ピニャアオ

「ピーニャってさぁ、アオイと喧嘩したりしないの」
不意にオルティガからそう言われて、ボクははぁ?と情けない声を出してしまった。
「したこと、ないけど?」
「それってさぁ、アオイが適当にピーニャに合わせてるだけとかじゃなくて?逆もしかりだけど」
「ボクは別にアオイくんに不満を持ったことないけど……」
ない、けれど。指摘されると不安になる。アオイくんに不満を抱いたことはない。付き合い始めてから半年になる。今のところ喧嘩をしたことも無ければ、互いに不満を口にしたこともない。会える日は幸せすぎて舞い上がるくらいだ。アオイくんも同じく、ボクに会うといつもバラ色に頬を染めて微笑むため、アオイくんが自分に不満を持っているかもしれない、ということを考えたことがなかった。
それは、エゴだったのだろうか。自分の幸せは、アオイくんと完璧に共有されたものではないのかもしれない。
「ま、アオイはいつもあの調子だし、あんま気にしなくていいよ」
オルティガはそれだけ言って、自分の作業に戻ってしまった。気にしなくていいとは言われたものの、一度生まれた不安は簡単に溶けてなくなってはくれない。アオイくんは、実はボクに不満があったりする?確かにお互い恥ずかしいからってスキンシップは控えめだし、毎月の記念日だなんてやっていない。それは年一くらいでやるのがちょうどいいと思っていたから。それに、ボクはちょっと重かったりするだろうか。思えば思うほど、アオイが不満を抱いても仕方ない自分の面が見えてきて、ボクは深くため息を吐いた。
嫌われたくない。嫌われたら生きていけない。それくらいにアオイくんに溺れている。そう思えばこそ、アオイくんにきちんと自分に不満が無いか聞くべきだ。だろうけれど。
「……怖い」
口から出てきたのは、そんな小さな呟きだった。
いざ「ボクに不満がある?」と聞いて、ある、と答えられたらどうすればいいのだろう。悪癖を直す努力はする。けれど、いくら頑張っても直せないようなところに原因があったら?……どうしようもない。けれど、アオイくんがボクへの不満を胸に抱えたまま、いつかの未来で突然に爆発させてしまえば、それこそ一巻の終わりだ。
将来はまだ約束していないものの、こんなに好きになれる人なんていない。学校を卒業して定職を得ることができたら、将来を約束したいとも思っている。けれど、それの夢が自分の悪癖のせいで崩れ去ってしまったら?――それが、怖くて仕方ないのだ。

「どうしたの、ピーニャ先輩」
そんな考えを見透かすように、アオイくんがボクの顔を覗き込んだ。今日はデートの日だ。ボクたちはアイスを片手に、テラス席に座っている。
「なんでも……ないよ」
言えるわけがない。怖いから。会えるだけで、こうやって一緒に話ができるだけで幸せなのは自分だけなんじゃないかと錯覚しそうになる。この恋は一人芝居なのかもしれないと思うと、恐ろしくて仕方ない。
昨日オルティガから言われた言葉が、岩のように重く胸にのしかかって、アオイくんの話に上の空だった。こういうところが、嫌われても仕方ないところなのだ。手に持ったアイスがゆっくりと溶けていく。
「ピーニャ先輩、溶けちゃうよ」
「ああ、うん。そうだね」
アイスを口に運んでも、味がしない。粘度の高い水を舐めているような心地だ。
ここで聞くべき、なのだろうか。なんでもない話みたいに、ボクに不満とかない?と聞いてみればいいだけのことだ。そうしたらアオイくんだって何でもないように、いつもの笑顔で「そんなのないですよ」と言ってくれるに決まっている。でも、聴きたいのはそんな上っ面の何でもない言葉じゃなくて、アオイくんの本心だ。それが、怖いのだけれど。
勇気を出して言わなければ、今、言わなければ。永遠にアオイくんの爆発に怯えながら過ごすことになる。そのほうがずっと耐えられない。
「あ、アオイくん」
「どうしたの、先輩」
「ボクに……ボクに不満とかある?」
そう言うと、アオイくんは大きな目をぱちくりとさせてボクをじっと見た。アオイくんの手にあるアイスも、汗をかき始めた。同じくらいボクも背中に汗をかきそうだ。暑いさなかだからアイスを買ったのに、暑さのせいでない汗が全身から吹き出しそうになっている。答えてくれ、早く。そう思っているのに、アオイくんはふんふんと考えこんでいる。やはり、何か不満があるのだろうか――と、思っていると。
「ないですね。ピーニャ先輩はかっこいいし、すごく優しいし、音楽に才能があるから尊敬できるし、いつも努力してるのわかるから……嫌いなとこなんて一個もないですよ」
「ほ、ほんとに……?」
安堵で全身から力が抜けていく。二段に積んだアイスの上部分が少しずれた。よかった、アオイくんは本心から言ってくれていることくらい、わかる。
「逆にピーニャ先輩はわたしに不満とかないんですか?」
「ないよ!アオイくんはいつもまっすぐで、努力家で、人の心を理解するのがうまいし、そういうところが好きだから……だから、他の誰かもキミのことが好きなんじゃないかって、時々不安になるけど」
「他の誰がわたしのこと好きでも、わたしはピーニャ先輩しか好きじゃないですよ」
そう言ってアオイくんはからからと笑った。その声だって歌うような優しさに聞こえるから、やっぱりボクはアオイくんのことが、全部、全部、大好きなんだ。
「だからこのまま、二人で幸せなままでいましょうよ」
アオイくんが、アイスを持っていないほうの手をボクに差し出す。それがあまりに眩しくて、卑屈なボクには時々直視できない時もあるけれど、そんなところだって好きなのだ。アオイくんの手に自分の手を重ねると、春の日差しみたいに温かい指の温度だった。恋をしているのはボクだけじゃない。アオイくんの指先からも、高鳴る鼓動を感じるから。
ああ、このままキミという暖かな温もりの中にいたい。キミという名前の太陽が欲しい。いつまでもボクを照らしていてほしい。あたたかなままで、二人。有限の時間に、あったかい光だけを詰め込んで生きていたい。
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