ネズユウ

ネズさんは、優しい人だ。
 何かしらのトラブルが起きれば、「嫌だ」と言いながらも駆けつけてくれるし、ナックルシティで会議がある前日は、前乗りとしてナックルシティにほど近いネズさんの家に泊まらせてくれるし、あたしの仕事が詰まって帰りが遅くなった日には「夜道は危ない」と送り迎えをしてくれるし、休日が合えば、いつだってあたしが行きたいカフェや映画に付き合ってくれる。
「ゲェッ」とか言いながら、あのひとはとっても優しいの。
 だから今日もナックルシティで行われるジムリーダー合同会議のために、あたしとマリィはネズさんが運転する車の後部座席に座っている。
「今年はメジャーリーグのジムリーダーに変動はあるん?」
 そう聞いてくるマリィは、よもや自分がマイナー落ちするだなんて露とも考えていない口調だ。実際マリィは強く、エンターテイメントに富んだバトルをする故、ダンデさんとあたし二人の会合でも、マリィをマイナー落ちさせるだなんて話は一回もしたことがない。
「今回は……」
「はいチャンピオン、まだ会議は始まってねぇし、おれという部外者がいるところで機密を漏らすのは感心しねぇですね。マリィも、そういうことは会議が始まってから聞くこと」
 バックミラーに、呆れを孕んだネズさんのアイスブルーの瞳が映っていた。
「すみません」
「はぁい」
「あと十分くらいで着きますから、それまで仕事に関わるお喋りは我慢しなさい」
 怒られてしまった。ネズさん自身元ジムリーダーということもあって、そういうところには意外と厳しい。仕方ないから、マリィがカバンに入れてきたファッション雑誌を二人でめくることにした。女の子にとってファッションの流行は重要だ。特にマリィは、モデルのルリナさんに次いで、ガラルのファッションリーダー的存在となっている。
 そうこうしているうちにネズさんが運転する車はナックルジムの駐車場に綺麗に駐車されていて、マリィとあたしはネズさんの「終わったら連絡をよこしなさい」という声を背中に会議室へと向かうのだった。

