セキショウ
私とセキさんは、二人で焚火を囲んでいる。一緒に珍しいポケモンを見つけに行こうって言ったのは私、そしてそれを快諾したのがセキさん。けれど、珍しいポケモンを調査しているうちに二人してすっかり夢中になって、気が付いたらベースからずいぶんと離れたところまで来てしまった。そして、日は西の空から消えて、薄ら灯りを残すだけになってしまったのだ。ここからベースに戻るまでの間に、真夜中になってしまうだろう。
「夜は視界も悪い。今日はすまねぇが野営して行こうや」
セキさんの提案にうんと首を振って、まだ薄ら灯りがあるうちに枝を集めて、バクフーンに集めた枝に火をつけてもらって。それからあたしたちは脱いだ上着を地面に敷いて座っている。
空はまだ薄らと雲をピンクに染めていた。けれど、それも数分すれば消えてしまうだろう。
「野営慣れしてるんだな」
「まあ、こんな仕事してますから」
「そりゃそうか」
セキさんは脱いだ上着の上に寝転がって、暮れなずむ空を見上げている。そうしてセキさんがふと腕を上げた。
「ショウ、一番星だ」
夕焼けを指さしたセキさんの指の先を見ると、山麓の際にひときわ明るい宵の明星が夕焼けに負けずに輝いている。
「金星ですね」
「きんせい……?何だそりゃ」
「私のいたところでは、あの星を金星って呼んでたんです。ヴィーナスとかイシュタルとも……」
「難しい話なのか」
「うーん……ええと、美と、豊穣と、戦いの女神の名前です」
眉根を寄せるセキさんに、簡単に話す。金星にはまつわる神話が多すぎて、話し始めたらそれこそ夜明けになってしまう。
「でも、一番星って早く沈んでしまうから。やっぱり昔の人からしたら不思議で大切な存在だったみたいです」
「あんたから見たら、オレだって昔の人なんじゃねぇのか?」
「……違う地方の話です」
「ふーん。オレはよく知らねぇが、その、他の地方ってのにはまた違う神がいるんだな。その……いしゅたる?」
言い慣れない言葉を紡ごうとするセキさんは、何だかかわいらしい。年上の男を可愛いというのもなんだけれど、セキさんは誰より物分かりが良くて大人っぽいところもあれば、こうしてすこし可愛らしいところもある。
「そいつもポケモンなのか」
「イシュタルは人間の形をしてますよ」
「人のかたち……サーナイトみたいなもんか」
「あは、サーナイトはとってもきれいですからね。そうかも」
そんなことを言って笑っている間に、金星すら姿を隠してしまった。残るは闇。そして私たちの息遣いと、焚火のはぜる音。私も今日はなんだか疲れてしまった。セキさんと焚火を挟んで横になると、何だかすぐに眠ってしまいそうになる。けれど、野営では一瞬の油断が命取りになりかねない。起きて、起きていなければ。
「寝ていいぜ」
オレが起きてるからよ、とセキさんが優しい言葉をかけてくれる。けれど、私だってもう子供じゃない。子供では、いられない。首を横に振る。
「意固地だなぁ、あんたも」
そうもなる。どこから、どんな危険なポケモンが襲い掛かってくるかわからないのだから。今日はあちこちを駆け回って、手持ちのポケモンたちも疲れている。いざというときは自衛するしかない。焚火があるとは言えど、安心しきって眠るなんて考えられない。
「……命がかかってますので」
「命ねぇ。そりゃそうだ。ここはいつだって……危険と隣り合わせだからなぁ」
セキさんの声は、何処か悲しそうだった。
「なあ、ショウ。あんたがいた世界の話を聞かせてくれ。喋ってりゃ寝なくて済むだろ?」
セキさんらしい、優しい提案だった。意固地になる私を否定せず、かと言って無理もさせない優しさがある。そう言われては、私はそうすることを選ばないわけがない。
「……そうですね。じゃあイシュタルの話……」
眠気の残る頭の中で、さっきまでの話題と関連性があって、かつ一番難しい話題を選んだ。頭を使えば、眠気だって飛ぶだろう。
「おう。そのいしゅたるとやらの話を聞かせてくれ」
意外とセキさんは乗り気だ。このひとは勤勉だし、先の事件のせいか、他の神についても前ほど否定的ではない――というより、他の誰よりも、他の神に対することを学ぼうとしているように見える。それはシンジュ団とコンゴウ団の間に深く入っていた亀裂を生めるように。それなら、ああ。パルキアの話をした方が、よかったかも。けれど私のいた時代では、もうパルキアとディアルガは混同されてしまっていて、私はパルキアの伝説というものを良く知らないのだ。
「……イシュタルは、美と、豊穣と、戦いの女神で。天の女主人って言われてるんです」
「ほう、女主人と来たか」
「はい。聖なる獣を引き連れて、空を駆けるんだって……きまぐれに駆けて行ってしまうから、空からすっと消えてしまう。実は金星は季節によっては朝にも見えるから、夜明けを告げる星って呼ばれることもあって。それが気まぐれ要素ですかね。」
