うちよそ
「すき……です」
そう告げられたときに、俺はどんな顔をしていただろうか。
好きだと言われたことは山ほどある。Man Always Remember Love Because Of Romance Only。いくつもの恋の中から、いつか本当の愛が見つかるのだと信じて、恋をしてきた。けれど、ついぞ本当の愛は見つからず。若干恋をするのも億劫になってきた頃の話だった。
「すきです、真さん」
繰り返すのは、目の前にいる男。朽葉空という。最近ムーミンを通じて知り合った友人……少なくとも俺はそう思っていた……うん、そう。その朽葉空が、俺に告白をしてきている。
正直に言って、戸惑っている。男の相手はしたことがない。さて、どうしたものか。
嫌いだから振ろうというわけではない。同性と付き合った経験が無いがために、頭の中でまだ正解が導き出せないのだ。これは、明晰な頭脳を持っているという自負がある俺にとって、かなりの屈辱であった。分からないことがあることが、屈辱。と思えば。発想の転換だ。空を通じて「分かる」ようになればいいのではないだろうか。
Man Always Remember Love Because Of Romance Only。男はいつも本当の愛を見つけるために恋をする。この世の中、本当の愛が同性相手ではないと断言することはできない。
「……」
「真さん?」
俺より少し身長の低い空が、目に涙をためてうるうるさせながら上目遣いでこちらを見つめている。空は、揶揄い半分じゃない。本気だ。では俺が返すべき返答は。
「……負けた。いいぜ、付き合うか」
空が運命の相手でも、そうでなくても、空と付き合うことには得しかなかったのだ。
次の日、いつもの息抜きに空が働くカフェに足を運ぶと、空が恥ずかしそうに出迎えてくれた。目尻が少しだけ腫れている。俺ほどの観察眼が無ければ気付かないだろうが、ほんの少しだけ目尻が赤くなっている。泣いたか徹夜かでもしたのだろう。指摘したところで空が縮こまるだけなので、やめた。いつも通りにカフェラテを頼むと、空は相変わらずぼのぼのみたいに汗を飛ばしてキッチンへ向かっていった。空はカフェのムーミンコラボが終わった後も、俺にだけムーミンの仲間たちのラテアートを供してくれる。今日描かれていたのは、スノークのお嬢さんだった。
「今日も可愛いな」
「ありがとうございます……」
結局空は縮こまってしまった。ラテアートの写真を撮ろうとスマホを出すと、空が固まるのが視界に映る。何故だ。と考えてから、ああ。と納得する。俺はよく思わせぶりな態度をとると言われる。言葉が足りないとも。だから女を寄せつけるし、女に振られるのだと。つまり、俺はラテアートを可愛いと言ったつもりが、空には「お前は可愛い」と聞こえたのだろう。事実空は顔が良いから、可愛いと言われ慣れているだろうし、俺の言葉をそう捉えてもおかしくない。ピシッと固まってしまった空にかけるべき言葉は、これしかない。
「勿論、空は可愛いぞ」
視線を合わせて、一番の笑顔で。そう言うと、空はさらに固まってしまった。可愛いやつだ。
それから何度かカフェに通い、プライベートでも何度か遊び、互いの家を行き来するようになった。もちろん、手は出していない。男に手を出せる度胸もない。夜、一緒に映画を観て、空の家の方が俺の職場に近いから、泊めてもらうだけだ。
さて、恋人とはこんなものだっただろうか。長らく遊び相手しかいなかったから、わからない。そもそも同性の恋人も初めてだから、わからないのは自明の理だ。わからないことがムカつくので、そのうちわかってやろうとは思っているが、それは同意を得られなければ、俺はただの暴行魔になってしまう。同性相手はレイプとはいわないことだけ知っている。……どうでもいいな。
「ねむい」
「じゃあ、おやすみなさい、真さん」
俺が借りた布団に入り込むと、空が電気を消す。真っ暗な中で、俺は眠気に負けて目を閉じた。
追いかけてくる。何かが。
泣いている。誰かが。
後ろから何かが追いかけてくるのに、そのもっと後ろから泣き声が聞こえてくる。
「おにいちゃん」
泣き声が、俺を呼んだ。俺をそんな呼び方するのは、桜弥。桜弥だけだ。桜弥のところに行きたいのに、黒く大きななにかが俺と桜弥の間を阻んでいる。
「おにいちゃん、怖いよぉ」
そう、桜弥はいつもそうやって俺に抱っこをせがんできて。俺は、傷だらけで泣く桜弥をいつも抱き上げてーー。でも、桜弥は、もういない。そうして桜弥と俺の間にある黒く大きな何か……多脚の、赤い目がいくつもついた蜘蛛……それが、『死』だと気付くのだ。
