うちよそ

付き合って2ヶ月。明日は空と出かける予定がある。
LINEでの約束のやり取りを見ながら、ふと空のホーム画面をちらりと見て、空の誕生日がまさに明日なことに気がついた。
「うっそだろ……」
勿論、何も準備していない。空の誕生日をたった今知ったのだ。よく物事に頓着がないと言われる俺だが、ここまで頓着がないとは自分でも驚きだった。……正直に言えば兄貴や親の誕生日すら覚えているか曖昧なくらい、俺はそういうことに割く脳のリソースがない。
しかし、しかしだ。流石に恋人の誕生日を知りませんでした、何も準備していません、で明日を乗り越えられるわけもないことだけは重々承知している。空は何も言わなかったからして期待しているわけではないだろうが、それでも年に一度の自分の誕生日に俺に「会いたい」と言ってきているということは、俺と会うこと自体に意味を見出しているのだろう。そうとなれば応えないのは酷く不誠実だと思い、俺は研究室を飛び出した。


***

明日は俺の誕生日。真さんには言っていないけど。付き合ってたったの2ヶ月だし、出会ってから半年も経っていない。半年未満のうち3ヶ月以上は店員とお客様の関係だったし、誕生日なんて言ってもいないし聞いてもいない。まあ、俺は真さんの誕生日をばっちり把握しているわけだけど!
付き合って2ヶ月の俺が誕生日だからといって真さんに何かをねだるのも不躾な気がして、でも誕生日という特別な日に真さんがいないのは寂しくて、誕生日であることを黙って「会いたいです」なんてLINEを送ってしまった。真さんからは「いいぜ」なんて返事が返ってきたから、俺はそれだけで満足。明日は日曜で、真さんは仕事がお休みで、俺もシフトが入っていない。朝から夜までずーっと真さんと一緒にいられる。そんな考えを持っている俺って重いのかなぁ?と思わないこともないが、付き合って初めての誕生日を一緒に過ごしたいと思うこと自体はたぶん……おそらく……自然な感情だと思うので、真さんがいいと言ってくれた限りは甘えてしまいたい。
何を貰いたいとか、考えているわけじゃない。ただ一緒にいられればそれでいいんだよね。はー、明日が楽しみ。長い時間一緒にいられるだけで、俺は十分すぎるほどに幸せなのです。

***

俺の誕生日、朝から真さんと駅前で待ち合わせしている。今日は映画を見に行こうか、それからカフェで感想会をして、なんてプランを立てて。真さんを待っていると、いつもの革靴の足音が聞こえてきた。
「空」
呼ばれる名前。でもいつもの優しい声じゃなくて、慌てたような声だった。待ち合わせの時間を過ぎているわけではないので、遅刻したことを焦っているわけではないと思うが……振り返ると、真さんがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。ーー両手に、紙袋をいっぱい下げて。
「空っ、お前甘いものは好きか!?」
「へっ?好きです」
「そうか、しょっぱいものは好きか!」
「好きです……」
「ならよかった、持ってけ!」
そう言い、真さんは両手に持った紙袋を俺の眼前に突きつけた。何だろう。不思議に思っていると、真さんはああ、と眼鏡をクイと上げる。
「お前誕生日だろ、そういうのは先に言えって。とりあえず今年は消え物にしたけど、今日はお前の日だから、欲しいものがあるならすぐ言ってくれ」
「えっ……はい、誕生日です。何で知ってるんですか」
「そこまで薄情じゃ……いや、昨日まで気付かなかったんだから薄情だな。だが知ったからには今日はお前が財布を出すことはないと思え」
「いやいやそんな!自分の分は自分で出すくらい」
「お前年下、俺年上。年上に甘えられる時期はそんなに長くないぞ」
うそつきな人だ。俺と付き合ってる限り、同じことを言ってずっと甘やかしてくれる気でいるくせに。カフェ店員としてお客様が求めていることに応えるために身についた心理学が妙に役立った。
「とりあえずこれはコインロッカーに入れておくから、帰りに回収してくれ」
「いやです」
「何でだよ」
「真さんから貰ったものを、手放すことなんてできるわけないじゃないですか」
大中小のたくさんの紙袋。中にはきらきらとしたお菓子がたくさん入っている。真さんが俺を思って首を捻らせて買ってくれた、愛しいきらきら。それをコインロッカーに入れるなんて、とんでもない!
「……そうかよ?じゃあ一旦俺ん家に行って車取ってくるか。車に置いとくなら妥協できるか?」
「っ、はい!」
「じゃあ一旦引き返すぞ」
くるりと、真さんは俺に背を向けて歩き出す。慌ててその横に並んでみると、真さんは「ほい」と言いながら、紙袋たちを肘にかけて手を差し出してくれるから、そういうところが好きなんだよなぁ!と思いながら、手を重ねる。真さんはまったく、スマートな人だ。俺の前にもたくさん恋人はいただろうから、そういう経験からこのスマートさが生まれたのだろうと思うと少し複雑な気分だ。でも、今は俺だけのだもんね。と自分に言い聞かせて、朝の街を歩く。真さんの家は駅からそう遠くないから、たった15分くらいのこの時間だけどーーこの15分くらいが、何より嬉しい。
真さんも、そう思ってくれてればいいんだけど。まあ、それはどう考えても高望みだから、一瞬頭を振って、そんな考えは忘れようとした。けど、真さんがそんな俺の顔を横目で見て、小さく笑って、
「手を繋ぐくらいでそんなに喜んでいいのかよ?」
というものだから、この先もっと嬉しくなるような、恥ずかしくなるようなことが真さんの人生設計のなかにあると思い知らされて。俺はぼのぼのみたいに汗を飛ばす以外にできることはなにもなかった。
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