「なるほどね、確かに冬当たりには朝にやけに明るい星があるが、あれがそうか」
セキさんのほうに視線を向けると、顎に手を当ててうんうんと頷いている。なるほど、やはり勤勉な人だ。
「で、他には?」
「えーと……そう、大食いなんです。神殿には毎日いっぱい食べ物が捧げられるんですけど、お酒10杯、パン30個と、それから……とにかくイシュタルの取り分は多かったって」
「そりゃ人間臭い神様だなぁ」
「うん……それで調子に乗ることも多くて……イシュタルの失敗話もいっぱい……」
難しい話を必死で思い出してはみたものの、これ以上私がイシュタルについて知っていることはない。難しい話を頑張ってひねり出したせいか、余計に疲れて眠くなってしまった。イシュタルの話なんかしなければよかったと思うが、後の祭り。どんどん瞼が落ちていく。最後に見えたのは、焚火の向こうで微笑むセキさんの顔だった。
「……イシュタルねぇ」
聖なる獣を駆り、気まぐれで、天の女主人として空を走る。そして大食いで、ちょっと失敗もする。聞く限り、だいぶ人間らしい神だ。きっとショウのいた世界では、そのような神こそが、人の心を惹きつけるのだろう。それは、こんな危険のない世界がゆえに。
グルル、と背後から獣の声が聞こえた。そちらを一睨みすると、その声も足音も遠くへと消えていったが。
この場所は、人が生きていくには危険すぎる。神には完璧であってもらわなければならない。そうでなければ、信仰できない。失敗談のある神を信仰などしていられないほど、この世界ではふとした拍子に命を落とす。
――ショウは、イシュタルのことが好きなのだろうか?これだけの話を知っている彼女だ、きっとイシュタルについて勉強したのだろう。けれどな。
聖なる獣を駆り、気まぐれで、ちょっと大食いで、あちらこちらを駆け巡る――
それって、なんだかあんたみたいじゃないか?だって、あんたは……まさに、オレにとっての一番星。いつ消えてしまうかもわからない、いくら欲しくてもこの手に掴めないもの。
そうか、もしそうなのだとしたら。あんたが空から落ちてきたのが、そういうことなら。
ああ、無いことを考えるのは性に合わねぇが。もし、あんたが気まぐれでこの世界に落ちてきたイシュタルだったとしたら。そんな想像をしてしまうのだ。だって、ショウはこんなにも。
「綺麗なヤツ。」
そう呟いたら、ショウは寝返りでこちらに背中を向けてしまった。こうしてどうしても手に入らないくせに、オレの心を惹きつけるのだから。
「夜は視界も悪い。今日はすまねぇが野営して行こうや」
セキさんの提案にうんと首を振って、まだ薄ら灯りがあるうちに枝を集めて、バクフーンに集めた枝に火をつけてもらって。それからあたしたちは脱いだ上着を地面に敷いて座っている。
空はまだ薄らと雲をピンクに染めていた。けれど、それも数分すれば消えてしまうだろう。
「野営慣れしてるんだな」
「まあ、こんな仕事してますから」
「そりゃそうか」
セキさんは脱いだ上着の上に寝転がって、暮れなずむ空を見上げている。そうしてセキさんがふと腕を上げた。
「ショウ、一番星だ」
夕焼けを指さしたセキさんの指の先を見ると、山麓の際にひときわ明るい宵の明星が夕焼けに負けずに輝いている。
「金星ですね」
「きんせい……?何だそりゃ」
「私のいたところでは、あの星を金星って呼んでたんです。ヴィーナスとかイシュタルとも……」
「難しい話なのか」
「うーん……ええと、美と、豊穣と、戦いの女神の名前です」
眉根を寄せるセキさんに、簡単に話す。金星にはまつわる神話が多すぎて、話し始めたらそれこそ夜明けになってしまう。
「でも、一番星って早く沈んでしまうから。やっぱり昔の人からしたら不思議で大切な存在だったみたいです」
「あんたから見たら、オレだって昔の人なんじゃねぇのか?」
「……違う地方の話です」
「ふーん。オレはよく知らねぇが、その、他の地方ってのにはまた違う神がいるんだな。その……いしゅたる?」
言い慣れない言葉を紡ごうとするセキさんは、何だかかわいらしい。年上の男を可愛いというのもなんだけれど、セキさんは誰より物分かりが良くて大人っぽいところもあれば、こうしてすこし可愛らしいところもある。
「そいつもポケモンなのか」
「イシュタルは人間の形をしてますよ」
「人のかたち……サーナイトみたいなもんか」
「あは、サーナイトはとってもきれいですからね。そうかも」
そんなことを言って笑っている間に、金星すら姿を隠してしまった。残るは闇。そして私たちの息遣いと、焚火のはぜる音。私も今日はなんだか疲れてしまった。セキさんと焚火を挟んで横になると、何だかすぐに眠ってしまいそうになる。けれど、野営では一瞬の油断が命取りになりかねない。起きて、起きていなければ。