顎から鎖骨に汗が滴り落ちる感覚で目が覚める。まだ、空は寝息を立てている。五月蝿い自分の呼吸で頭がおかしくなる。自分は一体、何を見た。呼吸を抑えるべくひとつ大きく息を吸い込むと、それが喉にひどく引っかかって、俺は。
「ゲホッ!グッ……ゲホッ!!」
喉の奥から熱がせり上がってきて、止まらない。
「ん……まことさん……?」
空が起き出すが、俺はそれを置いてトイレに駆け込んだ。途中、廊下で少し吐瀉物をこぼしたかもしれない。
口の中に溜まった胃液を、便器の中に吐き出す。寝起きだから何も入っていない胃をひっくり返して、全部を吐く。苦しくて仕方ない。えづき続けていると、不意にトイレの電気がついて、背中にあったかい手が触れた。
「お水ですよ、真さん」
「……悪い、うっ……」
「苦しいならいっぱい吐いてください、大丈夫、俺がいますから」
空が持ってきてくれたグラスの中には氷が浮かんでいて、口に含めば冷たい水が胃の中に入ってくる。それをまた吐いた。何度も吐いた。空は何度でも水を持ってきてくれたし、ずっと俺の背中を撫でていてくれた。
ようやく吐くのがおさまって便器に体を預けると、空はそれでも俺の背中を優しく撫でた。
「……すまん、部屋汚したかも……」
「掃除すればいいんですから」
「……すまん……」
「大丈夫。悪い夢でも見ましたか?」
悪い夢なら、見た。死んだ弟分の夢を見た。心から愛していた弟分の泣き声にすら応えてやれない、俺の夢を見た。そう言えば、空は俺に失望するだろうか。大切な弟一人も守れなかった、無力な俺に。それが怖くなると、また胃液が胸につかえてくる。
「大丈夫」
空は優しく触れてくれる。
「俺は死にませんよ。長生きのギネスを更新してやります」
「……空?」
「だから安心して、眠って。俺がいつもそばにいます。手を繋いで、ずっとそばに」
そう言いながら、空は俺の汗まみれのこめかみに唇を寄せた。汚いだろうに、空は俺に、その温かい手で触れるのをやめない。
そうして気付くのだ。Man Always Remember Love Because Of Romance Only。男はいつも真実の愛のために恋をする。空にとって俺がその真実の愛だということに。じゃあ、俺にとって空は何だ?
考察ーーそして、俺にこんな風に触れてくれた相手なんて、きっとこの世に存在しなかったことを思い出して。嗚呼、俺にとっても空は、きっと真実の愛に相応する相手なのだろうと思った。
そう告げられたときに、俺はどんな顔をしていただろうか。
好きだと言われたことは山ほどある。Man Always Remember Love Because Of Romance Only。いくつもの恋の中から、いつか本当の愛が見つかるのだと信じて、恋をしてきた。けれど、ついぞ本当の愛は見つからず。若干恋をするのも億劫になってきた頃の話だった。
「すきです、真さん」
繰り返すのは、目の前にいる男。朽葉空という。最近ムーミンを通じて知り合った友人……少なくとも俺はそう思っていた……うん、そう。その朽葉空が、俺に告白をしてきている。
正直に言って、戸惑っている。男の相手はしたことがない。さて、どうしたものか。
嫌いだから振ろうというわけではない。同性と付き合った経験が無いがために、頭の中でまだ正解が導き出せないのだ。これは、明晰な頭脳を持っているという自負がある俺にとって、かなりの屈辱であった。分からないことがあることが、屈辱。と思えば。発想の転換だ。空を通じて「分かる」ようになればいいのではないだろうか。
Man Always Remember Love Because Of Romance Only。男はいつも本当の愛を見つけるために恋をする。この世の中、本当の愛が同性相手ではないと断言することはできない。
「……」
「真さん?」
俺より少し身長の低い空が、目に涙をためてうるうるさせながら上目遣いでこちらを見つめている。空は、揶揄い半分じゃない。本気だ。では俺が返すべき返答は。
「……負けた。いいぜ、付き合うか」
空が運命の相手でも、そうでなくても、空と付き合うことには得しかなかったのだ。
次の日、いつもの息抜きに空が働くカフェに足を運ぶと、空が恥ずかしそうに出迎えてくれた。目尻が少しだけ腫れている。俺ほどの観察眼が無ければ気付かないだろうが、ほんの少しだけ目尻が赤くなっている。泣いたか徹夜かでもしたのだろう。指摘したところで空が縮こまるだけなので、やめた。いつも通りにカフェラテを頼むと、空は相変わらずぼのぼのみたいに汗を飛ばしてキッチンへ向かっていった。空はカフェのムーミンコラボが終わった後も、俺にだけムーミンの仲間たちのラテアートを供してくれる。今日描かれていたのは、スノークのお嬢さんだった。
「今日も可愛いな」