 会議はいつも通りつつがなく進行した。
 顔ぶれは変わらず、メジャーリーグとマイナーリーグのジムリーダーたちが大きな会議室に揃っている。クララちゃんはあたしの顔を見るとちょっと嫌そうにしたけど、クララちゃんに素気無くされるのは昨日今日じゃない。
 ダンデさんから今年のメジャーリーグに入るジムが読み上げられるけれど、やっぱり今年も去年と変わらない顔ぶれで、クララちゃんは肩を落としていた。がんばれ、クララちゃん!
 それから今年のジムチャレンジの日程や、予算だとか、そんな話が日が傾くまで行われて、やっとダンデさんから「みんな、お疲れ様!」と会議の終わりを告げる言葉が出た頃には、みんな疲れ切っていた。
「ユウリ、アニキに連絡したから帰ろ」
「うん!」
 荷物置き場からカバンを取ろうとすると、「ユウリくん」と背中から声をかけられた。
「ダンデさん……どうしたんですか?」
「きみとはまだ話があるんだ。バトルタワーの運営についてなんだが……」
 ああ、この話は長くなる。
「……わかりました。マリィ、あたしは一人で帰れるから先に帰ってて」
「う、うん……お疲れ様」
 マリィの背中を見送って、あたしとダンデさんはダンデさんの書斎に移動する。会議室の無駄遣いは、費用面でご法度である。
 それからダンデさんとバトルタワーの運営や広報などについて議論を重ね、話が終わったと思えば、「そういえば昨日、ユウリくんの書斎に書類が届いていた!」などと今更言われたもので、自分の書斎で書類整理をするハメにもなり、気が付けば日はとっぷりと暮れて、お腹が泣き出しそうな時間になっていた。
「おなか……すいた……」
 ハロンタウンの自宅に帰るまでの間に餓死してしまいそうだ。仕方ない、何か食べてから帰ろう……とぼとぼと歩いていると、突然背後から「ユウリ!」とあたしを呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、そこにいたのは息を切らしたネズさんだった。
「やっと、見つけた」
「まさかあたしを探して走り回ってたとか言いませんよね?」
「そのまさかだっつったら、どうするんですか」
 優しいにもほどがあるだろう。確かにナックルシティには車が通れない道も多いけれど、だからと言って走ってあたしを探すなんて。
「そんなことしなくてよかったんですよ……?」
「何言ってるんですか。ダンデが来ててきみがいないなんて、おかしいと思うに決まっているでしょう」
「……何の話ですか?」
 話が読めない。一体ネズさんは、なぜあたしを探していたのだろう。一息ついていつもの猫背に戻ったネズさんは、あたしの疑問丸出しの顔を見て、またちょっと呆れたみたいな目つきになった。
「会議が解散した後、キバナが飲み屋を予約したとか言いやがりましてね。ジムリーダー全員そこで呑んでたんですよ」
「え、ええ?」
「それで、さっきダンデも合流してきたのに、きみだけなかなか来ないんで探しに来たんです」
「あたし、ハブですか」
「誰もが、誰かが連絡してると思ったんでしょうね」
 恐ろしい集団心理である!そんなことで美味しいご飯を逃したんじゃ、笑い話にもなりやしない。おなかは早く何かを食べてくれとしくしく泣いている。
「お腹すきましたネズさん……連れてってください……」
「まったく、しょうがないチャンピオンだね……」
 そう言ってもあたしの手を優しく握ってくれるので、ネズさんはやっぱりとっても優しいのだ。
 夜のナックルシティを歩くあたしたちは、ちょっと異様な組み合わせに見えるかもしれないけど。でもあたし、それでも手を離さないでいてくれるネズさんのことが好きなの。ねえ、だってあなた、手をつないでる時、あたしのほうを見ないでしょ。でもね、街灯に照らされるあなたの耳がちょっと赤いのを知ってるから、やっぱりあたしはネズさんのことが好き。だから、あなたが振り返らなくてよかったって思うの。きっとあたしもほっぺたが赤くなっちゃってるだろうから。繋いだ指先はね、意外なんだけど、すごくあったかいの。
 そんな時間を切り裂くように、ネズさんのスマホロトムが着信を告げて飛び回った。
「な、何だってんですか……ユウリ、すみませんね」
 あたたかい指は離されて、ネズさんはあたしからちょっと離れて電話に出てしまった。盗み聞きする趣味もないので、あたしは近くの街灯に寄り掛かってネズさんを待つ。
 それからすこしして、「はぁ!?」というネズさんの素っ頓狂な声で、あたしは振り返った。
「ネズさん、どうしたんですか?」
「いや、あの……なんでもないです、行きましょう」
 焦ったようにネズさんはスマホロトムを上着のポケットにしまって、またあたしに手を差し出した。それがうれしくてあたしもまたネズさんの手に縋りついてしまうから、やっぱりお互い惚れた弱みだ。
 さて、お腹の空きもそろそろ限界だ。早くお店に着いてほしい。――けれど、ネズさんの足は不思議なことに歓楽街をスルーしてしまった。
「ネズさん、どこに行くんですか」
「……あの、ええと」
 ネズさんにしては珍しく、言葉が歯切れ悪い。けれど、あたしの手を強く握って歩いていくネズさんの耳は、やっぱりちょっと赤いから。
「ユウリ、きみが嫌じゃなければ、なんですが」
「はい」
「このまま、おれに連れ去られてくれませんか」
 ネズさんはあたしの顔も見ないまま、ぽつりとそう言った。声は小さすぎて、街の喧騒に消えそうだったけれど、ネズさんの声は聞き洩らさないよ。
 それに、ねえネズさん、あなたは自覚してる?あたしの手を握る力が、強くなってるの。
「ネズさん、こっち見て」
「い、いやです」
「ネズさん」
 あたしから顔を背け続けるネズさんだけど、やっぱり髪の間から見える耳や頬は赤く染まってるから、やっぱり可愛いの。大人の男性相手に何を言ってるんだって感じだけど、ねえ、かわいいんだからしょうがないの。
「好きって言って」
 そう言ってくれたら、あたし、どこまでもついていっちゃう。お腹が空いたとか、もうどうでもいいから。ネズさんが連れて行ってくれるところになら、どこにでも行けちゃうの。
「言ってください」
 ネズさんは空いているもう片方の手で顔を覆ったけれど、彼の足が止まる様子はないの。それは、ネズさん。そういうことなんでしょ。はやく、言ってよ。
 それから五十メートルくらい歩いて、やっとネズさんは立ち止まった。
「……すき、です。だから……おれと逃げてください」
 やっぱりネズさんはあたしから顔を背けたままだけど、親子みたいに繋いでいた手を、まるで恋人みたいに絡めなおした。これはネズさんの精一杯の勇気なんだろう。それを一身に受けたら、ねえ。たとえ今までのやさしさ全部が、悪タイプなあなたの打算だってわかったとしたって、そんなのどうでもいい。あたしも、あなたに連れ去られたいよ。
「ぜったい離さないでください」
 腕に縋りつくと、いつも手に感じていた熱が胸いっぱいになった。ねえ、つれてってよ。あなたが知ってる世界の果てまで、あたしを連れてって。
「……離しません」
 そう言って、ネズさんは絡めた指を強く握ってくれた。
 ねえ、二人ならどこまででも行けそう。ネオンの光と雑踏を越えて、あたしとあなたで逃避行。


 ***


「このままさぁ、ユウリを連れて逃げちまえよ」
 そう言ったのは、確かにオレ。けれど、本当に逃げられるなんて、聞いてない。酔った勢いでネズに電話して、「ユウリを連れて逃げちまえ」と言ったのは事実。けれど、意外と小心者なネズがそんなことを本当にやるだなんて思っていなかった。だから、それが本当に起きたことに気付いたのは、クララに「ドラゴンストームさんってさァ、案外バカっていうかぁ」と指摘されたその瞬間だった。
「え、あいつら本当に逃げたの?」
「そんなの、決まってんじゃん? ドラゴンストームさんが思ってる以上に、ユウリだって本気なんですけどォ」
「ま、まじか……」
 可愛い妹分を、そういう意味で奪われたことに、そしてその相手がネズだということに、ちょっとショックを受けた。ダメージは結構大きかった。そ、そっかあ……本当にそういう関係だったのかぁ……
「でも、いいんじゃなぁい? ユウリが幸せならさ」
 クララは髪を弄りながら、口調に反して嫌そうな顔をしていた。
「……あんたも感情がわかりにくい奴だよな」
「女は、ミステリアスなところがあったほうがいいんだよォ」
 そっかぁ。クララの弁をそのまま受け入れるとするならば、ユウリはミステリーの塊だ。
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