡くないね。あとするめも持って帰れ! いらねえ!」
「はいはい、今日は空さんのチョコがあるもんね! ウフフ」
何の笑みだろう。何の、会話だろう……。
台風がさっとやってきてさっと去るように、あづささんはするめを担いで出ていってしまった。何だったんだ、本当に。真さんはこめかみをおさえて、頭が痛そうに目を閉じている。
「……」
「……」
「……まこちゃん?」
「手の付けられんアホが増えたみたいな気分になるからやめてくれるか?」
「ハイ……ちなみに」
「なんだよ」
「あづささんとのご関係は……」
「ただの生徒だよ。年が近いから、あいつが勝手に俺の事を友達だと思ってるだけ。あとあいつは――」
「あいつは?」
真さんは大きなため息を絞り出したあと、小さく言った。
「腐女子だ」
いつもの、キッチンが見える席。ときどき視線を合わせられるのが、酷く幸せだ。真さんだって、時々パソコンから視線をあげてこちらを見て、小さく微笑んでくれる。ああ、なんて、なんて幸せで――
ちりん。ドアに着いたベルが鳴った。来客だ。いらっしゃいませ、と声をかけようとした瞬間、そのお客様――ボブカットの女性は、きょろきょろと周囲を見回した。誰かと待ち合わせかな。さて、元気に声掛けを。と思った瞬間、彼女はぱあと笑顔を浮かべて、早足で店内を歩いていく。その先は――
「まこちゃん!」
「なんだ、お前か」
真さんの正面に、その子は座った。俺の接客スマイルにぴし、と一瞬ひびが入る。誰だ。知らない人だ。真さんの知り合いなんだろうけど、どういう関係なんだろうか。そんなことが頭をぐるぐると回るけれど、身に染み付いた接客スキルで、俺はメニューとお冷を持って、笑顔で彼女の元へと向かっていた。
「いらっしゃいませ、こちらメニューです」
「わっ、ありがとうございます!」
可愛い子だ。声まで可愛い。こんな可愛い子がもし、仮に、真さんを好きだったらどうしよう。
「んで、何しに来たんだお前は」
「まこちゃんったらゼミ終わった早々帰っちゃったから、バレンタイン渡し損ねたんだよーう」
ま、まこちゃん。そんな呼び方、結構深い仲でしか許されないのでは!? それに、バレンタインって。
俺だって、バックヤードのロッカーにしまったカバンの中に、真さんに贈るチョコレートを用意してある。けど、仕事が終わってから渡すつもりだったのに……俺が恋人なのに、先を越されるなんて。
「はい、これ――」
と、固まって動けない俺の前で、彼女は鞄の中から大きな袋を取り出して――ん?
「いつものするめです」
「お前相変わらず俺を痛風にしてえのな!?」
するめ。バレンタインに、するめ。固まった体がちょっとほぐれてきて、それから、するめ。と頭の中で反芻して、思わず。
「するめ……ふふっ……ふっ、」
噴き出してしまった。
「空もうっせえよ! するめはもういらん! 俺はそんな寂れた飲んだくれじゃねえ!」
「またまた~、どうせ今夜も恋人のないまこちゃんは一人酒でしょ」
「うるせえよお前マジで! 恋人ならこいつ!!」
ぐい、と腕を真さんから引っ張られて、顔が近付く。うわ、毎日見てるけどやっぱいい顔だ。近くで見るともっといい顔だ。と思うと同時に、俺の顔も爆発したみたいに熱くなる。
「覚えとけあづさ! こいつが俺の恋人の空だよ!」
「は、ハイ……空デス」
そう言えば、他の人に恋人だと紹介されるのはこれが初めてだ。うれしいのとはずかしいのがない交ぜになって、ロボットみたいな喋り方になってしまった。うっすらと女の子の方を見ると、彼女は一瞬驚いたように目をぱちくりとさせて、それから――ぱああ、と表情を明るくさせた。
「まこちゃんの彼氏さん超イケメンじゃん!! 何で言ってくれなかったの!!」
「お前が面食いだから言いたくなかったんだよ!」
「顔は良いほどいいじゃん。ねっねっ空さん? あたし、あづさ! まこちゃんのゼミのただのいち生徒だから、変なこと何もないから安心してね!」
そう言って、彼女――あづささんは、俺に握手を求めて手を差し出してくる。少し困りながらもそれに応えようとすると、真さんの手があづささんの手を払いのけた。
「俺の恋人に触ろうとすんな、この面食い女」
「ちょっとくらいいじゃん、イケメン成分を分けてくれても……」
「嫌だね、もう帰れ」
「い゛~っ! 狡い!」
「狡くないね。あとするめも持って帰れ! いらねえ!」
「はいはい、今日は空さんのチョコがあるもんね! ウフフ」
何の笑みだろう。何の、会話だろう……。
台風がさっとやってきてさっと去るように、あづささんはするめを担いで出ていってしまった。何だったんだ、本当に。真さんはこめかみをおさえて、頭が痛そうに目を閉じている。
「……」
「……」
「……まこちゃん?」
「手の付けられんアホが増えたみたいな気分になるからやめてくれるか?」
「ハイ……ちなみに」
「なんだよ」
「あづささんとのご関係は……」
「ただの生徒だよ。年が近いから、あいつが勝手に俺の事を友達だと思ってるだけ。あとあいつは――」
「あいつは?」
真さんは大きなため息を絞り出したあと、小さく言った。
「腐女子だ」