「寝ていいぜ」
オレが起きてるからよ、とセキさんが優しい言葉をかけてくれる。けれど、私だってもう子供じゃない。子供では、いられない。首を横に振る。
「意固地だなぁ、あんたも」
そうもなる。どこから、どんな危険なポケモンが襲い掛かってくるかわからないのだから。今日はあちこちを駆け回って、手持ちのポケモンたちも疲れている。いざというときは自衛するしかない。焚火があるとは言えど、安心しきって眠るなんて考えられない。
「……命がかかってますので」
「命ねぇ。そりゃそうだ。ここはいつだって……危険と隣り合わせだからなぁ」
セキさんの声は、何処か悲しそうだった。
「なあ、ショウ。あんたがいた世界の話を聞かせてくれ。喋ってりゃ寝なくて済むだろ?」
セキさんらしい、優しい提案だった。意固地になる私を否定せず、かと言って無理もさせない優しさがある。そう言われては、私はそうすることを選ばないわけがない。
「……そうですね。じゃあイシュタルの話……」
眠気の残る頭の中で、さっきまでの話題と関連性があって、かつ一番難しい話題を選んだ。頭を使えば、眠気だって飛ぶだろう。
「おう。そのいしゅたるとやらの話を聞かせてくれ」
意外とセキさんは乗り気だ。このひとは勤勉だし、先の事件のせいか、他の神についても前ほど否定的ではない――というより、他の誰よりも、他の神に対することを学ぼうとしているように見える。それはシンジュ団とコンゴウ団の間に深く入っていた亀裂を生めるように。それなら、ああ。パルキアの話をした方が、よかったかも。けれど私のいた時代では、もうパルキアとディアルガは混同されてしまっていて、私はパルキアの伝説というものを良く知らないのだ。
「……イシュタルは、美と、豊穣と、戦いの女神で。天の女主人って言われてるんです」
「ほう、女主人と来たか」
「はい。聖なる獣を引き連れて、空を駆けるんだって……きまぐれに駆けて行ってしまうから、空からすっと消えてしまう。実は金星は季節によっては朝にも見えるから、夜明けを告げる星って呼ばれることもあって。それが気まぐれ要素ですかね。」
「なるほどね、確かに冬当たりには朝にやけに明るい星があるが、あれがそうか」
セキさんのほうに視線を向けると、顎に手を当ててうんうんと頷いている。なるほど、やはり勤勉な人だ。
「で、他には?」
「えーと……そう、大食いなんです。神殿には毎日いっぱい食べ物が捧げられるんですけど、お酒10杯、パン30個と、それから……とにかくイシュタルの取り分は多かったって」
「そりゃ人間臭い神様だなぁ」
「うん……それで調子に乗ることも多くて……イシュタルの失敗話もいっぱい……」
難しい話を必死で思い出してはみたものの、これ以上私がイシュタルについて知っていることはない。難しい話を頑張ってひねり出したせいか、余計に疲れて眠くなってしまった。イシュタルの話なんかしなければよかったと思うが、後の祭り。どんどん瞼が落ちていく。最後に見えたのは、焚火の向こうで微笑むセキさんの顔だった。
「……イシュタルねぇ」
聖なる獣を駆り、気まぐれで、天の女主人として空を走る。そして大食いで、ちょっと失敗もする。聞く限り、だいぶ人間らしい神だ。きっとショウのいた世界では、そのような神こそが、人の心を惹きつけるのだろう。それは、こんな危険のない世界がゆえに。
グルル、と背後から獣の声が聞こえた。そちらを一睨みすると、その声も足音も遠くへと消えていったが。
この場所は、人が生きていくには危険すぎる。神には完璧であってもらわなければならない。そうでなければ、信仰できない。失敗談のある神を信仰などしていられないほど、この世界ではふとした拍子に命を落とす。
――ショウは、イシュタルのことが好きなのだろうか?これだけの話を知っている彼女だ、きっとイシュタルについて勉強したのだろう。けれどな。
聖なる獣を駆り、気まぐれで、ちょっと大食いで、あちらこちらを駆け巡る――
それって、なんだかあんたみたいじゃないか?だって、あんたは……まさに、オレにとっての一番星。いつ消えてしまうかもわからない、いくら欲しくてもこの手に掴めないもの。
そうか、もしそうなのだとしたら。あんたが空から落ちてきたのが、そういうことなら。
ああ、無いことを考えるのは性に合わねぇが。もし、あんたが気まぐれでこの世界に落ちてきたイシュタルだったとしたら。そんな想像をしてしまうのだ。だって、ショウはこんなにも。
「綺麗なヤツ。」
そう呟いたら、ショウは寝返りでこちらに背中を向けてしまった。こうしてどうしても手に入らないくせに、オレの心を惹きつけるのだから。
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