「ありがとうございます……」
結局空は縮こまってしまった。ラテアートの写真を撮ろうとスマホを出すと、空が固まるのが視界に映る。何故だ。と考えてから、ああ。と納得する。俺はよく思わせぶりな態度をとると言われる。言葉が足りないとも。だから女を寄せつけるし、女に振られるのだと。つまり、俺はラテアートを可愛いと言ったつもりが、空には「お前は可愛い」と聞こえたのだろう。事実空は顔が良いから、可愛いと言われ慣れているだろうし、俺の言葉をそう捉えてもおかしくない。ピシッと固まってしまった空にかけるべき言葉は、これしかない。
「勿論、空は可愛いぞ」
視線を合わせて、一番の笑顔で。そう言うと、空はさらに固まってしまった。可愛いやつだ。
それから何度かカフェに通い、プライベートでも何度か遊び、互いの家を行き来するようになった。もちろん、手は出していない。男に手を出せる度胸もない。夜、一緒に映画を観て、空の家の方が俺の職場に近いから、泊めてもらうだけだ。
さて、恋人とはこんなものだっただろうか。長らく遊び相手しかいなかったから、わからない。そもそも同性の恋人も初めてだから、わからないのは自明の理だ。わからないことがムカつくので、そのうちわかってやろうとは思っているが、それは同意を得られなければ、俺はただの暴行魔になってしまう。同性相手はレイプとはいわないことだけ知っている。……どうでもいいな。
「ねむい」
「じゃあ、おやすみなさい、真さん」
俺が借りた布団に入り込むと、空が電気を消す。真っ暗な中で、俺は眠気に負けて目を閉じた。
追いかけてくる。何かが。
泣いている。誰かが。
後ろから何かが追いかけてくるのに、そのもっと後ろから泣き声が聞こえてくる。
「おにいちゃん」
泣き声が、俺を呼んだ。俺をそんな呼び方するのは、桜弥。桜弥だけだ。桜弥のところに行きたいのに、黒く大きななにかが俺と桜弥の間を阻んでいる。
「おにいちゃん、怖いよぉ」
そう、桜弥はいつもそうやって俺に抱っこをせがんできて。俺は、傷だらけで泣く桜弥をいつも抱き上げてーー。でも、桜弥は、もういない。そうして桜弥と俺の間にある黒く大きな何か……多脚の、赤い目がいくつもついた蜘蛛……それが、『死』だと気付くのだ。
顎から鎖骨に汗が滴り落ちる感覚で目が覚める。まだ、空は寝息を立てている。五月蝿い自分の呼吸で頭がおかしくなる。自分は一体、何を見た。呼吸を抑えるべくひとつ大きく息を吸い込むと、それが喉にひどく引っかかって、俺は。
「ゲホッ!グッ……ゲホッ!!」
喉の奥から熱がせり上がってきて、止まらない。
「ん……まことさん……?」
空が起き出すが、俺はそれを置いてトイレに駆け込んだ。途中、廊下で少し吐瀉物をこぼしたかもしれない。
口の中に溜まった胃液を、便器の中に吐き出す。寝起きだから何も入っていない胃をひっくり返して、全部を吐く。苦しくて仕方ない。えづき続けていると、不意にトイレの電気がついて、背中にあったかい手が触れた。
「お水ですよ、真さん」
「……悪い、うっ……」
「苦しいならいっぱい吐いてください、大丈夫、俺がいますから」
空が持ってきてくれたグラスの中には氷が浮かんでいて、口に含めば冷たい水が胃の中に入ってくる。それをまた吐いた。何度も吐いた。空は何度でも水を持ってきてくれたし、ずっと俺の背中を撫でていてくれた。
ようやく吐くのがおさまって便器に体を預けると、空はそれでも俺の背中を優しく撫でた。
「……すまん、部屋汚したかも……」
「掃除すればいいんですから」
「……すまん……」
「大丈夫。悪い夢でも見ましたか?」
悪い夢なら、見た。死んだ弟分の夢を見た。心から愛していた弟分の泣き声にすら応えてやれない、俺の夢を見た。そう言えば、空は俺に失望するだろうか。大切な弟一人も守れなかった、無力な俺に。それが怖くなると、また胃液が胸につかえてくる。
「大丈夫」
空は優しく触れてくれる。
「俺は死にませんよ。長生きのギネスを更新してやります」
「……空?」
「だから安心して、眠って。俺がいつもそばにいます。手を繋いで、ずっとそばに」
そう言いながら、空は俺の汗まみれのこめかみに唇を寄せた。汚いだろうに、空は俺に、その温かい手で触れるのをやめない。
そうして気付くのだ。Man Always Remember Love Because Of Romance Only。男はいつも真実の愛のために恋をする。空にとって俺がその真実の愛だということに。じゃあ、俺にとって空は何だ?
考察ーーそして、俺にこんな風に触れてくれた相手なんて、きっとこの世に存在しなかったことを思い出して。嗚呼、俺にとっても空は、きっと真実の愛に相応する相手なのだろうと思った。